第十二話 菖蒲の節句
新緑が鮮やかに景色を彩る様は美しいとはいえ日差しが強くなりつつある、その日。
ここ数日江遵の事務仕事を手伝っていた紹藍に久しぶりの本業の指令が入った。
「二日後の菖蒲の節句に、記録としての絵巻物を作成する……ですか」
「ああ。陛下が代替わりされてから、一度も視覚的な記録はないということを思い出されてな。急だが、できるな?」
「わかりました。でもてっきり次も後宮に描きに行く物だとばかり思っていました」
四色夫人の絵を描いて以降、紹藍は妃の絵を描いていない。そろそろ中級妃を描きに行く頃かと思っていたので、少々肩透かしを食らったような気にもなる。
「……まあ、次に妃の絵を描くのはそれなりに先のことになるのではないか」
「なぜですか?」
「陛下が今のところ四色夫人と交流を深めようとなさっているからだ。とりあえず、今の段階で会う人数を増やすことはされないだろう」
その返答を受け、紹藍も妙に納得した。
(やっぱり妻が多いっていうのは大変そう)
しかしこれも一応任務がうまく行った成果だと思えば嬉しくもなる。
「一つ質問なのですが……絵を残したいと思われるような宴ですから、大規模なものなのですよね?」
「ああ。高官は軒並み出席するといえば、規模は伝わるか」
「お偉い方々と同じ場所に行くのは、ちょっと緊張しますね」
ただ、嫌だと言うわけではなかった。
高官でなければ見られない行事が見られるというのは少し得をしたような気分にもなる。
「当日の流れはここに書いてある通りだ」
「ありがとうございます。会場を下見することはできますか? 配置図があれば欲しいですし、実際の距離感も把握しておきたいのですが」
「ああ。立ち入り制限がされているわけではないから、好きに見ても構わないはずだ。遅くとも舞台の組み立ては始めているだろう。配置図は事情を話せば現場で貰えるだろう」
「では、早速行って参りますね」
ちょうど手伝いもキリのいいところまでできている。
いそいそと片付けをしてから宴の会場となる場へ向かうと、そこでは礼部の官吏らしき者たちが慌ただしく動いていた。
「ここの天幕は誰が持ってくることになっている?」
「五色の帯が足りていないぞ」
「こちらの準備はできたので、あちらへ回ってください」
「あれは汚れる可能性を考え、明日持ってくることになっているんじゃ」
まだ時間はあるとはいえ、準備は事前に終わらせておきたいのだろう。
(でも場所によっては最終確認のような動きも見受けられる。とても忙しそうで、配置図が欲しいなんて言い出しにくい雰囲気だわ)
余計な仕事を頼んで思考を中断させるのは申し訳ない。
江遵から受け取った予定表と舞台を見比べるだけでもある程度は把握できそうなので、辺りがもう少し落ち着くようなばその時に尋ね、そうでなければ配置図の入手は諦め自分で考えようと紹藍が思っていた、まさにその時。
「おい、お前。何をぼさっとしている!」
やや高圧的な声が近くで聞こえたので振り返ると、一人の男と目が合った。
(もしかしなくても、私に言っているのかしら……?)
周囲に他に人はいないし、そもそも視線が合っているのであれば声が掛かったことは間違いなさそうだ。
しかし紹藍は相手の顔を知らないし、ぼさっとしているわけでもない。
だからそのように声を掛けられるのはあまりいい気はしない。
だが、相手は紹藍の様子などお構いなしだった。
「応援に来た新人だろう、ならばキリキリと働け!」
「……え?」
「何をしたらいいのかわからないのか? ならば、座席数が合っているか確認を任せる」
そう言われながら紙を渡され、紹藍は少し驚いたものの、その仕事を引き受けることにした。勘違いされていることは明白だが、周囲が忙しそうであることは見ればわかる。
(まあ、ひとまず舞台までの距離感は覚えたし、舞台自体もまだ仕上がっていないみたいだし。私も手伝えば少しは早く終わるかもしれないし、そうなれば話が聞ける時間もできるかもしれないわ)
応援に来たわけではないが自身も新人ではあると思い、早速紹藍は取り掛かることにした。
座席では軽食でもするのか、小さな卓も並んでいる。
一体どのようなものが並ぶのかと考えながら、紹藍はそれをすぐに数えた。
「ご報告です。こちらの指定通り座席は用意されております。ですが、三列目の西側二席目の卓に少しささくれが目立っている気がします。予備のものと交換したいのですが、どちらにありますか」
「ああ、二番倉庫にあるが……お前ではわからんだろう。代わりの者に取りに行かせる」
「では、私は次に何をすればよろしいでしょうか」
「ならば、次は……」
こうして、紹藍は指示された仕事をこなし、新たに指示を受け……ということを繰り返していた。
徐々に普段と異なる仕事もなかなか面白いと紹藍が思い始め、ちょうど一区切りがついた時、紹藍は江遵の姿を見つけ思わず声を掛けた。
