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あやかし家政夫  作者: 琴花
第二章
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オールカラー人体図鑑

 講義が終わったあと、私は敷地内の図書館で自習していた。

 昨日から勉強時間があまりとれておらず、今日は講義の内容に少しついていけなかった。

 参考書を閉じ、新たな本を探すため私は席をたった。

 立ち並ぶ本棚。敷き詰められた医学書たち。

 私はぼんやりとそれらを見た。


『将来の夢はお医者さん』


 幼いころふわふわとした思いで語った夢は、ある時をきっかけに目指すべき目標になった。中学の三者面談で意思堅く告げると担任の教師は学力が微妙だと戸惑い、家族は驚きながらも応援してくれた。

 幸いにも定期便で港近くに公立の進学校があり、どうにか受験に合格して通い始めた。

 水杜島では優等生だったが、高校では成績は中の上くらいになった。中学の担任が言ったとおり、生徒数が少ない島内の小中学校は井の中の蛙だった。

 それでも、医学部進学コースにすすみ、高校の担任教師にも難しいといわれた医大受験を選択した。合格通知を受け取った時は嬉しさよりも、これで夢に向かってひとつ目標が達成したと冷静に思っただけだった。


 けれど、入学してみれば、やはり学力の差は大きかった。

 幼いころから英才教育を受けてきた富裕層と、優等生と言われながらも中学まで近所で草や土にまみれて遊びまわっていた私とではそもそものスタートラインが違う。

 それでも、必死に食らいつき、振り落とされないようしがみついたが、危うく前期試験で単位を落としそうになった。どうにか、単位を得ることができたが、一回生の前期でこのていたらく。はやくも留年という言葉が現実味を帯びてきて、気分は崖っぷちに立たされた状態になった。そして、勉強のため飲食も睡眠も犠牲にした結果、私は病的に白くやせ細ってしまった。実感がないぶん、深刻だったのかもしれない。夏休みの帰省時にその姿をみた実家の両親が講じた手段が、私のお世話係の派遣だ。


 不思議な縁で再会したあやかしの家事能力は実に高かった。

 手作りの料理を食べて、私は久しぶりに食欲というものを思い出した。食事とは、単に栄養を摂取するものではなく、味わい楽しむものだと。当たり前の感情を忘れていたことに気付いた。

 胃袋を掴まれたから気を許してしまったのだろうか。私は、あやかしという不思議な存在を許容してしまった。さらには、親の思いを知り、大家さんの後押しもあって、同居生活が始まった。

 しかし、家事全般をお願いして勉強に集中できるかといえば、そうとは言い切れない。

 なにせ、私からすれば初対面の男性なのだ。一人暮らしの空間に誰か別の存在がいることに慣れるはずがない。生活リズムも変わり、結果、昨日今朝と机に向かう時間が減った。たった半日でも差は大きい。これが続けば、ますます勉強時間は減り、講義についてこられなくなる。


