六十三話 不倒のその先に
★★★★★
ゆっくりと目を開けると、見慣れない天井が映った。
薄暗いその空間には、わずかに差し込む光に照らされながら埃が踊っている。
見渡すと、いくつもの錆びた鉄骨があちこちにあり、蜘蛛の巣が至るところに張り巡らされている。
どうやら俺はどこかの部屋にいるようだった。
ここはどこなんだ。
何も思い出せねえ。
俺はいったい―――。
『さようなら、ギンガ君。来世でまた会おう』
最後に聞いたあの言葉がフラッシュバックする。
「ッ!! そうだ、俺は―――!! サチ、レント!!」
起き上がろうとした瞬間に感じたことのない激痛が体を襲う。
それに加え、体が麻痺しているかのようにしびれている。
「ッハ! 冗談じゃねえ!! こんなもん―――」
痛みをねじ伏せながら立ち上がろうとした時だった。
「まじかよ、その体で立てんのか。毒だってまだ完全に抜けきってないのに」
見るとそこには小太りの青年がいた。
一見するとみずぼらしいデブだが、その脂肪の下には引き締まった筋肉があるのが分かった。
ただモノじゃねえな。
「誰だ、てめえ」
「落ち着けって、そんな身構えるな。俺はファーデル、ここらへんのゴミ山漁ってたら、お前が埋まってたんだよ。最初見つけたときは死んでるかと思ったんだが、しきりに『コロス、コロス』ってうわ言ばかり言ってやがってな。見捨てたら呪い殺されそうだから、ここまで運んできてやったんだぜ?」
「……」
「まったく、命の恩人に殺気なんて向けるもんじゃねーぞ? 一か月も俺の布団、占領しやがって」
心臓がドクンと脈打つのが分かった。
今こいつはなんて言った。
「一か月……だと!?」
ありえねえ。
この俺がそんな長く意識を飛ばしてるわけがねえだろ。
「いや、ほんとに。何度も死んだかと思ったけど、その度に叫びやがって。どんな生命力だよ。普通のやつだったら死んでるぜ」
「……冗談はそこまでにしろよ。殺すぞ」
「は? 嘘だろ、なんで歩け―――。ちょ、ちょっと待て待て! 胸ぐらをつかむな! お前腕、折れてるんだぞ!? 足折れてるんだぞ!? ありえねえだろ!!」
「正直に言え、俺はここにどれくらい倒れてた」
「だ、だから一か月くらいだって。正確な時間なんてもう覚えてねえよ、なんだってそんなこと気にすんだよ」
ファーデルは狼狽する。
どこからどう見ても嘘をついてるようには見えなかった。
第一、こいつが俺に噓をついたところで何か得られる訳でもねえ。
だとすると―――。
嘘だろ。
あれから少なくとも一か月は経ってるっていうのか。
現実味のない現実が、じわじわと覚醒したばかりの意識を侵食していく。
それと同時に絶望という黒い壁のようなものが、目の前に広がっていくような気がした。
「……チィ!」
俺はファーデルを突き放す。
そのまま振り向きもせず部屋から出ていこうとすると
「おい、待てって。どこ行くんだよ!」
そんな声を背中で聞きながら、俺はその場を後にした。
閑散とした寂れた住宅街。
かつては繁栄を誇った場所も、今となっては見る影もなく落ちぶれている。
錆びた建物は虫食い穴を開け、真上を見上げると曇天の空模様が顔をのぞかせる。
その住宅街の裏路地。
光や空模様さえ届かない薄暗い場所にあった、かつての俺の家は見る影もなく無残なまでに破壊しつくされていた。
その傍には一人の子供の亡骸が横たわっていた。
燃えるような赤毛はくすみ、両目はくぼんで落ちている。
腐敗が進んでいる体は虫たちに喰われ、死臭を強烈に放っていた。
「うわっ、こりゃひでえな」
後ろからのぞき込むファーデルは軽い口調で言う。
見慣れている。
そうだ、いつもの光景だ。
死体は珍しいものじゃない。
「それにしても、なんでこいつこんな固く拳握ってんのかね。何かと戦ってたんかな。まー、キッズが生きていくには過酷な世界よ」
そうだ。
弱い奴は死んでいく。
これがこの世の掟。
理なんだ。
力のない者は力のあるものに組するしか、生き残る術はない。
レールを外れれば奈落の底へとまっしぐらだ。
従順に敷かれたレールに沿って走っていても、都合が悪くなれば途端に切り捨てられる。
どこかで希望を抱いていた。