「あら、江遵様? こちらでどうなさったのですか?」
「『どうなさった』のではなく、お前がどうしてたんだという話だろう。見学に行くと言ったきり戻ってこないから、まさか迷いでもしたのかと思ったんだが」
「大丈夫ですよ、私、道を覚えるのは得意ですから」
なんとなくは理解していたが、江遵は思った以上に上司は過保護らしい。
「……迷ってはいなかったようだが、迷走はしているのではないか?」
「いえ、別に。お手伝いをすればここも少しでも早く片付くかなと思ったんですが」
そんな話をしていた時、紹藍に何度も指示を出していた男が急に目を見開き、慌てて駆け寄ってきた。
「こ、江遵様。いかがなさいましたか」
「ああ、郭延殿。いや、うちの部下がなかなか戻ってこないので、様子を見にきただけだ」
「江遵様の部下の方……でございますか?」
はて、誰のことかと郭延と呼ばれた男は考え込む仕草を見せたが、やがて紹藍を凝視した。
「まさか、こちらの……?」
「ああ。まだ日は浅い新人だが、蜻蛉省の一員だ。此度の宴で、陛下から絵巻物の作成を任じられ、今日はその下見に来ていた」
そんな説明を聞きながら、紹藍は改めて状況を口にされると、思っているよりすごい状況なのだなと思ってしまう。
しかしそれを考えれば、郭延は『陛下の勅命を受けている人物に雑務をさせている者』になってしまう。
あまり考えていなかったゆえのことなので紹藍は気にしていないが、郭延はやはりそうではなかったようでぷるぷると震えていた。
(これは、早く言わんかい! とでも言いたい感じのご様子)
しかし問答無用で仕事をしろと言われたという前提もあるので、事情を話さなかった、いや、話せなかった自分だけが悪いわけでもないと紹藍も特に謝ることはしなかった。お互い様だ。互いに相手を責めずに矛を収めればいいと思う。
そんな時だった。
「お取り込み中、申し訳ございません」
郭延に向かって、若い男が声をかけた。
「見ての通り取り込み中だが、急用か?」
「ええ、実は……天幕の一つに不備がございまして……」
「不備? どういうことだ」
「少し、黄ばみが目立つのです。こちらですが」
そうして男が広げた天幕は、確かに黄色いシミが広がっていた。
(わあ、見事に黄ばんでる。しかも、洗濯でどうにかなるものではなさそうだわ)
保管状況が悪かったのか、それとも片付けた際に洗濯をしなかったのか。
どういう状況でそうなったのか紹藍にはわからないが、高官が集まるような宴の場にふさわしくない状況であることだけはわかる。
「これは」
「このままでは使用できません。ですので、どうしたものかと思い……。実は、他にも四枚ほど同様の状況でございます」
「すぐに代わりを……!」
しかし、郭延の言葉は途中で止まった。
「代わりなど、用意できるのか……?」
それは天幕に大きな図柄が刺繍されていたからだろう。
城に針子がどれほどいるかわからないが、総動員できるなら可能かもしれない。だが、状況が状況だ。
(緊急事態ではあるけれど、針子にも予定があるはず。特に今なら、陛下の衣装の最終仕上げや直しに入っていてもおかしくないかもしれない。そこに割り込むだけのものだと言えるのかは微妙だわ)
保管状況が悪いのであれば自業自得だということで礼部内でどうにかするよう返答があってもおかしくない。
頼むにしても、懸念せざるを得ないのだろう。
だが、その状況を見ていた江遵はあまり大事ではないかのようにあっさりとしていた。
「そう焦る必要もないと思うが。確かに精巧ではあるが、別に国宝級のものではない。まったく同じとはいかなくとも、図案が近ければ新調したことにして新しいものを使えばいいだろう」
「で、ですが、その新調する時間が……」
「確かにあまりないが、刺繍にこだわらなくても構わんだろう。紹藍、この図案を描くことはできるか? 予備も含めて、五、六枚頼めると有難いのだが」
「縫うと描くではやはり異なりますが、同じ図案として模写することでしたら」
「決まりだな。白い布なら用意もできるだろう。紹藍も筆を用意せねばならんな」
事態が思いがけず解決に向かっていることに、郭延は考えが追いついていないようだった。
「こ、江遵様。その、本当に構わないのでしょうか」
「大丈夫だ、陛下が絵巻物の作成を命じられる画家だ。実力はある」
「あの、江遵様。それ、重圧になりますからね? やめてくださいね?」
紹藍も江遵が郭延を落ち着かせるためにそう言っているのだとは理解している。そして同時に、天幕は宴でそれほど重要ではないのだろうとも解釈した。もしも重要なものであるのであれば、さすがにこれ程軽い調子で命じられるものではないだろう。
