第八話 サザラン家出身の聖職者
__ナスル王国トゥカ聖会特別保護地区トゥカ大聖殿トゥカ衛兵隊大聖会屯所__555年9月4日
サザラン伯爵家出身のヒューバート教司はクローナ大聖会本部に所属している七人の教司の中で一番の古株。大教司候補に名前があがったこともあるらしい。しかし、出身家門がラァラ派ということを懸念する声が各国聖会からちらほら聞こえてきて、結局はヒューバート自ら候補を辞退したのだとウィッチヌン隊長が教えてくれた。
「それなら、今回の件の聴取をヒューバート教司様がされているのは問題ないんですか? 関与を疑う人がいてもおかしくないと思うけど」
オトがそう聞くと、ウィッチヌン隊長は迷うことなく「誰もそんなことは考えない」と断言する。
「ヒューバート教司様はサザラン伯爵家とは完全に絶縁し、下位聖職者になるための修行もこの聖地でされたそうだ。それに、以前からラァラ神殿のやり方に批判的な態度をとっておられ、それが理由で家と絶縁したという噂も聞く。ヒューバート教司様を疑う者はこの大聖殿にはいない」
ウィッチヌン隊長の言葉を聞いても、わたしはヒューバート教司への疑念を拭えなかった。ベリックはタルコット侯爵の護衛のフリをして十年も息を潜めていたのだ。大聖会所属の教司のフリをして、何十年もの間ラァラ神殿に情報を流し続けていたのかもしれない。ライナスの聴取もラァラ派同士の密談という可能性もある。
「ウィッチヌン隊長様。ヒューバート教司様はここにイヴォンの覚書があることをご存知――」
わたしが質問を言い終える前にコツコツとノックの音がした。
「ウィッチヌン隊長、少しよろしいでしょうか」
衛兵らしい歯切れのよい声だった。隊長が「少し失礼」と部屋を出ていき、わたしたちと一緒に取り残された説話師は気まずそうにうつむいている。一分ほどで戻った隊長は疲れたようにひとつため息を漏らした。
「暴発した銃は細工がされていたそうだ」
「やっぱりね」
返ってきたオトの反応に隊長は苦笑を浮かべる。
「隊長さん、ベリックの聴取はした? あの銃はロブが準備してベリックがオールソン卿の部屋に勝手に置いたんだよ。ぼくらは何も関与してない」
「ベリックは銃を用意したのも自分だと言っていた」
「それ、信じるの?」
「そこまで愚かではない。やつは拷問を受けても死ぬまで同じことを言うタイプだ。やつの尋問は意味がない」
「ベリックは死なないよ。あれくらいの傷なら数日で治るから油断しないほうがいい」
オトの助言に隊長は苦虫を噛み潰したような顔をする。そのとき再び扉がノックされ、年嵩の男の声が聞こえた。
「ウィッチヌン隊長、少し良いだろうか」
説話師と隊長とが驚いた様子で顔を見合わせ、「すぐ開けます」と、隊長自ら慌てて扉を開ける。立っていたのは真っ白な髪を後ろでひとつに束ねた柔和な顔つきの老人と、彼より頭ひとつ背の高いライナス。
「教司様、どうしてこちらに?」
「つい今しがた銃の細工の件を聞いてね。改めてタルコット侯爵に聞きたいことができたので今から療養所に向かおうと思うのだが、……そこにいる二人と、わたしの後ろにいるこの者も一緒に連れて行っても構わないかね?」
「……彼らをですか? しかし……」
「駅での騒動にラァラ派修行者が関与していたのは間違いない。それに、この者たちが聖女のために我々を頼って来たというのは本当のようだ。このライナス君はヘサン伯爵邸の城壁の内側のことをよく知っていた。先ほど見せてもらった覚書は偽造ではないだろう。
ウィッチヌン隊長。わたしは今回の件を神殿の一部の者の暴走だと考えているのだが、君はどう思う?」
「それについてはわたしは何とも言えませんが、この者らに大聖殿を害する意図はないだろうとは考えております」
「じゃあ、連れて行っても構わんね」
ヒューバート教司が有無を言わせぬ笑顔で尋ねる。ウィッチヌン隊長は「わかりました」とため息混じりにうなずいて、衛兵を一人つけて送り出したのだった。
「ライナス。侯爵様のところに行って何をするつもり?」
