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14 秋のドキドキ討伐演習


ケムエルン侯爵家本邸は静かだった。


当主代理の執務室にはトールが書類へ書き込みを行うペンの音だけがあって、他の人間の気配は無い。


元々トールが執務をこなしている間は、使用人はトールに呼ばれるか緊急の用件が無い限りは邪魔にならないよう執務室へ近づかないのがこの10年ほどのならいであった。


水害の被害算出、予算編成の見直し、人的被害への補填、近辺集落への指示、今後の予防策、やるべきことは無数にあった。


対処には、夏季休暇をほとんどいっぱい使うことになるだろう。


邪魔が入らなくて良かった、トールは無自覚に眉を寄せて心の中で呟く。


いつも通りの休暇であったら、あの女――メルカ・ロマリウスが毎日本邸正門へ押しかけて来て、メルカの身分に配慮せざるを得ない使用人はトールへ判断を仰ぎに執務室と正門を往復することになる上、トール自身も1日につき1時間弱は時間をとられているところだ。


今年はもう来ない、トールのかけた鍵は外部から開けられ、籠の中の鳥は居なくなった。


清々した、トールは無駄なインク溜まりの出来た書類に舌打ちし、別の紙を取り出す。


メルカを自由にしておけば、あの聖人と仲を深め、ケムエルン侯爵家の体面を傷つける醜聞となるだろう。


父侯爵も、ロマリウス公爵もそれは望むまい、予測出来る問題を放置しておくのは為政者として三流だ。


どうせ毎年と同じようにこの邸を訪れてトールの邪魔をするに違いないのだから、初めからここに閉じ込め、行動を制限すれば良いと考えた。


だが、メルカが本邸に居る間のトールはずっと苛立ちが続いていて、執務が捗らなかった。


あの聖人に向けたのと同じ笑みをトールへ押し付ける汚らわしさに、胸の悪くなる思いがして、あの女が妄言を吐く度侮辱を受けた気分になって。


だから、メルカが居なくなり、この休暇中はもうトールの元を訪れないだろうことに、心から清々している。


メルカが体調不良で倒れていると聞いた時などは、馬鹿馬鹿しい、どうせ仮病だと断じながらも、何故か母の肖像と墓石が脳裏を過り、思考が同じところを回り続けて、執務どころではなかった。


その上まる1日も目覚めなかった、あの女は本当に、何につけてもトールを不快にさせる……怒りが脳を焼き焦がすようで、煩わしいことこの上ない。


あの女は簡単に死んではいけない、トールへの贖罪を果たさないまま楽になるなど、許してはならない。


医者の言うことには、心的負担がどうのということだった。


あの女にそんなか細い神経があるものか、藪医者め。


内心悪態をつきながらも、カナン第二王子の名代として来た小うるさい蠅のような男にメルカを引き渡す気になったのは……やはり、執務に支障が出るからだ。


耕作地帯の近くを襲った災害への対処には全力をもって当たらなければならない、ここで何か1つでも失態を見せれば、父侯爵からトールの後継者としての資質を見限られてしまう可能性がある。


だから邪魔なあの女は王都へ帰した、下らない醜聞でも何でも、もはや好きにすれば良い。


今のトールは領政にだけ集中すべきだ、卒業後籍を入れたら、あの女をこの邸から一切出さなければ良いのだから。


この邸の外に出さなければ、あの忌々しい聖人と会うこともなく、醜聞もそのうち立ち消えるだろう。


ああ、腹立たしい、またこの思考に囚われている。


トールにはこんなつまらない話に足をとられている暇はないのだ、書き損じた書類を念入りに破いて、トールは新しい紙へ向かった。


トールの内側で、矛盾が螺旋階段のように渦を巻いているのを、トール自身が顧みることはなかった。







メルカはあの後、休暇中にユーゴと会うことはなかった。


本当に一言釘を刺すためだけに顔を、思い返してみれば視線は最初から最後まで合っていなかったので顔を合わせたというのも微妙な気はするが、とにかく直接会いに来ていたらしい。


