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あやかし家政夫  作者: 琴花
第六章
39/49

雪将軍

「十番目の子か」


 初めて会った父王は、温度を感じさせない瞳で万十郎を見た。


「たとえ儂の息子であろうと、万に一つも価値は変わることはない。――お前はいらぬ」


 そのまま、背を向け立ち去る。再びこちらを向くことはなかった。

 





 幽世に数多存在する国のひとつに、亀のあやかしを王に戴く甲国があった。

 万十郎は末の皇子でありながら、辺境の地へと追いやられた。

 理由は生まれ。

 彼の母は王のお手付きの末、双子を産んだ。

 

 あやかしにとって双子は凶兆だ。

 動物のように一度に複数の子を産んだ女は畜生腹と蔑まれ、離縁されたうえ故郷に返さる。


 双子が生まれた場合、引き取り育てるのは上の子だけで、下の子は奉公に出されるのが通例だが、曲がりなりにも皇子である万十郎は、僅かばかりの世話役を与えられ、母親の故郷で一生を過ごすことになった。


 あやかしの生は長い。しかし、拐かされ凌辱されたうえ、産まれた子は双子であった彼の母は、まもなく失意のうちに病を得て亡くなった。


 若い命を散らした母。

 二度と開かぬ薄い瞼を前に、万十郎の胸に占めたのは、空虚な歓びと羨望だった。


 これで母の魂は自由になる。

 苦しみから解放される。

 自分が後を追えるのはいつになるだろう。

 長すぎる寿命、折る指の数などとても足りない。

 

 万十郎八〇歳。人間の子供でいえば、僅か五歳のことであった。






 うっそうと茂った森に半ば埋もれるように建てられた小さな屋敷が、万十郎の住処であった。

 土壁を支える柱と細かな木目の広い床には森の木が使われ、板敷の屋根からはある時は雨音が打ち、またある時は鳥の歩くささやかな音がした。

 他にすむものは亡き母の父親。娘を凌辱した男に似て生まれた万十郎は、厳格な祖父から愛されることはなく、顔をあわせることもまれだった。


 万十郎は王城からともにやってきた世話役の手を借り、日々の暮らしに明け暮れた。

 森の恵みを頂き、近くを流れる川の魚を頂戴し、空を飛ぶ鳥を狩った。

 木の実は炒って柔らかな蜜煮に、魚は開いて干し、鳥は塩漬けにしてと、食べるものを調達するだけで一日の大半を使い、後は子供の棲み処としては広い屋敷の掃除や替えの少ない着物を洗っていたら日が暮れた。


 ただ、生きるための毎日。いつか死ぬための毎日。

 忌み子の万十郎を訪れるものはなく、ひっそりと日々を過ごした。




 万十郎が幼年から少年にさしかかったころ、これまで交流の少なかった祖父と行動をともにするようになった。

 体力の衰えを感じた祖父が、異界に繋がる門の管理という代々続くお役目を万十郎に継がせるためだ。


 屋敷を囲うように広がる森の奥には、現世につながる門があった。

 初めて現世につながる門の泉を見た時、どこまでも澄んだ水に畏怖にも似た感情を抱いた。

 岸から伸びた橋板は泉の中央あたりでぷっつりと途切れているが、新月の夜だけ、水底に沈んだ門が水面を割って姿を現した。


 門からは時折現世のあやかしが訪れ、幽世の品々を買って帰っていた。

 貨幣は使えないので、現世からは和紙や墨などの文具やつるんと研磨された煌びやかな石を連ねた装飾品を、幽世からは霊力の豊富な食物やそれらを素材とした薬とを物々交換した。技術の発展目覚ましい現世の製品は質が良く、幽世のあやかしには人気なので、それを売った金で反物や消耗品を購った。


 辺境を治める祖父が行っていたそれらを万十郎が引き継ぎ、不正に目を光らす。

 また、一般の者は立ち入りが禁止されている森の奥、門の泉の付近に、故意であれ過失であれ入り込む輩がいないか見回るのも日課となった。


 そんなある日、僅かな変化があった。

 現れた門が閉じる新月から一週間後、そろそろ日が暮れようかという時、現世へと戻っていく異界の住民を見送った万十郎は、いつも通り門が水底に沈むのを見届けて屋敷に戻ろうとした。

