第3話
それからどのくらい経っただろうか、人の声が聞こえた気がしてカミラはうっすらと目を開けた。
(寒い……こんな時間に誰……?)
頭を上げると、自分の牢屋の前に一人の男が立っているのが見えた。カミラの心臓がどきりと高鳴る。
(私、何かした? まさか、今から働くの? 今は何時……)
「起きているか」
「はい……」
自分に呼びかけている以上、無視はできない。カミラは返事をする。廊下の上部にある小窓から月光が差し込んでいるせいで、その影と重なった顔はよく見えなかった。
「このような待遇で悪かった。ここを出して部屋に案内する」
「え……?」
「少し待っていろ」
男は手に持っていた鍵束から、牢屋の鍵を探し出し開ける。腰をかがめて牢屋の中にためらいもなく入ってくると、カミラのそばにしゃがみこんだ。
そして上着を脱ぎ、カミラの肩にかけてくれる。人肌の温度を保った上着は、温かかった。
「身体は痛くないか」
「あ、はい……」
「……いや、痛いに決まっているな。気を使わせてすまない」
「こちらこそ、なんだかすみません……」
しゃがみこんだことにより逆光がなくなり、顔が近い距離で見えた。
(この人……あのときの……!)
カミラがエミリスワンへの襲撃中、子どもを助けた際に、家に突撃してきた男だ。
(どうして……?)
戸惑うカミラをよそに、手錠のはまった手を取られる。その手は温かく、カミラはかすかに安堵した。男はカミラの手を包む。
「……冷たいな。もっと早く来られたらよかったのだが」
「いえ……」
男性とこの距離で二人きりになったことのないカミラは、自分の心拍数があがるのがわかった。
男は手錠の鍵を外し、カミラの手を取って立ち上がる。カミラも一緒に立ち上がった。
「こんなところで言うのも何だが……俺の婚約者になってほしい」
「……え? こんやく……?」
あまりに唐突な言葉に、脳の理解が追いつかない。この状況下にもっともそぐわない幸せな言葉。
「あ、あの……それは一体どういう……?」
カミラがいうと、男は牢屋の扉に手をかけた。かちゃり、と鍵が開く音がする。
「詳しい話は明日する」
「はい……」
鍵束の中から小さな鍵を取り出して、両手にかかった手錠と、足に繋がれていた鎖の鍵を外してくれた。
(この人のこと、本当に信用していいの……?)
これは罠で、後々脱獄犯として吊るし上げられるのではないか、甘言で連れ出し、何かひどい折檻を受けるのではないか、など様々な予感がカミラの頭の中を巡る。
心が揺れるが、こうなってしまえばもう、従うしかない。
「あの……ありがとうございます」
「礼はいい。あまり大きな声を出すな。俺について来い」
「はい……」
控えめに返事をして、男の後ろを歩く。後ろから身なりを見てみると、どこか上等なもので身を固めているのがわかった。皺のない美しいシャツ、本革のブーツ、大きな剣を帯びている。カミラにかけられた上着も、上質な布で作られたものに違いなかった。
(この人、もしかして地位の高い人なのでは……)
そういう人が一介の捕虜に結婚を申し込むというのは、深い事情か裏があるに違いないと思った。
(でもこの人についていくこと以外、今は何もできない)
牢屋の小窓から月明かりが差し込んでいる。まだ外は夜中らしい。牢屋を抜けると、そのまま外に出て巨大な城の方へ向かう。
(大きなお城……うちとは大違いだ)
城塞と化していて、一国を築いているエミリスワンも巨大だとは言われているものの、それを遥かに凌駕する大きさであった。
(さすが大国、シントレア……お城も大きいんだ)
城塞の役割を担っていたエミリスワンの城と違い、シントレアの城は国王陛下の金と権力を見せつける役割も持つ。
長い廊下を歩いていると、見回りをしている衛兵と思われる者たちにも何度か会った。そのたびに、彼らは男に対して気合の入った敬礼をする。
(やっぱりこの人、偉い人だ……絶対)
身なりを見ただけでも感じ取れたが、さすがにここまでくると確信する。
階段を登りきって少し歩くと、男が振り返った。
「ここがあなたの部屋だ。好きに使え」
「いいのですか?」
「ああ」
