第三話 キックグ通りの新聞社
__ロアナ王国王都ハサ__555年9月6日昼過ぎ
タルコット侯爵領を抜けてロアナ王国王都ハサ駅に到着したのは昼を過ぎていた。景色はタルコット領と同じ褐色と青のコントラストが印象的だが、ここは上流階級が暮らす閑静な街といった雰囲気。広々とした馬車道の左右には意匠を凝らした建物が続いている。
中央クローナ風旅装姿のわたしとライナスを、通りすがりの紳士が物珍しそうに眺めていった。辺りを見回してみると、道行くのは派手な色味のドレスの貴婦人と、色味は地味だがロマンティックなデザインのシャツを着こなしたロアナ紳士。
「嫌な感じね」
わたしが小声で囁くとライナスがフッと笑った。
「おれらが平民みたいな質素な服を着てるからさ。こういう装飾の少ない服はロアナでは労働者が着るものだ。貴族は基本的にシルク製の凝ったデザインのものを着てる。おれらは、ああいうやつらと一緒ってこと」
ライナスが指さしたのは三階のバルコニーに腰掛け、体にロープを巻き付けて作業している人たち。
「ここらへんの建物は歴史的価値の高いものばかりで、常に修復師や建築士が保全作業をしてる。ルヴィルナグ聖殿もそのひとつだ。あそこに三つ並んだ尖塔が見えるだろ?」
と、今度は遠くに見える丘の麓を指さした。丘の斜面は岩肌と木々の緑が斑模様を描き、それを背景に赤褐色の尖塔が三本突き立っている。
「ルヴィルナグ聖殿の三連尖塔。別名セタの塔。遠くからだとサルビアに見えないこともないだろう?
ハサの建築彫刻黄金期に活躍したハーセルって建築家が手掛けたんだ。しかし、ジチ正派はラァラ派と違って金銭的に余裕があるわけじゃないし、あの高さの、しかも巨匠の手に成る芸術品をおいそれと修復できる者はいなかった。それで長年放置されて風化が進んだ状態なんだ」
「だから建て替えの話が出たのね」
「そういうこと。サザラン伯爵は建築家とルヴィルナグ聖殿の仲立ちをするつもりだったんじゃないかと思う。王家も一枚噛んだ上でね。それがあの暴露記事のせいで話がこじれた」
「建築家は手を引いたのかもしれないけど、王家とサザランの関係はこじれたわけじゃないのよね?」
「それはないだろう。サザランと王家とで口裏を合わせて、表向きには改修の話自体をなかったことにしたとしか思えない。暴露記事の内容とは反対に、ルヴィルナグ聖殿がラァラ派に改宗しようとしてるんじゃないかと噂する王都民もいたから、王家は火消しを急いだんだろうな」
ライナスは意味ありげな眼差しで丘の上に目をやった。三連尖塔から視線をわずかに上げると、淡褐色の城壁と、その奥の建物の屋根に旗が靡いている。
「丘の上に見えてる、あの城壁はロアナ王城?」
「ああ。へサン伯爵邸の要塞に比べたらロアナ王城に忍び込むなんて赤子の手をひねるようなもんだ」
不穏な台詞を耳元で囁くと、彼はわたしの手から鞄を取り上げた。「こっちだ」と王城に背を向け、ハサ駅西側にあるキックグ通りへと向かう。目的地は言うまでもなく新月の黒豹倶楽部。ライナスによれば、上流階級が出入りする場所ではなくあぶれ者の吹き溜まり。例の暴露記事を書いた新聞社もキックグ通りにあるのだとか。
駅から二区画ほど離れると綿や麻製の庶民的な服を着た人ばかりになった。周囲を飛び交うロアナ語に聞いたことのない俗語が混じり、語尾もユーフェミアから習ったのとは異なっている。道端で言い合いをしていた男が放った『糞ったれ』という言葉も、ユーフェミアの発音とは微妙に違った。
「庶民の話し言葉は結構違うのね」
「ユフィのは貴族的な上品なロアナ語だから」
「あなたは?」
「おれは時と場所で使い分ける」
街の景色は駅を出た時とはすっかり変わり、サルビア急行の窓から見たレンデンの街に似ている気がした。木箱を並べたような褐色の建物。通りに面して日除け布が張られ、その下では露店が開かれている。売っているのは食料や日用品などではなく絵画や宝石、骨董品だ。
「あっ、ここだ」
ライナスが立ち止まったのは木製の台に新聞を並べた露店。紙面の上部には『不定期発刊 真実報道紙』の文字があった。台の奥では眼鏡をかけた中年男が椅子に座って原稿の直しをしているが、作業に没頭しているのかこっちには目もくれない。
「本当にここなの?」
「ここは最終目的地じゃない。例の暴露記事を書いた新聞屋だ」
ヨスニル語で話したせいか眼鏡の男が顔をあげた。
「観光客か?