 しかし、門が沈んだ後、たった今見送った現世のあやかしに似て非なる奇妙な気配を感じた。

 魚も泳いでいない澄んだ泉をのぞき込むと、風が吹いたわけでもないのに水面が揺れた。

 小石が落ちるかのような小さな波紋が断続に起こる。

 再び門が現れるのかと身構えたとき、徐々に波紋は静まり、僅かに揺れるに留まった水面に人影が映った


 影は三つあった。

 小さな影がひとつ、やや大きな影がふたつ。

 呆然と見守る万十郎の前で影は輪郭をとり、色彩を持ち、女の子供と大人を映し出した。

 まだ幼い子供と若い女、少し老いた女だ。

 三人とも目鼻立ちが似ているので血縁関係にあるのだろう。

 子供は母親とみられる若い女にしがみつきながら、目を輝かせてこちらを見ていた。それを反対側にいる祖母とみられる少し年老いた女が優し気な顔で見守る。

 

(まさか、あちらにも僕のことが見えている?)


 驚き固まっているうちに、再度水面に波紋が広がり、やがて静かになったころにはいつもと変わらぬ澄んだ水があった。


 我に返った万十郎は、事情を祖父に説明した。

 万十郎にお役目を委任できるようになって、めっきり外出が少なくなった祖父は、話を聞くと何かを思い出すように遠い目をした。

 そして、先代から聞いたことがあると口を開いた。


 いわく、世界をつなぐ境が揺らぐ黄昏時、泉には現世の光景が映ることがある。

 それは、どうやら時間軸がずれているようで、映る光景は過去であったり、現在であったり、未来であったりとはっきりしない。ただ、人が映ったのなら、現世にある門を管理する系譜であろう、と。

 再び眠る祖父に布団をかけると、万十郎は外に出た。

 泉にはもう何も映らなかった。

 凪いだ水面を見つめる万十郎の瞳は、先ほど映っていた子供の瞳とは正反対で、冷たく昏い影を落としていた。


 泉に映る光景はただの自然現象。

 時間軸がずれているのなら、自分と交わることはない。

 なのに、こころの奥で子供の姿がちらついた。

 家族に愛され、それが当然と笑う少女を思い出すたび、胸に冷たい氷が張りついた気分になった。


 その思いを知ってか知らずか、万十郎が泉で現世の人間を見てからというもの、徐々に祖父の態度が軟化していった。

 互いによそよそしさを感じながらも、ありきたりな言葉をかけて実のない会話をする。

 どう接すればいいのか悩みながらも孫と馴染もうとする様子に、万十郎は戸惑った。

 そのたび胸の氷が溶けていく気がして余計に惑った。


 遠く戦火の声が聞こえるが、辺境は静かで、万十郎は祖父と穏やかな日々を過ごした。

 同時に、祖父が床につく日も増えた。

 万十郎がすっかりお役目に慣れたころ、祖父は皺だらけの手を伸ばして万十郎の顔に触れた。

 そして、鮮やかな夕焼けが部屋を照らすなか、祖父は娘のもとに旅立った。

 すまなかったと一言遺して。


 すすり泣く世話役の声を背に、万十郎は外に出た。

 夕暮れに木々が色づく中、無意識に歩き、気が付くと門の泉にいた。

 もうこのまま泉に落ちてしまってもいいと半ば本気で思いながら、橋板を歩いた。

 板が途切れる中央までやってきて立ち止まると、目を伏せた。


 また見送った。寿命だと思えば仕方ないが、ぎこちなくもやっと家族らしく振る舞えて来たのに。戸惑いながらも嬉しかったのに。ありがとうも言えなかった。

 万十郎はその場に腰を下ろし、茜色に染まった水面を見つめた。

 中途半端に溶けた胸の氷を持て余す。

 雲が流れ葉擦れがする。

 水面に波紋が浮かんだとき、万十郎は背を向けて立ち去ろうとした。

 できなかった。


 初めて目にして以来、遠ざけていた異界の景色。 

 そこには童女から少女に成長した子供がいた。

 しかし、どこかの家の廊下らしきところで座っている少女の表情は硬い。膝に回した腕は強く握り締めているためか白く、小さな唇は引き結ばれていた。

 薄暗いと思えば、雨が降っているようだ。白いおもてに瞬きもせず大きな瞳を揺らせて、思いつめるように一点を見つめていた。

 やがて少女は腕の中に顔を隠した。その肩が小刻みに揺れていた。


(誰か、亡くなったのかな)


