1.3王子殿下とわたしの「はじめまして」
「ほら、ご挨拶。お名前は?」
静かで優しいお父様の声に促されておずおずとスカートの端を持ち上げる。
「アルディジア=クローブといいます。いご、おみしりおきください」
大体の人は、この名前を聞いたらすぐに不思議な顔をする。仕方ない、色が全然違うもの。少し悲しい気持ちにはなるけれども、両親からもらった大事な名前なので変えたいと思ったことは一度もない。
けど、なにもそんなに険しい顔をしなくてもいいじゃないですかね、王子さま。
…あれ、王子さまは一人と聞いていたのに二人いる。そして王女様が見当たらない。
きょろきょろと顔を動かすわけにもいかず固まっていると。一方の王子さまが歩み寄っていた。ふわりとわたしに近寄ってそっと手を取り口づけを落としたその人は、銀髪をさらりと流して薄紅の瞳をそっと細める。
「なるほど、其方がアルディジアか。愛いな。私はアナスタシアでストレリチアだ」
「?」
どうしてお名前が2つあるのか、そしてそれは女の子の名前じゃないかと考え込んでいたわたしに、その人はこう続けた。
「愚弟が無作法ですまんな。あれはアナスタシウスでハイドランジアだ」
「ストル」
険しい顔のまま王子さまが目の前の人に呼び掛ける。なるほど。ストレリチアだから、ストル?ストレじゃ言いにくいかぁ。
「じゃあ、あなたはハイドさま、ですか?」
「は?」
「3つ目の文字までよぶんでしょう?」
きっとそうに違いないと思って言ったのに、何の反応も返らないから困ってお父様を見上げる。お父様も同じように困っていた。困った顔のお父様も可愛い。
可愛いお父様と見つめあっていたらストル様がはははっ、と笑い出した。なんとかっこいい笑い方だろう。もしかしてこの人が王女さまなのかなという考えが吹き飛ぶくらい、かっこいい。
「気にしているのはお前だけみたいだな、愉快愉快」
「…お前本当にいい加減にしろよ。ドレス着ろって父上に言われたろ」
「こんな愛い娘を相手にするならこの衣装の方が高まるだろう?」
「気味の悪いものを高めるな妙に似合うからそういう服着るのやめろその話し方はなんなんだ」
両殿下はそのままお話というか口論というかを始めてしまい、お父様と一緒に置いてけぼりを食らったわたしはやっぱり困ってしまう。そうして困った顔のお父様を見つめる。お父様可愛い。
「っい」
「たっ」
ごっとというすごい音と一緒に息の合った声が聞こえてびっくりして振り返る。お父様はちょっと呆れた顔をしているけどやっぱり可愛い。
「小娘小僧、客人ほっぽいて随分楽しそうだな」
いつ現れたのか、男の人が立っていた。多分、お父様と同じくらいの年。身長も同じくらいかな。
でもそれよりなにより。
「このひととってもきれい」
「こらアル…」
今まで見たことないくらい綺麗な人だったので思わず口に出してしまったらお父様に叱られた。お父様はびっくりしてない。鏡を見なれてるからかお母様の顔を見なれてるからか、それともこの人と知り合いなのかしら。
「ごきげんよう、小さな女神様。余はシオン、お褒め頂き光栄だ」
しゃがみこんで目線を合わせてからにっこり笑ってあいさつをされたのでつい顔が赤くなってしまう。だって笑ったら本当に天使様みたいなんだもの。
赤くなった顔を隠すに隠せずもじもじしていたらお父様が怖い顔をしているのが見えた。怖い顔をしても可愛いお父様、可愛い。
「娘を誑かさないでいただけますか」
「…お前、年々親父殿に似てくるな」
ふぅと溜息をつく姿はなんだかとてもどきどきする。ますますもじもじしてしまうのでお父様はどんどん怖い顔になる。でも可愛い、不思議。
「父上、」
「“陛下”、」
「……陛下、どうしてこちらに。都合がつかないと仰ってたではありませんか」
「どこぞの王女がドレスを着ないで行ったと聞いたので抜け出してきた。何にもされてないか、大丈夫?」
そっと伺われても何もされていない。むしろ、お顔が近い方が困ってしまう。
そんなわたしに気付いてお父様が背中に回してくれる。よかった、あんまり顔が赤いと恥ずかしいもの。
「貴方が何を心配されているのか良く分かりませんが」
「王女がやたらと令嬢方を口説き落としてくるもんで手を焼いている。おかしいんだよ、俺やリナはお友達を作りなさいと言っているのにハーレム作る気かこの阿呆状態だ。ついでに息子の方には普通に婚約者候補会わしてるのに知らぬ間に娘の方がいて、息子は部屋に戻って剣の手入れしやがってる。意味わからん。小娘お前の方の見合い相手はどうしたこの馬鹿野郎状態だ」
「その状態でなぜうちの娘に合わせようと思ったこの野郎というのが私の心情ですが」
「改善の兆しが見られないので早いとこ会わしちゃった方が安全じゃないかなだって長じて手練れになられたら困るじゃないかというのが俺の心情だな」
「なんとかしろ」
「どうにもならん」
どうも、この人とお父様はお友だちらしい。だってお父様、こんなにたくさん話すの仲のいい人だけだもの。
お父様のお友だちだと思うと緊張もほぐれるかもしれないとそっと背中越しにうかがう。目が合った。にっこりされた。たまらずもう一度隠れる。
「……そんな顔されてもどうしろってんだ」
「お前は何もしなくていい。こっちで勝手に殴る」
「そんな勝手は許さんよ」
「お前の許可は必要ない」
「あるだろ。殴られんの俺だぞ?」
「…父上、」
「“陛下”、」
立ちあがって王子さまたちを振り返る人の顔はもう見えない。けどきっとわたしに見せたような笑顔ではないんだろうなと思った。だって、向けられた方があんなに強張っている。
「……ご友人とご歓談に興じられるのは結構ですが、顔合わせが済んだのなら自分は失礼させていただきたいのですが」
「…余の友人はこの者の細君であってこの者ではないが。それに、勝手に帰るな。そんな剣の手入れをして何を斬る気だ貴様は」
え、お友だちじゃないの?
