第八撃「野菜上限」②
“一生童貞宣言”のテーゼについては秋山がさんざん広めてくれたはずだが、内部生でもさすがに知らないやつがいるか。そもそも山﨑には、誰と誰がつき合ってるとか、このエロ動画がお勧めとか…その手の話をする友達がいないのかもしれなかった。
しょうもない所信表明をまたやるのか。鏡太郎は、ジンジャーエールを飲んで口の中を落ち着けた。
「シンプルに気持ち悪いんだよ。自分が、おれが、そういうことをするのがさ」
「……」
「小学校ん時、遠足とか運動会で手つながされると女子、嫌がったろ。ましてさ、女子にだろうが男子にだろうが、誰かにツバつけるやつなんて最悪だったわけじゃんか。それが急にさ…」
蒸しポテトを1ピースつまみ上げる。高温で引き締まった揚げたてのフライドポテトとは異なる、軟らかで湿った指ざわりだ。口に放り込む。ねっとりとほくほくの間の食感。きっぱりした塩味。まぶされたパクチーパウダーの薬味も効いている。蒸したいもなんてめったに食べる機会がないが、今度作ってみてもいいかもしれない。父親が中野マルイの「無印良品」で衝動買いだけして、全然使ってない小さな蒸篭が台所の棚にあるし…。ごくんと飲みくだし、鏡太郎は言葉を続けた。
「急にさ、相手が望んでるなら触ろうが舐めようが素敵な営みだとか言われたって」
「……」
「おれが女の人に触ったり、口をくっつけるとかあり得ないって話な。そんなの、殴ったり蹴ったりすんのと一緒なんだよ。あくまで『おれが』だぜ。他人がやったりやられたりは、別になんとも…て言うか、いいなぁって思うけど」
「ミラ、やっぱり面白いよ」
「なんも面白くねえわ。誤解してるやついるけど、性欲は普通に…普通って言い方でいいのかわかんないけど、あるから。男が一人でやることだって、普通に」
股間に幻の鈍痛が響いて、思わず話を止める。…自分に胡蝶鞭を撃ち込んだような感覚。“性欲”だの“男が”といった言葉を声に出すと、いつからか決まってこうなった。そして頭に浮かぶのは、あのドキュメンタリー番組。モザイクがかかった元教師の顔。
山﨑は「面白いじゃん」と言いながらなぜか楽しそうに残りのサンドイッチを食べ進めた。増量された野菜たちは勢いでパンからこぼれ出し、トレイに敷かれた紙に落下する。紫玉ねぎとピーマンの小片が、先にたれたアボカドのディップを覆い隠した。
食べきると、山崎は少し上目遣いになって鏡太郎を見た。何かを「決めた」顔つきだった。
「…ミラ、絶対に秘密ってことでOK?」
「何よ」
「絶対秘密ってことでよければ言うんだけど」
「何をだよ」
山﨑は「何をってさ…」と口ごもりながらアイスティーに刺さったストローを噛んだ。
「言わないほうがたぶん吉だぜ。秘密なんて、しまっとくに限るって」
「…あのさ…ミラは」
入り口の自動ドアが開くチャイムが鳴った。
柿星学苑の制服を着た二人連れの少女が「ほんとカンベンって感じなんだけど!」「笑えるわー」と元気に話しながら入ってくる。
山﨑はビクッとしてそちらを見やったが、中等部の生徒とわかると「…あせらすなよな」と言って鏡太郎に向き直った。
「ミラは、陸奥さんのこと…どう思う? どんな感じの人かは知ってるでしょ?」
マジか。その手の「秘密」かよ。
「どうって」
「おれさ、初めて、本格的に好きになってるかもしれなくて。うわぁ初めて。友達にこんなこと言うの」
「…まあ、話題の…び…美形だもんな」
鏡太郎は、山﨑の顔から視線を外しながら言った。
「外見だけで好きになったんじゃないよ。クラス違うからミラはわかんないだろうけど、なんかかっこよくてミステリアスなんだ」
「みすてりあす」
「そこをイジんないの」
山﨑はたしなめるようにぱん! とカウンターを叩いて続けた。
「外部生の女子って、すぐどっかの内部生のグループに吸い込まれるでしょ。陸奥さんは、隣の席の添田とは仲いいみたいだけど、群れないんだ。男子の一軍もさ、しょっちゅう用事作って話しかけてるけど、はっきり距離取られてる感じ」
「高等部入ってまだ2ヵ月だっつうの。こっから変わるぜ人間関係なんて。…しかし、よく、見てんだ」
「それはだから…見ちゃうんだ」
「…妄想とかもしちゃったりか」
鏡太郎はなるべく冗談ぽく訊いた。山﨑は「そういうこと言わないの!」と今度は鏡太郎の腕をピシャリとはたいた。
「しないよ。学校だもの。ただこの前…体育で女子がストレッチしてる時に、たまたま陸奥さんのウエストがちょこって見えて…そん時は、前の日寝不足だったし、ちょっとちんこがぞわぞわしちゃった」
ーーー超能力…か…。
鏡太郎の舌に、ハニートーストと蜂蜜バターの味が甦る。そして、自分より育ちが上品と思っていた山﨑が、鏡太郎には発することにためらいがある男性生殖器の俗称を平然と声に出したことに驚いていた。相手は恋バナで高揚ってるとは言え、マウントを取られたような気分だ。
でも、推測だが、山﨑は他の男子の前では「ちんこ」と言えないんじゃないか。「山﨑も“ちんこ”って言うんだぜ」とか、ネタにされそうだし。一人称の「おれ」と言い、自分はちょっとなめられてるのかな? かなりなめられてるグループに属するこの男に。
「山﨑おまえ、そういうやらかい部分のことは他人に言わないほうがさ」
「…たぶんおれ、誰かに言いたかったんだ。ミラは口固そうだし、面白いから」
「面白いか知らねえけど、面白くても関係ないだろ」
カウンターに置いた鏡太郎のスマホからショートメッセージの着信音が鳴った。モニターに「陸奥 鮎」と表示される。
鏡太郎はさっとスマホに手を伸ばすと、つまらなそうな表情を作りながらスマホをリュックの脇ポケットにしまった。
「いいの、見なくて?」
「ああ。親からだし」
この前、明日の稽古の開始時間は30分ほど遅くしてもらうかもしれないと鮎は言っていた。たぶんその件だろう。
「ミラに聞いてもらってなんかスッキリしちゃった。カウンセラーじゃん」
「なんもカウンセリングしてねえし」
「さっすが聖なる、“純潔の勇者”」
「うるせえ。そっちこそイジんな」
ストローでずずっ、と音を立ててМサイズのアイスティーを飲み干すと、山﨑は急に無表情になり、鏡太郎の目をじっと見て言った。
「秘密だからね、絶対」
袋に残っていたポテト3ピースを一気に頬張り、噛みながら鏡太郎は答えた。
「…言うかよ」
もごもごした口調になったのは、ポテトのせいだけではなかった。
D組の教室で、大きなこげ茶色の瞳と視線を合わせた数秒間、鮎とにらみ合うのは何度目なんだっけと鏡太郎は考えていた。昨日山﨑に言った「秘密なんてしまっとくに限る」は信条の一つだ。だが、変な発覚の仕方をして「隠していた」と思われると逆に面倒くさいという鮎の方針も納得できる。
この人は経験してきたのだ。誤解されたり、勘繰られたりを、たぶん何度も。
どうにか人前でも口にできそうな「幼なじみ」の呼び方が浮かんで、鏡太郎は口を開いた。
〈続きます〉