その割にはメルカの意志についてはどうでもよさげに、さっさと話を終えたものである。


いや、どうでもいいことは確かなのだろうが。


おそらく、伯父……現国王陛下から何か言われたため、仕方なしにメルカへ直接言葉をかけるに至ったのだろう。


国王陛下はメルカやトールの父と違い、子煩悩パパという言葉の似合う常識人でいらっしゃる。


宰相と自分の弟、2人分の家庭について思うところはたくさんお持ちのようだが、いかんせん多忙を極めており、よその家庭問題に介入するような余裕はなかった。


たまに顔を合わせた際、「私の愚弟が済まないね。」と気遣ってくれる、メルカにとっては優しい伯父様である。


あの人間の出来たお父君から何をどうしてクリスが誕生したのかはメルカの中での大きな疑問ではあるものの、逆に言えばあのクリスに家族愛なるものが存在するのは国王陛下の人徳の証左と言えるのかもしれない。


それはそれとして、メルカは夏季休暇、それはもう暇だった。


例年はケムエルン侯爵領へ押しかけてトールと時間を……たとえ1日1時間以下であっても、過ごすのだけを楽しみに生きている人間であるため、それが不可能となると、本当にめちゃくちゃ暇になった。


メルカは、前世から『聖ヒロ』にハマる前までは無趣味な、何の面白みも無い人間であった自覚を持っている。


今世ではトールのストーキングが趣味だ。


唯一の楽しみが無くなったメルカは、日がな一日勉強をし、家の者に収集させたケムエルン侯爵領の情報を聞き、トールの過ごし方へ思いを馳せる、引きこもり型ストーカーになった。


ミカエルはそこそこ頻繁にロマリウス公爵家のタウンハウスに押しかけて来てメルカへ「遊ぼあそぼあそぼ~~~!」とワンワン言っていたが、今の情勢でミカエルと2人王都を歩いたりなんかした日には王都中の噂の的である。


国王陛下のお心を再び煩わせ、またも渋々メルカへ釘を刺しに来るユーゴの姿が想像つく。


メルカは今までトールのストーキングしかしてこなかったので、王都ですらほとんど見て回ったことが無い身である。


ミカエルと一緒に王都見物をするのは楽しそうだと思うのだけれど、メルカはトールに恋をしていて、そして今のミカエルは男性なのだ。


心を鬼にして、ミカエルとはロマリウス公爵家のタウンハウス内で礼儀作法等の勉強を詰め込む時間を過ごした。


そんなメルカの引きこもりぶりを見かねてクリスが頻繁に王宮へ呼んでくれたのだが、さすがのクリスも今メルカをトール関連の話で弄るほど悪趣味ではない。


無難なお茶会を終えたクリスが心底退屈気に「面白くない。」とのたまったので、メルカは「お兄様はご存知ないかもしれないのでお伝えするのですけれど、わたくしって実は人間でして、お兄様の玩具ではありませんのよ。」と嫌味を返しておいた。


そんな嫌味を意に介さずお茶会へ呼びつけては「何か面白い話無いの?」とのたまうクリスへ、メルカは暇すぎるという相談をした。


するとクリスは言うに事欠いて「そうだなあ、メルカはこれを機に一般的な人間の情緒でも学んだら?」と言い放った。


まるでメルカに一般的な人間の情緒が欠けているかのような言い様である。


一般的な人間の情緒を学ぶのに良いらしい観劇なるものへ誘った(頼み込んだとも言う)ユリエラと、観劇後のティータイムを過ごしている際、「まったくもって心外ですわ。」とメルカはクリスの言について憤慨を零したのであるが、ユリエラは複雑そうな表情で静かに目を逸らした。


ユリータス、お前もか!


遺憾の意である、メルカは愕然とした。


そんな風に、メルカの人間性について疑義を投じられた夏季休暇の後半は終わり、貴族学院は2学期の始業式を迎えた。


貴族学院は日本の義務教育と同様、3学期制となっている。


Web小説内概念における乙女ゲームの定番に即しているというのが主な理由だ。


別に夏が暑すぎるとか冬が寒すぎるとかの理由はなく、当たり前のように夏季休暇と冬期休暇と春期休暇がある。


それって制度としてどうなんだ、と転生してから疑問に思わないこともなかったメルカだったが、『聖ヒロ』のコンセプトの適当さ、(主にトールファンから)クソゲーと名高いストーリーを思えば、大した問題ではない。


