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宮廷墨絵師物語  作者: 紫水ゆきこ
第二章
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第十七話 それぞれの道(五)


「だから! 私は仕事以外何もないんですよっ!!」

「そんなことないでしょう」

「あんたに何が分かるのよ!?」

「いや、何もわかりませんけど」

「だったら適当なこと言わないでよ!!」

「適当っていうか、妥当なことではあると思うんですが」


 完全に酒に酔った星琳は涙を目にため、けれどそれが溢れるのを必死で堪えている様子だった。


(正直、これは勘弁願いたい)


 人を慰めるという行為は不得手だという自覚がある。だが景真は狼狽えているし、江遵も様子見なので放っておくわけにもいかなかった。そもそも二人は頼んできてもらっただけであるので、迷惑を掛けるのも申し訳ない。


「たとえば星琳様は綺麗な文字をお書きになるでしょう。それではいけないのですか」

「それも仕事よ!」

「あー……左様ですか」


 ほかに何か言うことがあれば良いのだが、残念ながら星琳に関して紹藍が知ることは少ない。美しい文字が仕事の一環というのであれば、勤勉さなどを伝えても同じ結果になるだろう。その他で知ることとなれば、紹藍には自分が嫌われていることくらいしか思い浮かばない。

 ただ一方で、仕事しかないと言われても、それの何が悪いのかもよくわからない。


「だいたい、仕事の割り振りだっておかしいのよ! 官吏が女に解放されたって言っても男社会そのものじゃない! 嫁入りして退官する予定はあるのかなんて男は聞かれないんでしょ!?」

「尋ねられるんですか?」

「当たり前でしょ!! って、アンタは聞かれないわけ?」

「えぇ、まぁ。結婚で官吏をやめるかどうかという話に繋がるのも初耳です」

「アンタには代わりがいないから、ってこと? 私なんていくらでも代わりがいるって家でも言われるのに!」


 何かを口にすれば見事に悪いように取られ続けているが、ひとまず普段からため込んでいるらしい圧迫感には同情した。

 しかし通常の官吏というものを知らない紹藍は、交代を求める様に男性二人に視線を送った。

 すると江遵は少々困り顔ながら口を開いた。


「男も嫁をもらって一人前という風潮ゆえにせっつかれることはある。もちろんそれ自体も余計な世話だと思うが、退職を促すような言葉は言われないな」

「ほら! だから女ばっかり!! 家に尽くせとか、そんな必要あるなら嫁ぎたくないわよ!」


 そう吠える星琳は、もはや遠慮ができないほど酔っていたのだろう。

 普段の彼女なら立場と階級を考えて口にしないような荒い言葉で『そら見たことか』という具合なのだから、本格的に帰りは景真によくよく頼んだ方がいいだろうと思いつつ、紹藍の口からは思わず感想が漏れた。


「苦労して官吏になって、辞めることを前提に話をされるのは気分がよいものではありませんね。庶民ゆえに仕事を辞めることを考えて働くという感覚がなかったので、不思議な話を聞いた気分ですが」


 出産で休むことがあっても、仕事をしなくても食べていける人間はほんの一握りだ。大半はしばらく休んだあと、元の仕事であったり、別の職場ではあるものの同様の仕事であったり、もしくはまったく違う仕事に挑戦したりし、日々の生活費を稼いでいく。

 だから少なくとも結婚が退職と結びつく、その思考が不思議ではある。

 そんな素直な言葉にも星琳はわっと泣き出した。


「むしろ私も官吏ではなく庶民になればよかったんだわ! どんなに頑張ったって意味がないように言われ続ければ心も折れそうになるっての!」


 この様子には、さすがにここで言葉をかけるのは自分の役目ではないなと紹藍は思った。きっと蜻蛉省に所属している紹藍が何を言っても、星琳が納得することはないだろう。実際に蜻蛉省ではどうなのかということは彼女に関係ないし、そもそも紹藍も知らないことである。