ヒューバート教司の目を盗んで小声で聞くと、「ここで話すわけにいかないだろう」ともっともらしい言い訳が返って来る。オトは探りを入れようとしているのかヒューバート教司の隣に陣取っているが、衛兵が傍にいるから大した話はできないだろう。わたしとライナスは歩調を緩め、彼らから少し距離をとった。
「あなた、教司様と知り合いだったわけじゃないわよね?」
「そんなわけないだろ。もしかして、まだおれを疑ってる?」
「サザランの人間と二人きりで長々と話してて疑われないと思った?」
わたしの言葉に納得したのか、ライナスは「ああ」と漏らしてヒューバート教司の背に目をやった。
屯所から修行者宿舎の前を抜けて療養所まで、すれ違う人のほとんどが彼に対して親しげに挨拶をする。その姿を見る限り人望はあるようだが、その笑顔の裏に別の顔を隠しているとしたら――。
「まあ、おれも疑ったくらいだからあんたが教司を疑うのは当然だ。だが、どうやらあのジイさんはラァラ神殿を警戒してる。それで、利用できそうだと思ったから、おれがジイさんをタルコットのところに誘ったんだ」
「利用できそうって」
「〝利用〟っていう言い方は良くないか。良心溢れる教司様に〝協力〟を求めようとしてるってこと」
衛兵が振り返って会話は途切れ、わたしの隣に戻って来たオトが「いい人みたいだよ」と毒にも薬にもならない感想を耳元で囁いた。
療養所に到着すると衛兵は所員に引き継いで屯所に戻っていき、わたしたちは多くの視線に晒されながら中に入る。夕食時らしく通路では所員が鍋からスープを皿によそい、それを別の所員が運んでいった。療養者用の部屋の扉がちょうど開け放たれていて、一階にあるのは十人程度の大部屋のようだった。
一方、案内されたタルコット侯爵の部屋は二階の奥まった場所にある個室。下階と違って机や椅子やチェスト、付き添い用の仮眠ベッドまであるが、貴族が療養するには質素過ぎる部屋だ。
タルコット侯爵は聴取の途中に倒れたと聞いていたが、その聴取をしたのもヒューバート教司。侯爵は教司の顔を見るなりベッドの上に身を起こし、「先ほどはご迷惑を」と頭を下げた。ベッド脇に控えるマルクとオラフも主人に倣って会釈する。
「侯爵殿、どうぞ楽にしてください。体調もよろしくないのに、こんなところまで押しかけて申し訳ありません。ライナス君から教えてもらった情報をみなさんと共有したいと思い、気が急きましてね」
「ライナスからの情報?」
タルコット侯爵は不快感を滲ませてライナスを睨んだが、ヒューバート教司は笑顔のまま話を続ける。
「その前に、つい先ほど判明したのですが銃の暴発は仕組まれたものだったようです」
「ああ、やはりそうでしたか。そんなことだろうとは思っていました。それで、彼の情報というのは?」
「告発文書はもう一通あるんだ」
ライナスがぞんざいな口調で言い、タルコット侯爵の表情には驚きと疑念とが浮かんだ。わたしの頭を過ったのは以前レナードが口にした推察。
「ライナス、告発文書を送ったのはやっぱりあなただったの?」
「そういうことだ。ただし手元にはない。あんなものを後生大事に持っていて、万が一フォルブスに知れたらどうなるか」
「じゃあ、どこにあると言うんだ?」と、タルコット侯爵が噛みつかんばかりの勢いで聞く。
「サザラン伯爵家に送った」
「サザラン? なぜサザランに?」
「タルコット侯爵もヒューバート教司もロアナ国内のことは詳しくないようだけど、ここ一、二年ほど、サザラン家は以前にも増して神殿と距離を置くようになってる。その一方でロアナ王家と接近する動きがあるんだ。
王家主催の舞踏会に参加する程度なら以前からもあった。けど、去年の初めあたりだったかな、サザラン伯爵が王都ハサにあるルヴィルナグ聖殿に外国からの客人を密かに案内したという暴露記事が出たんだ。その客人は建築家らしくて、ルヴィルナグ聖殿の改修にサザランが関わるのではないかという憶測も書かれてた。サザラン伯爵はルヴィルナグ聖殿の訪問自体を否定して、王家は王家で聖殿改修予定はないと王室広報紙を臨時発行して明言したからすぐに収まったけどね」
