第十七話 それぞれの道(四)
「……あの、何があったのですか?」
今まで自分を毛嫌いしていた人間が仕事が終わった後に付き合えという。
もしかしたら残業に入らないような残業があるのかもしれないが、誘い方が一応提案という形である。
(仕事なら『付き合いなさい』とか『残業よ』で済むことよね)
そうなると私行上の用事になるのだろうが、その割に表情が苦々しい。
「予定はありませんが……」
なぜ私的な時間を明らかに嫌っている相手と過ごそうとするのか。
そう尋ねたいが、怒らせるだけなので一応我慢はする。
しかし相手も自分の意思だと思われたくなかったのだろう。
「霜劉様がそうなさいと仰ったのよ。用事がないのであれば、私と食事に行きましょう」
紹藍が納得できる答えを、声に出さずとも伝えてくれた。
つまるところ、業務命令ではないものの、彼女にとっては結果を報告するために必要となることなのだろう。
「わかりました。では、どちらに?」
「……わからないわ」
「はい?」
「食事を夜に……というより、ここの食堂を除いて家や親戚のところ以外で食事をしたことがないわ。どういうところに普通は行くものなのかしら」
そう言われたところで、紹藍は相手が上流階級の娘なのだと理解した。
そもそも官吏になるために勉強をさせてもらえる女性という時点でほぼ確定していたが、今漂っている『買い食いもしたこともありません』という雰囲気からは間違いないと言えるだろう。
「ああ、そうだわ。貴女が働いていたという食堂は如何かしら」
「構いませんが、庶民的な店ですよ」
「人目につかなさそうで良いわね」
それは自分の周囲の人たちに気付かれたくないということなのだろう。
自分と仲がいいと誤解されたくないのかなと紹藍は思ったが、あえて誤解されたいわけでもないので深掘りはしない。
ただ、燦々に向かうのであれば一つ条件がある。
「暗い時間帯ですし、私たちだけで出歩くのも変に目立つかもしれませんので、人を呼んでも構いませんか」
「どなたを呼ぶつもり?」
「そうですね……。江遵様と、あとは……景真様は如何ですか? 今日が無理であれば、明日になるかもしれませんが」
景真の所属は聞いていないが、江遵に尋ねればすぐに連絡はつけられるだろう。
江遵の予定も聞いていないが、空いていれば了承を得ずとも問題ないはずだ。何せ勝手に紹藍をこちらに送り込む提案をしたのは江遵だ。急遽だろうが引き受けてもらってもバチは当たらないはずだ。
「……どうしてそちらの二人を?」
「江遵様は店にもいらっしゃったことがありますし、ああ見えて喧嘩もお強いので何かがあっても大丈夫です。ただ、もしどこかで蜻蛉省の副長官が女を侍らせ食事をしていたと噂されても困りますので、もう一人男性がいた方がいいかと」
「どうして景真なの」
「他に知っている方で頼みやすい男性といえば蕭承様ですが、あまり年が離れると星琳様も気を遣われるでしょう。あとは柳偉様にお願いできないこともないですが……」
それよりはまだ景真の方が星琳にとって気が楽だろう。
そう思っていると星琳は長い溜息をついた。
「確かに蜻蛉省の方々ばかりにご迷惑をかけては申し訳ないわ」
「では景真様にも私から連絡をとってみますね。確かこの辺りの……この資料は蜻蛉省の近くの書庫にあったものですよね。戻すついでに江遵様に尋ねてきます」
「……本当に江遵様をお呼びする気なの?」
この様子を見て紹藍はやはり星琳は江遵に対して景真が言うような感情を抱いていないと確信した。
いまの星琳に浮ついた感情どころか期待など微塵もなく、どちらかといえば恐れ多いと思っている様子だ。この様子だとせいぜい素晴らしい働き手という意味での尊敬でしかなさそうである。
(一応景真様にも教えてあげよう)
そう思いながら紹藍は星琳に言ってみせた。
「いいんですよ。休みを確保してくれるいい上司ではありますが、脅してきたこともあるのでこのくらいのことは許されるはずです」
「脅……?」
「いろいろと経緯がありますので気にしなくてもいいはずです」
本当なのか冗談なのか判別がつかないというような様子だが、紹藍も続きを告げることはなかった。
その代わり早々に用事を携え、蜻蛉省に向かう。
(でも、妙な話だわ。一緒に食事を取ればいいという提案なんて)
どのような言い方だったのかは聞いていないが、霜劉の提案は不自然に感じる。
男同士で酒を飲みに行くことを女同士でもすればいいといった単純な話ならば良いが、おそらく御令嬢である星琳にそれを提案するだろうか?