びっくりしてお父様の方を見たらなんだかとても無表情だった。これは知ってる。凄くショックを受けている時だ。弟を抱き上げようとしたら「おかーさまのほうがいい!!」と言われたときと同じ顔だもの。アレク、気持ちはわかるの。お母様とっても柔らかくてあったかいから抱きしめられると幸せな気持ちになるのよね。でもお父様もとっても優しく抱き上げてくれるから同じくらい幸せよ?
その時お母様がしていたように頭をよしよしとなでたら微妙な顔に変わった。お母様にされる方がいいでしょうけど、今はわたししかいないので我慢してください。
無表情に帰る気満々の王子さまを見て、王女さまがぽつりとこぼしたのはこの時だった。
「ハイド、お前の見合い相手じゃないのか?置いてけぼりにするのも大概にするんだな、私とてそういつも代りをしてやれるわけじゃないんだぞ」
お父様も、そのサラサラな髪をなでていたわたしも、言われた当人も、そして「陛下」も固まった。動きがあるのは発言者の瞬きくらいだ。長く縁どられたまつ毛が良く見える。この方はお父上に似ているのかもしれない。
「おいストル滅多なことを言うなこの男はなこんな可愛らしい顔をしていても結構凶暴な、あ、待て待て待て待って!」
「お前に人のことが言えるのか?言えるのか?」
「俺は清純派のカワイ子ちゃんじゃありませんので落ち着きませんかララちゃん――違う間違えた、間違えただけだって!!ナイフなんで持ちこめてんのかなここ城内だぞ?!」
「申請して許可を得ている」
「それ多分俺に使っていいってやつじゃないよねっ?」
「手が滑った」
「それは俺の十八番なのでとらないでほしいなぁ」
お父様たちがなんだか物騒に楽しそうなのでそっと離れて王女さまのそばに行く。目があったらにっこりされた。でも不思議とドキドキはしなかった。変なの。
「わたし、王女さまのお友だちに、といわれてまいりました。王子さまのおみあい?だとはきいてないのでお父さまちょっとおどろいてるみたいですけど。ちなみにわたしもびっくりです」
「見合いじゃない。ストル…姉上の話し相手に、ということで呼んだんだ。私は姉上が良からぬことをしないよう見張れと王后陛下から勅命を受けただけだ」
「失礼な話だ。私がいつそんな真似をしたというんだ。まあいい、アルディジア。向こうの庭園でバラが見事に咲いているんだ。其方と一緒に見たいと思ってな、どうかね」
「それだ」
「何だハイド」
「その時点でおかしい。お前はなぜそんな伊達男のような誘い文句ばかり使う」
「ただ美しい花を愛でようとしているだけだが?」
また置いてけぼりにされそうになって困ってしまう。このお二人、何をそんなにもめているのかしら。
「この頭の固い愚弟は置いていこう。花が気分でないなら私の部屋でもいいが、どうするアルディジア?」
「アル、と」
「ん?」
「わたしの名前、ながいしめがみさまとおなじでまぎらわしいのでアルとおよびください」
「…成程、ならば私のことはストルで良い。こっちは先程其方の言ったハイドで構わんぞ」
構わないと言われたけど、本当にいいのかわからなくてちらっとうかがう。相変わらず無表情だ。お父様も外ではあまり表情が変わらないけど、頑張って隠してるんだよと言ってたからこの人も頑張っているのかしら。
「…なんでもいい」
「な、構わんといったろう。無愛想ですまんな、生まれつきなんだ」
「はぁ」
頑張ってはないらしい。色々な人がいるんだなと思いつつ、あいさつを忘れてはいけないので居住まいを正す。
「ストルさま、ハイドさま。あらためましてアルです、いごおみしりおきを」
「ああ、宜しく頼む」
握手をしたストル様の手はしなやかだけど少し荒れてる様だった。薬品を使うとこうなるから触っちゃだめだよというお父様の手と少し似ていた。
そして、ハイド様の方を向いてさっと手を出す。あれ、握手の流れでは?どうしてあなたの手はポケットに入っていらっしゃるの?
