死の足音 一-5
魂の輝きが戻ってくるのでは、とヴェルフェンは確かに言った。そういえば最初に、もう一度魂の輝きを見たかったと言っていた。
「それ、って。魂の輝きがなくなったから死ぬ、ってわけじゃないってこと? 輝いてても死ぬってことですか? くすんだまま終わるって……」
輝きがくすんでいる、ということは、輝き自体はあるということだ。
とすると、あの蝋燭の話とは違い、魂の輝きはひとの生き死にには関係がない、と?
だったら、はるかに死への警鐘を鳴らす必要などなかったのでは?
「輝きの原因自体が判らないから、なんとも言えない。実際どうなるかは、誰にも判らない。でも、取り返せるのなら取り返して欲しかった、お前の輝きを」
輝きが見えるのはヴェルフェンしかいない。輝きが消えると同時に命も果てるのか、関係なく時間は続いていくのか。確認された前例がないから、結果は誰にも判らない。
判らないけれど、―――ヴェルフェンしか判らないのに、彼は行動に移した。
彼にしか見えない〝魂の輝き〟をもう一度見たいがために、はるかに死期を伝えた。
それだけのために。自分の、自分だけの勝手な欲望のために。
だから、ヴェルフェンは気まずげな様子だったのか。後ろめたい思いが、死期の宣告の背後にあったから。だからあんな態度だったのか。
魂の輝き?
(なによそれ)
言われた側がどう思うかなんて、考えてない。
「つまり、少しでも後悔しない選択をさせて魂の輝きを戻そうって……、くすんだまま終わって欲しくないっていうのは、それでどうにかなるからじゃなくて、輝きが見たいっていうヴェルフェンの個人的な願望、からなわけ? そのために死ぬって言ったわけ、あたしに?」
尖る声音になったはるかに、ヴェルフェンの顔がはっと硬くなる。
「違うの? じゃあ、輝きを取り戻したら、死なずに済むの? 命は延びるの? 何十年もまだ生き続けられるの? そうなの?」
「―――いや。無理だ。死のリストに載った以上は」
はッと憤りが漏れた。
「じゃあ、輝いてようがなんだろうが関係ないんじゃないの!」
「だろうな」
喉の奥から絞り出すようにヴェルフェン。
愕然とした。
「……」
あまりの腹立たしさに声を荒げることもできず、はるかはきつく唇を噛み締めた。
「ってことはなに。あたし、振りまわされてるだけってこと?」
自分でも驚くくらい、低く這いずるような声だった。
ヴェルフェンは、答えない。
「あたしは、あたしは魂が輝いてたなんて知らなかった。なにも知らなかった。なんにも。誰とも変わらない普通のひとだった、いまでもそう。『後悔しないように』とかって、結局は魂の輝き? ……は。ヴェルフェンが気になってるのはあたしの魂の輝きだけで、それが消えて欲しくないだけで。利用してるだけじゃない。勝手だとは思わなかったんですか? あたしが困るとか考えなかったんですか?」
きつい語調で問い詰められて言葉を詰まらせるヴェルフェンに、はるかは怨みがましい眼差しを投げつける。
「死んじゃう日にちも原因も苦しむのかもなんにも教えてくれなくて、『一年後に死ぬ』ってだけで。あんな怖い思いさせて。魂の輝きがなによ、莫迦にしてる。なんなわけ。愛してるとか言われたって、とってつけた言い訳でしょ? だったらそっとしといて。あたしを苦しめてなにが楽しいわけ? それが愛してるってことなんですか死神には! 生まれたときからずっと見てただなんて、……気持ち悪いし」
魂の輝きなど、はるか自身にはまったく関係のなかったことだ。見たこともなければ感じたこともない。本当は、命の長さと関わりがあるのかもしれない。けれど、そんなわけの判らないものと関係なくこれまで生きてきたし、これからも生きていくつもりだ。
ずっとずっと、果てしなく先までずっと生き続ける。
そう、信じていた―――信じている。
知らなければ幸せなことも、ある。
少なくとも、余計なことを教えられて、不安と恐怖に苛まれる現状が幸せだなんて思えない。
こんな苦しみを与えて、なにが魂の輝きだ。悩みすぎてかえって消えてしまうのではないのか?
