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あやかし家政夫  作者: 琴花
第七章
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幻を歩く

 翌日、私は講義棟の一室で授業を受けていた。

 先生の話を聞きながらメモをとり、教科書の文章をなぞりながら参考書にも目を通す。但し書きといった感じでホワイトボードに書かれる癖のある字も自分なりに要約しながらノートに書き写す。

 授業が終わり、隣に座っていた朋子が伸びをしたあと私に向いた。


「すごく集中してたね」 

「確かに、授業が終わるの早く感じたかも」

「授業ほど、時間が過ぎるのが遅く感じるものはないよ」


 朋子は目を丸くして笑うと、首をかしげて私をのぞき込んだ。


「また無理をしてるのかなと思ったけど、そうでもなさそうだし。なんというか、表情が生き生きしてる」


 今度は私が笑った。教材をまとめながら、一番上の本にかかれた基礎医学の表題を見る。


「やっぱり、私は医師になりたいなと思っただけ」


 あやかし流の食事をした後の万十郎は、実に生気に満ち満ちていた。

 白かった肌には血色が増し、目には力を宿し、声には張りが出て、一目見て心身ともに健康だと思える姿だった。

 その前日まで昏睡状態だったとは信じられないくらいの回復ぶりに、喜びと同時に、あやかし医学は奥が深すぎて一般の人間には手が出せない領域だと再認識した。


 けれど、健康になってくれて安堵した気持ちは本物で、やはり誰かを癒す職業は素晴らしいと思った。きっかけは祖母の死だが、今は純粋に医師になりたいと思っている。

 相手が万十郎とか、祖母に似た人とか関係ない。病に苦しむ人に手を差し伸べたい。それだけの能力と技術が欲しい。けれど、鬼気迫る感じはなくて、自然体でいられる。

 こういうのを憑き物が落ちたというのだろうか。


「いいんじゃないの?」


 医学部に在籍してなにをいまさらといった話だが、朋子は微笑をたたえて肯定してくれた。


「ありがとう」


 すこし照れてしまうが、素直に感謝の言葉を伝える。

 すると、朋子がにやりと笑った。


「心境の変化は同棲してる相手によるところが大きいのかなあ……?」


 私は目を丸くして訂正した。


「同棲じゃなくて同居!」

「どっちでも一緒よ。むしろ、異性と暮らしてるなら同棲でしょ。なんだか雰囲気が明るくなって丸みを帯びて、なんというか女性らしくなったし、つまりはそういうことでしょ」


 ずばずば言うことが正論すぎてぐうの音もでない。

 私は真っ赤になって机に突っ伏すと、恨みがましく友人を見上げた。


「……朋子は突っ込まないたちだと思った」

「私は空気の読める女だから。聞かれたくないことは聞かないけど、そうじゃなければ聞くよ。むしろ、恋バナ大好き」


 しれっと言い返す朋子に再び突っ伏す。

 これまでよほど聞くなオーラを出していたんだろう。抑圧された知りたい感情が解放された朋子は、なんとも楽し気な表情で私を見た。

 その後、あやかし関連の話は除き、十年前の馴れ初めから話すはめになってしまった。お互いここまでテンション高く話したのは初めてかもしれない。

 けれど、大きな声で笑い、おしゃべりをしたその瞬間は確かに楽しかった。

 ある時はなにも聞かずに受け止めてくれ、ある時は年相応の話題に花を咲かせる友人の存在って大きいとつくづく思った。






 放課後、帰宅する友人と別れて図書館に向かう最中に、小さな集団がいた。

 中心には、涼し気な笑みを浮かべながらも瞳は笑っていない孤高の華。

 公私混同しない小町先輩は、校内ですれ違っても私を大勢のひとりとして見るだけで、率先して話しかけることもない。私も先輩を遠巻きに眺めて、社交付き合いは大変だなと思う程度だけど、今回は立ち止まって軽く頭を下げた。


