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第19話 王国への帰還


 次の日。エトラスは洞窟の前に座っていた。


((少女の様子はどうだ?))

 氷龍は首を伸ばすと、心配そうな表情で尋ねた。


「さすがに、まだ調子が悪そうです……苦しそうに寝ています」


 卵が覚醒して“影”と“邪の民”が消えたあと、ムルラは苦しみだして倒れる。命に別状はなさそうだったが、お腹を押さえて辛そうにしていた。


 昨日の夜も、エトラスは苦しそうにしている彼女に何度も「大丈夫だよ」と、フサフサの耳を撫でて、そっと抱きしめ、自分の体温で温め続けた。


((そうか……だが、仕方が無い。“氷龍の涙”の力は死を生に変えるが、人間の体はか弱い。壊れた場所が完全に戻るには、もう少し時間がかかるだろう))


 氷龍には表情はない。だが、すでにエトラスは、眼球やまぶた、頬の小さな動きにより、神に近い存在にも感情があることが分かっていた。


「そうですか……ただ、一つ問題がありまして食料が尽きかけています。“氷龍の涙”は空腹も克服できるでしょうか?」


((さすがにそれは無理だな。ならば、“邪の民”の住みかを探すがよい。おそらく、何かの保存食を保管しているだろう……))


「ありがとうございます。早速、探してみます。ですが、もうひとつ気になることがありまして……元王子だった“影の民”ですが、あれ以来見かけていません。あのような姿になると、一体どうなってしまうのでしょうか?」


 エトラスの問いに、氷龍は少し言葉を選んだ。


((そうだな……あの体は人間でも龍でもない。『魂』が魔力によって、むき出しになった存在である。ゲトルドは強固な意識があったが、あの子供の精神力からすると、おそらく体を保つだけで精一杯だろうな……))


「そうですか……」


((“影の民”は、実体に干渉することができない。できるのは言葉で人の心を惑わすことくらいだ。だから、実害はないから安心しろ!))


「分かりました。ではムルラの様子が気になるので、戻ります……」

 エトラスは深く頭を下げると、元に戻っていった。


 *


 エトラスはムルラの様子を見たあと、“邪の民”の住みかがある窪地へ向かっていった。すると、洞窟の奥に沢山の干し肉が置いてあった。


「これだけあれば、何ヶ月も暮らせるな……」

 とりあえずは1ヶ月分くらい手にすると、元の寝床に戻る。


 *§*


 それからしばらく、ムルラは動くことができなかった。


 だが、少しずつは回復している。数日後には食事を取ることが可能になり、さらに数日が経つと立ち上がることができた。


 あの日から1週間後。

 彼女の体調は完全に回復しており、二人は王国へ帰る準備を始めていた。


 *§*


 次の日。二人は荷物を背負って氷龍の前に立っていた。


「お世話になりました。私たちは帰還します……」

((ああ、達者でな。今回のお前たちには感謝をしておる。来年も“涙狩りの騎士”と“共の戦士”がここへ辿り着くことを楽しみにしておるぞ!))


「はい……この天の地での出来事も伝えてよろしいのですね?」

((ああ、当然だ……私は毎年、誰かがここへ辿り着くことを望んでいる!))


「分かりました。では……」

((名残惜しいのは分かるが、日が暮れるぞ……早くゆけ!))


 エトラスとムルラは深く頭を下げると、氷龍の住む大きな洞窟をあとにした。 まずは登ってきた山道へ戻るため、クレータの山を登っていく——


 下り道に差し掛かると、目の前には永遠に続くかのような雲海が、登り続ける朝日に照らされて、どこまでも広がっていた。


「ムルラ……大丈夫? これからしばらくは嵐に入る」

「……うん、もう平気!」


 そうして、尾根を続く道を下っていくと、深い雲の中へ突入していった。


 *


 そこは、強烈な嵐が吹き荒れる世界だった。


 視界はほとんどなく、四方から吹きつける氷のような雪が、容赦なく二人の体を叩きつける。


 だが、“氷龍の涙”の加護を得た彼らは、なぜか進むべき方向が感覚で分かり、どんな過酷な状況でも苦に感じなかった。


「「凄い……何か魔法に覆われている気分だ!」」

「「うん、でも尾根から落ちないように気をつけて!!」」


 二人は互いに手を強く握り合い、下へ下へと歩み続けた。


 *


 夜には、どうにか4合目まで辿り着いた。


 薄い視界の中、風を避けられそうな場所を手探りで見つけると、そこで一夜を過ごすことにした。


 白い吹雪が吹き荒れる世界で、二人は抱き合って眠った。


 *

 

