第12話
しばらくして、ヴィンセントだけがリネアの間に帰ってきた。
「ヴィンセントさん、おかえりなさい」
「ああ。話がしたい。部屋に戻るぞ」
「はい」
カミラは立ち上がり、ヴィンセントについて歩き出す。
「すべて食べたのか?」
「美味しかったので」
「……そうか」
歩きだすと、かかとが再び痛みだす。
「リネアの間は、遠かっただろう」
「はい、少し──」
部屋を出るより先に、ヴィンセントが振り返った。
「どうしたんですか?」
「……足を見せてみろ」
「えっ?」
カミラが驚くより先に、ヴィンセントが近くのテーブルに並んでいた椅子をこちらに引き寄せ、カミラを座らせる。
そして何のためらいもなく、そのヒールを脱がせた。
「ヴィンセントさん……!?」
「靴擦れを起こしているな。この靴は今日が初めてか?」
「はい……イェシカさんからの贈り物で……」
「……そうか」
ため息をつきながら、カミラに足をいたわるように触れる。
「その……どうして私が靴擦れしているとわかったんですか」
「歩調が不規則だった。だから足をかばっているのだろうと思った」
(そんなことで……?)
ヴィンセントの鋭さに驚きながらも、足を素手で触らせていることに羞恥と申し訳なさがこみ上げる。
「ヴィンセントさん、あの、離してください」
「これじゃ歩けないだろう。血が滲んでいる」
「ですが……」
ヴィンセントは何も言わず、カミラに背を向けた。
「え?」
「俺があなたを背負って帰る。早く」
「そんな……部屋までは遠いですし」
「構わない。それよりあなたにつらい思いをさせるほうが嫌だ」
(ヴィンセントさん……)
振り向きながら話すヴィンセントの眼差しがあまりにも真摯で、カミラは甘えることにした。
カミラがおぶさると、ヴィンセントは軽々立ち上がる。
「重くないですか……?」
「ああ。訓練で背負う荷物のほうが重い」
(どうしてこんなに、優しくしてくれるんだろう……)
ヴィンセントの体温を、直接感じる。ここまで近づいたことは、今までなかった。
この国に来てから、ヴィンセントは何度も自分を助けてくれた。エミリスワンのことを理解しようとしてくれて、故郷へ帰る機会まで作ってくれた。どうしてここまでしてくれるのだろうと思う。しかし、その理由を尋ねるのは、なぜだか少し怖かった。
「リーサ。先に部屋に帰って、かかとの治療の準備をしておいてくれるか」
「かしこまりました」
ヴィンセントはリーサにそう伝え、先に帰らせる。必然的に、カミラとヴィンセントは二人きりになってしまった。
長い廊下には、大きく切り取られた窓から昼の光が差し込んでいた。
「あの……ヴィンセントさん」
「なんだ?」
「本当に、ありがとうございます。こんな私を気にかけてくださって……」
「当然のことをしたまでだ」
その返答に、またもどうしてこの人はこんなに優しくしてくれるのかと思ってしまう。
「イェシカの無礼を謝ろう。彼女はあなたが来るまで、俺の婚約者候補の一人だったんだ」
「え……」
「さっき真意を問うたら、あなたに嫉妬したと言っていた。つまらない感情であなたにつらい思いをさせた」
「……」
思考がぐるぐるする。婚約者として守ってくれているのは重々わかっているつもりだ。父との約束があったから、よい待遇を約束するために、こうしてくれている。
「今日は部屋に帰ったら、休め。いいな?」
「……はい」
(もし、ヴィンセントさんの隣に私ではない誰かがいたら……)
そう考えると、なぜか胸が痛んだ。
(……どうして?)
