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泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜  作者: 31040
第二幕 ――第五章 聖地へ
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第九話 アリシアの日記

__ナスル王国トゥカ聖会特別保護地区トゥカ大聖殿付属療養所__555年9月4日



「ライナス、大丈夫?」


 オトが気遣うように顔をのぞき込むと、ライナスは「すまん」と無理やり笑みを浮かべた。


「当時のことを思い出すと、禁術の影響でたまにこんなふうになるんだ。だが、ロブやベリックと違っておれはフォルブスの犬じゃない。あんなやつらに支配されてたまるか。やつらが作り上げたものなんて全部ぶち壊してやる……」


 ライナスが胸の内に秘めた怒りは相当なものに違いなかった。息を吐いて興奮をおさめようとする彼の姿をしばらく無言で見守り、ようやく「取り乱しました」といつもの軽い声が聞こえて場の空気が和らぐ。それを待っていたように侯爵が口を開いた。


「ベリックとは知り合いだったのか?」


「いや。ベリックのことは侯爵が中央クローナのどこかで見つけてきたんだと思ってた。あんたなら知ってると思うが、体格のいいイモゥトゥは中央クローナか東クローナの貴族が血液を購入して地元の妊婦に産ませた可能性が高い。ロアナの妊婦だと生まれるのは基本的に小柄なイモゥトゥだからな」


「間違ってはいない。ベリックは父が生きていた頃にヒルシャ国とヨスニルの国境あたりで見つけた。ヒルシャの王族の元にいたイモゥトゥがイス・シデ戦争時の混乱に乗じて逃亡した記録があり、姿絵がベリックによく似ていたから、まさかやつが神殿と関わりがあるとは思わなかったんだ」


「フォルブスが先に見つけて利用したんだろう。さっきも言ったが、ベリックは禁術に侵されてフォルブスに支配されてる。禁術は死なない限り解けない」


「ライナス、あなたはどうやってその支配を逃れてるの?」


 わたしが聞くとおどけた表情で「さあ?」と肩をすくめる。


「おれは処分されないよう周りに合わせてフォルブスの犬を演じてただけだ。むしろ、なぜ他のやつらがフォルブスに従順なのか不思議でしょうがない。その理由を知るにはどこに行くべきか知ってるか? ユーフェミア嬢」


「あなたもサザラン伯爵邸に行くつもりだったのね」


「サザランがあの告発文書をどうしたか確認する必要もある。そこにあの怪物の秘密があるならちょうどいい」


「ちょっと待て」とわたしとライナスの会話にタルコット侯爵が割って入った。


「怪物というのは一体何者なんだ?

 以前、アッシュフィールド嬢がイモゥトゥの起源を知るためにサザラン家に行くと話していたが、怪物というのはイモゥトゥなのか?

 エリオットが禁術によってイモゥトゥを生み出したと?」


 痺れを切らした侯爵は矢継ぎ早に質問を口にする。視界の隅に祭服を握りしめるヒューバート教司のこぶしが見えた。やはり彼は何かを知っているに違いない。


「おれが怪物と呼んでいるのはリュカという名前の、エリオット・サザランそっくりの男だ。見かけは十七歳くらい。イヴォン嬢の話ではリュカはエリオットが育てたらしいが、やつはイモゥトゥじゃない。人間ですらない」


 ライナスはニヤッと笑い、さらに続けようとしたがノックの音に邪魔された。


「お薬をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか」


 所員らしい女性の声。すると、ヒューバート教司が「そろそろ引き上げましょうか」と口にした。


「侯爵殿の熱が上がってはいけません。無理は禁物ですよ」


「しかし、怪物の正体だけは聞かせてもらわないと気になって熱が出てしまいます」


「正体は不明だ」


 ライナスが言い放ち、侯爵が「はぁ?」と上ずった声を出して彼を見た。

 

「不明だと?」


「ああ。だから正体を突き止めるためにサザラン伯爵邸に行くと言ってるんだ。今さら侯爵に隠し事をする気はないし、おれが知ってることはもうほとんど話した。おれはあんたらを利用して神殿をぶっ潰したいだけだ」


 その言葉で諦めがついたのか、侯爵は「入ってください」と扉に向かって声をかけた。所員と入れ替わりに部屋を出ると、ライナスが小声でヒューバート教司に問いかける。


「それで?

