底辺高校・駄目教師番付(後編)
斎藤のまねは絶対にしないでください
昭子達が普通に授業を受けていた頃。彼女達と一緒に授業を受けるはずだった銀の防災頭巾集団……斎藤達は、視聴覚室を訪れていた。
「鈴木! てめえええは練習ってうそついて呼び出して翔をリンチしたり! つれまわしたり! パシリにしたり! 今日こそ許さねえぇ! せんぱいだろうがぶっころしてやる! 表にでやがれ!」
「んだとぉ生意気なんだよてめえ!」
まだ明るい視聴覚室の廊下窓をガーッと開けて叫ぶ斎藤。それに応戦すべく席を立つ鈴木達。めんどくさそうに欠伸をした田中先生は、セットしようとしていたDVDを置いて鈴木の前に立った。
「おめーら、授業中……」
「どけ!」
田中先生を避けて廊下に出ようとする鈴木。だが。田中先生は彼の肘を掴んだ。
「教師に向かってなんだこの野郎!」
「触んな! ぶっ殺すぞ!」
「……なめんなよ? 俺は暴走族だったんだよ。お前如きに負けるわけないじゃねえか」
乾いた肌に埋まった小さく澱んだ目でそう言い放つと。体格のいい田中先生は自分より少しだけ背が低い鈴木の胸倉を掴む。それを見て田中先生へ掴みかかろうとした友人達を目で制すると。鈴木は田中先生の額に頭突きした。さらに。呻いて尻餅をついた田中先生を間髪入れずにグーで殴る。
「て、てめえ、教師になんてこ」
「待ってるからあと数発殴っていいぜ! 俺もこいつきらい! ろうかでぶつかった時につば吐かれた!」
斎藤の言葉に鈴木は頷き。自分を睨む田中先生の弛んだ顔を再び殴る。田中先生の目はライオンに目を点けられた草食動物のように怯え、鼻からは血が滴り落ちる。それでも斎藤達もクラスメイトも止めない。通報もしない。鈴木が恐ろしかったからだけでは無い。田中先生の日頃の行いも悪いかったからである。言う事を聞かない家畜を痛めつけるかのよう田中先生を二発殴ると。鈴木はクラスメイトに、教室から出るなと命令し。腕をコキコキ鳴らしながら数人と教室を出た。
「生意気な後輩を二度と逆らえないようにしてやるぜ!」
「オオー!」
廊下で待ち受けていた斎藤達も輪を解き、鈴木達を向いて怒号を上げる。
「翔のかたきだー! 鈴木! 俺とお前のいっきうちだ! 俺とお前が戦って、負けたほうがサッカー部をやめる! これでどうだ!」
細長い体の内股歩きで前に進み出ると、震える指で鈴木を差し。上ずった声で叫ぶ斎藤。そしてPKを見守るかの様に横一列に肩を組んで見守る一年A組サッカー部。一方。……一騎打ち?? しかも弱そうなあいつと? と少し驚いた顔でお互いを見つめる鈴木達。……そう。斎藤は人柱となったのである。斎藤達は窓を開けた瞬間からずっと鈴木とその友人の所作や体格、そしてクラスの雰囲気を観察していた。それを普段の部活動での印象と総合した結果。自分達が頭数も質も負けていること、オマケにいざという時止めてくれるような教師も生徒もいないという予測を各々立てたのである。全員ボコられるよりは一人でボコられる方がマシ。それに一対一ならケンカとして処理されて、サッカー部は活動停止にならないはず……質の悪い脳味噌で必死にそこまで考えた斎藤は。討ち入りの言いだしっぺである自分と鈴木の一騎打ちでかたをつけようと悲壮な決意を固めたのである。それでも心配そう自分を止める友人の手を振り払い。再び斎藤は叫んだ。
「いざ! 勝負!」
「ちょっと待った。お前、その頭にかぶってんの取れよ」
斎藤は心の様に小さな顔をピクっと歪め。冷や汗をかいた。……これを外したら防御力-100だ! そう思った彼は、咄嗟に掃除用具入れを差して叫んだ。