 ――これが、生き急いでるってことかな。


 あやかしの青年に言われた言葉を思い出した。

 でも、気を抜けばあっという間に置いて行かれる。だから、やっぱり机に向かうしかないのだ。




「痛っ」

「あ、ごめんなさい」


 少しの衝撃と痛みに我に返った。

 ぼんやりしていて人がいたのに気付かなかった。

 ぶつかった女学生は肩を抑えている。


「すいません。大丈夫ですか」

「平気よ。…………ブス」


 睨みつけながら去り際に告げられた一言に肩をすくめる。彼女は口の中だけで言ったのだろうが、見下した表情から分かる。

 言われなくても私の顔面偏差値が平均値以下なのは知っている。髪はボサボサ、顔にはニキビとクマが常駐している。服装も適当。

 だけど、そんなのはどうでもいい。

 私はゆるくかぶりを振り、思考を散らす。

 今は図書館にいて、勉強するための本を探しているのだから。


「あった。この本……」


 目についた本を取ろうとしたが、身長が足らず背伸びをするも、きつく収納された本はぴくりともしない。背表紙を引っ張れば本が傷む。

 また誰かにぶつかってはいけないし、これは踏み台が必要か。小さく息をついた私の背後から、長い手が伸びた。

 いつの間にか後ろに人がいた。

 黒髪が乱雑にはねた青年だ。ゴテゴテしたアクセサリーをまとい、服装は黒ずくめ。堅気からは遠い印象を受ける。

 しかし、私を見た瞳は湖面のように澄んでいた。 

 彼はいとも簡単に本を取り出し、私に差し出した。


「ん」


 ただ一言、言葉とも呼べない声。

 私は、本を受け取り頭を下げた。


「ありがとうございます。望月先輩」


 すると、青年はぼそりと呟いた。


「……このくらい、別に。いつも、小町が面倒かけてるからな」


 望月空也(くうや)。私のふたつ上の三回生で、苗字から察せられる通り、隣人の小町先輩の双子の弟だ。

 初めて見た時近づきたくない人種だと思い、次に見た時目が合って逃げ出し、三度目に見た時小町先輩と一緒にいて仰天した。

 彼女に腕をひかれてしぶしぶといった感で挨拶されたときの驚きといったら忘れられない。

 小町先輩が見た目淑やか、内面豪胆なのに対し、彼は見た目ヤのつく人、中身は物静かという極端な姉弟だ。

 共通しているのは顔面偏差値の高さと頭の良さ。

 空也先輩(苗字が同じなので脳内では名前呼びにしている)は私に差し出した本を見て、僅かに首を傾げた。


「この本読むなら、こっちもお勧め」


 言って、違う棚から二冊出して受け取った本の上に重ねた。


「え? あ、ありがとうございます」

「ん」


 そのまま立ち去る後姿を私は呆然とみつめた。

 なんだったんだろう。

 遠くで「望月君、見つけた」「一緒に帰ろう」「マンション寄って良い?」と黄色い声が聞こえる。

 姉弟でいると遠巻きに見られるだけだが、彼一人だと女の子が寄ってくる。先ほどぶつかった女学生の声も聞こえるし、彼を捜していたのだろう。

 

 やがて声が聞こえなくなると私はひとつ息をついて机に戻り、新たに受け取った本を捲った。「人体絵本」「色彩豊かな解剖図」と書かれた背表紙を見ただけで通り過ぎた本だ。著者のネーミングセンスを疑う。

 けれど、私が最初に取ろうとしたのは、まさに人体の構造についての参考書だった。前期落としそうになった基礎医学で、教授が講義した内容がおおまかな人体解剖学だった。高校の生物を応用した感じか。


 しかし、たかが人体。されど細胞レベルで六〇兆個。骨から筋肉、内臓まで知ろうと思ったら時間がいくらあっても足りない。

 実際、講義内容も教授が一方的に語っただけだった。

 だから、復習のつもりで基礎医学の本を借りようとして、きつく押し込められた棚から出せず困ったところ彼が現れた。


 私が探した本は講義中に教授が勧めた参考書。

 空也先輩が追加で渡してくれたのはもっと大まかな内容の本。

 前者が細かい文字ばかり印刷された分厚い辞典のようなものだとすれば、彼がおすすめしてくれたのは色彩豊かなレシピ本みたいなものだった。例えるなら、広辞苑と初めて台所に立つ人のための基礎本といった感じか。学の低さを指摘されているようでなんとも言えない気持ちになる。けれど、少しめくっただけで内容の濃さと分かりやすさが理解できる。そこがまた悔しい。


 ――まずは基礎からってことかな。まあ、講義名が基礎医学だけど。


 これなら、分厚い本はいらないか。棚に戻そうして、やはりと懐に抱えた。

 私は空也先輩の性格を熟知するほど親しくはないが、必要のない本ならそう言うか行動で示しそうだ。意味のないことをするとは思えない。それに、先輩は「この本を読むならこっちもお勧め」と言った。

 なら、借りる価値はあるだろう。今は、分厚い辞書みたいな本の内容すべて覚える必要はない。なら、それこそ辞書みたいに、知りたいところだけ抜粋すればいい。写真とイラスト豊かな本をまずは読もう。

 ……まあ、わざわざ取ってくれたものを戻す行為に後ろめたさを感じたからというのもあるけど。




 いつの間にか時間が経っていたようで、閉館が迫っていた。

 荷物をまとめて貸出手続きをするためカウンターに向かうと、空也先輩が内側に座っていた。

 彼は私が持ってきた三冊の本を手早く貸出処理する。


「ん」

「ありがとうございます。……帰ったんじゃないんですか」

「ん?」

「女の子たちが捜していたようだったから」

「ん……」


 彼は「ん」しか言わないのか。

 わずかな沈黙の後、空也先輩は呟いた。


「図書館は静かにするところ」

 

 まるで子供に言って聞かせる言葉だ。幼いころ私もよく叱られた。

 つまりは、騒がしい女の子たちは追い出したということか。

 私は、ゴテゴテしたアクセサリーを身に着けた先輩の真面目な一面を垣間見た気がした。

 閉館を知らせるチャイムの音が鳴って私は頭を下げた。


「それでは」

「ん。……がんばって」


 彼の口角が少し上がった。




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