 教司様は何か理由があって話を中断させたんだろ?」


「ええ。ひとまず見せたいものがあるのでわたしの部屋まで来てください。あなたたちにはそれを見る権利がある。エリオットの妻だった、アリシア・サザランの日記です」


「えっ」


 驚きの声をあげたオトに教司は「シッ」と人差指を立て、聖職者らしい穏やかな笑みで「行きましょう」とわたしたちを促した。向かったのは大聖殿だ。


 トゥカ大聖殿内部に居室を持っているのは六人。大教司と大祭司を含め、教司と祭司上位三名ずつが大聖殿内部で寝起きしているらしい。大聖殿の礼拝大広間は数多の巡礼者がひっきりなしに出入りしているが、ヒューバート教司たちの居住区域と繋がっている通路は一箇所。その通路は常時トゥカ衛兵が見張っているという。わたしたちはその通路ではなく、大聖殿の裏手にある入口から(当然そこにも衛兵がいるが)中に入った。


 日はすでに沈み、通路にはランプが灯されていた。どれだけ天井が高いのか頭上は闇に包まれ、足音だけが通路に響く。巨人が出入りしそうな大きな扉の前には必ず衛兵が立っていて、わたしはふと以前アカツキから聞いた話を思い出した。


「教司様。書庫があるのはこのあたりですか? 以前、研究所の仕事でアカツキ・ケイがここを訪問したとき、一般巡礼者が出入りできない場所に書庫があったと言っていました」


「ああ。彼があの時の研究者なんですね。わたしは直接はお会いしていませんが、ソトラッカ研究所から公爵家のご令息がいらしたという話は耳にしていました。ケイ卿が案内されたのは今通り過ぎた、あそこの書庫でしょう。書庫はいくつかありましてね、この通路から奥には上位修行者でも立ち入りが禁止されている書庫もあります」


 ヒューバート教司はそう言うと、「こちらへ」と通路が十字に交差した場所で右に曲がった。


「ここをまっすぐ行くと大広間へと続いています」


 教司は前方を指さしたが、通路は果てしなく先まで続いており、ランプの明かりで辛うじて二人の衛兵の姿が見えるだけだった。ヒューバート教司は左側の二つ目の扉の前で足を止め、「ここです」と首にかけた鍵で扉を開ける。


 部屋に入ると正面に細長い窓が四つ並んでいた。それぞれの窓は二メートルほどの間隔があり、右端の窓に橙色をしたランプの明かりが見える。その明かりは話し声とともに隣の窓へと順に移動していく。鎧戸もないガラス窓だが、子どもでも出入りできそうにない細い窓だった。


「今夜は月明かりは期待できませんね」


 ヒューバート教司は手に持っていたランプから燭台に火を移した。つい今しがた西の夜空に見たのは触れただけで折れてしまいそうな月。今夜は月のない夜。


 教司は読書するのに十分なくらいの明かりを灯した後、わたしたちにソファーを勧めて奥の部屋へ姿を消した。広々とした部屋には応接用のテーブルとソファがあり、信者からもらったものなのか拙いサルビアの造花がこぼれ落ちそうなほど棚の上に飾られている。


「奥は執務室かな?」


「寝室です。執務室は別の場所にあって、南向きの明るい部屋です」


 半開きの扉を覗こうとしていたオトを、戻ってきたヒューバート教司が押し戻した。皺だらけの手には古びた日記と数枚の書類。彼は日記だけを壊れ物を扱うようにテーブルに置いた。


「アリシア・サザランの日記です。ほとんどが他愛ない日常のことですが、いくつか気になるところに栞を挟んでいます。たいした分量ではありませんので、実際にお読みになったほうが早いでしょう。どうぞ御覧ください」


 老教司はテーブルを離れて窓枠にランプを置き、その明かりを頼りに書類を読み始めた。わたしが日記をめくると、ライナスとオトが左右からのぞき込んでくる。


 そこには上品で気品のあるロアナ語の文字が並んでいた。とっくの昔に亡くなったアリシア・サザランの、ロアナ貴婦人らしい古風なドレス姿が思い浮かんだ。


『406年11月15日 結婚当初はなんと見目麗しい旦那様かと心踊ったものだけれど、あの何も知らなかった数週間が一番幸せだった。別棟の窓からあの者らがこちらをうかがっていると思うと背筋が寒くなる。あの者らがエリオットの私生児だと思い込んでいられたら良かったのに、未だにあのふたつの影は子どものまま。ライナスとネイサンはじきにあの小さい方の影に背丈が追いつくだろう。あの影は初めて見てから少しも成長していない。』


『407年5月9日 侍女が一人辞めた。ものを知らない若い子で、迷って裏庭に行った末に、「向こうの建物にいる伯爵様にそっくりのご令息は誰か」と先日私に聞いてきたあの侍女だ。その場にいた者に口止めはしたが、侍女に見られたことに向こうも気づいていたのだろう。素知らぬフリをして執事に「あの侍女はどうしてやめたのかしら」と尋ねると、「母親の看病が必要だそうです」と言う。そんな見え透いた理由で私が騙されると思っているのだろうか。

 いや、執事はエリオットに言われた通りにしているだけ。別棟の秘密を知った者は伯爵邸からみな消えてしまう。だから気づかないフリをしなくてはいけない。知っても素知らぬフリをしないといけない』


