第22話 いつの間にか、基準になっていた
変化は、静かに始まった。
王都から届く報告書の文面が、少しずつ変わっていく。
命令調が減り、提案が増え、そして――質問が混じり始めた。
「……“判断記録の書式について助言を求む”、ですか」
私は封書を読みながら、小さく息を吐いた。
つい先日まで、
「前例がない」
「混乱を招く」
と書かれていたはずの内容だ。
文官が、苦笑気味に言う。
「反発していた領の一部が、様子見から“試行”に切り替えています」
「そうですか」
それ以上の感想は、出なかった。
当然の流れだからだ。
成果を出した領が、困っていない。
困っていないという事実は、
どんな理屈よりも雄弁だった。
私は、新しい助言文を用意した。
以前より、ずっと簡潔なものだ。
・判断記録の最低限項目
・失敗時の共有ルール
・評価は「修正速度」を重視
「……“失敗してもいい”とは、どこにも書いていませんね」
文官が指摘する。
「書く必要がありません」
私は、淡々と答えた。
「書いた瞬間、それは“許可待ち”になります」
失敗を許す文化は、
言葉で与えるものではない。
仕組みで、自然に生まれるものだ。
数週間後。
王都の中央政務院で、新しい内部資料が回覧され始めた。
タイトルは、こうだ。
「判断記録運用・参考事例集」
“標準”とは書かれていない。
“義務”とも書かれていない。
だが、中身は――
ほぼ、私のやり方そのままだった。
「……名前が、ありませんね」
報告を受けた文官が、少し不思議そうに言う。
「ええ」
私は頷いた。
「それでいいんです」
誰の方式か。
誰が考えたか。
そんなものは、いずれ意味を失う。
必要なのは、
使えるかどうかだけだ。
夕方、アルトと回廊を歩いていたときのことだ。
「面白いな」
彼が、低く言った。
「何が、ですか?」
「君が何も言わなくなった途端、
皆が真似を始めた」
私は、少し考えてから答える。
「強く押せば、反発されます。
でも、置いておけば――拾われる」
「策士だな」
「いいえ」
私は、首を振った。
「信じているだけです」
数字を。
現場を。
人が、楽な方へ動くことを。
王都では、別の変化も起きていた。
会議の席で、誰かが言う。
「それ、辺境方式では?」
以前なら、否定や反発が出た言葉だ。
今は――
「……いや、違うな」
「“今のやり方”だ」
そう言い直される。
その瞬間、
私は“特別”ではなくなった。
けれど、それでいい。
特別であることは、
長く続かない。
基準になることこそ、
本当の勝利だから。
夜、机に向かいながら、私はふと考える。
王都は、変わり始めた。
辺境は、変わり続けている。
では――
私は、どこへ行くのだろう。
「……まだ、先ですね」
呟いて、ペンを取る。
やるべきことは、山ほどある。
制度は、作って終わりではない。
人が使い続けて、初めて意味を持つ。
私は、整える。
誰のものでもない形で。
その頃、王都の一室で。
「……気づいたら、
あの女のやり方が基準になっている」
誰かが、苛立ちを隠さず言った。
「名も出さずに、だ」
「……厄介だな」
そう呟いた声には、
焦りが滲んでいた。
だが、その流れは、もう止まらない。
誰が決めたわけでもない。
誰が命じたわけでもない。
“使いやすいから使われている”
それが、最も強い理由だった。
私は、知らなかった。
この静かな変化が、
後に「王国改革の転換点」と呼ばれることを。
ただ一つ、確かなことがある。
私はもう、
誰かと戦ってはいない。
基準は、いつの間にか――
そこに在っただけだ。
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