 一緒にいた祖母と思われる女性か。優しく微笑む老婦人を思い出し、似ても似つかないのに、万十郎の祖父の姿が重なった。

 孫娘を見守る彼女と戸惑いがちに微笑する祖父。

 そして、声を殺して泣く少女の姿に、万十郎自身をみた。


「……きみはだれ?」


 仄かな熱がうまれ、胸の氷がじわりと溶ける。

 万十郎はしゃがみ込みと、そっと泉に手を浸した。

 その指先が少女に届くかのように。






 あやかしにとっての成年とは一定の年齢に達することではなく、あやかし特有の姿に変化できることである。

 うまれたときは動物に似たけもの姿で、おのずと人型に変化することを覚え、成長していく。

 そして種族差、個人差はあれど、寿命の四分の一程度を過ぎるころ、けものでも人型でもない第三の姿に変化できるようになる。

 それを本性と呼び、本性を現すことができるようになれば晴れて大人の仲間入りとなる。


 祖父が亡くなり、集落の同じ背丈の若者が少しずつ成年に達する中、万十郎は世話役と細々と暮らした。辺境の屋敷に来ておよそ二百年。すでに世話役の手を借りなければならない子供ではないので、暇を与えようとしたが、他ならぬ彼らがそれを固辞した。

 変わらない毎日。

 それでも、お役目を疎かにすることなく、淡々と日々を過ごした。


 僅かな変化といえば、泉に映る景色が変わったことだ。

 ある時は少女と似て非なる着物姿の童女が玉串を手に祈りを捧げ、またある時は少女の母親とみられる女性が真剣の表情で手紙を書いていた。

 万十郎に熱を生み出した名も知らぬ少女は、すこし成長した姿で時折映った。

 しかし、初めて見たときの、幼さにまばゆい笑顔と幸せを詰め込んだ姿は影も形もなくなっていた。

 見ることしかできない万十郎は、じりじりと胸がくすぶった。

 それが何か分からず、熱を帯びた苦い思いを持て余した。


 そんな中、国では変化があった。

 くすぶっていた隣国との戦火が引き返せないところにまで進んだのだ。

 通常、幽世ではいざこざはあっても、争いには発展しない。霊力の高いあやかしが本性を晒せば、敵味方ともに被害は免れないからだ。


 しかし、禁忌を破るものが現れた。どちらが先かは分からない。嵐が吹き荒れ、大地が割れ、両陣営に壊滅的な被害をもたらした。 

 民を統べる皇族として、是非とも味方の無念を晴らし、敵国に正義の鉄槌を――。

 などといった文面で万十郎は出陣の要請を受けた。


 捨ておいた。

 ものごころつかない間に放逐し、これまで頼りのひとつも寄越さず、何がいまさら皇族だ。

 半分血がつながろうが、母を殺したも同然の王を父親と思ったことなどない。無論、皇族を親類だとも。国がどうなろうが知ったことではない。

 守るのは、これまでの万十郎を育んでくれたこの辺境の地だ。 


 その後、再三要請があろうと無視し続けた。

 だが、辺境にまで戦火が及んできて、そうもいられなくなった。

 住処を焼かれるのはもちろん、異界への道をならず者に侵させるわけにはいかなかった。

 すでに戦火のことは現世のあやかしには伝えており、門を渡るものはいない。

 愛してくれた辺境の住民を守る。思い出の詰まった屋敷を守る。祖父からついだお役目を守る。

 そして、名も知らぬ少女とのつながりも。

 万十郎は迫りくる厄に打って出た。




 前線では田畑は踏み荒らされ、木々は燃え、民家は原型もなく壊されていた。

 長寿のあやかしでも、再建する気力がなくなる有様だ。

 両者ともに疲弊しているのにどちらも引かないのは、意地か誇りか。どちらにしろ、住むものにとってはいい迷惑だ。


 濃い緑の着物に菱格子柄の角帯を締め、抹茶色の羽織りを纏う。普段は着流し姿なので格式ばった装いは着るというより着られているようで肩がこる。

 あやかしの戦は刃物を使うのではなく、身に宿る霊力を用いて他者を攻撃する。そのため、戦装束というものはなく、動きやすい姿を重視する。

 万十郎が正装に近い装いをしているのは、敵をけん制するため。

 皇族の霊力は高く、本気になれば天変地異を引き起こすこともできる。

 そのため、皇族のみが着ることを許される、甲羅を現す六角形とその中に咲く花模様の国章を描いた羽織りに袖を通し、戦場に立った。

 国章に使われる色は、あやかしの第三の姿である本性が纏う色彩であるため、個々違う。万十郎は黒の六角形と金の花模様だ。

 戦場に不釣り合いな姿を訝し、紋を見て怯み、そのまま引き下がってくれたらいいと思った。


(……まあ、そんなにうまくいくわけないか)


