俺はストレートしか投げられませんっ!
明くる日も練習を行なう。試合は明日だ。
始めに城ケ崎は皆を集める。かけているサングラスの縁が夕日を反射してキラリと光る。学生たちは体育座りで先生の言葉を待っていた。
「私は一年前、城春高校野球部の顧問だった!」
「本当ですかっ!」
「……副顧問だった」
「どうして見栄をはったんですかっ!」
「大人にも見栄をはりたいときがある! 生徒の前ではなおさらだ!」
城ケ崎は拳を高くつき上げる。そのまま止まっている姿に雪乃は冷ややかな視線を向けている。
「……先生、続きを」
「だから強食高校野球部の癖を熟知している!」
「なんだってっ!」
「まずは野球部部長の吉田!」
「あの吉田さんのっ!」
「吉田はカーブを投げる前にグラブを少し閉じる癖がある!」
「おおっ!」
その盛り上がりが覚める前に、雪乃が呟く。
「カーブはどうやったら打てますか?」
う、と城ケ崎は声を漏らす。そして、烈火のほうを向く。今日は烈火にカーブを投げてもらおうと考えた。
「俺はストレートしか投げられませんっ!」
「そうか! みんな、カーブは捨てろ!」
そうして練習は始まった。
ピッチングマシンなどオカルト研究部にあるはずもなく、烈火と浩一郎以外はバッティングセンターへ向かうこととなった。
ケーブルカーに乗って町へ降りる。ぽつぽつとある街路灯が陽光の中で懸命に周囲を照らしていた。友香が雪乃の肩に抱き着く。
「なんかさ、試合に勝てる呪物とかないのー」
「あるかな?」
瑞穂のほうを向く。色素の薄い前髪に陽光が透けている。んー、と悩みながら顎に手を当てて考えている。
「必ずボールに当たるバットとか、ボールが吸い寄せられるグラブとか、明日が雨になる人形とか?」
「明日が雨になっても意味ないよ」
「それもそっかあ」
着いたぞ、と城ケ崎先生の声が聞こえる。前を向く。ネットが千切れて垂れ下がり、建物の外観が錆びていて、何よりも暗かった。ぼろぼろのバッティングセンターがそこにあった。
*
烈火と浩一郎はグラウンドに残っている。
二人の距離は60フィート6インチ。烈火の右手にはグラブがはめられている。浩一郎はヘルメットにマスク、プロテクターを着用している。二人はバッテリーを組んでいた。
「俺は今日、三球しか投げないっ! 魂で受け取れっ!」
烈火はゆっくりと右足を挙げると、ゆらゆらと砂埃が立つ。そして投げる。
浩一郎は恐怖した。顔に一直線で向かってくる。速い。プロの投手が投げる球を野球中継では見たことがある。もちろん実際にキャッチャーになると外から見るより速く感じるだろうとは思っていた。しかしその想定を超えた。自分に向かってくる球がこれほどまで速いとは。そしてそれ以上に感じる肉体的恐怖。身体が逃げろと言っている。
だが、逃げられない。いや。恐怖から逃げるという思考に移行するよりも速くボールが飛んできたのだ。反射的にグラブで顔を守る。
プロテクターに直撃した。
夕空。マスク越しにそれを眺めてしまっていた。後ろにぶっ倒れながらそのまま動けなかった。これをあと2球も受けるのか。明日は何球受けなければならないんだ。
浩一郎は、恐怖と同時に違和感を覚えていた。どうして烈火は今日3球しか投げないんだ? どうして左手で投げているんだ?
そして、
「2球目っ! いくぞっ!」
烈火の声で立ち上がる。考えるのはいったん止めにしよう。今は捕ることに集中するんだ。
結果は1球目と変わらなかった。顔めがけて飛んできた球。それにびびってグラブで顔を守る。そして取り損ねる。
1球目と同様の強烈な違和感。2球目で偶然は確信へと変わる。
そして、
そして、どうしてこの球はプロテクターに直撃したんだ?
浩一郎の勘は当たっていた。三球目。それを捕ることに成功する。
*
月明かりが部室に差し込んでいる。烈火は部室で一人、素振りをしていた。柔らかい光を汗が湛えている。それがほの白く輝きながら筋肉の縁に沿って滑っていく。
「残ってたんだ」
その声に振りかえると雪乃がいた。
「先輩も居残り練習ですか?」
「もう筋肉痛で今日は動かないよ」
雪乃は棚の引き出しを覗いては戻していた。生暖かい空気が漂っている。下のほうを見るために膝を抱えながらなにかを探し続けている。耳でたゆんでいた髪がするりと導かれて垂れ下がる。
「何を探しているんですか?」
えっと、と雪乃は言葉に悩む。棚の奥を覗くように突っ込んでいたところから出ようとして頭をぶつけた。痛、と反射的に声が漏れて、恥ずかしがりながら烈火のほうを見る。
「明日のためのね」
その手にはバット。お札がベタベタと貼ってある。見ただけで物々しい雰囲気を帯びていた。
「これを……」
雪乃がバットを構える。そして大振り。綺麗なフォームだ。最初に見たときは腋も開いていたし、軸もぶれていたのに。
綺麗。
「ありがとう」
「声、出てましたか⋯⋯」
バットをもう一振りして、
「このバットは曰く付きで」
「見た目通りですね」
「御礼参りに使われたみたい。先生の血を吸っているとか」
「大丈夫なんですか?」
「野球部は大丈夫じゃないかも」
雪乃は意地悪そうに笑いながら椅子を三脚並べてそこで横になる。腕を枕にして黒髪が膨らんで見えた。
「ここで寝るんですかっ」
「うん……」
烈火は混乱していた。夜、二人きり。どうすればいいんだ。どういうことなんだ。体を冷やさないようになにか身体にかけようと学ランを手に取る。だが、その瞬間に汗のにおいが鼻を刺してそのままバッグに戻した。
「どうして大会なんて開いたの?」
雪乃は唇がこすれるような囁く声で言った。
「どうしてって……」
先輩の……ためですよ。
「言い訳はやめて」
「えっ?」
ぬるい空気がねっとりと肌をなめる。蝉の声は聞こえない。夕方まで聴こえてきた吹奏楽も野球部の掛け声もない。
烈火はゆっくりと、
ゆっくりと、
「俺は……また……燃え尽きたい」
不器用な声がした。
「中学のとき、全国の途中で腕が限界を迎えたんです……そのときから俺の炎は消えてしまった……燃え尽きたんです」
雪乃は目を離さずに聞いていた。
「でも先輩に会って気が付いたんです……俺の心にはまだ黒い炭が残っている……火花を求めているんです……炭は灰になるから空を舞えるんです」
「燃えることだけが人生じゃないよ」
「でも俺の人生は燃えるか消えるかなんです」
そう言って、烈火は床に寝転んだ。雪乃にはその背中がひどく小さく見えた。
「明日、勝ちましょう」
「勝たせてみせますよ」
雪乃には彼の背中がひどく小さく見えた。




