第17話
デビュタントのその夜。
ヴィンセントは執務室で書類仕事を片付けていた。そばに控えていたアルスに今日最後の作業資料を渡して、一息つく。するとアルスが声をかけてきた。
「この時間まで仕事が残るなんて、珍しいですね」
「……そうだな」
ほとんど表情を崩さないアルスにしては、何か言いたそうな顔をしている。ヴィンセントはそれが何か、わかるような気がした。アルスは二人のとき、少し素顔を見せる。
「今日この日の予定をすべて空けるために、ですか」
「……」
本来であれば、デビュタントの紹介をする際、ヴィンセントは執務室で仕事を済ませることになっていた。そして夕方から夜にかけて、ダンスの時間をとる。それが本来の予定だったのだ。
しかし、ヴィンセントがカミラのそばについていたいからと、今日中に終わらせる仕事をこんな深夜になるまでやることになったと、アルスは気づいていた。
「こんな深夜まで付き合わせて悪いな」
「いえ。私はあなたの部下ですから」
アルスはヴィンセントが16歳のときに騎士団へと入団してから、ずっとついている側近である。仕事はよくできるし、腕も立つ。立場の不安定な第二王子という立場から逃れたくて騎士団に入ったヴィンセントを、そのときからずっと見ていた。年齢はヴィンセントの3つ上。しかし彼は年齢に関係なく、ヴィンセントを尊重してくれた。アルスいわく、騎士団に入団する前から訓練場で見ていたヴィンセントの姿が印象的で、どこか自己破壊的な雰囲気を感じて、自分が支えなくてはならないと使命感を受け取ったようだった。
「僭越ながら、今日のダンスを見て、あなたの気持ちが十分にわかった気がします」
「……」
アルスが予定の話をし始めたときから、これを聞かれると思った。しかしヴィンセントは苦い顔をする。
「カミラ嬢が、好きなのですね」
普段から冷静で含んだ物言いをするアルスが、率直に聞いてきた。まだあまり自覚できなかった感情が、いっきにその言葉に集約されていく気がする。
「……好き、か。そうかもしれない」
「すべてあなたの眼差しに表れていましたよ」
「眼差し?」
「はい。カミラ嬢を見つめるあなたの眼差しです。見たことがないくらい、優しく、相手を慈しむ愛情に満ち溢れたものでした」
「……お前が言うなら、そうなのだろう」
ヴィンセントは彼の洞察力に全幅の信頼を寄せていた。しかも、仕事をしている今でさえ、カミラのダンス中の笑顔が、焼き付いて離れない。
「あなたに言われてカミラ嬢の様子をほとんど毎日メイドから聞いていましたが、あの方は強いですね」
朝から晩まで毎日繰り返されるダンスの練習を乗り越え、式典の準備に奔走し、式典の冒頭で読み上げる言葉も、前日の夜まで考え込んでいたとアルスから聞いている。ヴィンセントが南征の会議で忙しく、なかなか顔を出せない間も、彼女は主体的に動いていたそうだ。
(そうだ、カミラは強い)
そして今日のデビュタント。声が枯れるまで司会進行役としての役目を全うした。パレードとして多くの人を祝福したいという彼女の芯が見えた気がした。
「それにしても、貴族のためだけではない……ですか。身につまされる思いですね」
「……そうだな」
カミラが式典の最初に言った言葉。彼女の人となりが、その言葉に現れている気がした。
今のシントレアが血統主義の階級社会である以上、大きく階級がぐらつくことはない。貴族の生まれは次世代もその次の世代も貴族で、平民に生まれれば何代先も平民なのだ。
いつかカミラが話してくれたように、エミリスワンのように国民が手を取り合い、階級のない平和な国にしたい。
ヴィンセントがぼんやりと感じていたこの国の階級社会への違和感、そしてその打開策を一つ、カミラとエミリスワンに見せてもらった気がした。
(彼女の存在が、この国を変えてくれるかもしれない)
「実現したら、この国は大きく変わるでしょうね」
「ああ」
アルスはもともと貴族の生まれではなかった。彼もまた、階級社会のゆらぎの一人である。早くから戦場に出て、その腕と洞察力で味方からの信頼を集めた。そこで目をつけられたアルスは、今の騎士団に入団し、貴族の後見人をつけることができた。その貴族は独居の高齢男性で、アルスがちょうど20歳のときに彼の昇進を見届けるよう亡くなった。
その彼が言うこの言葉は、ヴィンセントの心にも重く響いた。
「私から見ても、カミラ嬢は素晴らしい女性だと思います。このまま、カミラ嬢を妻として迎えてはどうですか」
「……彼女にも、家族がいる。俺はカミラの父上から正式に彼女の保護を頼まれている身だ」
