罪の意識
「父さん、僕らを捨てて、新しい家庭の所へ行くんだね…」
「冬彦…、そんな風に言わないでくれ…」
「じゃあ、あの人達のことは、きれいに忘れて、四人で仲良く暮らそうよ!」
桜は、岡川と彼女が抱いている赤ん坊を指さして言った。そして、辰雄の手を強引に引っ張って行く。言われるままに付いて行った先には、ごちそうが並んだリビングテーブルがあった。なぜか、小秋が微笑みながら待っている。
「私、やっぱり間違っていた…。今回だけは全て許すから、ここへ戻って来て!」
何が何だかよく分からない…。全くもって意味不明である。確か、もう既に離婚交渉が成立したはず…。でも、なんか心地良さそうである。もう、何年も前に忘れていたもの…。
あの頃、あんなに幸せだったのに、どうして、その幸せをぶち壊してしまったのだろうか? 今さら、そんなことに気付いても遅いような気もする…。辰雄は流れに逆らうことなく、小秋と桜と冬彦の三人と一緒にテーブルで食事を始めた。
「ちょっと、辰雄さん! そんな所で何をやっているの? 私と赤ちゃんのために家族を捨てて、私達を守ってくれる…って言ったじゃないの? あれは嘘だったの? ねえ、何か、言ってよ…」
突然、リビングに岡川遥が入って来て、辰雄に向かって叫んだ。辰雄はますます訳が分からなくなった。そうだ…。これはきっと夢なんだ…。夢なら、早く覚めてくれ…。辰雄はそう思った。でも、夢は覚めない…。
「遥、俺が悪かった。よし、約束通り、君のために、家族を…」
後ろめたい思いを引きずりながら、岡川の手を取って、外に出ようとした瞬間だった。他の三人が辰雄の体にしがみついて来た。そして、三人は奇妙な高笑いを上げながら。形を変えて辰雄の体に巻き付いてくる。いつの間にか、三人は蔓となって床と一体となりながら、幾重にも辰雄の体を縛り付けていた。
「お前だけ、幸せになるなんて許さない! 捨てられるぐらいなら、ここで一緒に死にましょう!」
もはや、小秋の声でも、桜の声でも、冬彦の声でもなかった。得体のしれない甲高い声が、すっかり形の歪んだ部屋の中で、高らかに響き渡る。
次の瞬間、突然部屋が派手に爆発して、小秋も桜も冬彦も岡川も赤ん坊も辰雄も、みんな消えてなくなった…。
「はあ…、はあ…。もちろん、夢だよな…。何て、嫌な、夢なんだよ…」
辰雄はベッドから飛び起きた。体中、冷や汗でべっとりしていて、気持ち悪かった。喉がカラカラに乾いている。心臓は別の生き物のように、ドクドクと変に大きな音を立てている。
このまま、肋骨を切り開いて、飛び出してしまうぐらいの勢いだった。変な寒気がする。八月なのに…。もう、何回目だろうか…。この夢を見るのは…。あと何回、この夢を見れば、この夢から開放されるのだろうか?
とりあえず、ベッドから出て、おもむろに冷蔵庫を開けた。そして、コップによく冷えた麦者を注いで、一気に飲み干した。やっと、少し落ち着いた。
だいたい、岡川の赤ん坊はまだ生まれていない。小秋は辰雄を許す気なんて一切ない。ただ、桜と冬彦はこの離婚を望んでないことは確かだ。
そうやって、一つずつ考えていけば、あれは夢だと言うのがよく分かる。でも、何度も同じ夢を見ると、何が現実で、何が夢なのか、全く分からなくなる。
他にも義父の大和から、金属バットでボコボコに殴られ、さらに小秋からも金属バットでボコボコに殴られる夢も見た。離婚交渉を成立させてから、不気味で後味の悪い悪夢で、ほぼ毎日うなされている。おかげで、辰雄はすっかり参っていた…。
「また、あの夢を見たのね…。このところ、ずっとうなされている。辰雄さん、大丈夫?」
岡川が朝食を食べながら言った。離婚が成立してから、辰雄は岡川のアパートに潜り込んでいた。彼女の作ったみそ汁を飲みながら、辰雄は頷く。それにしても、好きな人と食べる食事はおいしい。
「ねえ、気休めにしかならないと思うけど、最後の家族旅行にでも、行って来たらどうかな…。桜ちゃんと、冬彦君にいい思い出を作ってもらったら…いいんじゃないかな。そうすれば、辰雄さんの苦しみも、少しは和らぐと思う…」
「遥、悪いな…。いろいろと、心配をかけて…」
「ううん、いいのよ。気にしないで…。こんな状況で、全く苦しまない人なんていないから…。私も苦しいの…。もし、この状況で、辰雄さんが、何も苦しんでいなかったら、逆に不安になるから…。そんな人は、これからもたくさん浮気とかするよ…きっと。だって、全く罪の意識を持っていなんだから…。少なくても、辰雄さんは罪の意識を持っている。私もそれを持っている。これから、それを二人で一緒に背負っていくから、一人で抱え込まないで…」
辰雄には岡川の気遣いが本当に嬉しかった。彼女はいつも優しく包み込んでくれる。全てを無条件に許してくれる。もし、過去を変えることができるなら、小秋と出会う前に、岡川遥と出会いたかった。
そうすれば、小秋と桜と冬彦を不幸にしなかっただろう。
「そうか…。罪滅ぼしのための、最後の家族旅行か…。いいかもしれないな…。いつまでも引きずっていたら、遥やこれから生まれてくる赤ちゃんがかわいそうだもんな。あっ、もう、こんな時間! 急がないと…」
辰雄は急いでごはんやみそ汁をかき込んで、慌てて支度をして家を出た。岡川は身重なのに、辰雄を玄関まで出て、優しく見送った。辰雄はいつも身重なんだから、そこまでしなくていい…と言っているのだが、彼女はけなげに見送ってくれる。まさに男冥利につきる。




