死の足音 一-6
「……」
「失いたくなかった。愛する者に、おれの存在を知ってもらいたかった」
切々と訴えるヴェルフェンに、はるかは息を呑む。
「姿を現すのさえ決心がつかなかった。まして死期を告げるなんて。でも、お前を失くしてしまうほうが、堪えられなかった。おれを、その眼で捉えて欲しかった」
彼のまっすぐぶつけてくる悲しみと苦しみが、痛い。
「おれがいるということを、知って欲しかった。お前の記憶に、おれの存在を刻んで欲しかった」
死神、ではなかった。
目の前にいるのは、〝死神〟ではなく、ひとりの〝男〟だった。
(―――やめて)
はるかの命を『狩る』という死神の苦悩。好きだと言ってくれて、これからの人生を楽しみにしていたとも言ってくれた死神。その死神が、一年後のはるかの死に、逃れる道はないのかと足掻き、苦しんでいる。自身の獲物の期限に、懊悩している。
苦しみ喘いでいるのは、自分だけではない。
あらためて突きつけられたその事実に、はるかはなにも言えない。
目の前できゅっと握り締められているヴェルフェンの拳。やるせない、その無力感。
現実の残酷さを強く突きつけられた。受け入れる受け入れないではなく、これが、現実なのだ。逃れられない真実。運命。現実。
現実が、ヴェルフェンの姿となって目の前にいる。胸の内に築いていた抵抗という名の砦が、哀れとも思える彼の様子に、音をたてて崩れていく。
死神すらも、覆せない現実。
「あたしは……、本当に死んじゃうのね」
感情もなにもなく、ただ事実を確認するだけの事務的な声が紡がれる。
はるかを見、ゆっくりと頷くヴェルフェン。
「そう……」
不思議なことに、先程のように、恐怖に押し潰されることはなかった。ヴェルフェンの抱える苦しみが、かえってはるかを冷静にさせていく。
命を奪う死神でさえ、抵抗することのできない運命。皮肉な現実に、はるかの口元に、儚く笑みが浮かぶ。
「あたし、後悔のない生き方なんて考えたことない。将来こういうことしたいってことも、ないし……。あぁ、そっか。将来なんて、ないのか」
いまいるのは、文系の国公立進学を目指すクラスだが、なんとなく選んだに過ぎない。将来の夢や目標があって選択したわけではなかった。それでも、こういうとき将来ああなりたいとかこうなりたいなどという具体的な夢が描けない自分が、情けなくもある。十八年も生きてきて、なにをしていたのだろう。
「答えとか選択とかそういうの、期待するだけ無駄だよ。たぶん見つけられない。あたしにがっかりするよ?」
「そんなことはない。はるかなら、なにかを見つけられる。必ず輝けるなにかを見つけられる」
はっきりと断言する穏やかな声。
「『輝ける』?」
「あ、いや。魂のことじゃなくて」
「うん。―――ふふ。判ってる。言ってみただけ」
狼狽するヴェルフェンに、笑みが声となってこぼれ落ちる。
ふと、思い出した。
「最初に会ったとき、『泣くな』って言ってたのは、死ぬのを悲観して泣いちゃだめって、ことだったんですか?」
「……いや」
ヴェルフェンは戸惑う表情を濃くした。
「そういう意味じゃなくて。いや、本当はそういうことを言うつもりだったんだが、だな。その。……男に振られて泣きそうだったから、なにか言わなくてはと思って」
「……?」
思わず、はるかの口がぽかんと開く。目を、瞬かせる。まさか、そんな軽い意味だったのか?