「こ、こっちの防具の代わりに! そっちは武器使っていいぜ! デッキブラシの柄で襲ってきてもかまわねーよ!!!」
「バカ! 武器持たれる方がやばいだろ!」
一列に並んでピョンピョン飛び跳ねつつ叫ぶサッカー部。その間に鈴木はベージュ色の柄のデッキプラシを構えた。彼もGKなので背が高い。くるくるとバトンを試運転する彼は、とても様になっていた。やっべえ、と斎藤が漏らした数秒後。鈴木は斎藤に襲い掛かった。
「こっちから行くぞ!!!」
ヒュンヒュンと空中を舞うベージュ色の嵐。斎藤は重い頭を揺らしてそれを避けるが。だんだん輪郭が汗で滲み。盛大にすっころんだ。
「や、やっぱりこれぬぐから最初から勝負やりなおしてくれな……いでっ!」
「斎藤ーーーー!」
「……もしお前らが飛び出して来たらコイツがどうなるかわかってんだろうな」
横一列に肩組したまま、ぴょんぴょん前にジャンプしてきた一年生を声で止めると。鈴木はデッキブラシの柄を垂直に構え。尻餅をついたまま震える斎藤に素早く近寄った。斎藤は目を見開いた案山子になり。それを見て鈴木はニヤリと笑う。
「お前は理科室のガイコツ標本みたいにガリガリで気持ちわりーんだよぉおおおー! ブサイク!」
鈴木は案山子となった斎藤の顔面を餠に見立て。思いっきり突く。だめだ! と目を閉じてぴょんぴょん跳ねる一年生。だがその数秒後。案山子は動いた。鈴木より先に。
「おおおおああああああ」
斎藤は座ったまま思いっきり鈴木の脛を蹴飛ばした。鈴木は痛みに呻き転がり。彼の手を離れたデッキブラシも下敷きフェイスガードの穴からポロリと落ちる。
「おめええええ! 翔に最初やさしくして信頼させてからあんな仕打ちをしやがって!」
「あいつが生意気なのがいけねーんだ…」
「なまいきなまいきってうるせーーーー!」
呻き転がる鈴木の上に馬乗りになって胸倉を掴む斎藤。一年生は相変わらず後ろでぴょんぴょん飛び跳ねながら、歓声を上げていたが。ドミノのようにパタンパタンと首を傾げだした。目を開けていた少年はそんな空気を読んで解説を始める。
「斎藤は鼻から下を保護するために、ぶ厚い透明下敷き二枚を瞬間接着剤で防災頭巾にくっつけてたじゃん。剣道のお面とか捕手のマスクみたいなるように。で、運がいいことに、デッキブラシが透明下敷きのお面に開けた空気穴にはまって、斎藤の顔に届かなかったんだよ。そんでブラシが動かなくなって驚いた鈴木の隙をついて……斎藤が鈴木にキックして……うしろーーーーーー!」
転がったデッキブラシを掴んだ二年生の一人。彼はそれをゴルフクラブの様に振りかざして斎藤の背中をバシッと叩く。斎藤はその衝撃で斎藤は金切り声を発しながら鈴木の上に倒れる。それを見た一年生は肩を組んだまま走り出した。
「約束破りやがって! ゆるさねーーー」
「こっちこそ鈴木の仇だ!」
廊下で殴り合うサッカー部の一年生と二年生。それを怯えながら見る鈴木のクラスの生徒、そして鼻血を拭う田中先生。どうしよう、誰かを呼びに……。クラス委員長がこっそりとドアから出た、その時。サッカー部員の腕を野太い声が掴んで止めた。
「そこまでだ!」
サッカー部員を強引に掻き分けて乱入した屈強な体育教師達。彼らはまず斎藤と鈴木を取り押さえ。他の者たちも目だけで圧倒した。一方。田中先生は少し遅れてきた佐竹を目ざとく見つけると。上から下まで見つめて舌なめずりをした。ジャージ、または露出度の低い服装が多い佐竹にしては珍しく、丈が短いハーフパンツだったからである。
「せ、先生……すみませんが俺を保健室に……」
佐竹を見つけて素早く立ち上がった田中先生。彼は自分の鼻を心配そうに見つめる佐竹に近寄ってしなだれかかり。どさくさに紛れて尻を撫でた。
