20、第一章エピローグ『キミの在り方』
「いや、ヴラシチミルがいて良かったな」
死屍累々とも呼んでいい惨状に、オレは笑いかける。
地面には埋まったままのEAが、沢山放置してある。中の人間たちも死んではいないが、その辺で虚ろな目をしているヤツが多い。
「こんなことのために呼ばれたわけじゃなかったんですがねええ……」
枯れ木のようなエルフは、珍しくがっくりとした表情で、地面にめり込んだ汎用機ボウレたちの修理をしている。こう見えてもEA開発局主任だ。ここまで来たんだから、働いてもらおう。
「ボウレもやはり頑丈だな」
すでにレナーテの魔力体ともいうべき存在は消え去っていた。
飛行船から落下した左軍のEA兵も、一応全員無事だった。なんかトラウマを抱えた目をしている奴らが多いが。
ふぅと小さな息を吐いた瞬間に、肺の中から何かが押し上がってきた。
思わず咳き込んでしまい、地面にそれを吐き出した。
「少佐っ!?」
ヴラシチミルが珍しく心配げな様子で駆け寄ってくる。
「ああ、大丈夫だ。治癒魔法はかけてもらったんだが、肺の中に血が貯まっていたようだ。散々弾き飛ばされたからな」
周囲にはまだ、魔力から魔素に還ろうとしている光が見えていた。おかげで魔素が濃いようだ。
親指で口元を拭い、背筋を正す。
ふと、視界の端に軍人ではない集団が見えた。
「あいつらが反乱組織か」
腕にロープを掛けられた集団が、左軍の兵士に連行されていく姿を見る。一番先頭にいる眼光鋭い男が、オレの姿を見つけて睨む。
だがすぐにロープを強く引っ張られ、下を向いて連れていかれた。
リリアナには悪いが、アイツらがどうなるかは知ったことじゃない。
賢者たちに協力した証拠がなければ、大した罪に問われず終わるかもしれんがな。
「シュタク少佐」
声を掛けられて振り向けば、少し疲れた顔のエリク・イェデン・メノアがこちらに向かってきていた。
「これはエリク殿下、飛行船内からの落下指示、ありがとうございました」
腹違いの兄上とはいえ、今のオレは軍人なので、敬礼をして迎える。
「全く、とんでもないことをさせられたよ……」
「賢者と勇者には逃げられましたが、レナーテとの前哨戦を制した、という功績はエリク皇子のものでしょう」
「だと良いけどね」
本陣を襲撃されたエリクが、停泊していた飛行船へと辿り着いたとき、オレは彼に作戦を話した。
最初は信じられないという顔で聞いていたが、船長のダリボルと協力してよくやってくれたようだ。
まあ本陣を襲われ、EA部隊も半壊していたのだ。起死回生を求めて従うしかなかっただろう。
そもそもエリクは、皇帝への道を確実にするための功績作りに来たんだからな。
「付与魔法のEAへの重ね掛けをしていなかったら、彼らは全員死んでいたよ」
呆れたように肩を竦めるエリクに、オレも笑う。
「EAに最初から掛けられた硬化に、ペトルー主任が付与魔法を重ねがけしてくれたようですからね。効果は短いが、必要なのは一瞬だ。もっとも、内部刻印の付与だけで大丈夫だとペトルー主任は言ってましたが」
それだけEAというものに自信を持っているんだろうな、ペトルーは。
「やっぱりダリボル船長の操船技術も良かったし、彼は欲しいね」
「いえ、最大の功績はエリク皇子が落ちるタイミングを決めてくれたことでしょう。さすが帝国内の至るところで、測量のために飛行船から部下を叩き落としてきただけはある」
これは掛け値無しの賞賛だ。兄のエリク自身もわかっているのだろう。
EAは空を飛べないのだから、空中での姿勢制御など出来ない。当たると思われるタイミングで落とすしかなかったのだ。
以前、彼がそんな話をしていたことを、覚えていたゆえに思い付いた作戦だ。
「あの巨体だからね。と言っても、当たったのはホンの十機ほどだろうけど」