俺だけは違うと。俺たちだけは違うと。
くだらねえ話だ。
俺は自分の力さえあれば、何でもできると思い込んでいただけだ。
まったく、出来ることなんて賭け試合のイカサマだけだっつうのによ。
奇跡なんぞ起こるわけがない。
この不条理な世界に神などいない。
あるのは、力ある絶対王者が全てを治めるという真理だけ。
ただ、俺には力がなかった。
あのリングで倒れないだけの力がなかった。
あの場面で反撃するだけの力がなかった。
あの人造人間に歯向かうだけの力も、何もかもが足りなかった。
こいつも同じだろう。
だから俺は死にかけた。
だからこいつは死んだ。
ただ―――それだけじゃねえか。
「なに、このキッズ知り合いなの?」
子供を見つめながら、微動だにしない俺を不思議に思ったファーデルは尋ねる。
俺は息を吸い込んだ。
長く、深く、今まで肺に溜まっていた清らかな空気をすべて吐き出すために。
そして、その息と共にこう言った。
「―――知らねえよ、こんなガキ」
★★★★★★
とある町の二階建ての事務所。
土砂降りの大雨の中、事務所の中では遠隔通信で金の取引が行われていた。
「こんなに貰えるんですか!?」
その二階のコンクリートで塗り固められた一部屋で、人造人間の声が響いた。
アタッシュケースには蟻一匹はいる隙間もないくらい、札束がびっしりと詰められていた。
家具や本棚など生活に必要なものは、一切置かれていない無機質な空間。
その窓際に置かれた机には立体映像が映し出されている。
椅子に腰かけながら、人造人間は映し出される人物の顔をまじまじとみる。
『かまわんかまわん! 君にはいつも世話になってるしねえ! イカサマの仕掛け人として君の右に出るものはいまい』
「あ、ありがとうございます。あのような失態の後にそこまでのお言葉……、私にはもったいないくらいです」
『よいよい、もう気にするな。道具はキチンと処理したんだろう。それに贈り物もくれたじゃないか。あの赤毛の女の子、いい声で鳴いていたよ。久々に興奮したなー、一週間は犯し続けたかな。あっという間に壊れてしまったがね、ガハハハ』
「それはよかったです。気に入っていただけたのなら、私もこれ以上ない喜びですよ。またいいのがいたらお贈りします」
するとそこで、大雨の音に交じって部屋の外から怒鳴り声が聞こえてきた。
声の遠さからして一階の事務スペースだろう。
そこには武装させた護衛兵たちがいる。
賭け試合のイカサマの仲介人である彼にとって、命を狙われることなど日常茶飯事。
自分の身を守るくらいの準備はしてある。
大方、自分を目の敵にしている連中が襲ってきたのだろうと、内心ため息をつく。
『どうかしたのか?』
「いえ、いつものことです。お気になさらず。では、用事が出来たので失礼します。また御贔屓に」
通信を切ると、立体映像が消える。
その瞬間に一階から激しい銃声の音が鳴り響く。
「まったく、懲りない連中だな。こっちは軍上がりのエキスパートしか雇っていないというのに、そこら辺の野良犬ばかり突撃させてくるとは……。金の使いどころを間違えている」
爆発で建物が大きく揺れ、人造人間はバランスを崩す。
その後もひっきりなしに銃声が聞こえ、硝煙の匂いが二階にまで上がってくる。
「ここももう潮時か。またアジトを探さねば」
脱出の準備をしていると、いつからか一階の銃声が鳴りやんでいることに気が付く。
「……終わったか。今回は少しは骨のあるやつを雇ったみたいだな」
その瞬間、部屋にある唯一の窓ガラスが盛大に音を立てて割れる。
すると、人造人間の視界が大きく揺れたかと思うと、胸のあたりに重たい衝撃が走り反対側の壁に吹き飛んだ。
「よお、元気そうじゃねえか」
そう言いながら、ガラスの破片と共に部屋に飛び込んできたのは、どこかで見たことのある顔だった。
雨と血を滴らせながら、人造人間に殺意を纏った双眸を向けている。
「……まさか、ギンガ!? 馬鹿な、お前は確かに死んだはず!! 私がこの目で確認したんだ。そもそもお前は黒髪だっただろう、なんだその髪色は。亡霊になって復讐にでもしに来たというのか!?」
一階の戦闘で流した自らの血が、銀色に光る髪の毛を紅く彩る。
鈍色の髪色は染めたわけではない。