始業式後の、2学期初めの始業試験では、トールとミカエルが同率1位の成績順となった。


領政に忙しくしていても、学業を怠らないトールの姿勢はやはり何よりストイックで格好いい、とメルカは感嘆の息を吐いた。


ミカエルは盛大に舌打ちしていたが。


2学期に入って、メルカはトールとの距離の取り方を変えることにしていた。


マクスの鬱陶しさを反面教師に、今までのように四六時中付きまとうことは止め、でも朝一番のAクラスの教室だとか、お昼のお誘いだとか、顔を合わせざるを得ないタイミングなら不可抗力だろうというとってつけた感の否めない基準でトールへの告白、もとい玉砕を再開している。


数ヶ月ぶりに再開された、メルカの好意のぶちまけ劇場に対するトールの返答は「煩い。」「失せろ。」「話しかけてくるな。」等である、切なくもあるが、やはりトールはクールで素晴らしい。


一方でミカエルの方とも、一緒に過ごす時間を意識的に減らしていた。


夏季休暇の間に必要な勉強の基礎から応用部分までは叩きこんだので、昼食の時間以外はミカエルと離れて過ごしている。


昼食については、トールを誘った結果公衆の面前でドストレートにフラれるメルカを、「じゃあ俺と一緒に食べよ~。」と毎回ミカエルが回収していくため、メルカも拒否しづらく、まあこのくらいは良いかと諦めをもって許容している。


今のところ、学院の噂ではメルカとミカエルの破局説、初めからミカエルの横恋慕だっただけ説、メルカの2人キープ悪女説、などが出回っているも、メルカがトールから完全に心を移した、という夏季休暇前は主流であった噂については曖昧になっているようだ。


これにはユリえもんもニッコリ、ミカエルは昼食の際分かりやすく不貞腐れている。


ミカエルには夏季休暇から数えておよそ100回は「あんな男やめとこうよ!」と言われたが、メルカが首を縦に振ることはなかった。


そのように1学期とは身の振りを変えたためか、相変わらずメルカとトールの距離は遠く、トールとミカエルの間にある空気はピリピリしているも、大きなトラブルが起こることはなく、学院の秋の初めの行事である討伐演習の時期になった。


討伐演習は、学院の2年生時から行われる、魔物討伐の経験を積むことを主目的にした、1泊2日の野宿含む実技科目である。


この科目は前提として、アムドゥシア王国の貴族の創始が、建国神話にある「神から魔法の力を与えられた聖女と剣の青年の仲間たち」であるらしいことに由来している。


建国から長い時の過ぎた現在では血の融和が進んだ結果か、国民のほとんどが魔法を使えるのだが、やはり魔力量が豊富かつ、強力で精緻な魔法の使い手となるのは貴族出身者が多い。


よって、魔王の封印が緩んだ際の活性化した魔物の討伐などは、一種の貴族の義務であるともされている。


そういった有事に動けるだけの経験値を、貴族出身の子女に積ませるための演習授業となっている。


一応、生徒の身の安全を期すため、生徒たちは各自非常時に信号を打ち上げる魔道具を持たされているのだが、使用すると授業の評価は最低値になってしまうので、回復魔法が使えるメンバーを確保したり、多少の怪我は応急処置で済ませて演習を乗り越えたりする生徒がほとんどだ。