ただ仮に柄のない白幕を使用すれば、なぜそれを使用したのかとという疑問が湧き上がるので、犯人探しをする必要も出てくる可能性がある。
(こんな直前まで状況が把握できなかったのに、犯人なんてわかるわけないもの)
片付けた者が怠惰だった可能性も否定できないが、片付けた後に誰かが意図的に汚してそのままにした可能性も否定できない。
結局答えが見つからないのであれば、一応調査するか否かは別として、代品の用意が一番手っ取り早い。
それに、紹藍としては上等な布に描ける機会など初めてなので、それはそれで少し楽しみだとも思ってしまったので何の不都合もなかった。
そう、何の問題もなかったはずだったのだが……。
菖蒲の節句の当日、宴が始まる前に会場を訪れた紹藍は思わず呟いた。
「ねえ、江遵様。なぜ私が描いた絵が、玉座の後ろにも飾られているのでしょうか。私、待機場所の天幕って聞いてたのですが」
描いた図案はいずれも菖蒲であったが、その一つが本来使用されるはずだった場所と大きく異なる場所に掲げられている。
確かに菖蒲に関わる行事であるので、皇帝の背後にあってもおかしくはない図ではあるのだが……自分の描いたものがその場にあることに紹藍は違和感を覚えずにはいられない。
「ああ。あの場も刺繍のものが毎年飾られていたのだがな。陛下が気に入ったので急遽変更になった」
「そんな簡単に変更しても構わないものなのですか!?」
「陛下のお考えを誰が拒否できる」
「確かにそれは……って、納得しそうになるじゃないですか」
「納得せずとも、陛下のお考えを変えるのは不可能だろう」
確かにその通りではあるが、宴を絵巻物に残す立場としては一番目立つところの背景に自分が描いたものを描くというのも、どうにもむず痒いものがある。
「安心しろ。今の所、例年と趣は異なるが斬新だと概ね好評だ」
「それはよかったです、けれど……」
「これは礼部の手柄となるだろう。なぜ天幕があれほど黄ばんでいたのかは不明だが、代わりが代用品とは思えないものだからな。今回の絵には色を入れたんだな」
「ええ。前に教わった場所で拾った鉱物でできた顔彩を使いました。宴ですし、黒一色よりは華やかな方がいいと思いまして」
そして、それが今回の評価につながっているのだろうと紹藍は思った。
以前鉱物が捨てられていることを教えてくれた、柳偉にも感謝が尽きない。
「でも、そうやって褒めてくださるならおやつの一つでも買ってくださいね」
「検討しておこう」
そう冗談を言っていた数日後。
紹藍の元には抱えきれないほどの甘味が届けられていた。
「郭延殿からの返礼だそうだ。よかったな、希望通りのおやつだろう?」
「ものすごく嬉しいですけど……多すぎません?」
甘味は高価だ。
高価であるのに、どう考えても一人で食べきれないほどの量がある。
日持ちがするものもあるが、中には日持ちがしないものもある。
「食べきれないなら、元の職場に持って行っても構わんぞ。それくらいの休暇は出せるしな」
「それもいいですね。でも、いつもお菓子を下さってる黒妃様や緑妃様にも差し上げたいですね。あ、江遵様もおひとつどうですか?」
「ついでのようだが、有り難く貰おう」
その返答を受け、紹藍は江遵に菓子を一つ渡した。
すると、早速その場で食べ始めた。
「郭延様は高圧的な方なのかと初めは思いましたが、随分義理堅い方ですね」
「融通が利く方ではないが、真面目な男だ。天幕の件、礼部の手柄として問題ないと先に告げておいたのに、私の発案を横取りするようで気が引けると今も相談に来るくらいにな」
「あら、それはそれで……面倒ですが、素敵な方ですね」
世の中それくらい真面目なものばかりであれば、きっと騙し騙されということも無くなるのだろう。
「なんだ、紹藍は真面目な男が好みなのか」
「まあ、人間不真面目よりは」
その返答に江遵は肩をすくめていた。
「なんですか、その反応」
「いや? ただ、淡々としているなと」
「慌てる質問でもありませんからね」
一体どういう反応を期待していたのかと問いたくなるが、面倒なのでやめることにした。
「まあ、人のことを言う前に私も真面目にお仕事をしますね。絵巻物の作成に取り掛からなくてはなりませんから」
いくつか図案を考えて練習はしているが、巻物として描くのは初めてだ。
(思った以上に色々な仕事が回ってくるなぁ)
初めは断れないので受けるしかなかったという仕事だったが、振り返れば自分でもいい絵が描けたと思う仕事ばかりだ。
そのことを思うと、待遇だけではなく感謝せねばと紹藍は改めて思い、言葉にはしないもののもう一つ菓子を江遵に渡した。
二章、開始します。
二章は週一を目標とした不定期更新となりますが、よろしくお願いいたします。
昨日より新作中華風ファンタジー『とりかえ後宮造華伝』の連載を開始しました。
もしよろしければ、こちらもよろしくお願いします。




