事後処理
テーブルの上に、入れられたばかりのコーヒーカップが置かれた。一杯一杯ドリップされた芳醇な香りのコーヒー。
「いや、本当に失礼をしました。部下の非礼をどうか許していただきたい」
ソファーで向かい合う白髪まじりの男が、大仰に頭を下げる。
つい先ほどまで、取調室で事情を聞かれていた裕樹達四人は、今はこうして、署長室で、この部屋の主から頭を下げられていた。
あの後。
消防車、救急車、警察車両と、けたたましいサイレンを鳴らしながら集まって来た緊急車両で東高周辺は騒然となった。グラウンドで騒いでいた連中は警察に拘束され、講堂で呻いていた連中は、拘束された上で病院へと連れて行かれた。校舎三階で倒れていた男五人は、護送車に乗せられていずこかへ連行されていった。怪我をしていた瀧島美知香は、軽傷ではあったが、念のために救急車で病院へと搬送された。彼女の母親と妹が学園祭の見学に訪れていて、彼女達が美知香に付き添った。
蒼雲達は、警察署に連れて来られていた。加害者には見えなかったが、被害者にも見えなかった。何せ彼らは、第二校舎と講堂で起った事件の一部始終を見ていた目撃者であり当事者なのだから。
「早瀬署長、頭を上げて下さい。俺たちは別に、何か迷惑を被ったわけではないのですから」
苦笑いを浮かべたい気持ちを抑えながら、蒼雲が早瀬に頭を上げるように声をかける。
「いえ、そう言うわけにはいきません。少なくないお時間、取調室に拘束して尋問の真似事など…」
「事情を聞かれるのは当然だと思っています」
四人は一人一人取調室に入れられ、一時間近くの間、何があったのかを証言させられていた。
「いえ。しかも、存じ上げなかったというのならともかく、早い段階に本庁から指示をいただいていたにも拘らず、です」
そう言って、ドアの前に直立不動で立っている二人の部下の顔をチラリと見た。
「申し訳ありません! 自分が電話を受けましたが、あの…、あまりにもお若い方でしたので、まさかと…」
最後の方は消え入りそうな声だ。
「本庁からの指示にまさかなどない! 馬鹿者!」
早瀬がその男を怒鳴りつける。
「鏑木も鏑木だ! お前がついていながら確認もしないとはどういうことだ!」
今度は、早瀬署長の隣に座っている男が、もう一人の部下を叱る。先ほど副所長と名乗った田中だ。この署のトップ二人に怒鳴られて、立たされている二人は、すっかり萎縮しまっていた。
「県警から、すぐに水上特務管理官がいらして下さらなければ、更なる失礼を重ねてしまうところでした」
部下に対するのとは明らかに違う慇懃な態度で、早瀬と田中がもう一度、四人に深々と頭を下げる。
蒼雲は、困ったように、斜め前に座っている水上特務管理官に視線を送った。
警察庁から警察署に派遣されている「特務管理官」は超常現象専門に扱う特別職。K-SICSのメンバーだ。今年四月から全国四十七都道府県の警察署に常駐されるようになったが、富士山を抱えて超常現象事件の件数が多い静岡県警には、それ以前から、特務管理官が配属されていた。それ故に、蒼雲は、水上特務管理官とは面識があった。
「私がもっと早く来られれば良かったのですが、申し訳ありません」
今度は、水上が頭を下げる。特務管理官が超常現象という非科学事象を扱うことは、上層部の人間にとっては既定路線だが末端の警官には詳細は知らされていない。それでも、本庁から来ているというだけで、特務管理官の地位は、相当に高い。その水上特務管理官が、高校生くらいの年齢の少年達、特に左端に座っている少年に対して頭を下げている姿を見て、立たされている二人の若い警官の顔から血の気が引いている。
「今日は非番だったと伺っています。こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
蒼雲とともに、他の三人も頭を下げた。
「それより、後片付けは順調ですか?」
これ以上の謝罪の応酬は意味が無いと判断し、蒼雲はすぐに次の話題に切り替えていた。それから、若い二人の刑事にちらりと視線を向ける。
蒼雲の意図を察して、水上が、立っている二人に退出を促す。部屋には、水上特務管理官、早瀬署長、田中副署長に蒼雲たち四人の合計七人だけになった。扉が閉まり、扉の外の気配が完全に消えたところで水上が口を開いた。
