084 合流
「……というわけで、こうしてまたオーナーの元に帰ってくることができたのです」
「なるほど、あの女神のおかげだったのか」
ヒルキの町に向かう途中で、啓は体調が回復したシャトンからこれまでの経緯を聞いた。
なお、シャトンが避難せずにフェリテに残っていた件については、啓が諸事情でシャトンに説明できなかったことが多かったせいでもあるので、「次からは命を第一に」とだけ言ってお咎めなしとした。
「オレは危うく、シャトンを一生不自由な体にしてしまうところだったんだな。申し訳ない」
シャトンの復活にシェラフィールが力を貸さなければ、シャトンの魂はバルダーの攻撃によって深く傷ついた元の体にそのまま戻されていた。
そうなれば、シャトンは歩くことも物を見ることもできないほどの、ひどい後遺症を背負ったまま生きていかなければならなかったのだ。
しかし、当のシャトンは「私はそれでも構わなかったのですが」と何故かケロッとしていた。
今、シャトンはシェットランドシープドッグではなく、人の姿で啓達と話をしている。服は多少ブカブカだが、ミトラの替えの服を借りているので裸ではない。
「ただ、女神様は人の蘇生は二度としないようにと言いました。オーナーへの伝言も預かってます」
「伝言を預かった?」
「はい……これをみてください」
そう言うとシャトンは、啓に背を向け、服を捲り上げて背中を見せた。
啓はシャトンの説明を疑っていなかったので、口頭で言われても信じたのだが、女神は用意周到にも、完璧な証拠を残してくれていた。
「何これ?」
「ケイ、これは文字なのか?絵記号にしか見えんが」
一緒にシャトンの背中を覗き込んだミトラとサリーは首を傾げた。しかし啓だけは小さく溜め息を吐いた後、書かれている内容を理解したことを伝えた。
「これは日本語という、オレの生まれた国の文字だよ。こんなものを書けるのは、あの女神様しかいないだろうな。おまけにあの女神様らしい、くだらない冗談付きだよ」
シャトンの背中には、日本語でこのように書かれていた。
『今度、人を生き返らせようとしたら、不良航法による罰則の上、即日帰郷ですよ』
啓は皆に読んで聞かせたが、ミトラとサリーはさらに頭の角度を深めただけだった。
それもそのはず、その文言は競艇を知っている者にだけ理解できる言葉なのだ。この場では当然、元ボートレーサーの啓にしか通じないだろう。
「要するに、最も重い罪に問うと書かれていると解釈してくれていいよ。全く、相変わらず競艇好きなんだな、あの駄女神は」
「ケイも相変わらず女神様に不敬だな」
「私も、あの女神様には心からの尊敬を抱くことができないです。サリー様も、一度お会いすればお分かりいただけるかと……」
シャトンもシェラフィールには何か思うところがあるらしい。
きっと雑な扱いでも受けたんだろうと啓が思っていると、シャトンの背中に書かれた文字が徐々に薄くなり、やがて完全に消えた。啓が目を通したことで、文字はその役目を終えたと判断されたのだろう。
女神の御技の無駄遣いだと啓は思ったが、サリーの手前、口に出すのはやめておいた。
「シャトンを信じていなかったわけじゃないが、これでシャトンが間違いなく、あの女神に会ってきたことが証明されたわけだ。こうして再びシャトンに会わせてくれたことには感謝しないとな」
「はい。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
「えっ?」
服を直したシャトンは、まるで嫁入りするような言い回しと共に、啓に深々と頭を下げた。
「だって、オーナーは一生私の面倒を見てくれるのでしょう?結婚してくださるのでしょう?」
「えっと……オレ、そんなこと言ったか?そりゃ、フェリテの店長は、シャトンさえ良ければずっと任せるつもりだったけど……」
「なんだか歯切れが悪いですね。オーナーは私が死にかけていた時に『責任は取る』と言ってくれたじゃないですか」
口ごもる啓にシャトンが畳み掛けた。
シャトンが元の不自由な体に戻っても構わないと考えていた理由は、まさにこの言葉を信じてのことだったのだ。
啓は少し考えた後、その時に思っていたことを正直に告げた。
「責任を取ると言ったのは、もしもシャトンが生ける屍みたいになってしまったら、その時はオレが責任を持ってシャトンにとどめを刺すという意味で、結婚するという意図ではなく……」
「……」
シャトンの機嫌はしばらくの間、悪いままだった。
◇
啓達がヒルキの町に向かうことにしたのは、幾つかの理由があった。
チャコとノイエの偵察によると、オルリック軍は、ユスティールとヒルキを結ぶ街道の途中で前哨基地を作り、アスラ軍の侵攻を食い止めようとしていた。
つまり、ユスティールはアスラ軍の手に落ちたものの、ヒルキはまだ攻められていないということになる。
だから啓達は、ひとまずヒルキに向かうことにしたのだった。