(配慮に欠けることに気付かない人には見えない)
言い方は業務命令でも実際は提案程度だろう。そのような中、当事者が疑っていない状況で勘繰るのもどうかと思わないわけではないが、提案自体に悪意がなさそうなところがかえってひっかかった。
※※※
その後、紹藍は蜻蛉省に寄り江遵に経緯を話せば『それは仕事だな。わかった』と、二つ返事で予定を押さえることができた。
「ありがとうございます。ほかにもうお一方お誘いしたいのですが、景真という名の官吏の所属をご存じありませんか?」
「その者はどういう関係なんだ?」
「数少ない星琳様と私の共通の知り合いです。といっても、私は今日知ったばかりですが。星琳様のお知り合いもいないと不公平かと思いまして。まあ、お二人が仲良しだとはちょっと申し上げ辛いですが」
「……疑問も残るが、とりあえずそいつが必要な状況であるらしいことは理解した。声は掛けておく」
「え? 江遵様がお声掛けをしてくださるんですか?」
上官にそんな雑用をさせてよいものかとも思ったが、江遵は軽く笑った。
「正確に言うなら、今からその者を呼び出すために人を遣わす。こういう時に役職とは役に立つからな」
「数少ない活かし方ですね」
「だろう? まあ、そもそも仕事中に他所属の者が飯を食いに行こうなどと誘いに行く方がまずいだろう。ここなら人に聞かれることもないし、適当な用事を頼めば悪い噂も立たせずに済む」
「まあ、そうですね。よそのお偉いさんに呼び出されるという心臓に悪い思いはするでしょうし、後々聞かれそうですもんね」
しかしそう思えば、結局紹藍が呼びに向かったとしても江遵が呼び出したとしても景真に少々面倒を掛けることになるとは感じる。
だが、やはりやや幼い行動を取ることもある星琳を連れて行くためには必要な要員だと思う。彼女が何かをしでかす可能性は捨てきれない。
それに景真とて星琳と話せる機会なら喜ぶことだろう。特に応援したいという気持ちがあるわけではないが、双方にとって利点があるのであれば迷惑をかけるという罪悪感は相当薄れる。
(特に帰宅時が心配よね。こちらから申し出てもきっぱり断られるかもしれないけれど、まあ、最悪江遵様から景真殿に業務命令という形を出してもらってもいいし)
そんなことを考えながらも、紹藍は夜に何を食べるか、そちらのほうに重きを置いて考え始めた。
そうすると業務の終了時間は思いのほか早くやってきた。
正面の皇城正面にある朱雀門は、特に終業直後は人通りが激しいが、かえって人で溢れているためひとりひとりは目立ちにくい。
だから妙な噂が立つこともないだろうし、たとえ普段から女性の注目を集めがちな副長官が一緒にいたとしてもせいぜい仕事だと思われるだろうと踏んでいた。
実際朱雀門付近で紹藍たちがあえて注目されることはなかった。
ただ、それでよかったと片付けられるのは紹藍だけであった。
「ちょっと! 本当に江遵様をお呼びしたの!?」
紹藍の耳元で小声で、しかしかなり強い調子で言った星琳の動揺に紹藍は逆に戸惑った。
「え? 確かにお伝えいたしましたよね? ご確認もなさっていたと思いますが」
「それはそうだけど!」
「仕事とあらば断わるのもどうかということだったんですが」
一応星琳に合わせて小声で返答すれば、星琳も言葉に詰まったようだった。
そこで江遵から声がかかった。
「やあ、顔を合わせるのは久しぶりだね」
「この度はご面倒をお掛けし、申し訳ございません」
「まあ、仕事とはいえ気合を入れるようなものではない。美味い店だ、食事を楽しめればそれでいいだろう」
和やかに返答する江遵に対し星琳は固くなりっぱなしであった。
これを見てもまだ本当に星琳が憧れていると言えるのだろうかと景真を見たが、彼は目を輝かせていた。
「江遵様、今日は御指南のほどよろしくお願い申し上げます!!」
「あ、ああ」
やや引き気味の江遵だが驚きはしていないので、呼び出した段階でこの様子だったのだろう。
「江遵様のことはかねがね……。及第された折の成績が過去一番であることや、蜻蛉省の副長官になられる前に所属されていた部署ではいずれも多大なる成果を挙げられていることに憧れの念を抱いておりました」
(……もしかしてこの人、星琳様が江遵様に憧れていると誤解しているのは自分が憧れているからではないの……?)