ライナスの話に侯爵と教司は考え込んでいたが、しばらくして侯爵が口を開いた。
「ロブとかいうあの男は告発文書の内容を知っていたようだ。サザラン家に送った告発文書がフォルブス家に渡った可能性もあるのではないか?」
「ロブは告発文書を燃やせと言っただけで文書の内容については何も言っていない。あれが神殿を告発するものだということはベリックから聞いたんだろうが、具体的な内容は知らなかったんじゃないかな」
「確かにベリックが知っていたのはあれが告発文書だということだけだ。内容が酷すぎて彼らに話す気になれなかった。だが、おまえの言う通りだとしてもサザランがあの文書のことをフォルブスに黙っていたということにはならない。
それ以前に、サザラン家にあれを送ってどうするつもりだったんだ? わたしのようにフォルブスと敵対させようと?」
ライナスはその問いに不敵な笑みを返し、タルコット侯爵は「さすがにそれは無理だろう」と呆れ顔で言った。
わたしもタルコット侯爵と同じ意見だ。神殿の実権を握っているのがサザランではなくフォルブスだと知り、サザランが神殿から距離をおこうとしているという話を聞いた今でも、サザランが神殿の喉元に刃を突きつけるとは思えない。ラァラ神殿はエリオット・サザランが建て、ラァラ派は彼が興したもの。そして神殿を隠れ蓑にし、イモゥトゥに交霊をさせて富を増やしてきたのだ。
しかし、わたしたちの懐疑的な視線にライナスが揺らぐことはなかった。
「おれは無理だとは思わない。サザラン伯爵はその時のために告発文書を処分することなく保管してると思うね。ヒューバート教司も同じ意見だからおれを連れてここに来たんでしょう?」
「教司様、本当ですか?」
侯爵の問いかけにヒューバート教司はうなずいた。
「家を出て以来、わたしはサザラン家とは無縁でしたが、神殿が捜索記事を載せたあと現サザラン伯爵である甥から初めて手紙が届きました。ラァラ神殿と手を切りたいが〝亡霊〟……つまり、エリオットの存在がしがらみとなってそれが難しいと。家督争いから逃げたように見せかけてジチ正派に鞍替えしたわたしのことを羨ましいとも書いていました」
「では、サザラン伯爵も大聖会に協力を求めようとしていたと?」
侯爵の問いにヒューバート教司は「わかりません」と首を振る。
「手紙をもらって真っ先に考えたのは神殿の罠ではないかということでした。ライナス君から話を聞いてあれは伯爵の本心だったのだろうと思いつつも、完全に疑念が消えたわけではありません。
伯爵にはいちおう返信を書きましたが、あの手紙の内容には触れず、毎月トゥカ大聖殿で行われる大礼拝の案内状に時候の挨拶のみを書き添えて送り返しました。話したいことがあるなら聖地まで来て欲しいという意味も込めてそうしたのですが、八月の大礼拝ではサザラン伯爵らしい人物は見当たりませんでした」
ヒューバート教司の表情は読みにくかったが、後悔しているようにも見えた。
「教司様。もしサザラン伯爵様からの手紙が本音で綴られたものなら、教司様はどうなさるつもりなのですか?」
彼はわたしを見て白い髭をなでると、困ったように微笑する。
「大教司をはじめとして、わたしを含めた大聖会の教司はラァラ派をよく思っていません。ですから、神殿の最大の資金源であるサザラン伯爵が本当にラァラ派を抜けるのなら悪い話ではないのです。しかし、大聖会が一枚岩というわけではありません。我々教司とは違い、祭司たちは神殿との対立を避けたがっています。ラァラ神殿からの拝納金は他の聖殿と比較になりませんから」
「だが、その金をラァラ神殿に納めてるのはサザラン伯爵家だ。サザランがジチ正派に鞍替えしてルヴィルナグ聖殿に寄付すれば、それはルヴィルナグ聖殿から大聖会への拝納金に反映される。違うか?」
ライナスの言葉にヒューバート教司は苦々しげにうなずいた。
「サザラン伯爵がジチ正派に改宗すれば、の話です。サザラン伯爵領はフォルブス領を内包しているという特殊な環境にありますし、周りにあるのは海か古参のラァラ派の領地。実際、サザラン伯爵領内にある聖殿や礼拝殿はすべてラァラ派だったはず。そのサザランがジチ正派に改宗すると聞いて信じる者はおりません。実際にその届けがない限りは」
