UFOはホームランボール!
寝られないだろう、と烈火は思っていた。
夜、部室に先輩と二人きり。月が昇っていくにしたがって心臓の音がどくどくと跳ね上がっていく。ふと先輩のほうを向くと、顔が月明かりに照らされていつも以上に白く装飾される。
だが現実は簡単なものだった。
すぐに寝てしまった。腹を出して寝ていた。爆睡だった。思えばあんなに運動した後なのだから当然である。顔に当たる日光を振り払うようにして起きた。昨日買ってあった水とおにぎりを口の中に放って、ごくりと飲み込む。
1人で頷いた。身体を反らして伸びをする。肺いっぱいに空気を吸い込む。
「いくぞ――――っ!」
窓ががたがたと震えたような気がした。心が満ちたような気持ちになって、すくっと立ち上がる。いざグラウンドへ。
赤峰烈火が歩き出す。廊下の洗面器で歯磨きを終えた氷室雪乃がその後ろについてくる。烈火はゆっくりと、しかし堂々と歩を進めた。決して走ってはならない。こういうときは歩くのだ。そういうものだと相場が決まっているのだ。
下駄箱を通る。
そこには城ケ崎美咲がいた。柱に背をもたせて目を閉じている。野球帽を深くかぶっている。えんじ色のぶかぶかなジャージを着ていた。バットを足元に立てて、上から抑えるように手をかけている。
こちらの足音に気づいて、3人で校舎を出る。
グラウンドまでの道で、白鷺浩一郎と合流する。白いストレッチ素材のジャケットを羽織っていた。今日は黒いトレーニングシューズを履いている。顔を見なくてもその覚悟が分かる。
そしてグラウンドに出る。
野球部側のベンチには引退したばかりの三年生が集まっている。2つの陣営に漂う異様な雰囲気を感じ取ったためか、鳥たちが高い声を上げてばさばさと飛んでいく。風に吹かれて砂が舞う。
こちら側もベンチに荷物を置いて座る。自分たちが試合を恐れているのか分からなかった。身体がぞくぞくとくる何かを感じている。
試合開始の刻が来た。
烈火が叫ぶ。
「4人しか来てないじゃないかっ!」
オカルト研究部側のベンチには4人しかいなかった。
そのときスマホが鳴る。バッグの中でくぐもった音が聞こえる。城ケ崎が電話に出る。相槌を打ち、電話を切る。そして深く息を吐く。
「あの……」
城ケ崎が口ごもりながら話し始めようとしたとき、またスマホが鳴る。電話に出て、相槌を打ち、切る。それを4回繰り返した。4回目の電話を切った後、スマホを地面に投げつけた。砂ぼこりが舞い上がる。
「どうしたんですかっ!」
「他のみんなは……下痢で休む」
「高橋も、佐藤も、鈴木もですかっ!」
「ああ……高橋も、佐藤も、鈴木もみんなトイレから電話をかけていた」
「先輩のお友達もですかっ!」
「そうだ……あの音はすごかった……」
偶然にもこのタイミングで重なることがあるのか。野球は9人でするものなのに。誰一人として欠けていい人なんて俺たちの中にいないはずなのに。
雪乃も浩一郎も投げ捨てられたスマホをじっと見つめていた。
あれは、と烈火が相手ベンチを指差す。野球部たちが仮設トイレの前で列を作っている。
「野球部も下痢……?」
あ、と雪乃が声を上げる。
「なんですか、先輩」
「私のせいかも……」
「ペットボトルに下剤でも混ぜたんですかっ」
「そんなことはしてないけど。昨日部室でバットを振り回したから。それのせいだ。呪いで下痢になったんだ」
雪乃が呻くように声を絞り出す。
「私の、私のせいで、」
「勝てる道が見えてきましたっ!」
そう言った烈火の瞳に湛える光を、雪乃は直視できなかった。
*
強食高校のグラウンドに二列、向かい合って並んでいる。かたや9人、かたや4人。観客席には誰もいない。曇天が選手たちを押し込めるように鈍色の影を地面に落としていた。早朝はまだ涼しく、汗が肌にベタベタとつく感じもない。さらさらと汗が流れていく。烈火が喉を飲み込む。
野球部部長が空へ告げる。
「野球部とオカルト研究部の試合を始めます! 礼!」
互いが礼をする。野球部は半分が空に向かって頭を下げることになった。
烈火がマウンドに立つ。浩一郎がホームベース前に座る。
二人はその姿のまま動かなかった。烈火はグラブの中でボールを握ったままである。この様子に野球部側のベンチがざわめく。オカルト研究部側のベンチにも動揺が走る。城ケ崎はベンチから腰を浮かしたり座ったりして気をもんでいた。
「投球練習は……?」
「しないっ!」
浩一郎も自信ありげにゆっくりとうなずいた。それを見て城ケ崎にできることは生徒たちを信じることだけだった。審判が烈火のプレートタッチを確認して、プレイボールとコールする。野球部がネクストバッターズサークルからバットを使ってウォーミングアップしながら出てきた。
一回表が始まる。
バッターボックスに立った三年の彼はにやついた顔でバットを緩く持って揺らしている。
「よかったな、お前らはUFOを見られるぜ。俺がこれから打つホームランをな」
「UAPだ」
浩一郎が素早く反応する。なんだそれ、と彼は心の中で笑う。そして烈火が高く足を上げるのを観察していた。鞭のようにしなった身体からボールがリリースされる。ストライクゾーンど真ん中。しかもストレート。三年は確信を得ていた。
当たる。
バットをフルスイングする。手にはバッティンググローブごしに質量を感じた。顔は緩み、味方側のベンチをにやりと見る。パフォーマンスの用意はできたか? だが、部長の表情は曇っていた。そして気づく。
「ストライク!」
今までのことは妄想だったのだ。手に残った質量も、空に消えていく白球も。キャッチャーミットに収まったボールを見ても信じられそうにない。投げそうになっていたバットを握りなおす。
もう舐めたりなんかしない。1年間のブランクがあると聞いていた。だがそんな情報は今、目の前に現れた事実と比べれば些末なことに過ぎない。見て、打って、走る。それだけなんだ。そしてホームへ何としてでも帰る。
一回表が終わった。
三者凡退。だが、ベンチに戻ってきた烈火が一瞬だけ見せた苦悶の表情に対して雪乃は心配していた。この三者凡退に相当な無茶をしているんじゃないか。
「一番、先輩ですよ」
ああ、と中途半端に返事をして烈火からバットを受け取る。雪乃は受け取ったときの烈火の笑顔を直視できなかった。誰のために笑っているんだ。誰のために燃えているんだ。