 次の日。辺りが明るくなると、そこから続く氷河を慎重に渡っていった。いくら“氷龍の涙”の加護があるとはいえ、裂け目に落ちてしまえば命はない。


 風に煽られながらも、何度も続く割れ目を越え続ける。そうして、半日が過ぎるとようやく3合目に辿り着いた。


 そこからは、山肌を慎重に下っていった。


 次第に風が弱まり、視界が徐々に開けてくる。2合目を過ぎて尾根を下り続けると、二人の視界には広大な下界の世界が広がっていた


 気がつくと、1合目がある尾根の山頂に到着していた。


「今日は、ここで休もうか……もう嵐も過ぎたし、水も作れる……」

「うん。でも、帰ってきたね!」


 鍋に雪を入れて、氷龍の糞に火をつける。“邪の民”から拝借した干し肉をかじりながら、遠くに映るアシュトラの街明かりを眺めて休んだ。


 *


 この神山に挑戦してから、すでに1ヶ月以上が過ぎていた。

 様々な出来事を乗り越えたが、こうして生き残ることができている。


 二人は目を覚ますと、すっかり軽くなった鞄を背負い、残りわずかな道のりをゆっくりと、確実に下っていった。


 嵐はすっかり消え、視界はこの大陸全体に広がっていた。


「ねえ、エトラスは王国に帰ったらどうするの?」

 無音に変わった道のりの中で、ムルラはもじもじと尋ねた。


「そうか、帰ったあとのことは何も考えていなかった……」

「ねえ聞いて、私には婚約者がいるの! 知っているでしょ!」


 ムルラは握っていた手を強く引っ張ると、エトラスは少しバランスを崩し、驚いた彼女は、彼を抱きかかえて止めた。


「ご、ごめんなさい!」

「ハハハ、そうだね。まさか生きて帰れるなんて考えてもなかったからさ……でも、この先は考えていかないとね!」

「そう……私も、いずれヤトルに帰る必要があるの……」


 二人は立ち上がり、一面に広がる白い雲の世界の中、坂道を下っていった。


「君の里の掟だと、王国民と暮らすことはできないんでしょ?」

「うん……おそらく“氷龍の涙”の栄誉があっても難しいと思う……でも、それってどういうこと?」


 その言葉に、彼女の表情は大きく変わった。


「私の本心は、君と過ごしていきたい。この先どうなるか分からないけど……いや、フフフ、次の挑戦か。私は“涙狩りの騎士”だ。常に何かに挑まないとね!」


「うん、じゃあ私は“共の戦士”。エトラスと共にするのが役割!」


 ムルラは再び手を引っ張ると、エトラスはバランスを崩して彼女の元へと倒れ込む。そして、そのまま雪の斜面を抱き合いながら滑っていった。


「ハハハハハハ!!」

「フフフフフ!!」


 そして、二人は大の字になって寝転がっていった。


 *§*


 その日の夕方、アシュトラへと向かう谷間を二人が歩いていた。


「おい、大変だ!! “涙狩りの騎士”が戻ってきたぞ!!」

 アシュトラの外壁上に立つ門番が、二人の姿を確認すると大声で叫んだ。


 その言葉は直ちに都市全体へと伝わり、アシュトラの全ての民は、新たに誕生した英雄を迎えるために集まってくる——


 次第に門が開かれると、その奥には歓声を上げる民衆の姿が見えた。


「ムルラ……アシュトラの民が、私たちを歓迎している!」

「本当……」


 出発のときには関心を示していなかった部族の民たちだが、今では湧き上がるように二人の成功を祝っている。


 その人混みの中から、一人の青年が走るように駆け寄ってくる。


「おい、エトラス、ムルラ!! 無事だったか……長い間、戻らなかったから心配していたぞ。ひょっとして、“氷龍の涙”を手に入れたのか?」


 状況を把握しきれていない彼は、半信半疑の表情で二人の前に立ち止まった。


「「ターズ。紆余曲折あって、登るのも手に入れるのも時間がかかった。でも、手に入れたよ……」」


 エトラスは手のひらを上に向けて広げる。すると、そこからは光の結晶体が浮かび上がった。


 水色で、キラキラと太陽の光を反射していて、涙のように形状を変化し続けている。まさしく、それは魔法と呼べる神様の授かり物だった。


「「くゅうぅぅぅぅぅぅぅうぅぅぅ!! 親父と違って俺の鍛え方は正しかった!! さあ行こう! 掟により、お前らはアシュトラの名誉市民に変わった。これから俺たちは家族だ。さあ、宴が始まるぞ!! 覚悟しろよな!!」」


