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あやかし家政夫  作者: 琴花
第二章
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昨日のそれから2 亀に色気はいらない!

 夕食とデザートを食べて私は机に向かっていた。

 台所からカチャカチャと食器を片付ける音がする。凝り性なのか、万十郎は水回りを丁寧に掃除している。

 最初は気になった人の気配も、今は違和感なく溶け込んでいるから不思議だ。

 排除すべき他人ではなく、新たな身内として受け入れたからだろうか。知人でも友人でもなく身内とは相当な格上げな気がするが、他に言い方がないので仕方ない。

 そうして掃除音をBGMに勉強に集中した。

 

「ちとせさん、お風呂沸きましたよ」


 そう声をかけられ、時計を見ると午後十時を回ったところだった。


「はやくない?」


 私は日付が変わるまで勉強し、後はざっとシャワーですませてベッドにもぐりこむ生活だ。

 まだ二時間もはやい。

 そう思ったけど、万十郎は首を振った。


「午後十時から午前二時が人間にとって一番質の良い睡眠がとれるんです。少なくとも日付が変わる前に寝床についてください」


 確かに、シンデレラタイムともいうその時間帯は脳と身体の疲れを癒すホルモンが多く分泌され、その成長ホルモンは睡眠時に分泌されるので、万十郎の言うことは理にかなっている。

