第十三話 商店街が動く
翌朝、真琴が店に来ると、シャッターの前に人が立っていた。
金物屋の主人だった。七十代、無口な男で、真琴とはほとんど話したことがない。商店街で顔を合わせても、頷くだけだった。
男はエプロンをつけていた。
「手伝う」
それだけ言った。
真琴は少し考えた。
「ありがとうございます」
シャッターを上げた。
――――――
八時までに、さらに三人来た。
煙草屋の女将。食料品店の元店主、閉店したが近くに住んでいる。それと、真琴が名前を知らない、商店街の並びに住む五十代の女性。
全員、エプロンか割烹着を持ってきた。
中川と村井も来た。坂口も来た。現場が雨で止まっているからだ、と坂口は言った。
真琴は厨房に全員を入れた。
八人いた。
狭かった。でも動けた。
――――――
館長から食材が届いた。
近隣の農家から集めたものだった。大根、人参、牛蒡、里芋、白菜。それと、卵が三十個。
真琴は食材を見た。
昨日と同じ豚汁では、避難している人たちが飽きる。
変える。
根菜は昨日より大きく切る。食べ応えを出す。卵は茶碗蒸し(ちゃわんむし)にする。手間はかかるが、老人と子どもに向いている。おにぎりは昨日より種類を増やす。梅、鮭、昆布。
真琴は全員に指示を出した。
金物屋の主人は無口だったが、手が早かった。大根を正確な大きさに切った。長年、金物を扱ってきた手だった。
煙草屋の女将は卵を慣れた手つきで割った。
「茶碗蒸し、久しぶりに作るわ」女将が言った。「昔、店でやってたから」
「どんな店ですか」
「小料理屋。もう三十年前に閉めたけど」
真琴は女将を見た。
それは知らなかった。
「出汁の配合は、どうされていましたか」
女将は少し驚いた顔をした。それから嬉しそうな顔をした。
「昆布と鰹の合わせ出汁。椎茸は入れない。すっきりさせたいから」
「今日は椎茸の出汁が多めにあります。どちらがいいですか」
「半々にしましょう。旨味が重なる」
真琴は頷いた。
「お願いします」
――――――
昼前に炊き出しの準備が整った。
昨日より品数が多かった。豚汁、茶碗蒸し、おにぎり三種。それと、白菜の浅漬けを女将が作った。
坂口たちが公民館に運んだ。
真琴も行った。
公民館に入ると、昨日より人が増えていた。四十人以上いた。近くの地区からも避難してきたらしい。
配り始めると、昨日来た老婆が真琴に近づいてきた。
「あんた、昨日も来てたね」
「はい」
「弁当屋さん?」
「商店街の店を預かっています」
老婆は真琴を見た。
「昨日の豚汁、旨かった。体が温まった」
「よかったです」
「今日も来てくれると思わなかった」
真琴は返事をしなかった。
老婆はおにぎりを受け取って、戻っていった。
――――――
帰り際、館長がまた真琴に声をかけた。
「桐原さん、今日は人数が増えましたね」
「商店街の方が手伝ってくれました」
「商店街が動いたんですか」
「来てくれました」
館長は少し考えた。
「明日、市の担当者が来ます。物流の回復の見通しを話してくれると思います。ただ、チェーン系の弁当屋は当面難しいようで」
「そうですか」
「地元の店が頼りです」
真琴は頷いた。
――――――
店に戻ると、手伝ってくれた人たちが片付けをしていた。
金物屋の主人が鍋を洗っていた。煙草屋の女将が厨房を拭いていた。
真琴は全員を見た。
この人たちは昨日まで、シャッターの向こうにいた。真琴と話したことがなかった。
でも今日、同じ厨房で動いた。
真琴は言った。
「ありがとうございました。明日もお願いできますか」
金物屋の主人が頷いた。
煙草屋の女将が言った。
「来るよ。久しぶりに料理して、楽しかったから」
名前を知らない五十代の女性が言った。
「私も。何か持ってくるものはありますか」
「家に保存食があれば」
「漬物があります。持ってきます」
真琴は頷いた。
「助かります」
――――――
夜、一人になってから、藤田に電話した。
「藤田さん、商店街が動きました」
少し間があった。
「……そうか」
「金物屋さんと、煙草屋さんと、他にも何人か。厨房に入ってもらいました」
「うちの厨房に」
「はい」
また間があった。
「狭かっただろう」
「狭かったです。でも動けました」
藤田は少し笑った。電話口でもわかる笑いだった。
「そうか」
「明日も炊き出しを続けます」
「わかった」藤田は少し間を置いた。「桐原さん」
「はい」
「無理するな」
「しません」
「……嘘をつくな」
真琴は少し止まった。
「善処します」
藤田はまた笑った。
「退院したら、礼を言いに行く」
「待っています」
電話が切れた。
真琴はしばらく受話器を持ったまま立っていた。
――――――
その夜、結衣が珍しく起きていた。
真琴が帰ると、テーブルで本を読んでいた。
「おかえり」
「ただいま。もう寝る時間だ」
「うん」結衣は本を閉じた。「お母さん、今日も炊き出し?」
「そう」
「商店街の人も来たって、坂口さんが言ってた」
「来てくれた」
結衣は少し考えた。
「みんな来たの。お母さんのところに」
「来てくれた」
「なんで」
真琴は少し考えた。
「わからない」
「お母さんが頑張ってるから、じゃないの」
真琴は返事をしなかった。
結衣は立ち上がった。
「おやすみ」
「おやすみ」
結衣が部屋に戻った。
真琴は台所で湯を沸かした。
結衣の言葉を頭の中で繰り返した。
お母さんが頑張ってるから。
真琴はそういう言い方をしない人間だった。頑張る、という言葉が自分に向いている感じがしなかった。
ただやるべきことをやっていた。
でも結衣にはそう見えていた。
お茶を入れて、飲んだ。
明日も四時に起きる。
それだけ考えた。
(第十三話・了)




