エピローグ
部屋は先ほどと同じ署長室だが、人員の配置はだいぶ変わっていた。
ソファーに悠然と腰掛けている白髪の老人の向かいには、水上特務管理官と早瀬署長の二人。田中副署長は、部屋の外で待機している。
蒼雲、裕樹、梓乃、雅哉の四人は、ソファーの後ろに姿勢を正して立っている。
立っていろと言われたわけではない。
老人が部屋に入って来る直前に蒼雲が立ち上がり、老人の姿を目にした裕樹と梓乃と雅哉が同じように立ち上がってソファーを譲った。霊能力者なら誰でもが、畏怖を感じて身を震わせるほどの気配を、この老人は纏っていた。
老人の名は猫風蒼嚴。猫風家の先代当主。蒼雲の祖父だ。青鼠色の着物に鈍色の袴姿。その肩には、銀白色の長毛猫が悠然と腰掛けている。蒼嚴の使役する化け猫の一匹である風華だ。
当主の座を蒼龍に譲ったとはいえ、猫使いとして、猫使い五族を束ねる長老だ。卓越した霊能力と数々の伝説を有し、国内の術者でその名を知らぬ者はいない。それどころか、非術者である早瀬や田中にまで一目も二目も置かれるほど、国防・公安の両面においての実績を誇る呪術者。特に当主時代の蒼嚴を知っている水上特務管理官は、ソファーに座っているというのに、背筋を伸ばしたまま微動だにしない。
「儂の孫が面倒をかけたようだな」
「い、いえ!」
蒼嚴にとっては気楽に口にした言葉だったが、水上の体は飛び上がるほどに緊張した。いや、実際に少しソファーから飛び上がったようにすら見えた。声が上擦らなかったのは、さすがはK-SICSの生え抜き術者というところか。
「ご面倒おかけしたのはこちらでございます。皆様のお陰で、生徒達に一人の怪我人を出すことも無く、事態を収拾できました。特にお孫様のご活躍によりまして、危険な憑依現象を無事に修祓いただきまして、事なきを得た次第」
「女子が一人入院したと聞いたが」
さすがは蒼嚴だ。既に全体の状況については把握していた。
「はい。憑依された男に襲われかかっていたそうでありまして。いえ、怪我をしたと申しましても、それはガラスで足を切った程度なのですが、精神的なダメージを懸念して、念のため今夜一晩入院していただいております。先ほどお孫さん達とも話しましたが、今夜中に私が赴き、記憶の操作をしておきます」
蒼雲達と話していた時の倍程度はハキハキとした受け答えだ。
「なるほど。それは良かった。して、彼らに対する事情聴取は全て終わったのかな?」
「はっ!」
今度は、視線を向けられた早瀬署長の声が裏返る番だった。
「はい!」
慌てて言い直す。
「では、そろそろ孫達を連れて帰りたいのだが、構わぬかね。彼らも朝早くからで疲れていると思うのでな」
チラリと背後に立つ蒼雲達に視線を向けて、蒼嚴が微笑む。
反対する者はいない。
「では参ろうか」
立ち上がって部屋を出て行く蒼嚴に、四人も黙って従った。
「久しぶりだな。蒼雲」
歩きながら、蒼嚴が数歩後ろを歩く蒼雲に話しかける。それは、祖父が孫に話しかける、親しみのこもった普通の会話だった。にも拘らず、蒼雲の体が緊張しているのを裕樹は感じていた。
「ご無沙汰しております。祖父上様。この度は、お手間をおかけして申し訳ありません」
「なに、気にするな。孫を迎えに来るのは保護者の務めであろう」
「恐れ入ります」
二人の会話は、エレベーターに乗っても続いていた。
「ところでお主ら、食事もまだなのであろう? 今宵はもう遅い。家に泊まって行きなさい。食事の用意をさせている」
時刻は既に二十一時を回っている。任意同行を求められて警察署に到着したのが十八時頃だったから、なんだかんだと三時間も拘束されていたことになる。
「しかし、」
「例の件について、少し聞きたいこともあるしな。蒼龍にはその旨伝えてある」
日帰りで戻ってくることを命じられていたが、大人達の間で話がついているのなら断る理由は無い。というかむしろ、蒼雲には拒むことは許されない。
「わかりました。ではそのように」
蒼雲は頭を垂れて受諾の返事を返す。
「そちらの三人は御鏡裕樹、猫森梓乃、遠山雅哉だったね」
「はい」
いきなり名前を呼ばれた裕樹達も緊張した。その尋常ならざる気配にすっかり萎縮していたのは、三人も同じだ。
「構わないね?」
