第十九話 それは誰がための遺言か(7)
帰路の馬車は往路よりも気が楽であるせいか、早く進んでいるような気がする。
そう油断していた紹藍は、ふと晋仁と目があったときにしまったと思ってしまった。
これは何かを問われる目だ、と。
「まずはお疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「お願いしていた写本は結構です。お借りできましたので」
「わかりました」
まずは当たり障りのない会話を挟んでいるが、本命の会話でないことはその目が物語っている。加えて莉角がそわそわとしているようなので、何か話が合うのだろう。
そう構えたのだが、その直後、晋仁からは想定外の質問が投げられた。
「あなたにとって蜻蛉省はどのような存在でしょうか?」
「え? 職場、ですが……?」
何を問われるのか想像はしていないものの、てっきり先程の件だと思っていた、紹藍は戸惑った。
意図を測りかねていると、晋仁は顎に手を当て「そうですか……」と呟く。
「もしよろしければ、刑部で働きませんか? あなたの働きぶりは魅力的です。蜻蛉省ではやっかみを買うこともあるでしょうから、大変でしょう」
紹藍は思わず耳を疑った。
だが聞き間違いではないだろう。
そうなると冗談なのだが、上流階級の冗談に返す正解が分からない。
正直に答えるべきなのか、冗談で返すべきなのか。しかし結局似たような回答になると思ったので、質問を重ねることなく、笑顔で答えた。
「ありがたいお申し出ではございますが、辞退させていただきます」
逆に受け入れてしまったらどういう反応をされるのだろうと少し興味がないわけではなかったが、面倒になるのは御免だ。
しかしその断りに晋仁は意外だと言わんばかりの表情を浮かべた。
「話も聞かずに断られるとは思いませんでした」
「ですが、晋仁様も本気ではございませんでしょう?」
「なぜそう思われるのですか」
「雰囲気が一番の理由ですが、私を使えると思うお仕事があるならば、今回のようにお手伝いさせていただく形で問題ないでしょう。私は新人官吏より基礎知識も少ないですから」
ならばならば基礎がある新人を育て、何か必要なことがあれば呼び出す方が刑部にとっても合理的だろう。そもそも今回は特殊な状況であり、今後役に立つとも思っていない。
あっさりと答えると、晋仁は苦笑した。
「あなたの協力があればいいと思っているのは本当ですよ」
「ありがとうございます」
「それに……刑部としてと言うよりも個人的な希望になるのですが、あなたであれば今回のように“女帝“の後始末を一緒にしていただけるのではないかと思ったのです」
意外な言葉に紹藍は驚くが、晋仁は続ける。
「陛下に尽くす蜻蛉省の方々に、今更陛下の素晴らしさを語るのは愚かなことだとは思いますが、その陛下でもご覧いただけていない部分は確かにあります。陛下が改革を通じ民に尽くそうとなさっていることはわかるのですが、すでに傷を負った民が充分に救われていない現状も確かにあります。そして今日判明した宇儀のように水面下で苦しみ続けている現実も」
「晋仁様はそれを正したいとお思いなのですね」
「大それたことは言えません。ですが、世が平等でなくとも公平になって欲しいとは思うのですよ」
「そうですか」
「蜻蛉省の皆さまがいずれも素晴らしい力を持っておられることは承知しております。ですが、少数故に出世も難しい。力がなければ、その能力を発揮できないこともあるでしょう」
たぶん晋仁が素晴らしいことを考えているのだろうとは紹藍思う。
「素敵な思いを抱いていらっしゃるのですね」
だから、そう答えることはできる。
しかし、同意はできなかった。
「つれませんね」
そう言われても、仕方がないことだ。
自分を卑下するわけではないが、適切な仕事を振ってもらえるから偶然役に立てるのであって、出世し、自分が人を使う姿は想像ができない。
それに、はっきり言えば官吏としての使命感は持っていないのだ。
そもそも晋仁が言った蜻蛉省の人間として皇帝への忠誠を誓っているかと言われれば、それも違う。紹藍にとって大事であるのは、皇帝よりも自分の手が届く範囲の人々だ。
給料分の仕事はしなければいけないと考えている。
だから紹藍には崇高な目的はなく、自分の納得できるだけの仕事をするのみだ。
もっとも、それを人に言うほど世渡りも下手ではない。
妥当な言い訳はすぐに思いつく。
「私は科挙を通った官吏ではなく、蜻蛉省という単体組織に所属する構成員です。刑部が法に忠実であるならば、私の転籍は認めてはいけないことでしょう」
「その通りですね。戯言、失礼いたしました。では、何かあった時に依頼することは可能でしょうか」
「ええ。上の許可があれば可能です」
あくまで決定権は自分にないと主張するが、それも先ほどの『つれませんね』のときと同じような表情を向けられた。
「わかりました。逆に、もしあなたも何か調べたいことがあれば私どもにお申し付けください。今回の借りは必ずお返ししますから」
「ありがとうございます」
「最後にひとつお聞きしたい。もしあなたが科挙に及第していれば、今回の誘いに乗りましたか」
「それは……分かりません」
「わからない、と」
「待遇に不満はなく、仕事も私ができることをさせていただいています。長所を生かす仕事をあえて返上する必要もございませんので」
表面上はそう答えることで場をやり過ごす。
(けれど、この話は本当に刑部というものではなく、晋仁様からのものね)
話をしている間、莉角がそわそわとしている様子から打ち合わせがされたものではないようだ。
それならばいよいよ本当にからかわれただけだと思い、真剣に考察などすることなく終わってよかったとほっとした。




