水杜島にて
茹でたサツマイモをつぶして裏ごしをする。砂糖とみりん、甘露煮のシロップを加えて再び火にかけ、練るように混ぜる。ぽってりとしたら火からおろし、栗の甘露煮を加えて軽く混ぜてできあがり。
クチナシがないので黄金色とはいえないが、サツマイモの素朴な黄色もこれはこれで良い。
「お母さん、終わったよー」
「ありがと。そろそろおもちがつき上がると思うから、餅とり粉を用意してちょうだい」
「はーい」
食器棚から大きめのお皿を数枚取り出し、餅とり粉を振りかける。
部屋の奥からブザーが鳴り、オーブンミトンを手に向かうと、ホームベーカリーからつきたてのお餅の甘い匂いがした。
年末が何かと慌ただしいのはうちも例外ではなく、おせちの準備に買い物に大掃除にすることが多くて忙しい。買い物を終えてから、これ必要だった?と首を傾げるものが多いのはもはや恒例だ。レシートの長さに驚きとともに笑えてくるのもプラスで。
おせちを買ったり食べない家庭も増えているが、我が家は毎年手作りしている。
いつもは母が数日前から少しずつこしらえていたが、冬休みに入り帰省した私も初参戦した。料理のレベルが限りなく低いので失敗しないよう、レシピの手順通り、さつまいもはきっちり二センチの輪切りになるよう注意して切り、火加減もコンロの前でつきっつりでみた。もれなく「そんなの適当でいいわよ」と母の小言を頂戴したが、味見をすると程よい甘さとほっくりとした触感が美味しかった。市販のものほど甘すぎないところがいい。
私が栗の甘露煮を一品作る間に、母は煮しめ作り、紅白なますに取り掛かっていた。煮しめのレシピを確認すると恐ろしいほどの下処理と手順の多さだった。完全白旗だ。勝負してないけど。
ホームベーカリーからおもちを取り出し、手に餅とり粉をつけてひとつずつ丸める。朋子がもち肌に憧れると言ってたけど、なるほど、艶々でいつまでも触っていたくなる柔らかさだ。
形が歪で一つ一つの大きさが違うのも手作りならではだ。餡入りは傷みがはやいので、また明日作ることになっている。そんなに食べられるのか疑問だけど、近所に配るらしい。臼と杵の時代と比べると、時代は変わった。ホームベーカリー様さまだ。
とりあえず、手作りパンを食べたいという願望とともに、母親が買ったホームベーカリーは年末限定でパンづくり以上に大活躍だ。
もちろん、パンもおいしかった。焼き立ては耳は薄くてパリパリと香ばしく、中はふんわりもちもちで、ついつい食べ過ぎてしまった。
「お餅丸め終わったら、ちとせは休憩していいわよ」
「はーい」
返事をしたときは、すでに砂糖醤油をいれた小皿を手に、お餅の山に箸を伸ばしていた。慣れないことをするとお腹がすくのだ。それに、つきたてのお餅を目の前に手が出ない人がいるだろうか。
心のまま一番形の歪なもちを取り、砂糖醬油につけて一口。
「……美味しい」
手作り料理の良さを教えてくれたひとを思い浮かべる。カップラーメンで充分だったのに、もうお腹を膨らませるためだけの食事は物足りなくなった。
温かいお茶を飲んで甘じょっばさを胃に流す。
少しばかり感傷に浸ると、立ち上がって手早く洗い物をする。
味見と称して食べ過ぎた。少し歩かなければ。
「散歩行ってくるけど、なにか用事ある?」
「それじゃ、そのお餅いくつか伯父さんちに持って行ってくれる? 足りないぶんと餡餅はまた明日って」
「わかった」
「ついでにお父さんも呼んで休憩してもらって」
ついで呼ばわりの父親は庭掃除中だ。
最初は室内の掃除をしていたが、掃除場所が台所までくると、「邪魔」との母の一言で、寒風吹きすさぶ屋外に追い出された。