 紹藍は景真のほうを見た。

 彼は少々戸惑っている様子ではあった。

 だが、はっきりとした声色で言葉を発した。


「辞めなければいけないという決まりはないだろう」

「簡単に言わないでくれる!? あなたに何が分かるのよ!」

「言われた気持ちは、正直わからん。すまん。だが、星琳の頑張りはよく知っている。切磋琢磨した私にはわかる」


 あまりに真剣な表情で伝えたからだろう。

 今まで反論ばかりしていた星琳は、ぐっと言葉に詰まったようだった。

 落ち着いたとまでは言えないものの、ひとまず静かにはなったので紹藍は一息ついてから江遵を見た。


「同期にそう言われるくらいの頑張り屋さんが仕事をやめなければいけないような環境ってもったいないですよねぇ、江遵様?」

「まあ、な」

「まあって、ちゃんと理解してらっしゃいますよね。いくら元から優秀な方々とはいえ、新人一人育てるのに時間と費用がどれだけかかっていると思っているんですか。追い出さないといけない人が他にたくさんいるというのに、余計に首が締まる状況ではありませんか」

「否定はできない」


 官吏のことはあまりわからないにしても、仕事をする上で慣れるまでに時間がかかることはわかる。食堂での仕事だってそうだ。ある程度できていたから採用してもらったとはいえ、働き始めたばかりの頃の自分と辞める前の自分では比べ物にならないことは理解できている。

 しかし江遵は少し長い溜息をついた。


「制度のことは以前より検討はなされている。女性官吏がいるという前提が、今の皇城にはない。実際の登用までに制度が間に合わなかったことは落ち度だ。ただ……検討以上に進んでいないのは、今まで苦情が出ていないからだ」

「そうなのですか?」

「ああ。そもそもなんらかの制度が必要となるのは、一定期間職務から離れざるを得なくなる出産に関する時期になる。しかしそれを補うための制度を作ったところで、どうにかなる話でないということも、後回しになる理由だな」

「どういうことですか!」


 紹藍に答える江遵に星琳が噛み付いた。

 だが、その程度でもはや江遵は驚かない。


「前提として今まで婚姻後も仕事を続けたいといった女性官吏はいない。だから出産云々の話で問題になったこともない。どうしてか、わかるか?」

「それは……本人が思わなかっただけじゃないんですか!? 私と違って……」

「むしろ結婚されたという前提であるなら、嫁ぎ先や婚姻相手の意向を汲んでいらっしゃったからではないのですか」


 加熱していく星琳に一度落ち着いてもらうためにも、紹藍は星琳の意見に声をかぶせた。


「それってどういう意味よ」


星琳は紹藍を睨んだが、そうなることは紹藍も想定済みだ。

だから怯むことなく落ち着いたまま、その理由を口にした。


「いえ、だって官吏になる程励まれた方々が全員自らの意思で辞めると思わないんですよね。ただ現状、現実的に女性で官吏になれる環境を整えられるのは、士族の方だと思うんです。で、星琳様のお話を聞く限り、士族のお嫁さんは家に尽くすため仕事を辞めるんですよね? そうだと、『普通』であろうとした結果なのではないかと」


 推測でしかないが、単純に異質な存在になることを避けた結果ではないだろうか。

 仮に過去星琳のように強い思いを持っていたとしても、家族に反抗できるほどの環境であったとは限らない。むしろ星琳も実家の意向を気にしているからこそ不満を抱いていても自身の思い通りに行動できていないのではないか。