実際はそれだけではないと思うが、そう思わざるを得ないほどの勢いだ。
「まあ、それほど慌てずとも話す時間はあるだろう。落ち着いてくれ」
「はい、ありがとうございます!」
もしかしたら江遵は同行を了承したことを後悔しているかもしれないなと思いながらも、今更どうにかできることではないので諦めてもらうほかないと紹藍はそれ以上気にしなかった。
そこから店まで徒歩で向かったが、景真はやはり興奮を隠しきれない様子で江遵に仕事について尋ね、江遵は落ち着かせようと努めながらも律儀に答えていた。だが、その二人を引き攣った表情で眺める星琳は、まるで今から同じ飯屋に行く一行には見えなかった。
(どうしてこうなったと言わんばかりのご様子だけど、まあ、確かにそうなるわよね)
紹藍にとっても景真の様子は想定外であったが、そもそも面子がわかっていたところで『上司の命を受け嫌いな期間限定の同僚と食事に行くことになった』という前提段階で充分頭が痛い問題だっただろう。
とはいえ、その命令を律儀に遂行する星琳にはある意味尊敬の念を抱きはする。仮に自分であれば、きっと代案を出してその場を切り抜けることしか考えないだろうと紹藍は思う。
「見えてきたな」
「よく覚えていらっしゃいますね、江遵様」
「そこそこ通っているからな。何せ早くて美味い」
意外な言葉に紹藍は素直に驚いた。
(まあ、美味しいことは私もよく知っているけど……江遵様なら費用対効果の魅力は薄いでしょうから、ほかにもお店がありそうなのに)
しかしそれでも通っているのであればよほど気に入っているのだろう。それは元従業員としても少し誇らしい。
そして店に着くと紹藍はすぐ女将と目が合った。
「おや、紹藍じゃないか。珍しい!」
「珍しいって……もう少し何か言い方があると思うのだけれど」
「実際その通りだろう? 今日はその強い兄さんも一緒だし……あんたがやめた後はそっちの兄さんの方がよく見るくらいだよ」
江遵は強い兄さんと呼ばれているのかと思うと少し突っ込みたくなったが、この場で『お役人さん』などと呼ばれるよりはよほどいいだろう。変に目立つ必要もない。
「女将さん、四人なんだけど奥空いてる?」
「ああ、いいよ。一番奥を使いな。ただしそれなりに食べて帰っておくれよ」
「ありがと」
女将に交渉したあと、紹藍は三人に顔を向けた。
「奥に個室があるので、そちらに行きましょう」
そして紹藍の案内で奥の部屋へ移動する傍ら、紹藍は尋ねる。
「注文は適当にさせていただいていいですか? 女将にお勧めで頼めば後は楽ですが」
座ってから考えても構わないが、この場でいくつか頼んでおけばさっと出てくる。すると江遵は少し驚いた顔を見せた。
「そんな注文方法もあるのか。私はそれで構わない。あえて頼みたいものがあれば別で頼めば済むしな。景真殿、星琳殿はいかがか」
「私も問題ありません」
「はい、同じく」
「では女将に頼んできますね。お酒は好みがありますでしょうから、また別で」
「紹藍は飲めるのか?」
「ええ、一応。自分で買うことはありませんが、店員だとお客さんがご馳走してくださることもあるので。この店のお酒、結構おいしいものを揃えていますよ」
少し意外だと思われたようだと感じながら、紹藍は女将のもとに向かった。
「四人前、今日のお勧めの料理をお願い。あとお酒なんだけど、飲み慣れてなさそうなお嬢さんも飲めそうなのって今ある?」
「なんだい、無理に飲まなくてもいいだろう」
「そうなんだけど、周りが飲んでると飲むって言うかもしれないし」
無理に勧める気はないが、飲むという場合は止める理由もない。
もしかしたら星琳が酒好きである可能性があることは承知だが、そうでなかった場合は酔い潰すわけにもいかない。
「果実酒なら飲みやすいし、そこまで酔わないものも置いてるよ。ほら、そこの梅なんかちょうどいいだろう」
「ありがと」
「大変だね、役人仕事も。人の酒まで選ぶなんてさ」
「これが仕事だってわかるの?」
「当たり前だろ。紹藍がわざわざ人の食事を選ぶなんざ、仕事以外じゃ賄いを作るか母親の食事を作るかのどっちかなんだから」
あっさりと言われ、紹藍は苦笑した。
間違いないが、その言い方だと若干冷たい人間に聞こえるのは気のせいだろうか。
「ほら、とりあえず冷菜をいくつか盛ったから持って行きな」
「ありがと、さすが女将さん。早いね」
「当たり前だよ、この店の売りなんだからね。まぁ、久しぶりの味だ。楽しんでいきな」
「ありがと」
「はは、今日は礼ばっかり言われてるねぇ」
そして紹藍は冷菜を手に三人のもとへ急いだ。
「お待たせしました」
「もう料理があるのか?」
「お腹もすいてますでしょうし、冷菜だけいただいてきました。あ、お酒はどうしましょう?」