「それでも、やはりエリク皇太子の功績が大きいですよ。当たらなければどうということのない攻撃ですから」
「素直に褒められておくか。でもヴィート・シュタク少佐?」
「はい?」
「もし失敗しても、君一人でどうにかしたんじゃないかなと思うんだが、どうだろう?」
意地の悪い笑みを浮かべながら、エリクが問い掛けてくる。
オレも不敵に笑いながら、
「さあ、どうでしょうね」
と曖昧に返しておいた。
その言葉に、エリクが苦虫を噛み潰したような顔を浮かべたが、すぐに笑みへと変え、
「さて、君はどうするんだい?」
と気さくに訪ねてくる。
「休暇中に作戦に無理矢理割り込んだんです。罰は受けますよ。とりあえず帝都に戻ります」
「ふむ、その後は?」
「そうですね……」
リリアナたちは、レナーテが最後に力を振り絞った転移魔法でどこかに飛ばされたようだ。
もっとも、最初から使わなかったところを鑑みるに、真竜国本土ということはないだろう。
「また、女のケツでも追いかけますよ」
そう言いながら踵を返し、戦場を後にするのだった。
……宿に婚約者のシャールカを放置している、という恐怖に怯えながら。
マスクとカツラを外し、宿泊しているちょっと高級な宿屋の一室に戻ってきた。
「あら、お早いお帰りですね、シュタク少佐」
もの凄い冷たい声で迎えてくれる我が婚約者様に、つい冷や汗が垂れる。昨日の男装姿ではなく、目立たない程度のお忍び服という感じだ。
「す、すまん」
シャールカがベッドに腰掛け、読んでいた本に再び目を落とす。
怒ってるなぁ。
何か年下が怒ってると、どうにかしなきゃならん気になる。ある程度親しいなら、尚更だ。
「きょ、今日は何をしていたんだ?」
「少佐が出られてからずっと、宿屋内に籠もっていましたが何か?」
ペラっとページを捲るが、視線がこちらを向かない。怖い。
「そ、そうか。夜には飛行船で帝都に帰る予定なんだが、その……乗ってく?」
「いえ、結構です。家の者もいますので、シュタク少佐お一人で帰られてはいかがでしょうか?」
「お、おう」
ありがとう、そうさせていただきます、と言いたいところだけど、言ったら怒るだろうなぁ。うちの母とかが。
「え、えーっと、そうだ、喉渇いてないか? 冷たい物でも飲みに行くか?」
「いえ、冷たい物でしたら先ほど、宿屋の方にいただきましたので」
「お、おおう」
高級な宿屋のサービスが今は憎い。
「え、えっと、そうすると……」
「御用はお済みになられましたか?」
ページが紡がれる音と共に、シャールカがオレの顔を見ずに問い掛ける。
「……ん、まあ終わった、とりあえずは」
「そうですか」
パタンと本を閉じ、彼女が立ち上がる。
そしてドア側でたじろいでいたオレの元に歩み寄ると、顔を覗き込ませてきた。
「……どうした?」
「お怪我をされてますね?」
「あー」
障壁を張り損ねた状態で、レナーテから何度か大きいのを食らったからな。
「回復魔法をかけます」
「……わかった」
左軍の魔法士に掛けて貰ってはいたが、ちょっとした打ち身程度は遠慮したのだ。忙しそうだったしな。
「上着をあげてください」
「へ?」
「上着をまくり上げて下さい。その服では魔法の通りが悪くなります」
「わ、わかった」
言われるがままに自分のシャツをまくり上げ、胴を露わにする。
「……傷だらけ」
「そうか? 軽傷しか残ってないと思うが」
「いえ、古傷が多いということです」
「あー。戦場で突っ走ってついたヤツは、応急治療で済ませるし跡を消すまでかけるってのも気が引けるしな」
戦場じゃ血が止まれば良いってのはあるし、何より高度な回復魔法を使えるヤツを、オレがいるような前線に立たせることはまずない。
それに、すでに傷が自然治癒である程度治ってしまった場合、そこから治癒魔法をかけても、元通りに治らないそうだ。母さんの顔の火傷も同様で治らない。