オルリック軍の前哨基地では、アスラ軍を迎え撃つための準備を完了していた。とはいえ、戦力差とこれまでの戦いぶりを考えれば、オルリック軍の勝ち目は薄い。
それを分かっているオルリック軍側も、あくまで縦深防御に徹し、本国からの応援部隊が到着するまで時間を稼ぐつもりだった。
一方のアスラ軍も、敵が時間稼ぎをしてくることは予測していた。だからアスラ軍は、これまでの戦いでも苛烈な攻撃でユスティールを押しまくってきた。
オルリック軍の見立てでは、アスラ軍はすぐにヒルキ方面にも攻め入ってくると考えていた。もしそうなれば、今頃ヒルキの町が戦地になっていたことだろう。
しかし、アスラ軍は何故かその足を止めていた。だからこそ、啓達はヒルキに向かうことができたのだが、アスラ軍が進軍を止めている理由はオルリック軍にも、啓達にも分からなかった。
実はこの時、アスラ軍では、部隊再編成の必要が発生していたのだった。
「グレース殿がカナートに帰っただと?」
「はっ」
アスラ連合軍のユスティール方面侵攻司令官は、副官からの報告にしかめ面で応えた。
「何故だ。我らに協力しにわざわざ来てくれたのではないのか?」
「それが、用事が済んだとのことで」
「なんの用事なんだか……待て、もしかして黒曜騎も連れて帰ったのではあるまいな?」
「もちろん、連れて帰りましたが」
「なんだと!貴様、何故行かせた!」
司令官は机を叩き、副官に向かって怒鳴った。
グレースが単独で帰る分には構わない。むしろ他国の役付きなど、さっさと帰ってくれた方が余計な気遣いをしなくて済む。
しかし、黒曜騎の帰還は想定外だった。
最初は、わずか十数機の小型バルダーが参戦したところで、たかが知れいていると思っていた。カナート王国との共同作戦という体裁のためだけのポーズだとさえ考えていた。
しかし蓋を開けてみれば、黒耀騎のバルダー軍団は想像以上の戦果を上げた。
オルリック軍とユスティール警備隊の混成部隊は、アスラ連合軍よりも数こそ少なかったものの、かなり手強かった。
黒耀騎が参戦していなければ、未だにユスティールは落ちていなかったかも知れない。そう言わしめるほど、黒耀騎の部隊は強かった。
そのため、この先の侵攻作戦でも、黒耀騎を中心に部隊編成をしていた。しかし、グレースと黒耀騎が引き上げてしまったのであれば、編成を大幅に変更しなければならない。
「ちょっと奇襲を受けたぐらいで怖気付いたのか?これだから女は……」
司令官の発言に、今度は副官が顔をしかめた。女性蔑視発言に嫌悪感を抱いたと言うより、この上官よりもグレースのほうが好感を持てるという意味合いのほうが強かったが。
グレースからは数日前に「街に潜んでいたユスティールの奇襲部隊に襲われて、後方で控えていた黒耀騎のバルダーが三機倒された」という報告が上げられていた。司令官の言う奇襲というのはこのことを指してのことだ。
奇襲ぐらいであの黒耀騎が三機も倒されるとは信じがたいことだったが、もしもこの先の戦いでグレースが死亡したり、黒耀騎が全滅でもすれば、カナート王国との関係に悪影響を及ぼさないとは限らない。
だから副官は、司令官の思惑とは裏腹に、今のうちに国に帰ってもらえて良かったのかも知れないと考えていた。
「今更呼び戻すこともできまい。さっさと部隊を再編成して、侵攻を再開しろ!」
こうしてアスラ侵攻軍は急な部隊の再編成作業を行うことになり、結果として侵攻の遅れに繋がったのだった。
◇
ヒルキの町に到着した啓達が、町の住人に出迎えられることは無かった。
ユスティールからの避難民をはじめ、ヒルキの住人も全て、既に西に向かって避難していたため、町は「ほぼ」無人だったからだ。
無人の通りをキャリアでしばらく進むと、突然、サリーが歓喜の声を上げた。
「見てくれ!私の輸送車だ!」
サリーが指差す方角には、一台のバルダー用輸送車と、小型の自走車が停車していた。バルダー用輸送車のほうは、確かにサリーの私物の輸送車であり、啓もサリーの家で見たことがあった。
「約束通り、ザックスが手配してくれたんだな。良かったな、サリー」
「ああ。ありがたい。久しぶりにカンティークに会える……」
サリーは感極まった表情を浮かべた。
啓達がヒルキの町に向かうことにした最大の理由は、サリーのバルダーの回収のためだった。サリーのバルダーは、エレンテールからヒルキに向かう道中で出会ったザックスが、後からヒルキに運んでくれるように手配していてくれたのだ。
なお、ここでサリーが言ったカンティークとは、サリーが自分のバルダーに付けていた名前である。そのバルダーの操作に使用していた魔硝石から生まれた猫にも、同じくカンティークと名付けているため、若干紛らわしいこともあるが。
啓が自走車の横にキャリアを停めると、自走車から二人の男が降りてきた。二人とも、ザックスが経営するロッタリー工房の職員で、啓も顔に見覚えがあった。
