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旅商人ニナ ―守護獣と巡る街と品の物語―  作者: 秋野 玲
第一編 ユートルデ王国  第一章 ヴィヴィエン
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001 はじめての商売

はじめての街、はじめての市場。

村にはなかった店の数々に思わず目を奪われる。


花屋では花びらが波打つチューリップが瑞々しく咲いている。

見たことがない種類だが、どこで採れるのだろう。


向かいの店は羊毛を扱っているらしい。

刈り取ってすぐらしく、白や灰色のふわふわの中には細い藁がくっついている。

ほんのり獣の臭いが漂っているが気になるほどではない。


空は真っ青で、道を吹き抜ける風はきりっと冷たくて目が覚める。

こんな素敵な日に私の商売がスタートするなんて、最高!と思っていたのに。



『ぜんぜん売れないじゃんよー。ニナいつまでここにいるの?』


「うっ...それは言わないでよ。もうちょっとだけ、ねっ?」


すでに太陽は真上近くになっている。

ずっと日向で座っているせいか、額には汗が滲んできた。

踏みしめられて硬くなった地面でも、意外と照り返しがある。


『えー。じゃあボクは休憩してるからねー!』


ピピはそう言ってお尻をぷりぷりさせながら鞄の下に潜っていった。

小さな陰だが、ヤマネには十分な大きさらしい。


エルセイの村から最も近い都市、ヴィヴィエン。

ほんの数時間前までは賑わいを見せていた市場も、次第に客足は減ってきた。

通りには未だ何人かの客はいるものの、馴染みの店で世間話に興じていたりと、私の店に近づく気配はない。

ピピから文句が出るのも当然だ。


(一体何がよくなかったのかな)


店を出してからしばらくは熱心に呼び込みをしていたが、市場をゆく人々はちらりと目をやるだけ。

たまに、ゆっくりと歩きながらのぞいていく人はいるけれど、声をかけるとすぐに去ってしまう。

今ではすっかりたるんだ空気が流れている。

私自身もそれに流されるように、いつしか呼び込みもやめてしまった。


(せめて話を聞いてくれたら、良さが伝えられるのに)


静かに座るだけになった私を不憫に思ったのだろうか。

左隣で出店していたおばさんが、ドライフルーツを一つ買ってくれた。

800アウロの売り上げだ。


おばさんの店は、ベリーにイチジク、アンズなど私の店を上回るほどの種類のドライフルーツが並んでいて、なんだかキラキラして見える。

いくつかのビンは、既に空になっていた。


『よかったね。初めてのお客さんだよ』


休憩しているのも飽きたのか、ピピが話しかけてくる。

確かにピピの言う通りではあるのだが、素直に喜びにくい。

商品を評価して買ってもらえたわけではないだろうから。


周囲では店じまいを始めるところも出てきている。

通路の向かいの店など、朝からひっきりなしに人が訪れていて、今はほんの少しの干し肉が残っているだけだ。

店主はてきぱきと帰り支度をしている。


(...引き際も大事なのかもしれない)


諦める気はさらさらないが、このままでは上手くいきそうにない。


「ピピ、やっぱり店を閉めてもいい?他の店をもっと見てみたいの」


『もちろん!さあ、どこに行く?』


ここで撤退すると、今日は赤字が確定する。

損することはもちろん怖い。

それでも、明日以降取り戻せばいいと割り切って、目の前に広がる品物をまとめた。










『ボクおなかすいた...。なにか食べるものないのー?』

「屋台を見つけるからそれまで待っててくれる?」


鞄をくんくんと嗅いでいるが、中身は売り物なのであげるわけにはいかない。

朝は軽食で済ませたので、確かにお腹は空いてきた。


(ピピも食べられそうなものを探そう)


周囲にはもうあまり店は残っていない。

その中でも今食べられそうな物を扱っているのは青果屋くらいか。

片付けをしているところに慌てて駆け込み、恰幅のいいおじさんにリンゴとブドウを売ってもらった。

ピピは小さな手で器用にブドウを一粒もぎった。


二人揃って果物を齧りながら、がらんとした市場を歩く。


(もしここに私の店があったら、お客さんはどう思うんだろう)


軽く両手を広げた幅に、チーズに干し肉、きのこやレースが置かれている様子を想像する。

持ってきたのは村の特産物。

特に、チーズはさっぱりしていて毎日食べても食べ飽きないおすすめの一品だ。


(...店が小さすぎた?)


思い返すと、前の店も横のおばさんの店も、私の店よりずっと大きかった。

彼らの影に隠れて、気づいてもらえなかったのだろうか?


(それなら呼び込みで来てくれなかったのはなんで?店を見て、それでも立ち止まってもらえないのは......)


何かを掴みかけた気がしたところで、赤い屋根の建物が目に入る。


「はっ...許可証!!返し忘れてた!」


市場での出店は、営業許可証と呼ばれる木札を通じて管理されている。

その日の営業が終わったら返すようにと言われていたことを今思い出した。


市場が閉まるのは日没の時間なので、それに間に合えばいいとは言われている。

とはいえ、持っておくのは気持ちが悪い。

気づいたときにやってしまうのが一番だ。


市場の管理事務所に入ると、受付には眉間に皺を寄せた男性が座っていた。


(えーと...そう、リカルドさんだったかな?)