ロアナ語はわかる?
ここらあたりはよそ者が来るとこじゃない。危ないから戻ったほうがいい」
そう言いながら、どうせロアナ語は理解できないだろうというようにシッシッと手を払った。
「おじさん、聖地で起きた暴発事故の情報いらない?」
男は最初ライナスのロアナ語に驚いたようだったが、それ以上に話の内容に興味を引かれたらしく、眼鏡の奥の垂れ目が鋭さを増した。
「もしかしてあの場にいたのか?」
「ああ」
ライナスがうなずくと、「お茶をごちそうしよう」と男は顎をしゃくって建物の中へ誘った。
「ちょっと、ライナス。どうするつもりなの」
小声で問うと、ライナスは人を食ったような顔でニヤッと笑う。
「暴発事故でクリフは死んで、タルコット侯爵は絶対安静の状態――っていうのはどうかな?」
クリフの死という言葉にドキリとした。と同時に、新聞屋を利用して情報を撹乱しようという彼の意図も理解できた。
「ラァラ神殿出身の修行者が逃亡したってことも教えてあげたら?」
「了解」
わたしたちの会話は当然ヨスニル語だったが、話がまとまったと察したのか、男は建物の中にいた若い男と店番を交代した。中に入るとインクの匂い。印刷機は見当たらないから印刷所は別の場所にあるのだろう。中央のテーブルには乱雑に積まれた本と、ひっくり返して置かれた原稿用紙、ペン立てとインク瓶。
入口脇に積まれているのは最新号のようだが、部屋の奥にある壁一面の格子棚にも新聞が整理されていた。右側に行くほど紙は日に焼けて黄色みを増し、在庫数も右側の方が少ない。
「真実新報の歴史だ」
わたしが興味深く新聞棚を眺めていると眼鏡の男が言った。
「ああ、嬢ちゃんはロアナ語ができないのか? さっきから兄ちゃんしか喋ってないが」
「喋れるわ。でも、ここらへんの人が使ってるスラングはわからない。わかるのは〝クソッタレ〟くらいね」
「ハハッ。それだけ知ってりゃ十分だ」
そう言いながら、男は椅子をふたつ持ってきてわたしたちに勧めた。入口からさっきの若い男が入ってきて、「どうぞ」とルビー色をした飲み物を手渡してくる。グラスの中で氷がカランと涼しげな音をたてた。
「製氷機があるの?」
「キックグ通りにはなんでもある。それより嬢ちゃん、酒は飲めるか? ワインだぞ」
「ワインは好きよ。毒入りでなければ」
「嬢ちゃんはなかなか面白いな」
男はククッと笑ったが、ふと真面目な顔に戻ると立ったまま腕組みしてライナスを見下ろした。ライナスは喉が渇いていたらしく、すでにグラスを空にして氷をボリボリと噛み砕いている。
「兄ちゃん、嘘は吐くなよ。一体、聖地で何があった?」
「聖女が神殿のやつらに連れ去られた」
「聖女? ラァラ神殿が大枚はたいて探してる、あの聖女のことか?」
「ああ、その聖女だ」
男は興奮しているようだった。口角をひくつかせ、未使用の紙を引っ張り出すとペン先にインクをつける。合間合間に男の質問に答え、ライナスは虚実織り交ぜながら三十分くらいは話していた。
「今の兄ちゃんの話をまとめるとだいたいこういうことか。
――ラァラ神殿から逃亡した聖女はタルコット侯爵に捕まったが、侯爵は彼女を神殿ではなく大聖会に引き渡すことにした。その情報がスパイによって神殿側に漏れ、聖地にいたラァラ神殿出身の修行者がトゥカ駅で待ち伏せ。聖女を拉致してワイアケイシア急行で逃亡。
クリフ・オールソンが神殿側の手先に脅されてタルコット侯爵を撃つよう言われたが、それができずに自殺を図る。その時に銃が暴発、治療中に死亡。巻き添えをくったタルコット侯爵は現在治療中。大聖会が詳細を伏せているのは事実確認に時間がかかっているため――。
だが、緋衣の指輪が流出しているのに公表しないなんて神殿への忖度だろう?」
「さあね。それもあるかもしれないが、他にも理由がないわけじゃない。聖女の保護には中央クローナの有力貴族が数名関わってたんだ。安易に公表するわけにはいかないさ。その貴族関係者のうち一人は暴発事故の際に負傷しているしね」
思わせぶりな言い方に焦れたのか、男はペンと紙をテーブルに投げ置いて前のめりになった。
「その貴族っていうのは?