哀れな父親を暖房で暖まった部屋に招き入れ、入れ替わり私は冬空を仰いだ。
「さむっ」
冷たい潮風に身を竦めるが、暖房と食べたことで暖まった身体にはこの寒さが心地いい。
ただ、気温差が激しいところに急に出入りすると、血圧が乱高下して良くないと聞く。浴室や脱衣所には暖房があったほうがいいかもしれない。
つらつらと思いながら歩くと、伯父さんの家が見えてきた。
門をくぐると、こちらに背を向け窓ふきをしている大きな後姿があった。
「こんにちはー」
「おう」
振り返ったのは、天を貫くツンツンとした髪がなんとも印象的な、幼馴染で従弟の陽太だ。
「はい。つきたてのお餅。餡入りはまた明日」
「さんきゅ」
私は、お餅を渡すと陽太をしみじみ見た。
「……大きくなったねえ」
十年前は私より背が低くて、素直にありがとうといえない子供だったのに。
「……何ジロジロ見てんだよ」
「……俺様なのは変わらないか」
「はあ?」
陽太がいたから万十郎と出会えたといえなくもない。ならば、感謝をするべきだろう。
「栗きんとんも後で分けてあげる。なんと、私の手作り!」
「……毒でも入ってるんじゃねえのか」
「失敬な」
「でなければ激辛とか」
「普通に美味しいよ。私も、少しは料理ができるようになったんだから」
少しは、と心の中で強調する。
取り留めのないことを話すのは楽しい。
笑うと、陽太が押し黙った。
「なんかお前、少し変わったな」
「人間日々成長していくもの。成長とは変化よ」
「……やっぱ変わってねえわ」
苦笑して目を細めた陽太こそ変わった気がする。今なら亀もいじめまい。
まあ、十年経って中身がお子様なままというのもどうかと思うけど。
「それじゃあ、もうちょっとぶらぶらしてくるね」
「あ、俺も――」
「陽太、サボってるんじゃねえだろうなっ!」
図ったようなタイミングで伯父さんの声が響いた。
陽太は肩をすくめると「サボってねえよ!」と怒鳴り返す。
本当はサボってました。私のせいで。邪魔者は退散しよう。
「じゃあね」
「おう。またな」
いたずらっ子から口が悪いが根は真面目な青年になった従弟は、私を見送ると、窓ふきを再開した。
島の奥地に広がる深い森。歩くのは何年ぶりだろう。
冬でも葉が散らない木々は、寒そうに灰色の幹を晒している。
草も色がくすんで見える。
芽吹く季節に向かって耐え忍んでいるようだ。
はらりと雪が舞った。
珍しい。温暖な気候の水杜島は、雪は積もるどころか、降ることも滅多にない。
数か月過ごした大学の地では、十二月半ばになって何度か降ったが、積もることはなかった。
クリスマスはしんしんと冷え込む中、大家さんの家で小さなパーティーを開いた。
個人を贔屓しない大家さんは、すべての下宿人を呼び、集まったひとたちは初対面も知り合いも先輩後輩も関係なく、それぞれ賑やかな時間を過ごした。
見た目関西の中年女性、中身は乙女な大家さんは洋館の一室を可愛くデコレーションし、手作りのブッシュドノエルを参加者に切り分け振る舞った。
今日だけは特別に禁酒解禁を許された小町先輩は、待ってましたとばかりに日本酒を仰いだが、他の酒好き下宿人と飲み比べ対決に発展しそうになったため、私のお小言と大家さんの一睨みで退散を余儀なくされた。
空也先輩は輪から離れた場所で静かにハーブティーを傾けた。相変わらず黒ずくめの格好かつゴテゴテしたアクセサリーを身に付けていて、小町先輩よりよほどお酒が似合う姿だった。輪に入らないのかと聞くと、「見ている方が楽しい」との一言。確かに、離れた場所で騒ぎを見守るのも面白い。白衣を脱いだ先輩は言葉少なく優しい表情で賑やかな人達を見ていた。