貴族の子女が参加する授業としては、実戦に近いものとなっているのではないだろうか。


この辺りの話は『聖ヒロ』公式設定資料集153~209ページの世界観設定の章にあったことから、メルカは生まれる前から詳しかった。


討伐演習は2年生と3年生とは出現する魔物の強さで開催場所が別になる。


よって学年の垣根を越えてチームを組むことや、3年生が2年生の時の経験によって大きな有利を得るようなことはない。


ただ、クラスの垣根は取り払われるため、友人同士、派閥内でチーム分けを考えることが出来る。


チーム人数も3~5人と少人数かつ流動性のある規定となっているので、よほど日頃から浮いている人間でもなければ、チーム分けからあぶれない。


前世日本の2人組作って~! とは違い、悲しみを生むことの少ない、良いシステムと言えるだろう。


そして、メルカとトールとミカエルはものの見事にあぶれ、この3人でチームを組むこととあいなった。


人間の心理としては、修羅場は外から鑑賞するのが楽しいのであって、中心へ入って行きたいものではない、ということだ。


世は無情である。


一応、ユリエラなどはメルカのことを気にしてはくれたのだが、派閥の他の生徒を蔑ろにするわけにもいかないだろうと気を遣ったメルカが自分から身を引いた。


また、マクスはトールとメルカ両方へ「是非組もうぜ!」とやってきたものの、両者からのド直球拒絶顔を見たカナンが無言で回収していった。


去年、つまり2年生の時はどうしていたのかというと、トールが学年で成績順ぶっちぎり1位を爆走していたので、そこに一応5位のメルカが勝手にくっついた2人チームが特例的に認められていたのである。


今年はそこにミカエルが入った、ということだ。


ミカエルについては、ユリエラから紹介してもらった友人たちが居たけれども、彼らには彼らの派閥があり、また学院中の噂になっている修羅場を踏み越えてまで誘う勇気を持つほど親しくはないそうで。


そんなわけで、この、戦闘力だけは無駄に高い地獄チーム編成が誕生したのであった。


もうすごい、3年生用の演習場である王都近郊のアンヘリア山へ向かう道中からこのチームだけ異様にピリピリ、電流でも弾けているかのごとき空気を醸し出し、周囲の別チームから距離を置かれていた。


冷気と嫌悪を剥き出しにしているトールと、トールの存在をガン無視してメルカへ親し気に話しかけるミカエル、トールへ話しかけたいが明らかに地雷をぶち抜くので大人しくミカエルの相手に終始しているメルカ、三者三様の厳しさがある。


好きな人と親友と一緒という幸せなチーム編成であるはずなのに、何故このように毒々しい雰囲気なのだろうか、メルカは訝しんだ。


カナン辺りからこの話を聞いたクリスは、確実に腹の底からのバカ笑いを堪え、余人を魅了する満面の笑みを浮かべたことだろう。


そう思うと王宮に向けて呪いの念でも飛ばしたいものであるけれども、クリスは呪い返しも大の得意である、メルカ用の穴1つが発生するだけだろうな、とメルカは現実逃避していた。



「メル、アンヘリア山にはジェイソンベアが居るんだよ。乱獲して右手だけのバーベキューやろうよ」


「ジェイソンベアの討伐証明部位は顔の皮ですから、可能ではあるでしょうけれど……そんなにおいしいものでもないでしょう、右手」


「お、ご令嬢発言~! 庶民的には祭りの屋台に行列が出来るくらいのご馳走なんだよ? 干し肉だけじゃ味気ないしさあ」



ジェイソンベアというのは、風魔法の刃をチェーンソーのように円形に回す殺傷力の高い魔法攻撃を飛ばしてくる、討伐難易度がそれなりに高い魔物である。


ネーミングセンスはさすがの『聖ヒロ』クオリティといったところだろう。


討伐証明部位が顔の皮なのは、前世で見慣れた金曜日の怪人に似た仮面状の、妙な顔面を持っているためだ。


モンスターの造形にすら遊びとやっつけを入れなければ気が済まなかったのか、とは『聖ヒロ』☆3レビューの言であった。


ミカエルは当然のように乱獲して、などと言っているが、ジェイソンベアは王都近郊の魔物出現区域の中では3本の指に入るほどの強さを誇る。


本来学院の生徒が遭遇したなら、撤退戦を考えるべき相手だ。


それがミカエル――特に夏季休暇の間クリスなどという異常上振れ個体から戦闘訓練を受けていた――にとっては、うさぎを狩るのとそう変わらない。


去年同程度の魔物を魔法で遠距離から瞬殺してみせたトールも居るこのチームなら、実際にジェイソンベアを乱獲することも可能だろう。


問題はジェイソンベアの右手バーベキューなどという浮かれた所業をトールが見過ごしてくれるか、というところだが……メルカがチラと視線を向けると、心底から軽蔑しきった眼差しのトールから刺々しすぎる言葉が飛んでくる。



「演習に娯楽を求めるとは、教員からの心証を下げる趣味でもあるのか? 一応はまだ首位を保っている馬鹿とはいえ、その慢心に付き合って僕が成績で足を引っ張られる謂れはない」