「憑依自体はもう残っていないと思いますが、もしかすると精神を病んでそのままかもしれません。校舎にいた五人は隔離してありますが、直接憑依を受けた男は、だめかもしれませんね。完全に精神を喰われていました」
直接確認して来た水上が、五人の状況を思い出して溜め息をつく。
「まぁ、自業自得ですが」
蒼雲の冷徹な言葉に、早瀬と田中の背筋を冷たい物が伝った。
「それよりあの藁人形です。歴史文化研究部の浅川部長に確認しましたが、三池稲荷周辺で見つけたと言っていました。プロの仕事です。周辺を確認してみる必要があるでしょう。もし構わなければ俺の方で少し探ってみたいのですが」
「そうしていただけるのなら心強いです」
水上管理官は、署長の返事を待たずに即答した。
「むしろ、ぜひお願いしたいくらいです」
水上の言葉に、署長もぎこちなく頷く。
「それも、よろしければいただきたいのですが」
「もちろんです」
「それが関係しているというわけですか? それはいったいなんですか?」
署長の目が、机の上の物体に注がれた。先ほど校舎内で蒼雲が拾った、藁人形の一部が、白い布の上にポツンと乗せられている。
「それは、署長が知らなくても良いことです」
水上がすかさず手を伸ばし、机の上の物体を布でくるんで蒼雲に差し出す。この場の最高責任者は明らかに署長の早瀬ではなく水上特務管理官だと再認識させる振る舞いだった。
それを受け取る蒼雲の意識が、ほんの一瞬部屋の外に向かった。近づいてくる何かの気配に気がついたのだ。
「最悪だ…」
すぐ隣に座っている裕樹にさえもはっきりとは聞き取れないほどの声で、蒼雲は舌打ちをした。
「え?」
その気の揺らぎに、裕樹は思わず蒼雲の方を見た。二人の目が一瞬だけ合う。
「ありがとうございます。確かに受け取りました」
裕樹に向けて、ではなく水上特務管理官に向けて、蒼雲は言葉を投げる。
「それと、現場にいた女性ですが…」
ほとんど話をする間もなかったので、裕樹には事件の詳細をまだ伝えていない。
「美知香は無事なのか?」
怪我をしたといっても大した怪我ではないという情報は耳にしていた。それでも、現場でなにがあったのかまではまだ聞いていない。先を急ぐ目で、蒼雲に迫る。
「人としての理性を失った男に襲われかけていたんだ。本人は気丈に振る舞っていたが、だいぶ怖い思いをしたはずだ。服も破かれていたしな」
「かわいそうに…」
梓乃が顔をしかめる。
「一晩入院させて正解でしたね」
水上の言葉に、蒼雲は視線を正面に戻して頷く。
「えぇ。トラウマにならない程度に、記憶操作が必要かもしれません。俺のことはほとんど覚えていないと思いますが、前半でだいぶ怖い思いをしているはずですから」
悪霊に憑依されると人は人ではなくなる。人としての理性が吹き飛んだ人形の生物を、人の心は本能的に恐れるようにできている。
「わかりました。今夜は入院するということでしたから、深夜に処置しておきます。お見舞いにいかれるなら、その後の方がよろしいかと」
自分に向けられた視線に、裕樹は黙って小さく頷いた。
水上特務管理官もまた、賀茂弥生と同じように、記憶の操作を行う呪術のエキスパートだ。
「東高校の生徒が、またあのグループに襲撃されるようなことがあっては困りますから、その辺りも念入りにお願いします」
「俺からもお願いします」
蒼雲の言葉に重ねるように、裕樹も目の前の三人の大人に頭を下げた。
「それについては確実に…」
早瀬署長が口を開いたところで、会話は電話の音で中断された。
田中副署長が席を立って電話に出る。
「何!? わかった。すぐに行く!」
田中の声が恐ろしく慌てている。
「署長、特務管理官。猫風蒼嚴様がお見えだそうです」
「何だと?」
「急いで署長室にお通ししろ。失礼のないようにな」
「はい!」
副署長が部屋を飛び出していく。
「蒼雲さん」
梓乃が身を乗り出して、小声で蒼雲に呼びかける。
蒼雲が大きな溜め息をつく。
「誰?」
雅哉が小声で尋ねる。
「蒼雲さんのお爺様ですよ」
蒼雲はもう一度、大きな溜め息をついた。




