第十一話 光と影と絡まる巡り(五)
江遵から朱麗の長兄と会う約束ができたと教えられた紹藍は翌日、蜻蛉省の一角にある客間でその人の訪問を待っていた。
やがて約束の時間ちょうどにやってきたのは、健康的な肌色の武官であった。
「貴女が鴻 紹藍殿か。初めてお目にかかる、私は成良と言う」
「お越しいただきありがとうございます」
「いや、だいたいの話は聞いている。礼を言うのはこちらの方だ。朱麗は元気にしているか?」
挨拶もそこそこにそわそわと妹の話を聞きたがるあたり、成良も妹のことを大切にしているのがよく伝わる。
「拙作ではございますが、昨日の赤妃様のご様子がこちらです」
「……よかった、元気にしているのだな。食も細くか弱く大人しいあの子が家から出て行った折には心配していたが、良い顔だ」
最後は机に俯しながらそう言う辺り、本当に心配で緊張していたのだろう。ただ、紹藍から見た朱麗はか弱くはないし、決してうるさくはないが大人しいというわけでもないように見えた。もしかすると成良の比較対象は男の武官なのではないかと思い、それなら少々心配が過剰であるとも思う。
ただ四人の兄妹のうち、一番下だけが女であるのであれば仕方がない面もあるのかもしれない。
「赤妃様は兄君のご様子をお知りになりたいとのことで、もしよろしけれお姿を描かせていただけませんでしょうか」
「断る理由などなにもない。何枚でも描いてくれ」
「ありがとうございます」
実際朱麗に渡すとなれば一人当たり一枚か二枚だろうと紹藍は思いつつも、既に準備していた墨や水差し、梅皿などを配置する。
「ところで、描く間に話すのは自由か?」
「ええ。言伝などございましたらお申し付けください」
「そうか。言伝ではないが……皇太后は大人しくしているか?」
思いがけない発言に紹藍は思わず手を止めた。朱麗のことを随分心配しているのでてっきり朱麗のことだと思っていたのに、想定外の話題である。
「申し訳ございません、私は皇太后陛下のことを詳しくは存じ上げません」
あまり皇帝とよろしくない関係だということはわかっているが、そもそも話して良いことがあるのかどうかもわからないので話せないし、仮に話せたとしても面倒なので話したくはない。
故に無難な答えを返したのだが、成良は不満げだった。
「蜻蛉省の所属でそれはないだろう」
「私は政務には関わっていない新参者です」
「新人とはいえ、皇帝側の人間であろう」
「逆にお聞きしますが、何かあるのでしょうか?」
本当に何も知らないと言う体でやり過ごすために言い繕ってみれば、成良は長い溜息をついた。
「なんだ、本当に知らないのか? こちらは皇太后が後宮という妹と同じ空間にいるだけで心がざわつくというのに」
「あまりお好きではないのですね」
「好きではないではなく、敵だ」
はっきりと言い切る言葉に紹藍は驚いた。
以前江遵から成家の没落に関して聞いていたので嫌いだろうとは予想できてはいたが、はっきりと宮城内で皇族に対し嫌いだと言うとまでは思っていなかった。
だが、成良は全く躊躇わない。
「正直、あの女がなぜ四色夫人に妹を選んだのかが分からない。皇太后に対し良い感情を抱いておられない陛下の妃とはいえ、皇太后が見繕っていると言うのであれば断るつもりでいた」
「そうなのですか」
「ところが朱麗が受けると正式な返事をしていた。これではこちらが取り下げるわけにはいかない。事実上皇太后は監禁されているし、周囲が目を光らせているとは思うが何か企んでいるのではと思うと気が気ではない」
そう言いながら、成良は大きく溜息をついた。
「こんなことなら、朱麗にも我が家のことを少し話しておけばよかったと思うよ。あまり心配させたくないからと伏せていたのだが、おかげでずっと話し辛くなって……って、初耳のような顔だな」
「成家が皇太后陛下が原因で被害を被ったらしいとはお聞きしていますが、ほんの少ししか存じませんので。部外者が聞いていいものか少し迷っております」
「いいだろう、お前は蜻蛉省なのだから」
「そういうものなのでしょうか」
それほど安全だと思われているのであれば結構ではあるのだが、家庭の事情というものをあまり深く尋ねるのも憚られる。
だが成良はそのような心情など読まない。
「我が一族の没落の原因は厄災の対応への失敗を成家に押し付けたということは知っているな」