「田中先生だいじょ……! やめてください! お尻から手を放してください!」
「これはいけませんね」
……佐竹の後ろにいた佐藤はしっかり犯行動画を撮影。さらに。俯いた佐竹の尻に伸びていた腕をぐっと掴むと。自分の肩に回した。
「田中先生、佐竹先生は次の授業の準備がありますので、私が肩をお貸しし、手当も致しましょう」
「さ、佐藤先生……」
目の前の獲物が焼きたてのローストビーフから、冷めて固くなったフライドポテトになったかのように不機嫌顔になる田中先生。ちくしょう……と彼は顔を歪めて舌打ちし、佐藤の申し出を断った。
「いえ、自分で歩けます。そんなに手当が必要なケガでは……」
「いえいえご遠慮なさらず……同年代の田中先生とはぜひお話がしたいと思っておりました」
心配そうに自分を見つめる佐竹と、苦々しい顔の田中に交互に微笑むと。佐藤は小さな声で囁いた。
「先生には男子生徒の写真を撮ってほしいですね」
その一言で、田中先生のだらしなく弛んだ顔に血管が浮かぶ。彼は佐藤を睨んで声を荒げた。
「……勝手に引き出しを開けたのかよ」
「え? 何の事ですか? 私は体育祭のことを言ったのですか。引き出しにも何かあるのですか? 見せていただきたいですね?」
凍り付き、茫然とする田中先生。そんな彼を佐藤と佐竹、さらに佐藤に手招きされた佐竹ファンの男子生徒は、粛々と連行した。
2
その頃。山本の部活の顧問かつ担任でもある高橋先生は、山本をいじめていた鈴木達の担任・木村先生と一緒に校長室に呼び出されていた。彼女の頭を覆う白髪のように白い顔で平謝りする木村先生を、どこか冷めた目で見つめる高橋先生を見て。校長先生は溜息を吐いた。
「高橋先生。今回の件で一番悪いのは鈴木君達だとして……鈴木君達のおかしな点に気が付かなかった担任の木村先生もですが……顧問だった高橋先生にも責任はありますよ」
「は?」
責任、という言葉に。先程まで涼し気だった高橋先生の顔がすこし朱に染まり。膝の上の拳が少し震えだす。それを見てピクン、と腰を浮かせて怖がる木村先生。一方、校長は高橋先生を厳しい目で見つめる。
「練習後に残っている鈴木君達がおかしいと気付かなかったことも、山本君の必死のSOSを受け止めてあげなかったことも、先生のミスです。山本君はもう限界でした。先生が山本君に、鈴木君達へ注意することを約束したのは良かったと思いますが……親や警察に言うなと仰ったのはおかしいです」
「お言葉ですが。あれくらいで弱音を吐く様では将来が不安ですよ。俺は親に包丁で刺されても、家に火を点けられても、先輩にアバラを折られても屈しなかった。その経験が今に生きております。私は彼に強くなってもらいたいのです」
彼は古傷をさすりつつ、校長に反論。普段の明るい表情の奥にどこか暗いものを感じていたのはこれなのか……校長先生は失望と同情が混ざった目で高橋先生を見つめ。木村先生は目をパチパチさせる。困惑する二人を他所に高橋先生は真っ反論を続けた。
「もしこれが女子生徒だとか、病弱な生徒ならまだしも、彼は立派な体格でスポーツテストの結果もいいんですよ? 何とか戦えるはずです!」
「な、何を仰るんですか! まだ戦えって正気ですか! 山本君はもう食事は奢れないと鈴木君達にきちんと断ったのに殴られたんですよ! それだけではなく家にまで押し掛けられて! これは犯罪です! どれだけ怖かったか! どんな思いで高橋先生に打ち明けたか!」
思わず身を乗り出して強い口調で攻め立てる校長。それを見て頭を首ふり扇風機のようにカクカク動かし、目を見開く木村先生。高橋は先生はテーブルに肘をついて顔を乗せ。二人を鼻で笑いながら言った。