「確かに、1学期末2位だった人は足を引っ張られたら沈むんじゃないかと感じてご不安でしょう。俺にとっては慣れた山ですのでついいつも通りに過ごそうとしてしまいました。お屋敷暮らしのお貴族様には危険な遊びでしたね、失敬」


「人の不調のお陰で辛うじて獲得したトロフィーを誇らしげに振り翳す卑しさは流石庶民といったところだな。足を引っ張ればまた同じものが手に入ると思っているなら大きな間違いだ、僕と関係のないところでなら好きなだけ生臭い獣肉を貪っていろ」


「あ~、調子が悪かっただけって言い訳、よく冒険者ギルドの庶民の口からも聞きましたよ。同じ言葉がお貴族様の口から聞けるとは思いませんでした。貴重な機会をありがとうございます」


「殺されたいか、無礼者」


「まさか。演習前にお怪我を負いたくないならお上品に行軍していてくださいよ」



煽る煽る、もう言葉のナイフが飛び交うっていうか剣戟レベルであった。


何なら今すぐにでも本気の殺し合いが始まりそうな雰囲気であったので、メルカは立場上ミカエルを窘めた。



「ミカ、元はと言えば遊び半分の貴方の発言が良くなかったのだから、トール様へこれ以上無礼を働くのは止しなさい」


「はぁ~い」



ミカエルは全く態度を神妙にすることなく、軽い調子で言い争いをやめてメルカの隣に並ぶ。


その当然と言わんばかりの立ち位置に、トールは不愉快を全面に出して顔を顰めた。


このチーム大丈夫なのかな、チームワークという単語から最も遠い位置にあるけれども……メルカが懸念した通り、演習場についてからは頭を抱える事態に陥った。


基本的に、魔法と剣であれば、剣の方が早く敵へ攻撃が到達する、というのが世間の一般認識である。


魔法にはどの属性の魔法をどのくらいの威力で行使するか、それにどれほどの魔力を使うか、という思考が挟まるからだ。


だが、それは貴族学院きっての秀才であるトールには当てはまらない話だった。


トールは500m以上離れた魔物の接敵を常時展開している水属性の索敵魔法で察知し、離れたまま魔法を撃ち出して討伐している。


そもそも、空気中には必ず水分が存在するから、という理屈で行使される水属性の索敵魔法というのが規格外の術理であり、また500m以上離れた敵を、敵だけ正確に撃ち抜く魔法の技量などは、もはや人間離れしている。