「たしかに教司の言う通りだが、サザラン家に対して多少なりとも情が残ってるなら神殿との関係は絶たせておいたほうがいい。神殿には怪物がいる。あれはおそらく禁術で生まれたものだ」
「怪物?」とヒューバート教司が眉をひそめた。ライナスは答える前にわたしを一瞥し、そして侯爵にこう問いかける。
「ベリックがフォルブスの飼い犬だったってことは、あいつは交霊できないイモゥトゥなんじゃないか?」
「そうだが、それが何だと言うんだ? 交霊感度の低いイモゥトゥは別に珍しくはない」
「ベリックは交霊感度が低いのではなく、交霊状態に入ることすらできないはずだ。そういうイモゥトゥは他のイモゥトゥから記憶を覗かれることがない。だからフォルブスはそういうイモゥトゥを使う。ロブもそうだ」
ヒューバート教司は『記憶共有』のことを知っているのか、口を挟むことなく神妙な顔つきで聞いていた。それぞれの反応を確かめてライナスは話を続ける。
「交霊できないイモゥトゥはほぼ確実に禁術に侵されてる。神殿の怪物に支配されてるんだ。その怪物について、おれも以前はそれほど詳しいことは知らなかったんだが、ユーフェミア嬢とイヴォン嬢から聞いた話から考えると、禁術で怪物を生み出したのはエリオット・サザラン。エリオットは妻子を伯爵邸に残し、怪物とイヴォンを連れてウチヒスル城に移ったんだ。
エリオット・サザランが何をしてきたか、霧の銀狼団はその記録を保管してるだろう。伯爵が〝亡霊〟のせいでラァラ派を抜けられないのはそのせいだ。もしサザランが神殿に敵対的な素振りを見せれば、神殿はかつてタルコットに対してそうしたように、今度はサザランにすべての罪をかぶせようとする。多分、信徒を騙して禁術を持ち込んだ罪深い異端者としてね」
「……おまえは何のつもりで私に接触してきた?」
タルコット侯爵の表情からは厄介な相手と手を組んでしまったという警戒と懐疑の念とがうかがえた。その顔を見たライナスがふと思い出したように「あっ」と間の抜けた声を漏らす。
「どうせユーフェミア嬢が教えたんだろうと思って言ってなかってけど、侯爵様、もしかしてわたしがイモゥトゥだっていうことはご存知ありませんでしたか?」
急に丁寧な口調で冗談めかして言うライナスは、侯爵や教司の反応に満足したようだ。マルクにはわたしがライナスの正体を打ち明けていたが、周囲の反応に合わせて今知ったかのように演技している。
「おまえがイモゥトゥだと?」
「ベリックよりは老けてないつもりだけど」
ライナスの軽口に侯爵はキッと彼を睨みつけた。
「茶化すな。これでも長年イモゥトゥを追ってきた。全員の情報を完全に覚えているわけではないが、成長停止年齢が高い者は数が少ないから頭に入っている」
「それはタルコット侯爵家が関与したイモゥトゥだろう? 告発文書を読んだならそれ以外にもイモゥトゥが存在することは知ってるはずだ」
敵対的だった侯爵の表情が動揺で強張る。
「おまえはあの孤児院の?」
「ああ。おれはカラック村孤児院の出身だ。あそこで虐待を受けながら芥子を栽培させられ、オピウムを精製し、それを無理やり摂取させられた。
えーっと、あれは五十年くらい前だったか。タルコット侯爵家のイモゥトゥ売買が霧の銀狼団内部で明るみになったとき、フォルブスは巻き添えを食わないよう証拠隠滅に孤児院を解体したんだ。ほとんどのイモゥトゥは処分されて、使える者だけが残された。その残った者はみんな禁術でフォルブスの犬になった。ロブも孤児院にいた頃はあんなふうじゃなかったんだけど……」
孤児院の話をするライナスの表情から、次第にいつもの余裕が失われていった。突然無言になったかと思うとガタガタと体を震わせながら鋭い目つきで侯爵を睨み、その直後、右手で自分の頬を叩く。全員が唖然としてその様子を見ていたが、ライナスの真っ赤になった頬がみるみるうちに治っていくのを目の当たりにして侯爵と教司とが息を飲んだ。