「こういう時って人間の本性がでるんですね。押しが弱い上に間抜けで生徒に見くびられる木村先生と、感情論で突っ走る校長先生と……」
どこか腹に一物抱えていそうな感じはあっても、こんな暴言は吐いたことはない…高橋先生らしくない……と首を傾げる校長先生。一方、申し訳ありません……と消え入りそうな声で呟く木村先生は。たまたま視界に入った高橋先生の指を見てため息を吐いた。やっぱり、無い。
「あの……いや、何でもありません」
「なんですか。はっきり言って下さいよ」
目を逸らしてもごもご言葉を発する木村先生を見て、イライラしたように尋ねる高橋先生。木村先生は息を吸うと一気に言った。
「こ、こないだ見てしまったんですがっ! 奥様の不倫相手の名前を叫びながら、進路指導室前のポスターを破るほどお苦しみのところに、うちのクラスの生徒がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたっ!」
思わず高橋先生の手を見て、なるほど、と頷いた校長先生。……いつもの彼なら腹の中を隠してうまく立ち回れるはずなのに、それが出来なかったのはこのせいか……と。それにしても浮気されたのは同情するが、進路指導室のポスターを破くなんて……彼は思わず呆れた目で高橋先生を見た。
「なんだその目は!」
「た、高橋先生! や、やめてください!」
その目付きが気に入らない、と校長の胸倉を掴んで睨む高橋先生。彼はずっとオロオロし続ける木村先生にも血走った目を向ける。
「お前もムカつくんだよ。ボンクラ無能のクソババア! なんで俺がお前のフォローまでしなきゃならねえんだよ! ……俺は一生無能な女の尻拭いをし続けなきゃいけないのか!」
「高橋先生! 鈴木君のことは貴方も同じでしょう!」
よそ見した高橋先生の腕を何とか振り解いた校長。一方高橋先生はつばをペッ! と吐くように言った。
「今回の件だけじゃねーんだよ! こいつがきちんと数学を教えられないからこっそり俺に聞いてくる二年生部員がいるんだ! このクソババアはしょっちゅう問題を解き間違えるから信頼出来ねー――ってな!!」
「え、えええ……ええ…木村先生…そんなことはないですよね?」
申し訳ありません、本当です……とつぶやく木村先生。校長は眩暈がした。もう何が何だか……サッカー部員が部でのいじめを苦に自殺未遂を起こしたから、サッカー部顧問で被害者担任の高橋先生と、主犯生徒のクラス担任の木村先生を呼び出してみれば。高橋先生は『健康な男子高校生なら、恐喝くらいで親や警察に頼るな』という、自分の中の謎ルールを生徒に押し付けてきちんと対応しない。おまけ妻の浮気問題で荒れて器物破損を働く始末。そして木村先生は加害者生徒の犯罪行為に気付かなかっただけでなく、生徒にきちんと勉強が教えられないと言う体たらく。たらいまわしにされてきた暴力教師の田中先生、腹黒い元いじめっこ佐藤先生も含めて、うちの学校はいったい何人教師失格がいるんだ……いや、一番の無能は私なのか……。暗い顔の校長はハンカチで汗を拭うと。引きつった顔で何とか言葉を発した。
「そ、その問題はこのあとで……とにかく山本君と鈴木君のご両親がこられますから……」
一体どんな会議になるんだ……こんな調子で明後日の体育祭は無事に出来るのだろうか……と、一抹どころか日本の砂糖消費量一年分くらいのドッサリとした不安を感じる校長であった。
3
校長が高橋先生に襲われてから三十分後。
「本当に申し訳ありませんでした。山本君を傷つけて、追い詰めてしまって、本当に……。息子は退学させます。今まで奪ってしまった金品もお返しします。時間が掛かるかもしれませんが慰謝料もお支払いいたします。本当に、本当に申し訳ありません……! ほら、お前も!」