男が部屋のドアを押し開ける。中には壁一面にめぐらされた本棚と衣装タンス、天蓋付きベッドにテーブルとソファがあった。エミリスワンにいたときのカミラの部屋の5倍はある。
「そ、そんな……恐れ多いです」
「さっき言っただろう、俺と婚約してくれと。そう思う相手に対する相応の待遇だ」
「あの、それは……どういう意味ですか」
「そのままの意味だ」
「それは、どうしてまた……どんな事情が……?」
「……事情などない。とにかく今日はよく休め」
男はそういうと、そのまま背を向けた。
「あっ、待ってください!」
「……なんだ」
「あの、あのとき……赤ん坊を抱いていたとき、見逃してくださってありがとうございました。おかげで、助かりました」
「女子どもを殺す趣味はない」
そう言いながらも、その声にはどこか苦い響きがあった。
「それでも、ありがとうございます。あと……お名前を教えて下さいませんか」
「……ヴィンセントだ。ヴィンセント・アーチボルト」
「ヴィンセント様……ありがとうございます」
「……」
静かに頷いて、ヴィンセントは部屋を出ていった。
(ヴィンセント様……すごくいい人だった……)
婚約者になるというのは、まだよくわからない。それでも、ヴィンセントが優しくしてくれたことだけは、カミラの心に強く残った。
暖かいベッドで眠り、翌朝。カミラは窓から差し込んでくる柔らかな日差しで目を覚ました。
(そうだ、私は昨日……)
昨日のことを思い出し、場違いな場所にいる気がしてくる。
(夢じゃなかった……)
コンコン、とドアがノックされる。
「はい!」
カミラはほとんど反射的に声を上げた。そして慌ててベッドから飛び起きる。
すると3人のメイドが部屋に入ってきた。エミリスワンではほとんどメイドの力を借りなかったカミラは、3人も部屋に入ってきたことに内心驚く。
「カミラ様に本日からお仕えさせていただきます、メイドでございます。左から、アンナ、エッラ、リーサでございます。主にカミラ様の身の回りのお手伝いは私、リーサが承りますので、なんなりとお申し付けください」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
カミラは深くお辞儀をした。その様子にリーサが慌てる。
「頭をお上げください。ヴィンセント様の婚約者様が、私達にそのようなことをされる必要はないのです。あくまでメイドですから」
「でも……」
「とりあえず、朝のお支度をしましょう。その格好は、カミラ様にはふさわしくありませんわ」
牢屋に入れられたときの麻のワンピースで昨日はベッドに入ったのだった。勝手知らぬ場所で、着替えられるほどカミラに度胸はなかった。
リーサに言われるまま風呂に入り、用意されていたドレスに着替える。今まで荷台で揺られ、牢屋に入っていたときから、天と地ほど差のある待遇に不安を覚えつつも、リーサに言われて鏡の前に座った。
「今日はヴィンセント様にお会いして婚約のお話をしますから、それなりの格好をさせるようにと言われております」
「あ……そう、ですよね……」
昨日の晩、婚約について明日詳しいことを話すと言っていたのを思い出す。
「本日のお召し物を見てください。このドレスは東の国から仕入れたとっておきの絹のレースで作ってあります。そして首につけた赤いダイアの宝石は、この国のシンボルカラーなのです。髪にもとっておきの赤のリボンを付けて……」
リーサの話を聞いているうちに、カミラの目頭が熱くなる。
ここに来て、未だに自分がシントレアの捕虜になったという自覚は少なかった。それが、今こうして自国エミリスワンではなく、シントレアのものを身に付けている。しかも自分は、どうやらシントレアに嫁ぐらしい。本当に、エミリスワンの者ではなくなるのだ。
「カミラ様?」
「……ごめんなさい、ちょっとの間、喋れないかもしれません。でも、説明は聞いていますから」
その言葉で、リーサは何かを察したらしかった。
「ええ。大丈夫です。私は少し、席を外しますね」
リーサは衝立で囲われた化粧台の前から姿を消した。
(お父様……私、エミリスワンの者ではなくなります。国民の皆さんと、どうか幸せであり続けてください)