啓達もキャリアから降り、二人と握手をして、サリーのバルダーを運んできてくれたことに礼を言った。
無事にバルダーの引き渡しを終えたサリーは、二人に心付けを渡した。二人は満面の笑顔で自走車に乗り込むと、エレンテールに向かって去っていった。
今度こそ、啓達を除き、ヒルキの町は完全に無人となった。
「さ、これからどうする?」
ミトラが腕をブンブンと振りながら啓に尋ねた。尋ねたと言っても、ミトラの目には確信の光が宿っていた。
啓は小さく頷いた後、サリー、シャトン、そして動物達を順に見回した。
キャリアの前には、動物達を含めた全員が集まっていた。この場にいるのは人間が四名(うち一名は犬とのハイブリッド)、バル子とカンティークを含め猫が二十二匹、ハチドリ一羽、カラス一羽、スカンク一匹、蜂四匹。大小さまざまだが、なかなかの大所帯だった。
啓は一呼吸入れてから、皆に向かって意見を述べた。
「シャトンと動物達は助けた。サリーのバルダーもこうして無事に回収できた。ならば次は、サリーの望みを叶えたいとオレは思う」
「あたしも賛成。サリー姉はあたしの特訓に付き合ってくれたし、今度はあたしが恩返しする番だわ!」
「バル子はご主人の意向に従うだけです。なんなりと」
「カンティークも同意見です」
「ニャッ!」
「ニャニャッ!」
「ミュッ!」
「ガアッ!」
「えっと、ティルトは「もちろん」、アルトは「当然よ」、ミュウは「任せて」って感じで……とにかく動物達も賛同してくれています。もちろん、私もお手伝いします」
「シャトン、通訳ありがとう。でもあまり無理しないようにな」
動物達の言葉が分かるようになったシャトンは、軽く頭を押さえながら動物達の言葉を代弁してくれた。
「ケイ、それにみんな、ありがとう」
皆の反応に、サリーは深く頭を下げて礼を言った。
「で、サリー。オレ達は何をすればいい?」
サリーの望みは分かっているが、啓はサリーの口から言ってもらいたいと思い、あえてサリーに聞いた。
サリーは一度笑顔を浮かべた後、すぐに顔を引き締め、皆に向かって言った。
「レナ達を助けたい。そして、ユスティールを取り返したい。だから、みんなの力を貸してほしい」
◇
二日後、アスラ軍による侵攻が再開した。迎え撃つオルリック軍は、最初から防戦一方となった。
レナが率いる、ユスティール警備隊によって編成された小隊も、殺到してくる敵バルダーに苦戦し、徐々に戦線を下げていった。
『レナ隊長、どうします?被害が増える前に、とっとと後退しますか?』
戦闘中のレナに部下からの連絡が入る。レナ自身は敵のバルダーを三機撃破しているが、戦況は未だに自軍が不利なままだ。
『他の部隊が下がるのに合わせて我らも後退する。だからもう少し……』
『隊長!後方から正体不明のバルダーが!』
部下からの報告に、レナは頭から血の気が引くのを感じた。ここで敵に挟撃されれば小隊が全滅するかも知れない。
いつの間に敵に背後を取られたのかは分からないが、それを悔やむよりも行動すべきとレナは考え、小隊長として責任を果たすことにした。
『後ろのバルダーは私が引き受ける。皆は他の部隊と連携して、前方の敵に対処しつつ、退却の準備をしてくれ。頼んだぞ』
『隊長、待ってください!そのバルダーは……』
レナは部下の制止を振り切り、バルダーを後方に向けて走った。
背後を取られたのは隊長である自分の失態。ならばせめて、部下の命は身を盾にしても守ってみせる。
レナは覚悟を決めて、後方からやってきた二機のバルダーの前に立ち、武器を構えた。
『隊長、聞いてくださいって。正体不明のバルダーには違いないですけど……』
バルダーに対峙したレナは、目を潤ませ、操縦桿を握る手を震わせた。
それは恐怖によるものではなく、歓喜だった。
『そのバルダー、オルリック王国の旗を掲げているんですよ』
レナは目の前の、王国旗を掲げるバルダーを知っていた。片方はレナもよく知っているバルダーであり、もう一機も、ロッタリー工房で製造された新型バルダーのはずだ。
『だから隊長、そのバルダーはもしかしたら味方かもしれないです』
『かもしれない、ではなく、味方だ。それもただの味方じゃない』
白い機体に金色の鮮やかな縁取りがされたバルダーは、レナの親友であるサリーのバルダーに間違いなかった。
そしてもう一機の、全体的に細身で丸みを帯びた青白い機体は啓のバルダーだったはずだ。
『隊長、ただの味方じゃないとは?』
『ああ。ただの味方じゃない……最強の助っ人が来てくれたぞ!』
レナはその言葉を、小隊同士の通信だけではなく、拡声器を使って周囲一帯の敵味方に響かせた。
皆、無事にヒルキに到着しました。
サリーはバルダーを回収してご満悦です。
次回、啓とサリー、そしてミトラや動物達も参戦です。
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