ピリピリした雰囲気の校長室で。鈴木の母は鈴木の頭をガシッと掴んで下げさせると。まず山本、次にその両親、そして校長達へ深々と頭を下げた。意外なことに、少し疲れた容貌の鈴木の母親はそれなりにまともであり。息子だけでなく校長達の話もしっかり聞いて、鈴木を退学させ、更生させると誓ったのである。元々穏やかな山本はあっさりとその謝罪を受け入れ。真っ赤な顔で怒っていた山本の両親も、鈴木母の真摯な態度にほだされて態度を軟化させていった。話し合った山本親子は、鈴木が山本にもう二度と危害を加えないこと、奪った金品を返すことの二つを約束してくれるなら慰謝料もいらないし退学もしなくてもいい、という方向になってきたのだが。相変わらず平謝りする鈴木母の横で頭を下げたままの鈴木に、彼らはどこか引っかかっていた。山本はその空気を読み。鈴木に声を掛けた。
「俺は……先輩には退学しないで欲しいです。また一緒に……」
「一緒になんてやってられるか! この偽善者!」
ガバっと顔を上げると。鈴木は真っ赤な顔でテーブルを叩いた。
「みじめなんだよ! お前みたいに恵まれた奴にアッサリ抜かれて俺の一年は何だったんだよ! なん……」
最後まで言葉を言えず、鼻と口を押さえて涙ぐむ鈴木。彼は体を震わせて泣き出した。何も言えなくなる山本。やっぱり反省していない! と憤って立ち上がった妻を宥める山本父。一方、鈴木母親はすみません、と山本を山本両親に会釈すると、鈴木をそっと抱きしめた。
「……おかしくなるまでは海斗が頑張っていたのはわかってるよ。仕事が忙しくてあんまり話を聞いてあげられなくてごめんね」
「……?」
母親の腕の中で、目をパチパチさせる鈴木。そんな彼に母親は諭すように言った。
「でもね、山本君だって才能に胡坐をかかないで頑張ってるのはお前が一番よく知ってるでしょ。私に話してくれたわよね、今年入部した一年生はすごくやる気があるって。それにいくら相手が羨ましいからって殴ったりお金を奪ってはいけない! 海斗! お前はうちに来ていたヤクザと同じことをしてるの! お前に何も悪いことをしていない、むしろ優しくしてくれた山本君を殺すところだったのよ! お前がやった仕打ちはヤクザがお父さんにやったことと同じよ!」
母親の腕の中で青ざめて、息を呑む鈴木。……連帯保証人になっていた彼の父親は、毎日家にヤクザが押し掛けたことによりノイローゼになり、自殺していたのである。『相続放棄しろ』という小さな走り書きを遺して。言い終わって十秒後。母親はすっと鈴木から離れ。彼の肩に手を置くと、目を真っ直ぐに見つめて言った。
「お前は、本当は賢い子だからわかるよね。……山本君にきちんと謝りなさい」
鈴木はこくん、と頷くと。母から受け取ったハンカチで顔をゴシゴシと拭き。清流であらったかのようにすっきりとした顔で山本を見た。
「山本。本当に悪かった。もう二度とこんなことはしない。今までおごってもらった金も、奪ったものも返す」
「わかってくれたならもういいです。俺も、無神経なところがあったかもしれないし……先輩……また一緒にサッカーできま」
「サッカー部は辞める。学校もやめて働いて、母さんを楽にさせたい」
もう反省してくれれば退学なんて望んでいない……と山本もその両親も訴えるが。鈴木親子はけじめだ、一度言った約束は守ると主張し。この場で退学届けを出すと言い出した。校長は慌てて口をはさんだ。
「こ、高校中退の人間を雇ってくれる会社は少ないですし、金品も弁償してサッカー部を辞めるならもう充分では……」