こちらをいたわるような優しい声音に、カミラは言葉にできない感情を抱きながら、今はその背中から伝わる体温に甘えることにしたのだった。
翌日。講師と礼儀作法の勉強をしていると、部屋にイェシカが訪れた。昨日とは違い、どこかしゅんとした様子でうつむいていた。
「昨日のこと、謝りに来ました」
「えっ……」
まさか謝罪があるとは思っておらず、カミラは驚いた。すると、イェシカが勢いよく頭を下げる。
「本当にごめんなさい。私、どうかしてましたわ。あなたに意地悪をいたしました。オーストレームの恥ですわ。存分に罵ってくださいませ」
「いや……そんなつもりはありません。ただ……その、昨日のこと……ヴィンセントさんが関係あるんですか?」
カミラのその言葉に、イェシカが驚いたような表情を見せる。しかしすぐ、観念したように息をついた。
「……そうね。あなたがいなかったら、私があの方の婚約者になっていたもの」
「だから、私に根菜を食べさせようと?」
「ええ、気付いていたのね。ヴィンセント様はあなたに聞かせたくなくて、わざわざ私を連れて外へ出たのに」
「はい、メイドの方に教えてもらいました。私はまだこの国の文化には疎くて……でも、あなたがやりたかったことは、わかる気がします。私が、嫌いだったんですよね」
「……あなたが根菜を食べて穢れて、ヴィンセント様に嫌われればいいって思ったの。でも、こんな私をあの人が好きになるわけがありませんわね」
「イェシカさん……」
「私はヴィンセント様が好きなのよ」
はっきりそう言われて、カミラの胸がまた小さくざわついた。昨日、ヴィンセントからイェシカが婚約者候補だったと聞いたときと同じ感覚である。
「……あなたは?」
「え?」
「あなたは、ヴィンセント様のことをどう思っているの?」
「どうって……」
聞かれて初めて、カミラは答えに詰まった。優しい人だと思う。自分を守ってくれる人。エミリスワンを馬鹿にせず、理解しようとしてくれる人。もっと話したいし、もっと知りたいとも思っている。
しかし、その気持ちを何と呼べばいいのかはまだわからなかった。
「……大切な方です。でも、それ以上は……まだ、よくわかりません」
「……そう」
「あと、余所者だから、私は根菜を食べても穢れません。美味しく食べる方法も知ってます」
「だからなんだって言うのよ!」
「だから……イェシカさんのやったことは、意地悪でもなんでもないです。私にこの国でも美味しい根菜料理を食べさせてくれただけ……そう思うことにしました」
「……私を許すと言うのですか?」
イェシカはそう言ってきゅっと口を結んだ。カミラはできるだけ心からの気持ちが伝わるように、その瞳をまっすぐと見据える。
「はい。だからこれからは仲良く──」
「靴の件はどうしますの?」
「靴……?」
聞き返したカミラに、イェシカが小さくため息を吐いた。
「あなたに贈ったあの靴。私の思惑通り、靴擦れしていたでしょう。あれはどうするのよ」
「あれも……意地悪だったんですか? すみません、私、本当の贈り物だと思ってました。初めて履く靴はなんでも靴擦れするし……」
「あの靴で、わざわざあなたの部屋から遠いリネアの間を選んだのよ?」
「このお城は広いから、どこを選んでもそんなものか、って……」
「……本当に気づいてなかったの?」
「はい……」
「……あなた、思ったより鈍いのね。根菜の話に気づいたから、こっちも気づいていると思ったわ」
困ったように言うイェシカに、カミラは笑顔で答えた。
「鈍いのかもしれないです。だから、それは意地悪とはみなしません、むしろ上質な靴をいただいてありがとうございます。これから履き慣らしていきますね」
「……あなたは、それでいいのです……?」
「はい! これで意地悪の清算は終わったから、私と仲良くしてくださいね? それがイェシカさんを許す条件ですよ?」
「何よ、さっきまでそんな条件なかったじゃない!」
「今つけたんです!」
2人はそこまで言い合ってから、再び笑い合った。さっきまで強張っていたイェシカの表情も、ようやくやわらいでいる。もうここに来たときのしおれたイェシカはいない。
カミラはイェシカの笑顔にほっとしつつ、イェシカに微笑み返したのだった。