「あんな男に、泣く価値なんかないというか悔しがる意味などないというか」
「……」
きまり悪そうなヴェルフェン。目の前にいるのは、本当に死神なのだろうか。ヴェルフェンは、はるかの持っていた死神のイメージをことごとく裏切ってばかりいる。
「あんな奴のために、泣いて欲しくなかった」
はるかに詰られても責められても、ただじっと受け入れていたヴェルフェン。
もしかして彼は、どこか不器用なのかもと思った。彼へのわだかまりが僅かに解けて、少しだけ垣根が崩れていく。
「―――でも実際、泣いてたな」
あのあとのことを見ていたのだろう、ヴェルフェンは思い起こすように言う。
「うん……」
失恋の痛手は軽かったものの、好きで好きでたまらなかった相手だ。泣くのは当たり前だ。
ヴェルフェンの眼は、すべてを包み込むようにあたたかくて、吸い込まれそうだ。まっすぐ見つめ返すことができなくて、なんとなく、はるかは手元に視線を落とした。
「あんな男のどこがいいんだろうって、思ってた。どうしてあんな奴なんかと、ってな」
「うん……」
「もう、吹っ切れたのか?」
窺うような声だった。はるかは胸の内を探る。やんわりと首を振ると、落胆したような沈黙が返ってきた。
「だって、すごく好きだったんだもの。会いたくないって思うくらいだから、まだ、心残りはあるんだと……思う。たぶん」
ヴェルフェンは、硬い表情で息をついた。
愛していると言われても、ヴェルフェンの想いは他人事にしか思えなくて、現実味なんてない。だからそんな顔をされても、どうしようもない。
窓からの夕暮れる光が、ヴェルフェンの整った顔立ちを透きとおしながらも照らしている。彼が死神で、いずれ命を奪いに来るというのは、こうして言葉を交わしているいまでも夢かと思える。
(ホントに夢だったらよかったのに……)
元彼への想いは、まったくのゼロになったわけじゃない。泣くことはもうないだろうけれど、きっとこの先もなにかの拍子に思い出したりして胸を痛くさせるのだろう。
この先があれば、の話だけれど。
ひとつの光景が、ふと浮かび上がる。それに一瞬思いを馳せ、はるかは消え入りそうな笑みを口元に薄く湛えた。
「将来の夢じゃないけど、憧れっていうか、そういうのは、ある、よ」
はっきりとではないけれど。ぼんやりと、それでも確実に来るのだろうと信じていた未来の光景。
「恥ずかしいんだけどね。その……。運命のひとと出逢って、大恋愛して、いろんな波乱万丈があって、でもちゃんと結婚するの。……先輩だったらって、思ってたんだけど。そうはいかないみたいね。いろんな意味で」
従兄の結婚式で花嫁が着ていたような、Aラインでトレーンがたっぷりあるシンプルなウェディングドレスが憧れだった。式でひと目見た瞬間、胸を撃ち抜かれたような衝撃があった。そのくらい、気持ちの奥深いところにまで響いた素敵なドレスだった。いつか、ああいうウェディングドレスを着るのだと決めていた。
従兄と花嫁は高校時代に付き合っていたもののいったん別れ、留学先で三度も偶然に再会したことをきっかけに、再び付き合いだしたらしい。その三度とも、お互いそれぞれの恋人と一緒のところだったという。しかも従兄にとっては、結婚寸前までの相手だったらしい。披露宴で『波乱万丈ありました』と苦笑混じりに挨拶をしていたその従兄の表情がとても幸せそうで、いつか自分もと羨ましかった。
そういった運命の相手が自分にもいるのかもしれない。きっと、いる。
そんなことを考えると、胸があたたかくなって、必ずやってくる未来は明るいのだと、漠然と幸せすら感じていた。
けれど、それも。
「はるか」
「ありえないんだよね? 莫迦な望みなんだよね?」
「……」
「神さまはひどい……」
落ち着いていた涙が、再び溢れてきた。
「あたし、なにしたっていうんだろ。どうしてあたしなの。なんで。ずるいよ。あたしより悪いひと、いるはずなのに。絶対いるのに! なんであたしなのよ、なんで!」
こぼれる涙を、顔を覆った両手で受け止める。熱い涙だった。
「―――……だめ」
泣き崩れそうになる寸前で、はるかは顔を上げた。
「考えちゃだめ。違うこと、楽しいこと考えなきゃ」
そうしなければ、また絶望と恐怖の深みにはまってしまう。頭がおかしくなってしまうから。
「ああそうだ、英語の構文やらなきゃいけないんだった。って、そうじゃなくて、えっと、今日ってあのドラマ」
そこで、言葉が止まる。
動けなくなった。
視界に広がる白い色。半分透けたその色は、ヴェルフェンのローブの色だ。
「……」
抱き締められていた。
はるか自身にはなんの感覚もない。けれど自分がどんな状況にあるのかは、はっきりと判る。
まばたきもできないまま、呆然とするしかなかった。
ややして、ヴェルフェンは名残惜しげに身体を離す。
思考が真っ白に飛んだはるかの目を、切なく覗き込む。
「ごめんな」
そう言って、彼はそっと唇を寄せてきたのだった。