『408年10月8日 エリオットがウチヒスル城に移ったのと同時に、別棟からあの者らの気配が消えた。タナーもいなくなった。

 なぜ私と双子の息子は城に行かなかったのかと父に手紙で問われた。エリオットは私を城に誘いはしたが、そんなのは口先だけで実際には同行を望んでいなかったはずだ。双子は行きたがったが、どうにか言いくるめてこの家に留めた。

 父にはサザラン邸を牛耳るいい機会だとでも書いて送れば納得するだろう。父は若いサザラン当主を手のひらで転がしているつもりかもしれないが、父はあの者らの存在すら知らない。あの者たちのことを父に伝えたところで戯言を抜かすなと怒鳴られるだけだろうし、あの者らのことを外部に漏らした時点で私がどうなるかわからない。

 私にできるのは双子をあの者らと関わらせないことだけだ。エリオットそっくりだという人ならざる者。

 ああ、おぞましい。

 我が子にあれの存在を気づかせないようにしなければ。これまでも上手くやってきたし、彼らはサザラン邸からいなくなったのだからきっと大丈夫。

 我が夫はいったい何を引き連れているのか。隠れて■■でも崇めているのではないだろうか。いっそ離縁してしまいたいけど、切り出せば怪しまれるのが目に見えている。父も許しはしないだろう。

 彼らがウチヒスルへ行ったのは私の祈りが聖人に届いたのだと思いたい』


 栞の挟まった三箇所すべてを読み終えて顔を上げると、ヒューバート教司はそれを待っていたのかおもむろに口を開いた。


「消されている場所には何が書かれていたと思いますか?」


「邪神」


 答えると彼は学校の教師のように満足そうにうなずく。


「わたしは十歳の時にその日記を見つけました。お祖母様の古い箪笥が二重底になっていて、そこに隠されていたんです。おそらくお祖母様もその日記の存在に気づいていなかったのでしょう。

 もう少し早く見つけていたら、わたしはこの日記を兄にも見せたはずです。ですが、わたしたち兄弟が後継者候補として比較され始めた頃で、劣等感と嫉妬からわたしはこの発見を独り占めすることを選びました。しかし、この日記がわたしの運命を変えることになるとは思わなかった。

 栞を挟んでいた一番最後の部分。そこを読むに至って、わたしは大変なものを見つけてしまったのだと気づきました。エリオットやアリシアについて調べようともしましたが、サザランの屋敷で家族や使用人の目を盗んでやるには限界があります。当時のわたしにできたのは、サザラン一族史と日記の日付とを照らし合わせて食い違いがないことを確認しただけでした」


「別棟には?」


 わたしの質問にヒューバート教司は残念そうに首を振る。


「別棟はわたしが四、五歳くらいの頃に建て替えているのです。

 わたしは父が別棟を壊して証拠隠滅を図ったのではと思いました。父はアリシアの疑問の答えを知っているのではないかと。

 もし父も邪教を崇拝していて、この日記を見つけた自分も邪教に強制的に関わることになってしまったら――。そう考えると父に日記のことは話せませんでした。

 追い詰められたわたしが選んだのは大聖会の修行者となること。後継候補を辞退して聖地に修行に行くと宣言すると家族だけでなく親戚中が騒然となり、収拾をつけるため父はわたしに勘当を言い渡しました。

 あのとき父はわたしの愚行を責めるだけで引き止めようとはしなかった。兄に比べて出来の悪いわたしはやはりサザランには必要なかったのだと、当時は悲しくもありましたが、今になって思うのは、父がわたしをサザランの呪縛から逃がれさせてくれたのかもしれないということです。もう確かめることもできませんけどね。

 大聖殿に来てからは必死の日々でした。ナスル語はまともには話せませんでしたし、サザラン家にいた頃は人に何かしてもらうことはあっても、自分が他人に何かをすることはなかったですから。

 そうしてがむしゃらに日々を過ごし、〝緋衣の指輪〟を手にした時ようやく思い出したのです。自分がなぜ聖地に来たのか。

 大聖殿には〝緋衣の指輪〟がなければ入れない書庫があります。そこには邪教――リーリナ神教について書かれた本がある。

 禁教に関する資料が大聖会にあるというのは子どもたちの間でさえまことしやかに言われていましたから、わたしはそれを信じて大聖会に来た。そして、その噂は事実でした」


 ヒューバート教司は喋り疲れたのかひとつ息を吐き、手に持っていた書類を「リーリナ神教の本から書き写したものです」と日記の横に置いた。そして、文字を目で追うことなく諳んじる。


「そこにこうあります。『リーリナ神は神殿の沼地の辺にある灰色の粘土に、庭園の草木をひとかけずつ、殊更に好んだハリエンジュだけは根まで砕き入れ、自らの血と唾液を垂らして赤子を作った。そして生まれた赤子に夜毎泥を与え、草木や根、血と唾液を混ぜ合わせ、赤子は次第にリーリナと瓜二つの青年になった』……わたしはこの記述を見つけたときゾッとしました。アリシアの日記にあった、侍女が見たというエリオット・サザランそっくりの少年のことを思い出したからです」


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