「最終的には、エミリスワンに帰らせる……それは変わらないのですか」
「俺の一存で決めることではないからな」
「……そうですね。では、この書類は確かに預かりました。これで私は失礼します」
「ああ。お疲れ様」
「おやすみなさい」
アルスはいつも、ヴィンセントにおやすみなさいと声をかけてくれる。それは、まだ16歳の頃から弟のように世話を見てくれた名残なのかもしれない。
一人になった部屋で、ヴィンセントは考え込んだ。彼女へのこの気持ちが、アルスの言うように恋心なのだとしたら。
(いや、これは……確かに、アルスの言うとおりだ)
言われてから気づいたのは、無意識のうちに感情に蓋をしていたから。自分ではあえてカミラへの感情は詳しく追及しないことにしていた。
はぁ、と大きなため息をつく。もしアルスが口にした、彼女と本当に結婚できたなら、どれだけいいか。
「……叶わぬことだな」
ヴィンセントは立ち上がると、執務室をあとにした。
それから数日後。着実に季節は流れていたはずなのに、大国に雪が降った。この季節外れの雪は、それもシントレアでは見たことのない大雪。珍しいものに目を見張る者、雪で少年心がくすぐられた者、雪が降るさまを黙って見つめる者……珍事は国中を騒がせた。
カミラはもちろん久しぶりの大雪に胸が騒ぐ。ベッドから起きていつものように外を眺めたときの景色に、見惚れていた。
「カミラ様。おはようございます」
「おはようございます!」
起床の頃を見計らってリーサが入ってくる。カミラは振り返って挨拶をした。
「雪が嬉しいのですね。お顔に出ていますよ」
「こんな大雪、シントレアで見られるなんて思ってなくて……つい」
いつもより底冷えする感覚も懐かしい。隣にリーサがやってきて、一緒に外を眺める。
「これはしばらく降り続きそうですね」
「そうですね。あの、リーサさん。一つお願いがあるんですけど……」
「なんでしょう?」
「今日着る服、ちょっと変えてもいいですか?」
いつもはヴィンセントの婚約者として品格を表すべく、ドレスを着ていた。しかし、今日だけはカミラもしたいことがある。
「雪かきがしたいんです。今日だけ、防寒ばっちりの服を着させてください!」
外に出ると、肺まで凍りそうな冷たい風が吹いていた。カミラは遠くで騎士団員たちが何人かで雪かきをしているのを確認し、ついてきてくれたリーサのほうを振り返る。
「あの道具はどこにあるんでしょうか……?」
「私も詳しくは知りませんが、おそらく東倉庫に……」
「じゃあ、探しに行きましょう」
二人で東倉庫まで行くと、確かに雪かきの道具があった。しかしどれも大雪を想定していないのか、スコップばかり。
「どれがいいかな……雪かきは、とっても体力を使うので、できるだけ軽い道具のほうがいいんですけど……」
「どれも金属製なので重いですね」
「うちの国では、かなり軽い金属が作られているんです。資源があるというのもありますけど、みんな雪かきをどうにか楽にすることに熱心なんですよ!」
「そうやって技術が発展する国もあるんですね」
リーサはカミラの話を興味深く聞いている。
「これでやろうかな……」
カミラは1本のスコップを手に取る。リーサも隣のスコップを手に取ると、カミラが驚いた顔をした。
「リーサさんまで一緒にしなくてもいいんですよ!? 雪かきは慣れない人がすると大変ですから。怪我もするかもしれないですし」
「私もやってみたかったんです。少しくらいならやらせてください」
リーサの言葉に意欲を感じて、カミラは頷いた。自分がしっかり見ておこうと思いながら。
二人はまだ誰も着手していない軍用通路まで来ると、雪かきを始めた。始めてみるとやはりカミラのほうが早く、動きもテキパキとしている。
「さすがカミラさん、本当に雪かきに慣れていますね」
「そうでしょう? エミリスワンで生活していくなら、必須ですからね。これでかなり体力もつきました!」
楽しそうなカミラを見ながら、リーサも微笑む。しばらく二人は話をしながら雪かきを進めた。かなり軍用通路は石畳が見えてきて、これであれば馬に乗った騎士団員たちも通れるだろう。
その頃にはすでに二人の手は冷たく、身体もだいぶ冷えてきた。
「そろそろ終わりにいたしますか?」
「もう少し……あっちの城塔の前までやりたいです!」
「寒くありません? 何か温かい飲み物をお持ちしましょうか?」
「本当ですか? ありがとうございます。じゃあ、私は先に城塔の前の雪かきをしておきますね!」
リーサと自分の分のスコップを持って、カミラが歩き出す。その背中を見送って、リーサは早足で城の中へと戻っていった。