裏路地にあるかつての家を見た翌日、この色なっていたのだ。
すなわち、一晩の間にギンガの黒かった髪の毛の色が落ちたということになる。
地べたにしりもちをつきながら、驚愕の表情を浮かべる人造人間を見下ろして、ギンガはドス黒く笑う。
「あぁ、地獄の黄泉沼から這いつくばって、はるばるテメエを殺しに来てやったぜ。もう俺は二度と倒れねえ。この状況での弱肉強食ってのは、どっちがどの立場なのか明白だよなあ。弱い奴ってのは、強い奴に喰われるんだろ。喰らい尽くすついでに、てめえが俺を使って稼いだ金も貰ってやるよ」
阿修羅のような表情を浮かべながら、人造人間の腕を引きちぎる。
しかし―――
「ギンガ君、すまないが私はドセロイン帝国製の人造人間だ。痛覚は組み込まれていない。それに人造人間は記憶を帝国のデータバンクに保存してある。それぐらいのことは、君でも知っているだろう」
人造人間は冷静にそう言った。
保存されている記憶があれば、いくらでもこの世に転生することができる。
そう言いたいのだろう。
「ッハ! 知ってるぜ。いいじゃねえか、つまりお前を殺すのはこの一回こっきりじゃねえってこったろ!? 嬉しいぜ、生身の人間だったら一回しか殺せねえからなァ!」
ギンガは人造人間の顔面を蹴り上げる。
人造人間は上半身を大きくのけぞらせ、あおむけに倒れる。
立ち上がろうとしたところを、ギンガはすかさず足裏で踏みつけ動きを御する。
「ギンガ君、こんなことをやっても虚しいだけだろう。痛々しく無理をしている君を見ていると、私も心が苦しい」
「ッハ、機械に心があるとは思えねえな」
「そんなことはない、私も元は人間だ。人の心くらい持っているさ。その証拠に、君の所にいた子供が二人いただろう? 君は死んだと思っているようだが、安心してくれたまえ。あの子たちの記憶はその直前に抽出してある。人造人間という形での再開になってしまうのが非常に残念だが、君にとっては朗報のはずだ。だからもう無理をするな」
「……ッ」
ギンガの凍てついた瞳が一瞬見開かれる。
それを見た人造人間はにんまりと笑う。
「フハッ、嘘だよ。言ったろう、私は同胞にしか優しくないんだ」
「…………ああ、知ってたよ。くそ野郎が」
ギンガは虚ろな声でそう言うと、人造人間の核を踏み抜いた。
建物の外では、滝のような雨に打たれながらファーデルとその仲間たちが二階を見上げながら立っていた。
ギンガの儲け話にのってここまで来て、一階の人造人間を倒したはいいものの、最後の仕上げは彼に一任されていた。
「それにしてもなんて雨だよ。やばすぎるだろ、こんな大雨久しぶりだ。ギンガ早く戻ってきてくれ~。風邪ひいちまう」
黒く染まった空に稲妻が走り、天を照らす。
ファーデルが寒さとおどろおどろしい空気に身を震わせていると、そこにようやくギンガが建物から出てきた。
「おっ! ギンガどうだった!? 金はあったか!?」
しかし、ギンガはファーデルの方を見向きもせず、手に持っていた銀色のケースを無造作に投げつける。
「お、おもっ!! これ全部金か!?」
ギンガは答えない。
「ひゅ~、やっぱ金はあるとこにはあるんだな! ……なんだ、どうしたんだよ、ギンガ。もっとよろこ―――」
ファーデルは言葉を失い、目を疑った。
だが、すぐにそれが間違いだと気づく。
―――ビビった。一瞬泣いてるのかと思ったぜ。そりゃ、こんだけ雨が降ってたらそう見えるわ。あのギンガがありえねえだろ。
天変地異が起こってもあり得ない自分のジョークに、心の中で失笑する。
「そんで、これからどうするんだ」
仲間のうちの一人がファーデルに尋ねる。
「あー、そうだな。このままだと追手は確実に来るだろうな。なにせ天下の人造人間サマだからな。とりあえず前に話した通り、当面はサセッタって組織を探す。かなり巨大なレジスタンス集団らしいぜ」
「電波ジャックのあったアレかあ。ほんとにあるのか?」
「あるだろ。そうじゃなきゃ何のための電波ジャックだよ。ここだけじゃなくて全世界に向けられたものだぞ。少なくとも俺はあると確信している。そこまで逃げ切ればこの金ははれて俺たちのもんだ」
ファーデルはギンガを見る。
「お前もそれで構わんだろ?」