兄ちゃんと嬢ちゃんも、中央クローナの貴族関係者ってことだよな?
せめてどこの国の貴族かだけでも教えてくれないか?」
「残念ながらおれと彼女は貴族じゃないし、心優しいお貴族様方の名前をここで出してこれ以上信用を失うわけにはいかない。おれは彼らからあまり信用されていないからね」
「どういうことだ?」
「おれの身分証を見ればわかる」
ライナスは財布から二つ折りの紙を取り出して男に見せた。出入国時にも使っていた、フォルブス家発行の身分証だ。
「……偽造か?」
「本物だよ。おれはフォルブス男爵に命じられてタルコット侯爵の動向を報告していた」
「つまり、兄ちゃんはスパイだったが寝返ったってことか?」
「もともとフォルブスに忠誠を誓ってたわけじゃない。おれとクリフ・オールソンはフォルブス家の裏の顔にうんざりして告発を企てていたんだ。それでタルコット侯爵と手を組むことにした。
だが、おれもクリフ・オールソンも神殿に疑われていたらしい。あの場にいた神殿の手先が、おれには告発文書を燃やすように、クリフにはタルコット侯爵を撃つよう命じた。
クリフが渡されたあの銃には細工がされていたそうだ。火薬量が増やされていたという情報もあるし、自分を撃ってもタルコット侯爵を撃っても結果は同じだったってことだ」
「ちょっと待て。クリフ・オールソンは確かフォルブス出身だろう?」
「つまり、フォルブスも、フォルブスが仕切る神殿もそういうドロドロした場所ってことだ。優しいやつは淘汰される」
二人の会話を聞いていると、それが真実と錯覚しそうになる。まるで、オールソン卿がわたしたちと一緒にイヴォンを助けようとしたかのように。
男は顎を揉みながらしばらく考え込んでいたが、原稿の束の下から分厚い手帳を引っ張り出した。
「兄ちゃん、この情報どう思う?」
と、手帳に挟んでいた一枚の紙をライナスに渡す。折り目が幾筋もついているから、元は小さく折りたたまれていたのだろう。わたしが覗こうとすると男は一瞬眉を顰め、すぐ思い直したように手をヒラヒラと払った。
『タルコット侯爵領にあるオングル炭坑跡地に銃器が運び込まれている。数十名規模だが軍事訓練も密かに行われている。ラァラ神殿が違法に軍を組織しようとしている可能性』
文章を読み終えて顔をあげると、男は「あいつが受け取った」と入り口にチラと目をやった。外にいる若い男のことだ。
「昨日、ロアナ語も話せない外国人が新聞代と一緒にこれを渡してきたそうだ」
「裏取りは?」とライナス。
「とりあえずオングルに人をやったが、ヤバそうなら無理はするなと言ってある。兄ちゃんはこの件について何か知ってるか?」
「初耳だし、おそらくタルコット侯爵も知らない。この紙を渡してきたのはどんなやつだ?」
「ロアナ貴族風の服を着ていたようだが、外国人なのは間違いない。背が高くて、黒い長い髪に鼻髭。まあ、金髪がチラッと見えたらしいから多分カツラだ。ずいぶん色男だったようだし目立たないよう変装していたんだろう。年は二十代半ば」
情報提供者の風貌を聞いてわたしはつい笑みをこぼした。すると、男が間の抜けた表情で首をかしげる。
「嬢ちゃん、もしかして知り合いか?」
「ちょうど、ロアナ語の話せない金髪の美青年がハサに来ているんです。彼はガンマニアで、銃器関連の仕事をしている友人をクローナ各地に持ってるから」
それ以上に酔狂なオカルトマニアでもあるが、ここで言う必要はないだろう。