(知らないです)
「あの時皇太后が都中の医者、薬をとにかく自分の元へ集めた。結果、皇太后の付近で死者はほとんどいなかったが庶民は大勢死んだ。しかし民衆に恨まれるのを嫌った皇太后が自分の所業を父上に擦りつけ、成家は没落した……なんて、衝撃的な話を幼い朱麗にはできなかった」
「では、どうご説明をされていたのですか」
自分は幼くはないが、一瞬でかなり衝撃的な話をされていると思いながら紹藍はできるだけ平静を装って訪ねた。
「父上はできることをなさった。だが、厄災を止めることはできず、責任を取ることになった、と。しかし決して怠慢ではなく、立派であった、と」
かなり多くのことを隠してはいるが、嘘ではない範囲に入るのだろう。
想像することしかできないが、皇太后の行いにも苦言を呈していたのかもしれない。だからこそ後に責任をなすりつけられた可能性もある。
皇太后を止めることができなかった、というのが厄災を止めることができなかったという意味であるなら、成家としては嘘ではない。
「もし皇太后についてひっそりと朱麗に伝えられることがあれば、耳打ちしてもらえると助かる。今更すぎるのはわかっているが、もう直接伝えることは限りなく困難だ。手紙にしても、宦官の検閲があると思うとろくに書けない」
「そのような大事な事柄を私の言葉で信じていただけるかどうかはわかりませんが……」
「それならば『赤い胡桃の箱』と伝えてくれ。秘密の暗号だ。よく父上がくれたものだから、朱麗もわかるだろう」
可愛らしい暗号を聞かされ、紹藍は首を傾げた。
「大事な暗号を私に伝えられてよろしいのですか?」
「蜻蛉省なら大丈夫だ」
またそれなのかと思うが、聞いてしまったものは聞かなかったことにはできはしない。
「そういえば、蜻蛉省で女性の官吏は初めてじゃないか?」
「これまでという意味ではわかりませんが、現在は私だけのようですね」
「紹藍殿と言ったな。蜻蛉省に目をかけられるほど優秀なら何をやっても大丈夫そうだな……と、紹藍殿だと?」
「はい、紹藍です」
「もしかして玲家の娘ではないか?」
「父は玲家の生まれです」
「そうか! どこかで名前を聞いたことがあると思ったが、やはりか。玲藍殿の御息女となれば、蜻蛉省というのも納得がいく」
「あの、父と面識が?」
蜻蛉省に入ることと父親は関係ないのだが、そのあたりの訂正はあまり重要ではないと紹藍は無視することにした。
それよりも父の話だ。
玉蘭の時も意外であったが、父は想像以上に顔が広かったのかと驚かずにはいられない。
「いや、私は直接お会いしたことはない。だからおそらく玲藍殿は私のことを認識はなさっていないだろう。だが、あの方がいてくださったから自分の心が救われたと、何度も父が言っているのを聞いていた。父は玲藍殿から生まれる予定の子の名を教えてもらったと、楽しそうに言っていた」
「それが紹藍という名前だったのですか?」
「男であれば別の名だと聞いていたが……。知りたいか?」
「いえ、特別には」
しかし成家の当主とそれほど親密であったという話は母からも聞いたことはない。どのような関係だったのかと紹藍は余計に不思議に思ったが、紹藍が玲家の娘であったことに成良は一際安心したらしい。
「皇太后の話、現状大丈夫だというのであれば問題ないだろう。まあ、安全だとはいえ城内だ。口にしづらいことも確かにあるな」
それ以前に本当に知らないのでどうしようもないのだが、納得してしまった成良からあえて不満を引き摺り出すのも何か違う気がする。
(求められる答えができるならともかく……知らないという以外ないものね)
しかし、父のことでもし気になることができれば少し話が聞けるかもしれないということがわかったのは収穫だった。現時点では何もないし、大体は母に聞けば済むとは思うが、それでも分からないことを知っているかもしれない人がいると思うと少し不思議な気持ちにもなった。
(でも……なかなかハードルが高い宿題をもらったわね。周囲に気付かれない状況で暗号と忠告をお伝えするなんて)
侍女がたくさんいる中、本当にそんなことができるのだろうか、いつに成ることやらと紹藍は思いながら成良の絵を描いた。
紹藍が悶々と考えているのとは対照的に、成良はすっきりとした顔をしていた。




