六十一話 違和感
「聞こえるか、デヒダイト」
月明かりに照らされ廃墟となったデパートの屋上に立ち、ヌチーカウニ―帝国を見つめる男がいた。
サセッタの創設者にして総指揮官、ローシュタインである。
耳に手を当て、インカムに向かって隊長の一人を呼び出す。
『おう、どうした。もうすぐミラージのとこに着く。できるだけの加勢はするつもりだが、お前の思うようにはいかんと思うぞ。月光に提灯といったところだろうな』
「あぁ、そのことについてなんだがね。デヒダイト、君たちA班は統括管制室に行ってもらえないか」
インカムの向こうから風の鳴く音が聞こえる。
走りながらローシュタインの指示の意味を考えているのだろう。
『……エクヒリッチになにかあったのか?』
「分からない。だが、侵入してから時間が経っているにもかかわらず、未だクラッキングが成功しているようには見えない。何か予想外のことが起こったと考えるのが自然だろう」
『なるほどな、分かった。それで、六戦鬼はどうする。あいつだけは特別仕様なんだろ』
ヌチーカウニ―帝国最大戦力の六戦鬼、ホークゲン。
その力は絶大だ。六戦鬼の中でもトップクラスの能力、可異転生を持つ。
マセライ帝国から派遣という形で、この帝国の守護者と位置付けられており、それがために統括管制室で機体を管理されていない。
すなわち、クラッキングをしても彼だけは支配下におけないということだ。
デヒダイトはそのことについて尋ねているのだろう。
「六戦鬼はクラッキングが完了した後、隊長を中心に全員で討ち取る。いざとなったら私も出向こう」
『了解した。なら、俺たちA班はエクヒリッチのところにこのまま向かうぞ』
通信が終わり、冷たい夜風がローシュタインの肌をなでる。
屋上から帝国を見つめるその眼は、凍てついた色を浮かべる。
顔に深く刻み込まれた皺が、より一層深くなった。
―――ドン・サウゼハス、あの狸め。私の知らないところで、やはり動いていたな。
☆
クロテオード率いるB班―――アイネ、ランプ、ブロガント、ルナはアイリス隊の戦線に乱入し、帝国兵と戦闘を開始していた。
クロテオードはただ一人レーザーが飛び交う中、敵陣に飛び込んで刀を振るう。
その後ろからアイネとブロガントが続く。
ルナは上空から、矢のように鋭くとがった羽を雨のように降らせ。
ランプは地中から敵の不意を突いて次々と核を貫く。
敵陣に飛び込んだアイネは手に電気を集中させる。
弾け飛ぶ稲妻は集合体となって、一つの剣となる。
それを伸縮自在に操り、次々と人造人間の関節を切り落としてく。
「アイネ! しっかり核を貫くっすよ!」
アイネの攻撃で地に這いつくばった人造人間にとどめを刺しながら、ブロガントが叫ぶ。
取り囲むようにして次から次へと、人造人間兵が集まってくる。
「殺らなきゃ、殺られるんすよ。いつまで甘いことやってんすか!」
「……ッハイ!」
その言葉に応えるアイネ顔には、尋常でないほどの汗が流れていた。
闘いが始まったばかりだというのに、既に息苦しそうに呼吸をしてる。
「ゴホッ! ゴホッ!」
せき込むと、口の中に鉄の味が広がるのが分かった。
握っている雷剣の輝きが失われ、意識を失いそうになる。
―――おかしいな……。さっきまで普通、だったのに……。体が、おもい……。まるで自分の体じゃ、ないみたい。
その時、十メートル先で地中からランプが飛び出したのが目に入った。
その背後では敵兵がレーザー銃を構えている。
ランプがそれに気づいている様子はない。
アイネはギリギリのところで意識を覚醒させ、雷剣を再び右手に宿す。
浮かび上がってくる形印は、サーモルシティーの時とは比べ物にならないほど、広範囲に広がっていた。