 けど、今まで深夜に就寝していのだ。まだ、まったく眠くない。


「今は目がさえているのでしょうが、湯船につかってリラックスすると眠くなりますよ。今日は色々ありましたから」

「まあ、確かに……」


 色々ありすぎた。

 左手の甲には昨日までなかった二色の印。

 万十郎はそれを消すことを良しとしないみたいだけど、やはり目がいく。


「わかった、入る。けど、その前に少し話をしていい?」

「はい」


 テーブルの向かいに座った万十郎に左手の甲を見せる。


「この痣じゃない、印だっけ。消さないほうがいいの?」


 私が恐慌状態に陥り消してと叫んだ時、彼は躊躇いながらも拒否した。

 そして、今も私が問うと表情を強張らせた。


「どうしてもというなら……。けど、そのままでいて欲しいです」

「万十郎がそこまでいうのは珍しいね。どうしてか聞いていい?」

「それは……」


 万十郎は口をつぐんだ。

 人にはわからないあやかしなりの理由があるのだろうか。

 ……私は別に彼を困らせたいわけじゃない。


「私に害がないのなら我慢する。けど……」

「害はありません。けど、なんですか?」

「いや、ちょっと目立つかなと」


 服に隠れる場所ならいいけど、手の甲だ。季節関係なく露出する部分でもある。

 私が戸惑いながら言うと、彼は思い出したように口を開いた。


「消すことはできなくても、人の目に見えなくすることはできますよ」

「え?」

「過去を思い出してもらうために印に込められた霊力に少し衝撃を与えたため、今は人の目にも視えるのです」


 手の甲に触れられたときのことだろうか。確かに、熱を帯びて、気付いたら印が現れていた。


「なら、また元の状態に戻せるということ?」

「元にというか、人の目に見えない状況にです。僕と再会するまで見えなかったでしょう? その状態です」

「それでいい。私や他の人に見えないなら」


 十年間まったく気づかずに過ごしたのだから、その状態に戻ればいい。

 もう少し警戒心を持ったほうがいい気もするけど、左手を見るたび奇妙な印が目に映るよりはいい。


「分かりました。じゃあ、手を――」


 言われて、肩を揺らした。

 思わず後ずさり、右手で左手を覆った私に、万十郎は瞳を揺らして言った。


「昼間でのことが精神的外傷になっているのですか……?」


 案じる声音に私は口を引き結んだ。

 彼が人ではないことを痛感した出来事だから、否定すれば噓になる。

 けれど、同じくらい誠意を見せてくれた。


「――平気。害はないんでしょ」


 右手を離し、左手を差し出した私に、茶色の瞳が僅かに見開かれた。


「はい。――では触れます。多分瞳の色が変わるので、見たくないなら目を伏せてください」

「うん」


 私は目を閉じた。

 そして、僅かな間に指先がそっと触れた。

 羽毛に撫でられるような感触とともに、印の部分が熱を持つ。

 思わず腕が粟立ったがこらえていると、風船がしぼむかのように、急速に熱が鎮まった。


「もう目を開けていいですよ」


 その言葉にそっと閉じた瞳をあけると、優しい茶色の瞳が映った。

 見慣れた白いばかりの左手の甲を見て、ほっと息をついた。


「――ありがとう」

「お礼を言われることではありません。むしろ、気に病ませてしまってすいません」


 私は首を振った。


「想定外の出来事に頭がついていかなくて、混乱しているだけだから」


 医者になれば、それこそ毎日が想定外の出来事だろう。人体の神秘と向き合う職業を目標としているのに、科学的に証明されないからといってなんだ。

 いつか金色の瞳を見返せる日が来るように心を強く持ちたい。

 私は気分を切り替えて明るく言った。


「私こそいちいち面倒な性格でごめんね」


 彼は首を振って微笑んだ。


「自分のことだから当然です。気になることは聞いてください。話せることなら答えますから」


 話せないことがあるのか。やっぱりあやかしと人は違うみたい。

 けど、人間同士でも言いたくないことや聞きたくないことはあるし、プライベートは大事だ。


 ――なら、私のプライベート空間でもあるこの部屋にいつまでいるつもりなのだろう。


「……私のお世話をしてくれるっていったよね。それっていつまで?」


 彼は瞬いて淀みなく答えた。


「健康で文化的な最低限度の生活を送れるまでです」


 まさかの日本国憲法第二十五条。


「私ってそんなに生死の境をさまよってるように見える!?」

「というより、生き急いでいるように見えます」


 私は押し黙った。


「……そんな風に見える?」

「はい」

「今日会ったばかりのあなたが言うのなら、他の人たちは」

「さぞや気を揉んでいるかと」


 ちなみに、今日会ったのではなく、今日再会したんですからねと訂正されたが、声はただの音として通り過ぎた。

 私はがっくりと項垂れた。


「情けない……」

「愛されている証拠ですよ」

「見知らぬ誰かを押し付ける程度にはね。それも若い男性とか……」

「僕がちとせさんに恩あるあやかしと知っているから信頼してくれたのでしょう」

「むしろ、なんで私の両親が万十郎のこと知ってるの?」


 いくら普段脳内お花畑な母親でも、あやかしと聞いて、はいそうですかと納得するだろうか。


「十年前、ちとせさんが友人の男の子とともに、僕を泉まで送ってくれる道中を詳細に話しました。ビクビクしながら森の中を歩いたと思ったら黒兎に遭遇して目を輝かせたり可愛かったですね」

「そういえばそんなこともあったっけ……。お転婆かつ余計な正義感ばかり勝って全然可愛くなかったけど」


 けどそれだけでは弱い。陽太は話好きだったし、誰かに伝わっていても不思議ではない。


「そんなことないですよ。あとは亀の姿の僕を包んでくれたタオルを見せたら信じてくれました」

「あ――」


 確かに濡れタオルに包んで運び、いつの間にか紛失していた。

 私の名前の刺繍入りだったタオル。


「なるほどね。物的証拠を見せられたら信じるしかないよね。でも、馬鹿正直にあやかしと言って信じるなんて……」

「亀の姿に変化しました」


 決定打きました。

 彼自身の穏やかながら芯のある性格に両親も納得し、半年間ですっかり不健康になった娘を託すことにしたのか。

 けれど、それだけではない、彼自身の魅力のようなものがある気がする。

 整った外見だが、モデルや俳優と比べると普通の枠内に入る若者。

 けれど、どこか目がいく存在。雑多の中にいても見分けられそうだ。

 これもあやかしの性質とでもいうのだろうか。


 本当に、あやかしというものは、知れば知るほど得体がしれない生き物だ。

 けれど、怖れより興味のほうが勝っているのは、彼は私を害さないという楽観に似た信頼か、それとも未知の生物に対する知識欲か。 

 私は、そういえばと問うた。


「どうして十年前は人の姿にならなかったの? そうすれば子供の陽太に悪戯されたりはしなかったのに」


 そう。亀の姿だったから悪さされたのだ。人の姿なら、小学生が見た目二十歳くらいの青年をどうこうできるはずがない。

 今更浮かんだ疑問に、万十郎はゆるく笑って首を振った。

 