意思を尋ねられているわけではなかった。拒否などできるわけも無い。
早瀬署長、田中副署長、水上特務管理官はじめ何人もの警官に見送られて、裕樹達は警察署を後にした。
*****
蒼嚴が乗った黒塗りのセダンが前を走る。
宗康が運転する行きと同じワゴン車には、迎えに来た猫達が乗り込んでいた。
「お帰り。蒼雲」
「なんだか楽しいことあったみたいだにゃ?」
蒼雲の膝や肩に上って来た雲風と風霧が、早速話題を振ってくる。
「楽しかったんでしょ?」
「いいないいな。俺も一緒にいたかったな」
「何があったのか教えて」
「はぁ…」
猫達の声に応えず、蒼雲はまたひとつ大きく溜め息をついた。
「疲れてるね、蒼雲」
「当たり前だ」
「おい、俺たちこれから、お前んちに行くのか?」
後ろの席から雅哉が身を乗り出して、猫達と蒼雲の会話に割り込んでくる。
「そうだ」
力ない返事。
蒼雲は、昼間の戦いの疲労感とも、警察署で拘束された時間による疲労感とも違う精神的疲労感でいっぱいだった。蒼雲にとって、蒼嚴は、父である蒼龍以上に怖い存在だった。
「猫風家の本宅ってやつ? 噂には聞いているが、すっげー豪邸なんだろう?」
「確かにね、めっちゃ広いよ」
「裕樹は知ってんのか?」
「あぁ、何度か行ったことあるからね」
裕樹は、父親に連れられて何度か猫風家の本宅にも出向いていたし、三月の仕事の際には、怪我をしてお世話になったりもしている。蒼嚴には屋敷内で二度ほど会ったことはあるが、何度会っても緊張する。
「そっか。それにしても、蒼雲の爺さんめっちゃ強そうなのな。体は細身だし、見た目はちゃんとした爺さんなのに、俺、勝てる気は全然しなかった。それどころか、かかっていくこともできない迫力だったぜ」
「それはそうですよ。猫風蒼嚴様は、猫使いの間では伝説的な方で、蒼龍先生を遥かに凌ぐ実力の持ち主だと言われているのですよ。古今東西のあらゆる呪術に精通され、他人の化け猫までもをあっという間に使役してしまうとかで…」
化け猫を使役する猫使いといえども、他者の使役する猫を使役するのは容易ではない。これは、どの呪術にも言えることだが、同じ呪法を使う同じ系統の術者であっても、使役を乗っ取るためには元の術者の実力を凌駕する霊力を持っていなければ不可能だ。ましてや化け猫は、もともと命の無い紙の式神と違って、自らの意思を持ち信頼関係を築いて特定の術者に協力をすることを約束する関係だ。その化け猫を、信頼感ごと自らの使役で乗っ取るなど並大抵のことではない。それができる蒼嚴は、ずば抜けた霊力と胆力、呪術の才を持っていることになる。
「まじか? お前んとこ、ほんとすっげー家系なのな」
「それを維持するために蒼雲がどれだけ努力してるか、お前も知ってるだろ」
裕樹が呆れたように雅哉に視線を流す。
「俺、平凡でよかった~」
「何言ってるんですか。遠山家と賀茂家といえば、修験道、陰陽道の大家ですよ。あなたも『すっげー家系』なのですから、もっと自覚を持ってまじめにやりなさい」
シートに身を委ねて大きく伸びをした雅哉を、すかさず梓乃が窘める。
「梓乃ちゃん最近、母親化してない?」
「してません!」
さまざまな緊張から解き放たれて、少年達はようやく楽しそうに笑い合った。
「さすがに俺、腹減って元気出ないわぁ」
「十分元気ですよ、雅哉さんは」
「梓乃ちゃんって、最近俺の扱い雑だよね?」
「そうですか? 母親化しているからじゃないですかね?」
梓乃が嫌みな言い方で切り返してそっぽを向く。
「えー、なんだよ、それ」
「あぁぁ、雅哉。梓乃ちゃん怒らせたな、確実に」
「そうなの? ねぇ、怒ってる?」
「知りません」
梓乃はそっぽを向いたまま笑っている。
裕樹も雅哉も、楽しそうに笑っている。
彼らの笑顔は、同年代の若者と触れ合って忘れていた何かを取り戻したような、実に楽しそうな笑顔だった。ハプニングもあったが、おおむね良い息抜きになったようだ。
一人憂鬱そうに溜め息をついている蒼雲を除いて。
本編に絡むネタを入れてありますが、番外編はこれでおしまいです。
お読みくださりありがとうございました。
本編の方もまだまだ続いているのですが・・・そのうち更新するかも?