「お疲れ様です」


 たった一言告げただけなのに、先輩の切れ長の瞳には驚きが走り、次の瞬間には花がほころぶような笑みを見せた。

 校内では見せたことのない麗しい姿に、周囲のひとたちが息をのんで見入る。

 小町先輩は近くのひとに一言告げると、輪から抜け出し私のもとに歩み寄る。

 まじまじと見て残念そうな息をついた。


「成鳥したのね」

「……ひよこもいつかは大きくなりますから」


 朋子といい小町先輩といい、女性はこの手の話が好きなのか。

 これ以上の返答に窮していると、先輩はふと笑みをこぼした。


「いい女になりなさい」 


 背中をぱしりと叩くと、そのまま離れていった。

 再び輪の中に戻る姿をみてぼんやり思った。

 大学だからとかアパートだからとか、線引きしていたのは先輩ではなく、私だったのかもしれない。

 からかうことが大好きだけど、厳しいことははっきりという小町先輩が隣人でよかったと改めて思った。






 その日に習ったことを図書館で復習するのは日課となっていた。今日はいつも使う自習室ではなく、上階の窓際だ。大きな窓からは、遠くには山が、近くには行きかう人の姿が見える。事故防止のため開くことができないが、丁寧に磨かれており、今にも涼しい風が吹き込み、人のざわめきが聞こえてきそうだ。

 館内の囁き声をBGMに、今日一日の授業の内容を読み返す。勉強は予習よりも復習が大事で、習ったことが理解できていないと、次に進んでも余計に分からなくなる。

 基本的な学習方法は高校までと変わらない。分からないことは持ち越さない、調べても理解できななったらためらわず聞く。聞く相手は先生だったり友人だったり先輩だったりで、今日は退室する間際の先生を捕まえた。お堅い教授かと思いきや、意外と話せば親しみやすく、親身に付き合ってくれた。

 一人で肩ひじ張って頑張りすぎなくてもいいのだとようやく気付いた。


「空也先輩」


 語らずともそれを教えてくれたひと。

 本を探しているのか、見回りか、それとも単に静かな雰囲気を楽しんでいるのか、堅気には見えない外見で根はすこぶる真面目な青年が本棚の陰から姿を現した。

 思わず呟いた声が聞こえたのか、双子の姉に似た切れ長の瞳がこちらを向く。

 お辞儀をすると、目礼を返された。

 そのまま先輩は通り過ぎ、私も勉強を再開する。

 時折集中力が途切れて、肩を回したり外の風景を見ているうちに、外が茜色に染まってきた。

 私は荷物を片付けて下校支度をしていたら、館内だというのにかしましい声がした。

 他の利用者も眉を寄せて声の方を向くが、すぐに賑やかな雰囲気は波が引くように消えていった。

 私はバッグを手に席を立ち、声の聞こえたほうに歩くと、静かに本のページをめくる先輩に近づいた。

 本から目をあげる先輩に囁き声で礼をする。 

 