こっそりとプレゼントをもらった。
小町先輩からはバレッタ、空也先輩からはチョコレートだ。
バレッタはリボンモチーフで、中心にロゴの入った金色の金具があしらわれていた。「おしゃれも邁進しなさい。返却負荷」という謎のメッセージ付きだった。後日、可愛さと大人っぽさを同居させたバレッタを身に着け、大学に行った時、朋子から「それ高級ブランドじゃん!」と驚きに目を見開かれた。私も見開いた。返却不可の理由が判明した一コマだった。
空也先輩のくれたチョコは、ウサギの形をしており、一瞬かの雪将軍をモチーフにしているのかと表情が固まった。茶色いチョコはなかにラムレーズンが入っていて、少しだけ大人の味がした。ウイスキーボンボンでなかったのは、まだ私が未成年だという真面目な空也先輩の配慮もあるのだろう。小町先輩が空也先輩に「ウサギのチョコを送るなんて意味深ね」と笑いながら呟いていた。なんのことだろう。
その後、「社交界のパーティーなんて行きなくないー」と駄々をこねる小町先輩を宥めて見送り、しばらくしてそれぞれアパートの我が家に戻っていった。
遠慮する大家さんと片付けをしたのち、私も部屋に戻り鍵を開けると、外と同じ真っ暗で冷えた空気に少し震え、苦笑した。
あの時と同じ冬の空気。けれど違う。
余韻に浸った意識を浮上させ、瞼を開いた。
開けた場所に広がる水面輝く泉だ。
何年振りだろう。森に入ることすら少なくなり、泉まで足を延ばすことは数えるほどだ。
均された一本道だったからよかったものの、手入れがなければ迷っていたかもしれない。
――いや、それはないかも。
糸電話の糸のように、まるで導かれるままたどり着いた。
記憶と変わらない、透き通るような泉だ。
泉の麓に腰掛け、左手の甲に手を当てる。
白夜と決着をつけ、狭間から現世に戻ってきたとき、私はひとりだった。
万十郎は、幽世にいってしまったのだとすとんと理解した。
涙は出なかった。ただ、印のない手を胸に抱いた。
彼の言葉を信じているので、悲観はしていない。
ただ、友人や先輩たちがやたらと優しくなったのは少しだけ心が痛かった。
だから、気に病ませないようにいつも通り過ごした。私の心理状態など関係なく毎日は過ぎるのだ。学業を疎かにするわけにはいかないし、むしろ、もっと勉強をしたいという欲が沸いてきた。
料理はやはり苦手だったので、食事はスーパーとコンビニ頼りになったが、栄養バランスを考えて選んだ。市販の惣菜でもそのあたりに重点に置いたものが多々揃っていたのは意外だった。
規則正しい日々を送っているし、洗濯も掃除もこまめに行っている。帰宅後の手洗いうがいも欠かさない。
「もう家政夫は必要ないね」
私は呟いた。
必要なのは、家政夫ではなく――。
唇の形だけで彼を呼ぶ。
誰もいない静かな森の中、私は立てた膝に両腕を抱え込んで顔を伏せた。
まだ一か月。けれど、もう一か月。
普段が賑やかで忙しいぶん、ふとした静かさが身にしみる。
過ぎていく毎日に置いて行かれないよう走っていると、あの日消えた彼を置き去りにしているようで胸が痛んだ。
信じてるし、待ってる。
けれど、できるだけ早くしてほしい。
もう一度、今度は言葉に出して彼を呼ぶ。
冷たい風が吹いた。舞う程度だった雪が本格的に降ってきた。周囲をまだらに白く染める。
私は小さくくしゃみをして身震いした。
風邪なんて引いていられない。そろそろ戻ったほうがよさそうだ。