ミカエルは魔法にも剣にも長けているが、流石にそんな離れ業は出来ない。


いややろうと思えば出来るけども普通はする必要が無いのでそんな技は身に着けてこなかった、というのが正しい。


もちろん、この討伐演習でも、そんなことをする必要はない、チームワークという単語が存在していたならば。


チームワークなるものがドブ底に追いやられたこの地獄チームにおいては、先に魔物を狩った者勝ちであり、そこにコミュニケーションの挟まる余地は1ミリもなかった。


夕食時が近くなった道中、またしても遠距離魔法で魔物を仕留めたらしいトールが持ってきたのは熊型魔物の顔の皮と右手である。


トールはその右手の方だけをミカエルへ放り投げ、こう言い放った。



「お望みの獣肉だ、好きなように食べれば良い」



これにはミカエルもこめかみに青筋を浮かべ、一触即発の空気が場を支配する。


さすがに、メルカはここではトールへ意見を述べた。


というのも、500m以上の範囲での索敵魔法の展開など、常人がやれば5分ともたず倒れてしまうほど負担が大きい。


その上日中から夕方まで、攻撃魔法を延々撃ちだしているのだ、いくら魔力量に長けた高位貴族とはいえ、限界というものがある。


貴族としての気品で隠してはいるが、トールが疲労困憊なのはメルカの目から見たときだけ明らかであった。


ミカエルへの対抗意識は仕方がないにしても、このままではトールが倒れてしまう。


だが素直にそう言ってもトールは認めないだろう、特にメルカの口からの諫言など、聞きたくもないに決まっている。


そのような論理でもって、メルカはトールへ成績の話をすることにした。



「あの、トール様。このままではわたくしはともかく、ミカ、エル・アルマロスの成績が空白になってしまいますわ。そうなりますと……」



ミカエルの成績が日頃から振るわないものであれば、教師もさほど気にしなかったかもしれないが、ミカエルはトールと同率1位を獲っている生徒である。


ミカエルの魔物討伐数があまりに少ないと、トールが独走したことは明白になり、チームワークと体力・魔力配分の観点から、逆にトールの成績に失点が入るだろう。


と言おうとするも、トールはメルカの声を遮った。



「お前は、その男に成績を譲れと、まさかそう言いたいわけか!?」



急な怒声に、メルカは一瞬怯んだ。


しかしここで黙ってはまた1学期の繰り返しである、メルカは胸の前で手を合わせ、自身の手の甲に爪を立てるようにして自分を奮い立たせた。



「いえ、違いますわ……! わたくしは、トール様が無理をなさっているのを止めたくて」


「無理などしていない! 冒険者は朝から日が暮れるまで魔物を狩るという、お前、僕がその男に劣っているとでも言うのか!」



当たり前だが、トールの冒険者知識は偏っている。


朝から日が暮れるまで魔物狩りに出る者がいることは確かだが、その間ほとんど食事休憩だけで、常時魔法を展開しながら、遠距離魔法を撃ち続けて30体以上もの魔物を狩り続けるような者は存在しない。


せいぜいが偶然、もしくは計画的に遭遇して5体から10体というところだろう。


確かにミカエルは元々冒険者をしていたけれども、生活水準を高めるために必要な数以上は狩っていなかったはずだ。


冒険者ギルドは魔物討伐や採取依頼で生計を立てる庶民の集まりであり、他者の稼ぎを脅かすほどの魔物の乱獲は敵を作ることに他ならない。


そういった理屈を、怒りを顕わにしているトールへどうやって説けば良いのか分からない、メルカは助けを求めてミカエルを見た。


しかし見上げたミカエルは、メルカには、否、メルカ以外の者を含めてもきっと誰にも向けたことのないような酷く冷たい、怒りか侮蔑か、あるいは憎しみ……長い付き合いのメルカにも分からない悪感情の籠った目でトールを眺めている。


ミカエルへの言葉も失ってしまったメルカは、ただトールから視線を外してミカエルを見た、というだけの図を作ってしまい、トールの神経を逆撫でした。



「表向きは僕の名を呼びながら、心はその男に許している! そんな愚物の愛妾のごとき女の言葉を、誰が信じるものか! やはり王都に帰すのではなかった、お前など、ずっとどこかに押し込んで……僕の目の前から消えてしまえば良い!」


「……!」


「おい、アンタいい加減に……!」



言葉を詰まらせたメルカを庇ってミカエルが前に出た、その時だった。


円を描く複数の風の刃が数m以上離れた場所から、メルカたちへ向けて放たれる。



「メル!」



ミカエルが剣を抜き、光属性魔法のシールドと合わせて魔法攻撃を防ぐ。


山間でのことである、周囲の木々がなぎ倒され、土埃が舞い、メルカたちの視界を塞ぐ。


その中でも、風の刃は的確に、執拗なまでにミカエルを狙って撃ちだされ続ける。


ミカエルはメルカだけを護っており、初撃が撃ち込まれた際に分断されたトールがどうなったのかが分からない。


メルカはトールを探して駆けだしたくなる気持ちをミカエルの負担になると理性で押さえつけ、土埃と倒れた樹々の向こうにトールの姿を探した。



「ゴホッ、クッソ、この魔力……母親のジェイソンベアだ……! あの馬鹿野郎、子熊を狩ったな……!?」


「ミカ、トール様が……!」


「メルのおバカ、あんな野郎を気にしてる場合か! 相手は位置を変えながらこっちを確実に狙って来てる、一旦射程外に退くよ!」



ミカエルは剣を抜いた際に地面へ放った熊の手を蹴って遠ざけてから、シールドを維持しつつメルカを抱えて後退する。



「トール様……!」



実戦経験はミカエルの方が遥かに上だ、そのミカエルが退くと判断しての行動に逆らえば、メルカのみならずミカエルの身も危険に晒すだろう。


メルカは離れていく混乱の場を懸命に見つめ、トールの無事な姿を探し続けていた。

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