バルヴレヴォを手に入れるまでについた傷ってのも多く、もう完全には治らない。
「冷たっ」
シャールカの右手がオレの胸の真ん中に触れる。
「お静かに。集中します」
「わかった」
「癒やしの加護、マァヤ・マークの左手と共に」
目を閉じ力を抜いて立つ。わずかな温もりがシャールカの手から伝わってくる。
それもすぐに消えた。
残ってたのは打ち身ぐらいだしな。
「終わりか?」
魔法の効力が終わっても、シャールカは手をオレの胸に置いたままだった。
「ルカ?」
「……険しい道です」
「ん?」
「勇者リリアナ・アーデルハイトを殺さずに、真竜国を滅ぼすというのは、とても険しい道です」
いつもどおりの平淡な調子なのに、語尾のあたりで声が震えていた。
「わかってる」
「……滅ぼさねばなりませんか?」
「ああ。やらなければならない」
「レナーテ様まで?」
「もちろんだ。今日、感触は掴めた。本番もやれる」
あの仮初めの肉体ほど弱くはないだろう。想像の遥か上かもしれない。
だが、やる。
「……馬鹿ですね」
「考えてるさ」
ヴレヴォの町だけじゃない。侵略された土地に住んでいた帝国臣民たち。死なねばならなかったとは思わない。
「……実は、エリク殿下の妃として内定していました」
「そうか」
帝国でもっとも名の通った貴族令嬢。そら皇太子妃として、そして未来の皇妃として求められても不思議ではあるまい。
庶子の元に嫁がせるには惜しい人材だ。本来ならオレの嫁になるのは、良くても伯爵令嬢である。
「一生に一度の我が儘でした」
「幸せにはしてやる。多分な」
「……そんな未来は見えません」
「そうかい」
「でも」
「ん?」
「ちょっと今、幸せです」
「あー、そうかい」
美しい銀髪にポンと手を置いて、投げやりに言い放つ。
その言い草にだろうか。オレの胸に頭を預けたまま、シャールカが小さく笑った気がしたのだった。
飛行船で帝都に戻り、シャールカを無事屋敷に戻した翌日の夜。オレはヴレヴォの共同墓地にいた。
今晩は月が二つとも明るい夜だ。立ち並ぶ石碑たちの字も読める。
何かに一区切りがつく度に、オレはここを訪れていた。
「よう、みんな、また来ちまったよ」
夜風が騒ぎ、墓地に植えられた木々がざわめく。
ドゥシャン、イゴル、アレンカ、ブラニスラフ、リベェナ、オティーリエ。
オレが建立した小さな墓が並ぶ。
その中に彼らの死体はない。
解放されたヴレヴォの町からは、骨の欠片すら見つけることができなかったのだ。
「リリアナに会ったよ。アレンカは結婚したか? だってさ。アレンカならきっと、良い母親になっただろうなぁ」
妙に年上ぶった女の子で、あれしろこれはしちゃ駄目とうるさかった。
幼いオレとしては小うるさいと思ってた。だが、今となっては聞けなくなった、彼女のキンキンと耳に響く怒鳴り声が懐かしい。
「そう考えると、オレたちも、結婚してるような年になったんだなぁ……」
涙が零れる。
もう会えない彼らの顔が、閉じた瞼に浮かぶ。
十年も前というのに、女々しいことだ。
「たまに来てた貴族っぽいあのルカが、実は公爵様の孫でさ、オレの婚約者なんだとさ。驚くかな?」
驚くだろうなぁ。
昔は人見知りでオレがみんなに紹介しても、虫の鳴くような声でしか喋れなかったもんな。
「リリアナもルカも、綺麗になってたよ。アレンカ、可愛がってたよな、あの二人」
足の力が抜け、ついしゃがみ込んでしまう。
「でもさ、リリアナは、オレを殺してでも止めたいみたいなんだ」
乾いた笑みが漏れる。
誰もいないとき、ここでしか正直になれない。
「どうして、こうなっちまったんだろうなぁ……」
いつまで経っても消えない、彼らの死ぬときの光景が。
忘れちゃえとか、アレンカなら言うだろうか。
「今だから言うけど、アレンカのこと、ホントに姉ちゃんのように思ってたよ。アレンカ姉ちゃんって呼ぶと、ホントに喜んでたよな」