 ターズの先導のもと、人々の歓迎を受けながら進んでいくと、二人はアシュトラの都市の最奥にある王宮へと案内された。


 「“涙狩りの騎士”、“共の戦士”よ、帰還を待ち望んでおったぞ。本当に“氷龍の涙”を手に入れたのだな?」


 中へと案内されて玉座の前に座る。すると、王は興奮しながら訪ねていた。


「はい……これが証拠になります」

 エトラスは手を掲げ、水色の光の結晶体を浮かび上がらせる。


 その様子に、側近の者たちは「「オオォ〜〜〜〜」」と声を上げた。


「エトラス、ムルラ。お前たちは、これよりアシュトラの市民として迎え入れる。帰還までの数日間、この地で体を休めてくれ」


 それからは、アシュトラの部族総出での祭りが続いていった。


 貯め込んでいた香辛料を惜しみなく解放すると、香ばしい山ヤギの肉料理が振る舞われる。人々は太鼓に合わせて踊りはじめて、都市全体が賑わっていった。


 夜になると行事が始まり、二人は部族衣装に包まれ再び王宮に呼ばれる。


 エトラスは片膝をつけて、自身の剣を王へ献上する。その儀式をもって、アシュトラと王国との長い間断たれていた『絆』が復活した。


 それからは、祭りの音色が三日三晩続いた。


 *§*


 数日後。

 エトラスとムルラ、そしてターズを含めた護衛たちは、山道を歩いていた。


「なあ、エトラス……お前たちは、もう戻らないのか?」

「……次の“涙狩りの騎士”の話か?」


「ああ、そうだ。お前たちの国の事情は知らないが、我々アシュトラは二人の帰還を願っている。まあ無理でも……将来、こっそりでも来てくれたら歓迎するさ!」


 短い時間だったが、二人の滞在は閉鎖的な民に様々な影響を残していた。


「済まないけど、帰ったら帰ったでやるべきことができた。だから、もう来られないだろう……でも、次からは私たちの経験が生かされて、状況も変わると思う」


「そうか、残念だが……遠くにいたとして、俺たちは家族だからな!」

 彼らとは短い付き合いだったが、同じ価値観を共有する仲間でもあった。


 アシュトラの道をさらに戻っていくが、途中で他の部族民の姿を見ることはなかった。一つの山を越えると、やがて大きな川が見えてくる。


 そこから2日だけ共に進むと、別れが訪れる。


「ここまでくれば安全だろう。じゃあ達者でな!」

「ああ、ターズ……ありがとう。来年の“涙狩りの騎士”もよろしく頼む」


「ああ、任せろ! ムルラも……色々あると思うが、頑張れよ!」

「うん、ありがとう……」


 ターズは二人と固い握手をしたあと、元の道へと戻っていった。


 *


「ターズ、いいのか? 国境まで、まだ1日分の道のりがあるぞ?」

 彼らの帰り道、一人の護衛がターズに訪ねる。


「おそらく、自国に入ったら歓迎の儀式で忙しくなる。俺は気が利くから、二人の時間を作ってやったのさ……ああ、いいなぁ。次も狼獣族の女子が来ないかな?」


「それは、俺たちも願うが、結局エトラスのように“涙狩りの騎士”が、かっさらっていくのだろ?」

「だったら、女子おなご二人で来ればいい。それならば俺たちにも可能性はあるだろ?」


「ハハハ、ならば、その時は俺も参戦するからな!」

「俺もだ! 狼獣族なら最強の子孫を残せる!」


 あの戦いを影で眺めていた護衛たちは、ムルラの戦いぶりに、すっかりと惚れ込んでいた様子で……皆はそれぞれに、未来の想いを語りながら、アシュトラの都市へと戻っていった。


 *§*


 その日の夜。国境を越えて最初に野宿をした場所に辿り着く。


「今日はこの場で休もう……」

「うん」


 ムルラは、川で魚を捕まえて山菜を集める。エトラスは、焚き火を作ると鍋に干し肉と山菜を入れてスープを作った。


 そうして、虫の声が響く中で夕食を済ませた。


「ねえ、エトラス……あのあと話せなかったけど私の婚約の話。私はヤトルに戻ったら……いずれ誰かと、つがいにならないといけないの……」


 彼女は、この話を切り出そうかと悩んでいたが、何気ない会話が終わった際に決心して一度うなずくと……静かに話しかけた。


「……そうだね。私も、あれから考えていた」

「うん……」


 その時、ムルラの大きな瞳は、エトラスを映し出している。


「正直、何ができるか分からない。でも……誓うよ。“氷龍の涙”を王国に持ち帰れば何かの褒美を貰える。それを利用して、私は君に近づく。何年かかるか分からないけど、それまで待っていてくれ……絶対に迎えに行く!!」


 真剣な眼差しで告げると、ムルラの瞳からは大粒の涙が浮かび上がっていった。


「うん……待っている!」

 彼女は、感極まって顔をくしゃくしゃにしながら、エトラスの目線から目を逸らす。そして、何度も何度も涙を拭っていった。


 こうして、“涙狩りの騎士”と“共の戦士”は、最後になる二人だけの夜を……共に、静かに、過ごすことになった。

 

 *§*


 次の日。太陽が真上に上がる頃、エトラスとムルラは国境を越えていた。


 最初は誰一人見かけなかった。だが、一人の山岳部族が二人を見つけると、どこかへ走り去り、数人を連れて戻ってきた。


「今年の“涙狩りの騎士”よ……“氷龍の涙”は手に入れたのですか?」

 一人の男が、二人の前に立ち止まって尋ねる。


「はい、これが“涙”になります……」

 すると、エトラスは手を上側に広げて、水色の結晶体を浮かび上がらせた。


「「す! 素晴らしい!! 皆聞け!! “涙狩りの試練”は達成された!! 祭だ!! 全部族、総動員で祭を行うぞ!!」」


 男の叫びに応じて、部族の民が次々と集まってくる。


 それからの二人の帰還は、想像を超えるほど長く、そして……華やかな行程へと変わっていった。


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