終頁
「お願いします! 静琉に教えてください!
静琉の願いはわたしの願いなんです!
お願いします! 六花先生! 六花さま!」
おバカなフィーユはフィーユなりに一生懸命なのだった。そんなけなげなフィーユを見て、静琉は思わず涙がにじんだ。静琉は迷わずフィーユの隣に座り、フィーユと同じように土下座の姿勢をとった。静琉は「お願いします」と言って、土下座したまま六花の返答を待ち続けた。
六花は「くくく」と小さく笑い始めた。音のない倉庫の中に、六花の不気味な笑い声がいつまでも響く。
「そいつ……フィーユといったか。
フィーユに頭を下げられると、オルールに
土下座されてるみたいでかなり笑えるな」
ひとしきり笑った六花は、笑いのなごりも残さずにいつもの無表情に戻った。
「おい、お前ら。頭上げろ。見苦しい」
静琉とフィーユは上体を起こし、正座したまま六花の顔を見つめる。
「簡単に土下座なんかするな。
やればやるだけ品位が下がる。
社会じゃ土下座もそうそう通用しない。
殺されそうになって、最後の命乞いを
する時用にでもとっておけ。
私は殺されても土下座なんかしないし、
相手をどうぶち殺すかしか考えないがな」
静琉たちの土下座を六花が何とも思ってないことは、彼女の話と冷たい態度から明らかだった。静琉の胸に暗い感情が広がった。
六花はフィーユの悲しげな顔を見た後、どこか遠い目で封印固定されたオルールを見た。
「オルールが言っていた。孤高はむなしいと。
誰かといっしょに歩くのも悪くない、と。
オルールが消えて、私とまともに殺し合える
やつももういなくなった。
誰かと力比べするのも、もうあきてしまった。
オルールの遺言が正しいのかどうか確かめて
みるのもいいかもな」
万感をこめてそう言ったあと、六花は静琉を見つめた。静琉も吸い込まれるようにして六花の目を見つめ返した。六花は視線の先を白いギブスで固定された右腕に移した。
「この両腕、骨は粉々、筋肉も神経も
ぐちゃぐちゃの滅茶苦茶、普通なら切断
する以外処置する方法がないらしい。
式で治療中だが完治させるには数ヶ月は
かかる。
現在、文字通り手が足りない。
雑用として働くなら、使ってやってもいい」
六花はあいかわらず無表情で、その目は冷たく、厳しい。しかし、静琉はそこにほんのわずかな温かみを見たような気がした。
「先に言っておくが、教師としての私は
おそらく最低だ。
わざわざ丁寧に教えてやるつもりはないし、
どうすれば上手くなるのかも教えられない。
私は最初から上手かったから上達方法が
分からない。
式は私の感覚で書いているから、言葉では
上手く説明できない。
お前が勝手に技を盗んで勝手に上達しろ」
静琉はこくこくとうなずいた。まるで夢のような出来事。静琉は座ったまま、現実感がわかなかった。
「私のような式使いになりたかったらな、透風。
我がままになれ。孤立しろ。
我がままでなければ、好きなことなどできない」
「私の連絡先はここの店長にでも聞け。学びたくなったら奉仕しに来い」。六花はそう言い残し、静琉とフィーユに背を向けた。
出入り口に向かって歩いてゆく六花の後ろ姿を見て、静琉ははじかれるようにして「ありがとうございますっ!」とさけんだ。六花は振り返らずに倉庫から出て行った。
「やった! やったよ静琉!」
フィーユが静琉に抱きつき、あはははっと笑いながらぎゅうぎゅうと抱きしめる。静琉はぽろぽろと涙をこぼしながらフィーユにお礼の言葉をくり返す。
喜びが止まらないフィーユは静琉を押し倒し、力強く抱きしめ、笑いながら脚をばたばたと動かし続ける。フィーユはオルールの娘であり、人間よりも数段力が強い。抱かれる静琉は骨がきしみ、胸が押さえつけられて息ができない。窒息する寸前で、静琉は苦しいことを手振りで伝え、フィーユから解放された。赤い顔でせきこむ静琉に、フィーユは泣きそうな顔で「ごめんね。ごめんね」とくり返す。静琉は苦笑しながらフィーユの頭をなでた。
静琉はフィーユとともに立ち上がり、オルールの身体を封印した結晶体の前に立った。静琉は手を伸ばし、四角柱にそっと触れる。ちょうど結晶ごしにオルールのほおに手を添えているようだった。
「ありがとう」
もう動きもしゃべりもしないオルールに静琉は温かい声で言った。恐ろしくてたまらなかった魔女オルールに、静琉はいま感謝と敬意を抱いていた。六花の内心は分からなかったが、彼女の決定にオルールとの関係が大きく関わっているらしいことだけは読み取れた。お礼の言葉がどこかで旅をしているオルールに届くことを祈って、静琉はフィーユと倉庫を出た。