目元から広がるそれは、背中、腹、太もも、足先、体の至る所にまでその存在を黒々と示す。
「ハァッ!!」
突き出した右腕から雷剣が稲妻をまき散らしながら伸びていく。
果たしてその切っ先は、人造人間兵の腕を切り落とす。
「助かったの! サンキューなの、アイネ!」
ランプはそう言うと、攻撃手段を無くした人造人間の核を鋭いモグラの爪で潰す。
アイネは苦しげに笑うと、雷剣が光の泡となって消える。
そのまま両手を膝につく。
肩で息をするどころではない。体全体を大きく揺らしながら酸素を求める。
「アイネ、危ないの!!」
ランプが叫ぶ。
気が付けば全方位から、電子剣を握りしめた人造人間が迫ってきていた。
アイネは気力を振り絞る。
目を見開き、歯を食いしばる。
「これでもッ……くらえ!!」
次の瞬間にアイネが繰り出したのは、体全体から強力な電気を放出させる無差別テロともいえる波状攻撃だ。
あらゆる角度、あらゆる場所に向け放電されるそれを、避ける手段などない。
無情にもアイネに向かってきていた、半径五メートル圏内の人造人間たちは攻撃の餌食となる。
機体に流れる電気信号が狂わされ、自らの意志とは関係なしに体勢を崩す。
しかし―――
アイネの背後、すなわち死角。
次ぐ次と倒れる人造人間兵を陰にして、レーザー銃を構える兵がいることに彼女は気が付かなかった。
否、その余裕すら彼女にはすでになかった。
アイネは苦悶の表情を浮かべ、滝のように流れる汗が頬を伝う。
―――なんで……、こんなに、体が……重いの、よ。
レーザー銃の照準がアイネに定められる。
近くにいたブロガントがそれに気づき、形印を浮かばせる。
だが、
―――だめだ、間に合わない!
人造人間兵がトリガーに指をかけ、引き金を引いた。
銃口から放たれた閃光は、一直線にアイネへと向かう。
貫くために。
殺すために。
射出された光の塊は間違いなくアイネを屠る。
その場にいた誰もがそう確信した。
だが、ただ一人。
その光景を目の前にして諦めない少年がいた。
シオンだった。
ヒトという枠組みを超えたスピードで、風となり戦線を走り抜ける。
アイネの背後に潜む人造人間兵がトリガーを引く光景。
それがスローモーションのように目に映る。
―――やめろ
眩い閃光が銃口から飛び出そうとしている。
―――やめてくれ
かつての光景が頭をよぎる。
同じように銃口を向けられ、殺されていった母親の姿。
守れなかった大切な人。
守れなかった約束。
全てを失い、失墜の中にいたシオンを救ってくれたのはアイネだった。
そのアイネが今、母と同じ運命を辿ろうとしている。
守ると約束した誓いが、再び滅びようとしている。
「やめろォォォォォォオオオオオ!!!!」
シオンの悲痛な叫び声をかき消すように、レーザーが放たれた。
軌道は間違いなくアイネに向かっていた。
間に合わない。
シオンは直感で感じ取った。
四重加速を限界まで行使し続け、既に体は悲鳴を上げている。
それを強引に使用し続けたところで、もう遅い。
間に合わせようとこれ以上スピードを上げても、間違いなく体が壊れるうえに、間に合う保証などどこにもない。
シオンに待っている運命は、どれを選択しても残酷な結末だけだった。
―――失えない。
シオンの目に灯が宿る。
―――もう二度と目の前で大切な人が死ぬのを見たくない。
絶対に護ると誓ったんだ。
あの時、アイネが助けてくれたから今の俺がある。
今こうして息をしている。
例えこの身が滅びようと!
例えこの命がなくなろうとも!!
あいつの命さえ救えるのなら、全て差し出しても惜しくない!!!