「ありがとうございます」


 空也先輩は瞬きをすると、もっと小さな声で言った。


「……図書館は静かにするところ」

「そうですね」


 空也先輩は窓の外に目をやると、確認するように呟いた。


「行くのか」

「はい」


 帰るのでは行く。

 頷くと、空也先輩は私に向かって手を伸ばした。また子供みたいに頭を撫でられるのかと思ったけど、触れる前に引っ込めて、眩しいものを見るように目を細める。


「――ん」


 無表情のなかで僅かに上がった口角。

 優しく寡黙な、けれど誰よりも熱い心を持った先輩。

 言葉少ない激励に、私も自然と笑みが浮かぶ。


「――行ってきます」


 空也先輩と知り合えてよかった。






 すっかり色づいた木々を背景に校門を出ると、周囲を見回す。すぐに目当ての人物を見つけて声をかけた。


「万十郎」

「ちとせさん」


 周囲に馴染んで遜色ない平凡な見た目だけど、私にとっては誰よりも目を引く存在だ。彼の姿を目にするだけで顔がほころび、心拍数が上昇する。自然と駆け足になる。


「ごめん。待った?」

「それほどは。けれど、こうして出てくるちとせさんを待つのはいいものですね。今も、建物の陰から貴女の姿が出てきたのを見た瞬間、胸が高鳴りました」

「……病み上がりなんだから自重して」


 色々と。

 瞬時に真っ赤になった顔を冷やすのに忙しい。

 万十郎は、どちらかというとぼんやりした性格だと思っていたのに、関係が深まると、押さえつけたものが吹き出たように積極的になった。

 まったくもって心臓に悪い。悪くても嬉しい。にやけてしまう。

 私は咳払いをして気を取り直す。こんな恥ずかしい会話を周囲に晒すために迎えに来てもらったのではないのだ。万十郎も笑みを消すと真面目な顔つきになった。


「分かってます。――行きましょうか」

「うん」


 二人並んで歩き出した。カラスの鳴き声、落ち葉を散らす風の音。帰宅時のざわめき。様々な音が入り乱れるが、二人の間に言葉はない。

 一緒に行動することも少なくないし、こうして肩を並べて歩くこともよくある。けれど、いつもより距離が近く感じる。物理的な距離は半歩、目に見えない距離はもう少し短い。それがくすぐったくも嬉しい。

 

「体調はどう?」

「すこぶる快調ですよ」


 顔色も悪くなく、声にも張りがある。私は胸をなでおろした。けれど、すぐに唇を引き結ぶ。

 校門で待ち合わせをし、一緒に帰る。一見デートに見えるが、そんな甘ったるいことをするために、病み上がりにも関わらず急激に冷え込む秋の夕暮れを連れ出したわけではない。

 知らず歩みが遅くなり、止まった。志津子さんが倒れた現場だった。

 朝は普通に歩いた。けれど、同じ時間帯、同じような真っ赤の空のした、どうしても身体が強張る。


「ちとせさん」


 そっと手を握られる。温かい体温。冷えた強張った手がゆっくりとほぐれていく。


「――大丈夫」


 手を握り返し、一歩踏み出す。

 空気が揺らいだ。風もないのに木の葉が揺れ、喧騒が遠くなった。


 ゆらりと現れる幻影。

 一歩進むごとに鮮明になる。

 倒れた老夫婦、立ち尽くす幼子、駆け寄るひと、野次馬たち。

 万十郎の冷静な声が届く。


「これは土地の持つ記憶です。今起こっていることではありません」


 私は頷く。

 分かってる。けれど、口を開けば叫びだしそうで、手を離せば駆けだしそう。

 指を絡めて握り返す。節くれだった感触を、熱い体温を意識する。

 これは本物。これだけは本物。


「――大丈夫」


 歩く。幻には目を向けず、意識を散らさず、ただ隣の熱を感じながら歩く。

 緊張をはらみながらも僅かに安堵した気配を感じた。


 幻は移り変わる。

 ボンネットの車が通り過ぎ、つぎはぎの服を着たおかっぱ頭の子供たちが歓声をあげて追いかける。

 足元は踏み固められた土になり、着物の女性を乗せた人力車が駆けていく。

 髷を結った男性。刀を差している。和服を着崩し、ビラを配る商人がいる。

 馬に乗って疾走する武者。舞い散る火花。夕焼けの赤が映える。

 幻は移ろい変われど、空の赤は変わらない。雲が散り、一番星が瞬く。いつの時代も自由に広がる。

 この世界は自由だ。人間も、自らの心のまま進むだけ。そうして積み重なったものが歴史であり、今の私たちなのだ。別の世界がこれからを脅かしてはならない。未来も自由でないと。

 私は大きく息を吸い込む。

 今歩いているのは土の道ではない。アスファルトだ。今、横を走ったのは自動車。それもハイブリッド車だ。近い未来は電気自動車。それから、運転手がいなくても走る自動運転車。遠い未来は空飛ぶ車?


 光が溢れた。波のように寄せては引いていく真白い光。

 眩しくて目を細める。けれど、手は離さない。お互い強く握り締める。

 やがて光はすうっと引いて行った。眼裏に残る残像を散らしながら目を開く。 

 幻は消え、よく訪れた散歩道の公園が眼前に広がっていた。




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