「体に悪くない仕事ならなんでも……それすらないならボランティアでも何でもいいんです。もし一年たっても反省の心を忘れなかったと判断したら、また違う高校を受験させますから。御心配には及びません。……こちらがひどい事をしたのに、山本君も、山本君のご両親も、校長先生も、こんなに心配してくださってありがとうございます。本当なら警察に突き出されて当然のことなのに、寛大な対応をしていただいて、本当に……」
「働けば授業料も貯められるし、バイトを再開するのもいいかなって思います」
そう朗らかに言い放ち、素直に頭を下げる鈴木。同じ頭を下げるのでも、最初の渋々といった感じではないのが、山本達にも手に取るようにわかった。入学当初の部活オリエンテーションのように、すっきりとした、爽やかな先輩に戻った……そのことに胸を撫で下ろしつつも困惑する山本。最初は退学させろ! と騒いでいたのに、気が付いたら退学阻止に回りはじめていた両親。高橋先生はイライラしたようなため息を吐いた。
「お前、この学校に居辛いから逃げるのか」
「……はい。正直言ってそれもあります」
素直に頷く鈴木を、高橋先生は目にも留まらぬ速さでぶん殴った。不意打ちをくらってふっとぶ鈴木。取り押さえようとした校長もふっとばし、慌てて立ち上がった山本やその両親が残像を掴む間に鈴木に近寄り。さらにもう一発……と高橋先生が手を振りかざした時。鈴木に駆け寄っていた鈴木の母は、キーパーのように両手を広げて鈴木の防壁になった。
「母ちゃん! 危ねーよ!」
「山本君とそのご両親にしか、この子は殴らせません!」
高橋先生はその母親の凛とした目を見て、拳を下すと。ペタン、と座り込んだ。
「俺の母は、いっつも俺に愚痴をこぼすか、なぐるかのどっちかだった。俺も、こんなかーちゃんが欲しかった……!」
高橋先生は両手を顔で覆い、ガクガク震えながら泣き出した。やれやれ、と呟いた校長は高橋先生の疲れた肩をポン、とたたくと。ティッシュ箱を差し出した。
3
……駄目教師のその後。高橋先生は授業の評判はわかりやすくて良いということで、カウンセリングを受けることを条件に、厳重注意で終了。次に田中『元』先生は懲戒免職の上に警察に突き出された。佐竹が身を張ったおかげでセクハラの犯行現場動画をおさえたし、机のUSBメモリー、そして自宅からは女子更衣室の盗撮画像も見つかったからである。そして校長にすすめられて病院に行った木村先生は、まだ58歳だというのに痴ほう症が発覚。彼女は元々お嬢様であり、夫も息子たちも社会人で金銭には困っていない、ということで、退職金は固辞して高校を去った。代わりに新卒の教師が来ると言う。
……いろいろあったが、結局無事に体育祭は行われることになった。スッキリと晴れた青空の下。校長は元気そうな山本、そしてスッキリした表情の鈴木を見て微笑んだ。……結局、鈴木はサッカー部を辞め、バイトを再開した。そしてサッカー以外の新しい夢を探すと言う。
『才能もあって努力家の山本に負けるのは仕方ないけど、母ちゃんにもキーパーとして負けるようじゃ俺はキーパーに向いてない。他のポジションも今更だし、サッカーは潔く諦める。バイトして金を稼いで山本から恐喝した金を返して、それから学費も稼ぐ』
と、彼は山本と校長に語ったのである。
「えーー。本日は……」
『校長先生の話が長くて、倒れたことがあります』
目に隈をつくりつつも、校長は何度も練習したながーい挨拶を始めようとしたのだが。彼は峰子の言葉を思い出し。苦笑いして腕を突き上げた。
「今日はみんながんばりましょう! 以上!」
いつもよりも大きな拍手を聞きながら。校長は朝礼台を降りた。