「紹藍の言う通りだ。そしてその者たちから雰囲気を察しても、続けたいが理解が得られないという雰囲気だった」

「だから結婚と同時に退職にならざるを得なかったのですね」


 納得していいものではないと思うものの、それでは確かに制度だけではどうにもならない話である。


「制度がなければ続けれられない。そういう声が上がる状況に、今はない。尤も、その声が上がる前に制度を用意できていなければ手遅れになるとは思うのだが……」

「なる程、理解しました」


 今まで静かにしていた景真の納得した声に、思わず三人は彼を見た。

 もちろん聞いていないと思っているわけではないが、突然声を出せば注目せざるを得なかった。

 しかし景真はそんなことなど気にせず、星琳を見ていた。


「なら、やはり私のところに嫁に来てくれたら半分は解決できる自信がある」

「は!? いま、そんな話じゃ」

「だってどうせ今の状況じゃ自分から探さないだろう? もとよりうちはそこまで悪い選択肢ではないと思う。別に妻としての役割は求めない。なぜなら私は星琳に仕事を続けてほしい。家のこと諸々ならなんとか私がやると家族を説得する。そして契約結婚程度に思ってもらっていても構わない」

「ちょっと……何を言って……」

「そのうち本当に妻になっていいと思ってくれたら私も儲け物だ。悪くない話だろう」


 うんうんと頷く景真に、星琳は赤面してワナワナと震えている。

 ただ、反論することもできていない。


「江遵様、先ほど制度が云々とおっしゃっていましたが、必要がある可能性があれば進めてくださるんですよね?」

「……まあ、結婚祝いに早く成立するよう働けというのであれば、努力はするが……」

「どうだ、星琳」

「そんなすぐに返事ができる内容だと思っているわけ!? バカじゃないの!?」

「即答で断られていないことに希望を持っておくよ」


 そう景真が言ったところで、ちょうど女将が料理を持ってやってきた。


「これくらいで腹は膨れそうかい? まだまだ必要かい? 大盛りにしてきたんだが」

「あー……お腹いっぱいになりそうです」


 違う意味で。

 そう言いたいのを堪えながら紹藍は返事をした。


「そうかい、そうかい。まあもし足りないことがあれば声をかけてくれ」


 そうニコニコとしながら女将は出て行ったのだが、それでも景真も星琳も女将が来ていたことにすら気付いていない様子だった。


「……ねえ、江遵様。こういう時ってどうしたらいいんですかね」

「知らん。私が教えて欲しいくらいだ」

「とりあえず、食べときましょう」


 まさか求婚が目の前で実施され、尚且つうまくいきそうな雰囲気を醸し出すなんて想像だにしていなかった。

 色々段階がすっとんだ気もするが、本人たちが良いのならいいだろう。


「仕事が増えましたね、江遵様。お疲れ様です。まあ、優秀な官吏が辞めない未来を作れたのなら、喜ばしいことですよね。きっと陛下もお喜びです」

「お前、他人事みたいに言っているが、お前も仕事が増えたぞ。……どういう制度があれば続けられたのか、すでに皇城から去った元女性官吏に話を聞かねばならん」

「え、それは私の仕事なのですか?」

「男が聞くより話しやすいだろう。一番手っ取り早く陛下に上申するのであれば蜻蛉省内で完結させておくのが早い」

「はーい。まあ、彼女は一度は一緒に働いた仲ですからね。とりあえず頑張りますよ」


 本来業務ではないにしても、話を聞くならできるだろう。


「お前も思うことがあれば意見を付け加えておくように」

「え? どうしてです?」

「将来的に仕事を続けて欲しいと部下に思うのは悪いことか?」

「ああ、そういう。でも、私の心配はいりませんよ。なんせ結婚の予定も願望も今の所ありません。母も特に何も言ってきませんので」


 そもそも願望があったとしても、出会いなどない生活でどう相手を見つけるのかもよくわからない。


「そうか。まあ、未来はわからんぞ」

「なら余計に私が考えても無駄なような。何が起こるのかわかりませんから意見は役に立ちませんよ」

「そうか」

「そうです。まあ、でもしっかり話は聞いてきますよ。困る人が減るように」

「そうか」


 肩を竦めた江遵に、紹藍も同様に返し、酒を啜った。

 仕事はきっちりすると宣言しても、今すぐ取り掛かるわけではない。

 まずは目の前の料理を、どう扱えばいいのかわからない二人組が紹藍と江遵の存在を思い出すまで堪能するだけである。



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