しばらく大粒の雨が、地面に打ち付けられる音が鳴り続ける。
やがて、ギンガはゆっくりと口を開いた。
「逃げ出すつもりはねえ。俺が欲しいのは、金や安寧なんて安いもんじゃねえよ」
「……じゃあ、何が欲しいんだよ」
「決まってんだろ。力だ! この世は弱肉強食、強い奴がすべてを手に入れる世界だ。ならすべてを屈服させるだけの力を持った、絶対的王者になるしかねえだろ。誰にも倒されねえ不倒の絶対王者になァ!」
それはまるで慟哭だった。
何か大切なモノを失い、何か大切なモノを忘れた獣の慟哭。
見開かれた赤褐色の瞳は、どこまでも冷たく、どこまでも暗かった。
ファーデルはそんなギンガを見ながら肩に手をのせる。
「なら、なおさらサセッタに入らねえとな。そこで一番になって、マセライ帝国を倒せば、お前の欲しいものはすべて手に入る。手下も集まるし、一番手っ取り早い方法だ」
暗雲に煌く稲妻が二人を照らす。
轟く雷鳴が一体何を示しているかなど、今のギンガには関係のない話だ。
道を示す神などはとうにこの世にいない。
あるのは力が全てという真理だけ。
覇道を進み、覇道を得る。
ギンガのその瞳には、何者も寄せ付けない不倒の意思が刻まれていた。
「―――俺は倒れねえ。世界の頂点に立つその日までな」
★★★★★★★
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「カカカッ! 終わりじゃのう、蛆虫!!」
ギンガの小腸を引きずり出し、ハンマー投げの要領で壁に吹き飛ばした少女は、呵々と嗤う。
壁にめり込んだギンガが、ぐらりと前のめりになり地面に落下する。
それを見た少女は、ギンガの落下地点に先回りする。
「お前はよくやったぞ、蛆虫。妾に傷をつけた事、褒めて遣わそう! 最後は美しく刃の中で果てるがよい」
仕込み刀を着物の袖から出現させ、ギンガに向けて振りぬいた。
その刹那―――
ギンガの左腕が不気味なほどの速さで、少女の手首をつかみ取る。
少女はそれに驚く暇などない。
気が付いた時には、彼女の小さな顔は蹴り上げられていた。
「ゴハッ!!」
少女は呻いた。
硬いコンクリートの天井に打ち付けられ、そこに巨大なヒビが出来上がる。
少女は地面に着地すると、信じられないものでも見たかのような、絶望的な表情を浮かべる。
事実それはあり得なかった。
右目をくりぬき、右腕を切り落とし、内臓もぶちまけた。
人間が、ただの人間がそれでいてなぜ動ける。
悪夢でも見ているのではなかろうとさえ思う。
だが、それは紛れもない現実。
間違いなく目の前で起こっている。
その男は一歩、また一歩と血の海を歩き、少女に近づく。
「あ、ありえぬ。あり得ぬぞ、うじむし……ッ! そ、そんなことは……、知らぬ、知らぬ、知らぬ! アカシックレコードにはそんなの載っておらぬ……!」
「俺は―――倒れねえッ!! 倒れるわけに……いかねえんだよ。くたばってたまるか、こんなとこでくたばってたまるかァ!! 二度と俺は倒れねえ!! 不倒の絶対王者は俺だァ!!」
血の海を走り抜け、ギンガは少女に襲い掛かる。
少女も応戦しようと仕込み刀を構えようとするが、そのあまりにも桁外れな殺気と威圧に呑まれ、その体に意思を宿してから初めての感覚が襲う。
恐怖
それ以外の何物でもなかった。
そしてその感覚は、ギンガが絶えず狙い発動し続けていた、セリアンスロープの能力の餌食となるもの。
故に。
―――なんじゃ!? 体が……動かぬ!!
その力で少女を縛り、俊敏な動きを封じる。
「終わりだぜ、ガキがァ!!」
左の拳を握る。
全ての過去、全ての想いをその手のひらに収めた渾身の一撃は、覇道への道を切り開かんと放たれる。
「舐めるなよ、蛆虫ィィイイイ!!」
同時に、少女も負けじと体中を軋ませながら、強引に動き出そうとする。
立て続けに起こる回線のショートで煙を巻き上げ、体を支える外骨格が鈍い音を立てながら崩れ落ちる。
「オォォォォォオオオッッッ!!!!」
「アァァァァァアアアッッッ!!!!」
ギンガが吠える。
少女が叫ぶ。
そして―――地面に溜まっている血が、二人を中心に弾け飛び。
死闘の雌雄を結したことを告げた。