顔を覚えるのは苦手な方だが、木札を借りるときに少し話したこともありなんとか思い出せた。

どこの街でも事務所の屋根は赤いのだと教えてくれた人。


「どうだった?」


「...さっぱりでした」


向こうもこちらを覚えていたようだ。

商売がうまくいかなかったと伝えるのは少し気まずいが隠すことでもない。

むしろ気難しそうな顔をしたリカルドが質問を振ってきたことに驚いた。


「その肩のは守護獣だろう?...商売向きの能力ではないのか」


『失礼な!ボクのかわいさに人が寄ってくるかもしれないだろー!』


なるほど、ピピのことを聞きたかったわけか。

肩の上からなにか聞こえた気がしたが無視する。


「この子はそういうのではなくて。危険な気配がわかるんです」


だから売れないのはこの子のせいじゃなくて私の問題なんです...という言葉はあまりに切ないので飲み込んだ。

簡単な説明だったが、リカルドは何かを察したようだった。


「ふっ...そうか。なかなか気の強い性格のようだ。若い商人が守護獣を連れているのが珍しくてな。がんばれよ」


(顔は怖いのに、中身は意外とまとも......いや、面倒見のいい人だ)


不意の激励が心に響いて、ほんの少しうるっとした。


確かに世間には人の心に影響を与えることのできる守護獣もいると聞く。

けれど私は、自分自身で物の価値を伝えたい。その上で欲しいと思ってもらいたい。

だから、ピピの能力に頼りきりにならないと決めているのだ。

あくまでもピピは、共に旅する相棒だ。


「そうだ、仕入れは済んだか?ここで布を買っていく者も多い。一度見てみるといい」


手元で何か作業をしながら、さりげなく役立ちそうな話をしてくれる。

リカルドの如才なさには笑うしかない。


(...仕入れか)


実は頭の隅にはずっとあったことだ。

いつかはやらなければならないが、売ることで精一杯だからと目を逸らしていた。

けれど、ここからさらに違う街へ行くならば、当然新たな商品は必要になってくる。


市場に向かう道には、仕立て屋や布屋が乱立していた。

ショーウィンドウは一応チェックしている。

並んでいたのは、毛足の長い動物の皮、ふわふわと透ける柔らかそうな布、それから夜空のようにちらちらと光っている布など明らかに人を選ぶものばかり。


私は買わないからと素通りしてしまっていたが、どこにチャンスが転がっているかはわからない。


(あとでちゃんと、買えそうな布を探してみよう)


街の宣伝のために勧めた背景もあるだろうが、助言に感謝して事務所を出る。



そもそも、ヴィヴィエンなら村のレースが売れるかもと思って来たのだ。

旅商人にとっては、持ち運びやすくて高く売れるものが商売の要。

レースはまさにその典型だ。

レースの利益で新しい品を買っていくつもりだったのだが...現実はそう甘くはなかった。


今回持ってきたのは村一番の作り手、カミラのレース。

繊細な花模様が評価されて、村を訪れる行商人からは高く買ってもらえていると聞く。

それなのに、私が店に並べてみても買ってくれる人はおろか見てくれる人もほとんどいない。

物が良くても、それだけではダメなのだ。


(大丈夫、なにか道はあるはず)


市場にはのんびりとした雰囲気が漂っている。

いくつかの店はまだ開いているようで、あたたかな陽気にうつらうつらしている店主も見える。

朝が早かったのか、それとも昼食を食べていい気持ちなのかもしれない。


(私も早く、自分のやり方を見つけたい)


旅商人と言っても、色々な人がいる。

決まった街をぐるぐる回り続ける者。

商機があるのなら、場所にこだわらずどこへでも行く者もいる。


私はといえば、当面村へは帰らないつもりだった。

知らない場所で、見たことのないものに出会いたい。

価値が埋もれているのなら見つけてあげたい。

必要としている人に物を届けたい。

これが私のやりたいことであり、私の目指す旅商人の姿だ。


『ニナー?だいじょぶー?』


ピピに呼びかけられてはっとする。

つい考えに耽りすぎていたようだ。

いつの間にか、人気の少ない市場のはずれまで来ていた。


先ほどまで頭の中の自分は、異国の地でユートルデ王国産の商品をばんばん売っていたのに。

もちろん、ヴィヴィエンの布や服もユートルデの名産品として有名だ。


「......あっ!」


『な、なに!?』


大きな声に驚いて、ピピは肩の上で跳ねる。


先ほどまでの自分に足りなかったもの。

少し掴めたかもしれない。

確信はないが...それでも。


「明日、試してみたいことがあるの。失敗しても、笑ってくれる?」


『もちろん。だめでもともと、だろー!』


ピピは大きく頷いて、手を元気よく突き上げる。

いつもは皮肉屋なのに、たまにこうして背中を押してくれるのが嬉しい。


「うん、ありがとう!」


明日こそ、結果を出す。

決意をこめて、私も手を空に伸ばした。


初めて投稿します。

ニナとピピといっしょに旅を楽しみましょう!

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