他の皆に余命を伝えないのなら、自分にもそのルールを守って欲しかった。ヴェルフェンの勝手な都合に振りまわされるだなんてまっぴらだ。
冗談じゃない。
愛してるだの言われても、それがなんになる。
それで延命できるわけでもないのに。
ただの言い訳でしかない。
「そんなこと言うなら殺さないで。それができないなら軽々しく教えないでよ、知りたくなんかなかったのに」
「そうだよな」
激昂するはるかにヴェルフェンは言い、口を閉ざしてしまう。
「―――はるかなら、大丈夫だと思ったんだ」
ややあってから、気まずい沈黙を破るようにヴェルフェンは言った。
はるかの荒ぶる思いに対して、その声はあまりにも静かだった。
「はるかなら、きっと答えを見つけられると思ったんだ。だから伝えた。一年後の死を」
「答え?」
「人生を満たす選択だ」
「そんなの」
表現が変わっただけで、『後悔をしない選択』ではないか。
「人生を満たす選択で答えを見つけて、魂を輝かせろって? 結局ヴェルフェンは、自分の願望だけじゃない」
ぐっと、ヴェルフェンは言葉を詰まらせる。
「……そう、かもしれないな」
「魂の輝きなんて知らない。あたしは、生きてくんだから。死んだりなんて、死ぬわけない。あたしは死なないんだから」
あの仔猫のような無惨な死など、自分に降りかかるはずがない。消えてなくなる恐怖は、絶対に、絶対に自分には縁のないものだ。そうでなければ、ならない。
「あたしは死なない」
ヴェルフェンから返ってくるのは、同情にも似た、憐みともとれる眼差しだった。
「そっちの勝手で、殺さないで」
「はるか」
「来ないで。こっち来ないで」
足を踏み出したヴェルフェンに、はるかは両手を突き出して拒絶をする。
「あたしじゃないから。死ぬのは、あたしじゃない」
死ぬわけがない。―――死にたくなんか、ない。
「はるかが苦しむだろうことは、もちろん判ってた。詰られることも、判ってた。それでも、伝えたかった。輝きを取り戻して欲しいとか……取り戻して欲しいのは本当だけど、それでも、あのときああすればよかった、こうすればよかったという後悔をひとつでもなくしてやりたかった。後悔できる時間を、見つけてやりたかった」
「そんなの……」
一方的な綺麗事でしかない。
一年後に死ぬと言われて、死の恐怖に呑まれて、ただ死にたくない。それしかないのに。
どんな理由に縋ってでも生きていきたいし、逃げられるのなら、どんなことをしてでも逃げ続けたい。
死など、ありえない。
誰がなんと言おうと、死ぬわけがない。
けれど―――。
意識の表と裏とで、死と向き合いつつある自分と背を向ける自分がいて、両者がせめぎ合っている。
どれだけ反発して拒絶をしても、目の前の死神の言葉を認め、受け入れようとしている自分がいる。
ヴェルフェンの言葉は、どれだけ締め出そうとしても頭の奥深くまで、胸の奥底にまで入り込んでくる。
偽りではなく、真実という意味合いをもって。
「勝手に、あたしを決めつけないで」
「はるかになら、できる」
「あたしはそんな人間じゃない」
「いいや。おれには、判る」
「あたしが思うように生きれば、死ぬのを教えたことが正当化されるから、だからそう言ってるだけじゃないの?」
「!」
「ほら。自分の願望を、押しつけないで」
言葉を失うヴェルフェン。
眉根を寄せ、じっとはるかを見つめるだけのヴェルフェンだったが、「そうだ」と、熱のこもった口調で言葉をほとばしらせた。
「そうだ。おれは、はるかに逢いたかった。見つめてもらいたかった。素通りする視線じゃなく、おれ自身を見て欲しかった、知って欲しかった」