「変化できないほど弱っていたので」


 そして、あやかしの青年は茶色の瞳を瞬かせてひそやかに笑んだ。


「あやかしからすれば、人間のなんと脆いことかと思いますが、そんな人間のちとせさんに命を救われましたからね。本当に、あやかしの生にも何があるか分からない」


 怖れに天秤が傾いた。


「だから、生き急ぐ人間に、あやかしの永い寿命の瞬きほどを尽くそうと思ったのですよ」


 無意識なのか、少し瞳が黄色くなっている。

 わずかに深淵を覗かせたあやかしに、私は硬直して見入った。


「あやかしと縁が結べる人間はそう多くいません。誇っていただいて結構です」

「う……」

「僕にとっては瞬きほどの年月ですが、お望みとあらばあなたにとっては一生を尽くしましょう」

「――え?」


 ……一生?

 一瞬にして思考が戻った。

 テーブルを力強くたたく。

 

「それは駄目!!」


 思わぬ反発だったのか、彼の瞳が丸く見開かれた。


「好きに帰って良いと言ったけど、それは人間の時間の流れを理解しての話。陽太に悪戯された仕返しに私を玩具にしようとしてないよね?」

「はい」

「なら、一緒にいるのは、私が周囲に心配かけずにすむまでよ。そう、誰かの手を借りなくても、健康で文化的な最低限度の生活が送れるまで!」


 テストにも出た憲法二十五条。

 鼻息荒く言い切る私に、彼は呆気にとられたようだが、ついには吹き出した。


「そうでしたね」

「居直って悪い?」

「いえ。やっぱりちとせさんは面白い」

「面白くなくていいのに」

「――本当に、もっと甘やかしたくなります」


 どことなく艶めいた口調に、柏手を打った。パンと小気味よい音が鳴る。


「すでに十分甘やかしてもらっています。これ以上だと、心の底から退去してほしいと思います」

「それは困ります」


 我に返ったかのように、彼の瞳がすうっと茶色く戻った。

 やっぱり選択肢を間違えた気がする。


「じゃあ、口調戻して」

「え?」

「その、なんだか絡みつくような口調。亀に色気はいらない!」

「色気、ですか?」


 本性亀は首を傾げた。あやかしとしての顔を覗かせた時の蠱惑をわかってないのか。

 私はため息をついた。


「あなたは成年に達してる? 人間でいう成人」

「はい」

「なら、今のはセクハラで逮捕案件ね。実名報道されるわよ」

「え?」

「私と一緒にいるのなら人間社会に適応すること。これは最低条件。分かった?」

「はい」


 かしこまって正座する青年を見る。


「……あなたっていくつ?」

「あやかしに年齢を数える習慣はありません。少なくとも、亀の姿でも人の姿でも十年前と今は見た目に変化はありません」

「よく分からないけど、おじいちゃん?」


 なんとなく縁側で日向ぼっこが似合いそう。

 想像していると、若干ふてくされた声が返った。


「見た目と精神年齢は一致します」

「じゃあ若年寄だ。……なんて、よく思ったら、私は年下なのよね。あなたは敬語で私に対してさんづけなのに、私は呼び捨てでため口。これって良くないよね」


 言うと、彼は茶色の瞳を瞬かせた。そして、首を振る。


「そのようなことはないです。むしろこのままでいて欲しいです。僕のこの言葉づかいは癖ですし、最初にただ亀か万十郎とお呼びくださいと言いました」

「そういえば、そんなことも言ってたね……」


 遠い昔に感じるが、今日のことなのだ。

 その時と同じ雰囲気に戻った万十郎は穏やかに笑った。


「亀のあやかしは他にもいますが、万十郎は僕だけです。だから、やっぱり万十郎と呼んでくれて嬉しいです」


 その口調に艶めいたものは一切なく、友愛に近い温かみのある声音だ。


「……わかった。って、他にもあやかしがいるの? まさか水杜島に?」

「はい。森の泉が幽世に繋がってます」

「かくりよ?」

「あやかしの棲む界です」


 まさかの新事実。故郷の島が異界の門に繋がっていました。

 これ以上は許容外なのでシャットダウンします。


 


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