店内に六花の姿はなく、彼女はすでに白夜堂をあとにしたらしかった。個室の中でずっと待っていた店長も無視して帰ってしまったらしい。「姐さんそのまま帰してどうすんだこのバカ!」と静琉は店長に怒鳴られたが、店長に怒られるのはいつものことなので静琉はべつになんともなかった。
静琉はカウンターで店番に戻り、椅子に座る。静琉の隣に、フィーユが彼女用の壊れかけたパイプ椅子に座ってにこにこ笑っている。静琉とフィーユは無垢な乙女のように、ずっとくすくす笑い合っていた。
六花がいなくなってから時間が経っても、静琉は興奮が覚めずに心臓が高鳴っていた。六花は厳しく、恐ろしい人間だ。好きなことをやるためには我がままたれという六花の話も、静琉には当たっているようにも思えるし逆に間違っているようにも思う。現時点では、まだまだ六花は理解不能な天才だった。
でもきっと、彼女からたくさんのことを学ぶことができる。六花のそばで勉強し、努力を続ければ、きっと静琉はどこまでも自分を高めてゆける。静琉が知らない綺化式の世界の奥へ、踏みこんでいくことができる。
静琉は荷物入れのトートバッグから護身用の式本を取り出し、それをカウンターの机に置いて広げる。そして今まで書いた拘束式を読み直し、まだ何も書いていない白紙のページを開いた。
この真っ白なページにはまだ何も書かれていない。静琉は何を書いてもいい。なんでも書ける。どんな未来だって、静琉の手で自由に書き出すことができる。
静琉は気持ちが高まっているせいで、せまい店から広い場所へ出たくなった。もともと客はめったにやってこないので、少しの間だけフィーユに店番を任せて白夜堂を出る。
ビルの階段を上がり、踊り場から夜空を見上げる。顔に吹き付ける風はまだ冷たい。
夜空は闇に覆われている。しかし、よく見つめれば、闇の中に光る星がいくつも見つかった。先が見えない現実や未来も、案外この夜空と似ているのかもしれない。
時は三月の下旬。冷たい雪と風に閉ざされた冬が終わり、暖かな春が始まろうとしている。時が経てば暗い夜が終わり、明るい朝がやってくる。
明日から春休みだった。さっそく六花さんと連絡をとって仕事を手伝わせてもらおうと静琉は思う。部屋の掃除でも、買い物でも、洗濯でも、郵便物の世話でも、六花のためなら何でもしようと考えていた。式を学ぶための雑用なら、静琉は嫌な思いなど何も感じなかった。
フィーユを連れて行ってもいいのかな。六花さんはオルールと何やら親しいみたいだし。でも遊びに行くんじゃないからな。静琉は隣のフィーユをちらちら見ながらそう考えていた。
静琉はポケットからメイプルリーフ金貨を取り出し、それを見つめた。今ではこれは大切なお守りだった。
オルールは"森"の先へと消えてしまい、オルールが静琉に金貨をよこした意味を聞きそびれてしまった。きっとこれからも永遠に彼女の真意は分からないのだろう。
静琉はこの金貨に、静琉なりの解釈を与えることにした。このメイプルリーフ金貨は、ギャンブラーの証なのだ。オルールとのギャンブル勝負で全額勝負にでることができた過去と現在をつなぐ、勇気ある勝負師の証。
これから静琉は長い長い勝負に出る。賭けるものは自分の人生。勝って自分が生きたい人生を得るか、負けて人生を失うか分からない。
それでも、もう決めたのだ。オルールがそうしたように、自分以外に誰もいない、安全とも安楽とも無縁の静琉だけの荒野を進む、と。六花のような自分の心に従う人になる、と。
不安も恐れも重りのように静琉の足にまとわりついたままで、静琉はまだそれを断ち切ることができない。もしかすると、やりたいことをやると決めたとなれば、足かせについた重りは生涯つきまとうものなのかもしれなかった。
重りを断ち切り不安から解放されなくても、静琉はかまわなかった。重りをひきずったまま、辛さも危険も受け入れて、ゆっくり自分の道を歩いていこうと思っていたから。そしてそう腹を決めた今では、迷っていたときよりもずっと気持ちがすっきりとして、心がまっすぐになっていた。
静琉は金貨をぎゅっとにぎりしめ、目を閉じて希望とやる気に満ちた笑みを浮かべる。静琉が賭けたチップは硬く、折れず、砕けず、黄金色にかがやいている。
了
完結です。読んで支えて下さった皆様に心からの感謝を捧げます。風邪を引かないように、良いお年を。