 敵軍と睨み合う中、万十郎は息をついた。

 格好だけで引き下がるような相手なら、そもそも戦になっていない。

 太陽に陰りがさした。雲が広がったとおもったら、ひんやりとした冷気が辺りを包む。

 鉛色の空から雪が降る。あっという間に大地は白く覆われ、痛々しい戦場跡を隠した。

 雪将軍だと誰かが叫んだ。

 白い息を吐きながら敵軍を見つめていると、ひとりの青年が敵の輪から出てきた。

 ゆったりとした足取り。笑みの浮かんだ口元。髪は真白で、瞳は赤い。

 同じく軍からひとり出てきた万十郎に、青年は場違いに微笑んだ。


「ようやく出てきた。高貴なお方」

「引け。我々は争いを望んでいない」

「望む望まざるに関わず、すでに引き返せないところまで来ているのだ」


 万十郎は僅かに瞳を伏せた。

 やはり無理か。

 諦めの混じった吐息とともに、体内をめぐる霊力を右手に込める。


「もう一度言う。引け。断るなら実力で打って出る」

「もちろん断る」


 青年が発した瞬間、万十郎は右手を地面に叩きつけた。

 大地が揺れた。

 雪空のした、ざわめきが広がる。

 万十郎が力を込めると、青年に向かって亀裂が走る。雪がのみこまれる中、彼はふわりと地を蹴った。

 舞うように別の地点に飛ぶ。地に着く瞬間にその場から鋭利な石が突き出た。

 目を瞠った青年は一回転し、再度飛ぶ。そして別の地点に落ちる瞬間、再度石が突き出る。

 何度か繰り返し、突き出た石の先端に軽やかに降りた青年は楽し気に笑った。


「さすが皇族。並々ならぬ霊力の持ち主だ」


 無表情の裏で万十郎は冷や汗をかいた。敵国である斗国は兎のあやかしが治める国だ。彼らの俊敏なことで有名だが、白髪の青年の身のこなしは随一だ。

 白髪赤目であることから、兎のあやかしの中でも戦闘能力に秀でた希少種の雪兎のあやかしであると推測される。

 これは強い。味方を守りながらでは太刀打ちできない。

 万十郎の葛藤を知ってか知らずか、彼はふいに表情を引き締める。


「では、今度はこちらから参る」


 ほとんど本能だった。

 地に着けた手を眼前に持ってくる。手のひらに強い衝撃があった。

 至近距離で赤い瞳と目が合う。

 青年は氷の刃に包まれた手を見ると口角を歪めた。


「今の一撃でやられなかったのは貴殿が初めてだ」

「……どうも」

「こちらの注意を集め、後ろの民兵を逃そうとしている点もさすがだ」


 万十郎は無言で彼の目を射た。

 青年はふわりと微笑むと、氷が溶けた手を腰に当てる。


「皇族というのはみな貴殿のような強者なのか」

「……さあ」


 自分が強者だと思ったことなど一度もないが。

 皇族が民より霊力が高いのは確かだ。


「ふむ。興味深い」


 言うと、青年は戦意を散らし、改めて万十郎を見た。


「俺は白夜。貴殿は?」

「……万十郎」

「万十郎殿。貴殿は民のことを思っているのかどうにも気がそぞろだ。これでは本気のやり合いができない」

「……だから?」


 無意味に殺戮しようとでもいうのか。

 辺境の民は万十郎の家族も同然。そうしようものなら刺し違えでも倒す。

 白夜は笑った。


「物騒な気配を見せるな。俺も無駄な殺生は好まない。貴方とは国のことなど関係なく、いつか本性を晒してやり合いたいものだ」

「……言っていることが矛盾している」


 難しい顔で呟くと、白夜は笑った。


「辺境には手を出さないよう進言しておこう。いつか俺が殺すまで殺されるなよ」


 言い置いて、彼は敵軍と去っていった。

 歓喜に沸く味方のなかで、万十郎は息をついた。

 雪将軍。もう二度と会いたくない。




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