ならば、シオンのなすべきことはただ一つ。
例えどんなに可能性が低くても、死力を尽くし希望を手繰り寄せること。
「―――悪い賭けじゃねえさ!」
シオンの体中全ての血液が沸騰しているかのように熱くなる。
毛細血管が次々と破れていき、血の塊が喉の奥から突き上げてくるのを感じた。
踏み込んだ左足の筋肉の繊維がブチブチと音を立てる。
そのまま蹴り出すと、凄まじい衝撃と共に地面がえぐれ、蜘蛛の巣を張ったようにひび割れる。
「七重加速!!!」
喉に血を絡ませながらシオンは禁断の言葉を紡ぐ。
風となり、音となり、光となって空間を裂く。
続けて踏み込んだ右足の骨が砕ける音がした。
左足は最初の段階で筋肉が骨から剥がれ、既に使い物になっていない。
これが最後の一歩だった。
「アイネェェェェエエ!!!」
痛みをねじ伏せ、渾身の力を込めて地面を蹴りつける。
弾丸のように宙を飛び、そのままアイネを突き飛ばし―――。
放たれたレーザーがシオンの胸を貫いた。
☆
「カカッ、よもや蛆虫如きに本気を出すことになろうとは。いよいよ限界かえ?」
妖艶な甲高い声が大部屋に響き渡る。
闇に光る双眸が見つめる先には、左腕がへし折られ、右の眼球がくり抜かれたギンガが立っている。
「ッハ! 冗談よせよ。やっと楽しくなってきたとこじゃねえか」
互いの距離は10mほど。
牽制しあうように火花を散らす。
戦闘が始まってから三分が経過しようとしていた。
体感的にはそれ以上かもしれない。
百を超える攻防を経ても、互いに動きが衰える様子は一向に見えなかった。
「口の利き方がなってないのぉ。妾の方が何百倍も生きてきているというのに。決めた、殺すのはやめじゃ。貴様のような狂狗は躾け、跪かせた上に―――嬲り殺しじゃ」
少女がギンガの視界から消えた。
背後の風が揺れる。
一瞬のうちにギンガの後ろに回り込み、下駄の底から仕込み刃を飛び出させ回し蹴りを繰り出す。
だが、それを察知したギンガも、同時に右手を伸ばし少女のすねを受け止める。
小さな女の子の蹴りとは思えないほどの空圧が襲う。
その時、意味深な笑みを少女が浮かべた。
矢継ぎ早にギンガを襲ったのは、掴んでいる足のぽっくり下駄の先端から射出される仕込み刃。
そのまま顔面に恐ろしい速さで迫りくる。
ギンガは牙をむき、それに噛みついて受け止める。
「カカッ! まっこと狂狗よな!」
少女は嗤いながら、拳をギンガの死角から顔面に叩きこむ。
ぐしゃりと鼻の折れる音が拳を通して伝わってくる。
夥しい量の血がギンガの顔を紅く染める。
「ガァッ!!」
怒りをにじませながら、唯一生きている黒ずんだ右腕を振るう。
しかし、それは虚しく空を切る。
攻撃を躱した少女は、バク転を続けざまに四回して距離を取る。
「おぉ、怖い怖い。破壊力のある拳も、当たらねばただの風起こし。夏には最適じゃのう」
「ハァ……、ハァ……、チィッ!」
「カカッ! 焦るな、怒るな、そう急かさずとも今すぐに膝をつかせ、楽にしてやるゆえ」
ギンガは愉快に嗤う少女を油断なく睨む。
一歩、また一歩と近づいてくる。
ギンガは息を深く吐き出す。
百回以上の命のやり取りの中で、未だに少女の実力が掴めずにいた。
何かがおかしい。形容しがたい感覚がギンガを襲っていた。
―――攻撃が当たらねえな。俺の動きが予測されているみてえだ。なんだ、この違和感は。
最初は追いついていた反撃も、時間が経つにつれ当たらなくなっていく。
それどころか今や、動きを目に追うのがやっと。
瞬間的に見えなくなることすらある。
その結果、後れを取り右目が潰され、左腕を折られたのだ。
まるで雲を相手にケンカしているような、決して捉えることができないと運命づけられているかのようだった。
「ほれ、来んのか? 来ないなら、妾から行かせてもらおう」
少女はそう言うと、今度は姿を消すことなく正面切って走ってくる。
「ッハ!! おもしれえ!!」
ギンガは吠えると、地面を思いっきり踏みつける。