ズボンについた土を払い立ち上がると、眼前に目を向けて固まった。
一滴の雫を落としたように水面が揺らめいた。
波紋は広がり、幾重にも色を変えながら波を打つ。
中心部が盛り上がる。滝のように水を落としながら鳥居に似た石造りの門が現れる。
門の内側が渦巻く。やがて、光を帯び人影が――。
「おっ?」
「あんたじゃないーっ!」
切れて叫んだ私に非はないはずだ。
真白い髪に赤い瞳、着物姿の美貌の青年は、不機嫌そうな顔で私を睨んだ。
「いきなりなんだ。五月蠅い」
「さんざん期待を煽っておいてなんであんたなの?」
「なんでって、俺が新しく出現した門の管理者に任命されたからだ。まったく、いくら直近で現世に行ったあやかしとはいえ、適材適所というものがあるだろうに」
白夜は肩をすくめると、眉を吊り上げる私にはお構いなしで、物珍し気に周囲を見る。
水面を滑るように歩き、私の横を通り過ぎると、一歩森に入った。
私は慌てて後を追った。
「水杜島か。あの時はゆっくりと見ていなかったが、なるほど、確かに現世にしては悪くない場所だ」
「ちょっと。危険人物は幽世に帰って」
「もちろん帰る。現世にしては悪くないだけで、幽世のほうがずっといい。だが、一応仕事なのでな」
「仕事ってなんの――」
背中から抱きしめられた。
首筋に触れる吐息は熱く、腰にまわった腕は強い。
心臓が跳ねた。この感覚は覚えている。忘れたりしない。
けれど、痛いくらいの期待と二度と感じたくない失望で、ひどくゆっくりとした動作で振り返る。
「ちとせさん――」
「万十郎っ!」
首に腕をまわし抱き着いた。
万十郎がいる。何度も見た夢じゃない。目が覚めて俯くこともない。
「遅いよ」
つい尖った口調になってしまった。万十郎は申し訳なさそうに眉を下げる。
「すいません。色々挨拶回りをしていたら遅くなってしまいました」
「挨拶?」
「長年世話になった世話役や辺境の民、……それから双子の兄とも」
私は呆けた表情のまま固まった。
なぜ今のいままで気付かなかったのだろう。
万十郎は幽世で生まれ育った。なら、そこで世話になったあやかしがいるのは当たり前だ。
――そう。家族も。
万十郎の過去を視た時、シーンは細切れで、ただ苦しいほどの気持ちが伝わってきた。
具体的にどのような人間関係を――あやかし同士の関係を築いてきたのかは知らない。
けれど、一人では生きられないのは人間もあやかしも同じだ。
私か、幽世での繋がりか、万十郎に選ばせてしまった。
「ちとせさん?」
黙り込んだ私に、万十郎は困ったような表情をする。
どうしよう。
……どうしよう。
「……万十郎」
――嬉しい。
世話になったひとや血を分けた兄より、私を選んでくれたことが単純に嬉しい。
罪悪感より喜びのほうが勝っている。
泣き笑いをする私を見つめると、万十郎はふっと笑った。頬にかかった髪を耳にかけて囁く。
「僕の生きる世界は現世です。――ちとせさんの隣です」
その言葉に歓喜する私はひどい人間かもしれない。けれど、ひとりの女として幸せを禁じ得ない。
金色の華を咲かせて、印が再び光を放つ。
「別の地点に繋がるはずが、お前のところに出てくるとはな。半身に向かって軌道を変えるなど、誓いの力は界を越えるのか」
しみじみとした風の白夜の呟きが聞こえる。
万十郎の顔を見ていたいのに、涙で視界がぼやける。上手に笑えない。
だから、私は精一杯の思いを込めて言った。
ごめんよりありがとう。
そして、「大好き」と。
これにて完結です。最後までお読みいただきありがとうございました!