特にお品書きが置かれているわけではないので、好きな種類があるなら言ってもらえればいいと紹藍は思ったが、景真と星琳は悩んでいる様子だった。
そこで江遵を見れば、軽い調子で解説をしてくれた。
「ちょうど話していたんだが、二人とも飲んだことがないらしい。まあ、無理して飲むものではないし」
「そうですね。じゃあお水でも頼んできま……」
「いいえ、飲みます」
紹藍の声にかぶせる様に発言したのは星琳だった。
「構わないわよね?」
「ええ、もちろん。初めて飲まれるのでしたら、果実酒などはいかがですか? 美味しいですよ」
「いえ、この店で一番出ているものを飲むわ。可能よね?」
「それなりに強いお酒ですので初めて飲む方の口に合うかはわからないですが、よろしいのですか?」
「そんなの、どれだって同じじゃない」
(いや、酔いが全然違うと思うけれど……)
しかし何らかの決意を固めたような様子の星琳相手に言い聞かせられる雰囲気ではないことは紹藍にも察知できた。
どうしようかと景真を見れば、少し苦笑したような表情で「では私もそれをいただこう」と同調した。
「江遵様はどうなさいますか? 私は果実酒にしておこうと思いますが」
「そうだな、確か梅の酒がかなり美味いと女将が言っていた記憶がある。それをもらおう。二人もどうだ?」
「私は二杯目にいただきます。……私には経験がありませんが、男性官吏には酒を飲む機会も多いと聞いています。ならばあらかじめ知っておいた方がいいものもあるでしょう」
「そこまで決めているなら飲んだ方がいいな」
一応誘いを向けてみたものの、絶対に決意を変えないだろう星琳に江遵も食い下がることはしなかった。だが、苦笑しながらも一つだけ願いを口にした。
「終業後も仕事を強く意識してくれることは上司としてはありがたい。ただし仕事を意識するだけが仕事の効率を上げるとは思わない。酒のつまみとなる話題については仕事から離れたものにしておこうか」
「え!? せっかくの機会ですから江遵様のお話をお聞きしたかったのですが」
まるで子犬かと思わされるような景真に江遵は軽く首を振った。
「私はあまり話すのは得意ではなくてね。どうせなら私も君たちの人となりを教えてほしい」
(江遵様、逃げたな)
喋るのが苦手など嘘もいいところだと紹藍は思った。
そんな様子、一度も見たことがない。
しかしこの二枚舌がなければ出世も難しいのだろうなと思うので、あえて何かをいうこともしなかった。
呆れる紹藍と対照的に景真は目を輝かせていた。
そして、星琳はやや顔を顰めていた。
「私の話を聞いていただけるだけで光栄です」
「私はできれば江遵様の職務に関するお話をお聞きしたかったのですが」
「いずれにしてもこの場で仕事の話はできんだろう。個室であるとはいえ、いつ誰に話を聞かれるかわからんからな」
「では、酒の席では仕事の話は一切出ないと?」
「それは出世をしていけばいずれわかることだ。真偽の程を確かめることも出世の意欲にしてもらったらいいと思う。だが、いずれにしても雑談も大事だろう? 相手との距離を測る折には必要だ」
「……そういうものなのですか」
「ああ。たとえば今の状態もどうだ? 仕事の話をしたいと交渉しようにも、だめだと一言で断られればどうしようもないだろう? だが、もしうまく雑談ができれば断片的な話を聞き出すこともできるかもしれない。そもそも今日は友好を深めるための場なのだろう?」
(ほら、やっぱり話すのが苦手だなんて嘘じゃない。ものすごく説得してるし)
紹藍は料理を持ってきた店員に酒を頼みながら江遵を見た。
ちらりと黙っているようにという視線が送られたが、そんなことなど言われなくとも言う気はない。紹藍とて仕事の話はしたくないのだ。
(しかし浮かれている景真様ならともかく、星琳様がこの場で仕事の話をしたいというなんて)
場所がここでなければ違和感はない。
だが、この場所では違和感しかない。
酒の席に備えてということは理解できるが、守秘義務があることを知らないわけではないだろうに、と。
(何かを焦っていらっしゃるという雰囲気もあるような……?)
ただ単にあまり好きではない紹藍と私的な話をしたくないというだけではないだろうということは、なんとなく伝わってくる。
かといって紹藍が気遣うことは逆効果にしかならないだろう。
ここは何事もなかったかのように時間を過ごし平和に食事会を終わらせようと紹藍は思ったのだが、それは残念ながら叶わなかった。
それはただただ、星琳が酒に弱かったせいだ。
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