屈託のない笑みを浮かべ、怒ってて説教してても、その言葉を言うだけで急に笑顔になってオレを抱きしめてた。そんなアレンカは、もう死んだのだ。
最初に、敵国の兵士にドゥシャンが斬られた。
イゴルがリベェナを火炎の魔法から庇おうとして、二人とも焼け死んだ。煤しか残らなかった。
オティーリエが立ち竦んだけど、両手を伸ばして、オレの逃がされた方向に行かすまいと泣きながら失禁しながら、でも駄目って言って、そして竜騎士の操る竜に食われたんだ。
燃える町でアレンカが落ちていた剣を奪って、襲いかかったけど返り討ちにされて、押し倒されて、助けようとしたブラニスラフは冒険者に両断され、アレンカは相手に噛みついて、逆上した相手に首を折られて死んだ。
ああ、思い出すと悲しくて悲しくて。
悔しくて悔しくて。
何日経とうが何ヶ月経とうが、どれだけ冬と夏を超えようが、きっと変わらない。
解放されたヴレヴォの町に入ったとき、もういないとわかってても、みんなの名前を呼んで町中を走り回ったんだ。
「こんな顔、お前らに見せる顔じゃないな」
涙を拭い顔を上げる。
彼らの死にゆく姿を思い出すだけで、静かだった胸の中が煮えたぎる。
炎が生まれ、暗い暗い闇を明るく照らす。
足に力が入り、立ち上がることができる。
絶望の奥にいた人間には、恨みすら生きる活力となるのだ。
あのとき得た感情が、ヴィート・シュタクとなって、奴らを滅ぼす。
「また、来るよ、みんな」
悲惨に過ぎると、剣聖が言った。
鬼畜のごとき所業と、賢者が言った。
復讐が復讐を呼ぶと、勇者が言った。
許しは請わないと、龍が言った。
ならば。
ならばヴィート・シュタクはいつでもこう言うだろう。
「リリアナ以外を、皆殺しにして終わればいい」
二つ満月に照らされたその石碑たちを背中に回し、また歩き出すのだった。
二週間の謹慎の後、オレは軍務に復帰した。
マスクを付け、銀髪のカツラを被りヴィート・シュタクとして帝都の基地へと出勤する。
右軍EA開発局の飛行船発着場にあるのは、魔法と最新の技術によって組み上げられた飛行船『ルドグヴィンスト』。
その前に並ぶのは、ペトルー夫妻によって改修された白地に赤青緑の線が入ったレクター。そして中央にはオレの専用EA・バルヴレヴォが立っていた。
部下たちが迎える中、オレは声を上げる。
「諸君、さっそくだが、次の任務が決まった。北西にあるボラーシェクに近い古代遺跡。そこで賢者の姿が確認されたそうだ」
赤い髪を結い上げた女剣士ミレナ・ビーノヴァーが、一歩前に出る。
「次こそは必ずや!」
彼女の胸元で、コンラートたちにはない階級章が光る。彼女は昇進して中尉となり、副隊長の任に着いた。
シュテファン、まだ拙いところの多い後任だが、あの世から見守ってやってくれ。
「期待している。では各員、乗船開始!」
『ハッ!!!』
コンラートどころかテオドアまで、真面目な顔で飛行船に向かい走って行く。
さて。
再び称号持ちと戦う予定となった。
賢者が何らかの狙いを持って、遺跡に潜っているはずだ。
前回はレナーテのおかげで捕縛すらできなかったが、アイツの幸運もここまでだ。
オレも飛行船の内部に入り、船長席の横に配置された指揮官用のイスへと腰掛けて足を組む。
「では、ダリボル、頼む」
横にいる熟練の船長に声をかける。
「了解。甲部プロペラ速度上げ、魔石の燃焼開始、上昇準備。右軍所属第二飛行船ルドグヴィンスト、発進する」
『了解しました!!』
船員たちが軽快に返事をし、EA移送飛行船が空へと浮かぶ。
「さあ、シュタク特務小隊、行こうか!!」
帝都の空から北西へ向かい、オレたちは再び戦場を目指して飛び立つのだった。
第1章はこれにて終了です。
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