すると床に大量にたまっている3000人分の血液が、紅い壁となり二人の間に立ちはだかる。
攻撃が見切られるのならば死角から襲えばいい。
見えなければ反応することはできないだろう。
ギンガは体勢を極端に低くし、突き上げるようにして右の拳を繰り出す。
血の壁を貫き、それは目の前にまで迫っていた少女に命中したかに思われた。
しかし―――、ザンッという何かを切断するような感覚がギンガを襲う。
血の壁が重力に従いながらその存在を消していく。
その瞬間に目に飛び込んできた光景は、肘から先の体の一部がものの見事に切り落とされていた。
少女は勢いそのままにギンガの懐に入り込み、血のりがべっとりと着いた仕込み刀を振るう。
「ッハ! ッハハハハ!! やるじゃねえか!!」
狂喜を顔ににじませながら、次の瞬間ギンガが繰り出したのは、へし折られたはずの左手。
血管が脈打ちいつもと変わらぬ、いやそれ以上のスピードで少女に向けて放たれる。
完全な死角。
ギンガの右腕に集中していた意識。
自らが左腕を壊したという油断。
いくつもの要素が組み合わさり、必中の一撃必殺となって少女を襲う。
「カカッ、それはもう学習済みじゃ」
しかし、少女はまるでそれが来るのを知っていたかのように、ギンガの左腕を蹴り上げる。
どんな手練れであろうと、全ての攻撃は見て判断する。
僅かな筋肉の動き、目の揺れ、重心の傾き。
それら全てを総動員して躱すなり、カウンターを喰らわせるなりと、次の行動のヒントとする。
武道の達人であればあるいは、死角からの攻撃も対応できるだろうが、しかし、目の前のおかっぱの少女はそういった類の動きではない。
完全に分かっている動きだ。
どこから、どのタイミングで、どういった攻撃を仕掛けてくるか。
全てを把握している。
彼女のそれは読みや、直感などといった次元はとうに超えていた。
「ほれ、また腹に穴が開くぞ」
鮮血が舞う。
少女の腕がギンガの腹を貫通した。
腹に紅い花が咲き、雫を滴らせる。
「貴様のことはもうだいたい把握した。焼け焦げようとへし折ろうと、何事もなかったかのように動く腕。一度腹に穴をあけても動ける理由。それはひとえにセリアンスロープの回復力が、貴様だけずば抜けておるからじゃろうて」
セリアンスロープの基本的な一次的特徴として基礎代謝・基礎身体能力の上昇がある。
普通の人間が全治一週間の傷を負えば、セリアンスロープの場合一日もあれば完治する。
患部のテロメアーゼ活性を極限サイクルで行うが故だ。
そのようなセリアンスロープ中でも、ギンガは群を抜いて回復力に秀でていた。
例え鉛の銃弾を無数に撃ち込まれようが、腹に穴を開けられようが、数分もあれば傷はふさがり組織が再生する。
折られた腕も時間が経てば元に戻り、これまで以上の猛威を振るう。
「じゃが、右目だけは戻っておらんところを見ると、所詮は自然治癒の領域は出ないと見える。カカッ! いたぶり甲斐があるの」
少女はギンガの腹からゆっくりと手を引き抜く。
その紅く染まる手には内臓が握られていた。
「これは小腸かえ? 良い色じゃ」
血に照らされ輝くそれを握りしめると、ハンマー投げでもするかのようにその場で回転する。
遠心力に負け、ギンガの体が宙に浮き円を描くように回る。
極度の運動エネルギーに耐えきれなくなった臓物は、宙で悲鳴を上げながら引きちぎれる。
ギンガはそのまま吹き飛ぶと壁に巨大なクレーターを作りめり込んだ。
「カカカッ!! いいのぉ、いいざまじゃ。ここまで盛大に臓物を引きずり出せば、流石の貴様も回復はできまい。よい、そのまま地にうち伏せよ」
加虐を愉悦として扱うことに、何の抵抗もない高い声が部屋に響く。
壁にめり込んだギンガの体が、ぐらりと前のめりになる。
―――あぁ、くそ……。血ィ流し過ぎたか。意識が……遠く……。
コンクリートの壁から剥がれ地面に落ちていく。
その目に映っていたのはかつての光景だった。