「わたし、よろしくされないのでしょうか…」
「……」
「…アル、左手をお出し。愚弟は利き手に切り傷を作っているので其方の愛らしい手を血で汚したら困ると思っているんだよ」
「余計なこと言うな」
ムッとした言い方をしているのに表情は変わらなまま。ぱっと左手を出して私の右手を握って適当に上下にふる。…これ、握手でしょうか。
取りあえずそれっぽいことはしたのでにっこり笑っておく。「女の子に大事なのは愛想と愛嬌と強かさ」とお母様に言われているので、良く分からないけど笑顔は大事にしている。
そんな渾身の笑みを見たハイド様はどうしてか目を見開いた。なぜでしょう。愛想でも愛嬌でもなく強かさだけが出ましたか?まだ5歳だけどわたし、強かな女でしょうか。
見開かれた目、その色を不思議に思ってみているうちに気が付いた。白の髪、青の瞳。
あっ、
「ハイドランジアって、クレナータの?」
言った途端に不味いと思った。だってわたしはアルディジアだし、この人はハイドランジアでついでに横の人はストレリチアじゃないの。あの険しい顔ってこのことに対してだったの?
そうして予想通り、ハイド様は固まった後握っていたわたしの手をぽいと下に投げてその場を去ってしまった。
「おい、ハイド!おい待て!――たく、すまないな。あの乱暴者め、手は痛くないかい?」
「あ、それはだいじょうぶです。わたしこそごめんなさい、いままでぜんぜん気づいてなかったので…」
「あいつが気にしすぎなんだ。教典通り名前と行動が一致するなら、むしろ私の方がハイドランジアという名にしてもらうべきだろうに」
それはどういう意味だろうと考えているうちにお父様たちのもめご、もとい、お話が終わったらしい。私の手を握っているストル様の頭をパシンと叩いた陛下がハイド様の姿がないことに気付いてため息を吐く。
「あの小僧逃げやがったな」
「あ、あの、わたしがわるいんです。ごあいさつの時にきゅうにおなまえのいみ、きづいていっちゃったから」
「あ、気づいてなかったの。妙に冷静だと思ったら。流石カティの子、と納得してたんだけど」
「変なとこで納得しないでください」
「あ、えっとへいか?おねがいがあります」
「なぁに?」
さっきと同じようにしゃがみこんで目線を合わせてくれる人は、言葉に合わせてこてんと首を傾げた。曇り空の色に似た髪がそれに合わせてふわりと揺れる。じっとこちらを向く瞳は薄い薄い紫色だ。
どこか遠くで見たことがあるような色合いを見つめつつ、意を決して言う。
「ハイドさまに、びっくりしちゃってごめんなさい、たしかにくもとお空の色にも見えるけど、このまえたべたアジサイのゼリーの方がおなまえのいみだとおもってたから、ってつたえてください!」
お母様もわたしも、甘いものが好きなのでよく家におやつが出る。綺麗な綺麗な青色のゼリーに真っ白なクリームが乗っていたのはつい先日。アジサイって名前だそうですよと嬉しそうに言うお母様と半分こして食べたからよく覚えてる。
だから決して、浮気性の元主神さんと同じ名前だからびっくりしたんじゃない。あの綺麗なゼリーの方が由来だと思ってたから驚いたのだ。
真剣に、これまでの人生の中で一番真剣なくらいに言い募ったら、陛下が小刻みに揺れているのに気づいた。もしかして、笑ってる?
「あ、すまん、決して君を馬鹿にし、ているわけではなく、てだね。ゼリー、ゼリーか。くっ、あ、だめだこれ、ツボ、ツボに、くくっ、分かった、つ、たえてくるか、ら、ちょっと失礼」
言うやいなやハイド様が走り去った方に行ってしまう。陛下、足速い。
置いて行かれてぽかんとしているとストル様がこそっとよって耳打ちしてくる。
「ハイドがゼリーなら私は何だろうか?」
「えっと…ぎんのだいざにバラずいしょうのゆびわ?」
「……そう、私は菓子ではないのか」
なぜかしょんぼりされたので慌ててお父様に視線で助けを求める。なのに、お父様はちょっと寂しそうな顔を向けるだけ。どうしてですか、わたしが何をしたというのです。
「アルは、本当にお母様に似ているね…」
そんなこと言いながら頭を撫でてもらっても困ります、お父様。この場を何とかしてください。