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メガネ神話紀行  作者: 北条三蔵
第2章
9/23

メガネと朝ごはん

「さーて、まずは朝ごはんね」

 低い朝日を前に、パルテアは歩きながらのびをする。

 ササンは、覚醒し切らない頭のままなんとなく歩いていたが、ここが迷宮サヴァーであることを思い出し、パルテアの姿を見失わないように気を払った。

「サヴァーでは朝ごはんを外で食べるのが普通なんですか?」

「働きに出る人はそういう人が多いわね。特に職人はそう。で、食べながら朝の情報交換をするわけ」

「情報交換?」

「要するに、噂話よ」

「ああ」

 ササンは、懇親会の席でパルテアが言っていたことを思い起こした。

「つまりそこで……」

「そ。あわよくばジル・スペクタクルの誰かを捕まえようってこと。みんな雑談が習慣づいてるから、朝のほうがしゃべってくれやすいしね」

 ササンはプロフェッショナルの技を見た気分だった。こうして人々の行動パターンを見抜いて、能率よく情報収集をするのだな。

「でももっと大事なことがあるわ」

「おお。何でしょう」

 さらなる秘技があるのかとササンの期待は高まる。

「メニューよ」

「はい?」

「朝から職人どもが大挙してくるからね、朝食メニューのめぼしいやつはすぐ売り切れちゃうの! 久しぶりに食べてみたいのがあるのよね」

 ササンは盛大に肩透かしを喰らった。さらなる秘技は食いしん坊の術であったのだ。

 職人たちに負けじと朝早くって、そういうことだったのか。

「どしたのササン君」

 落胆している様子のササンを前に、まったく悪びれるところがないパルテア。

「いえ……そんなパルテアさんも魅惑的ですよ」

「何の話? さー、ジルんとこの近くの軽食喫茶(カーヴェ)までもうちょっとあるから、ちゃんとついてきてね」


 パーランダ社の玄関前から続く、ゆるやかな下り坂をまっすぐ来て、短い階段を下りた。そこから、大きくカーブを描いた道を歩いて行く。左手には家々が並び、右手は足の下に家々が建っているのが見える。

 しばらく道なりに行くと、三叉路があり、そのうち一番細い道を選ぶ。道の両隣にある建物は母屋と離れのように見え、つまりこの道は私有地である気配が濃厚だったのだが、「ここ通っても大丈夫なんですか?」とのササンの問いに、パルテアは「これが近道」と答えた。

 答えになっていない気がするが、ササンは了解したふりをした。どこでも通れてしまうサヴァーにおける私有公有の概念は、ササンには想像の及ばないものであるかもしれないから。

 元の三叉路が見えなくなるほどぐねぐね進むと、中庭のような、広場のような、ちょっと開けた場所に出た。その先に建っていた平屋根一階建ての家の壁に、どういうわけかはしごが架かっており、それを登って屋上へ。

 屋上まで来ると、そこから隣の家の屋上へ板が渡されていたので、おっかなびっくり渡る。渡った先の屋上にはいくつも植木鉢が置かれており、庭のように使われている様子だった。

 端のほうにその手入れ道具が入っていると思しき物置があり、その裏手に回ると、外階段があった。それを下りると坂道が走っていた。上りのほうを進む。

 坂の途中、いくつめかの曲がり角を右に行くと、そこには小川が流れていて、架かっている小さな橋を渡る。そのまましばらく直進すると、目の前に扉が現れた。

 誰かの家の門かと思いきや、元々アーチがついていた道に誰かが勝手に扉をつけただけだそうであり、それを開けると、大きな広場が見えた。広場には椅子とテーブルがいくつか並べられており、ここが目的の店であるらしかった。

 ササンは絶望した。帰れる気がしない。時間にするとそれほど経っているわけではないが、破滅的に長い距離を歩いてきた気がした。

 パルテアは「近道通ってきたからわからないだけよ。住所ちゃんと見て、大きい通りだけ行けばわかるって」と言うのだが、サヴァーでは住所という概念が毀損されているのではないかとササンは思う。

 さらには、

「古い層の家の中を通り抜けたらもっと早いんだけどね~」

 と気楽に言うパルテアを目の当たりにし、ササンは自らの異邦人性について思いを致さざるを得なかった。



「やった。まだ客少ないわ!」

 パルテアは駆け出していくが、ササンは気疲れして、とぼとぼと後追いするのが精一杯だった。

「おっちゃん、アイナクサンド二つね!」

 食べたかったというわりに平凡な名前だな、とササンは思ったが、その実体は平凡ではないらしい。

 このサンドに使われるアイナクは、幼魚のうちに獲ったもので、それを干物にしたあと、肉汁を少し混ぜた酒で戻し、焼いたものであるという。なお、何の肉の汁を使うかは日によって変わり、また肉自体は別のメニューに使われる。

 そうしたアイナクを固いコッペパンに挟むのだが、そのパンの切り口には、先の肉汁に塩味をつけてオリーブ油を混ぜ合わせたものが塗ってあり、そこに、酸っぱく味付けした野菜が敷かれている。

 なるほど手間がかかっている。食べたいというのも無理からぬことか。

 ほとんどの客は、売り場のすぐそばにあるカウンターで、茶や珈琲とともに立ち食いしていく。そうした朝食風景が、サヴァーの日常であるらしい。ササンたちはテーブル席へ移動した。

「いただきまーす。ん~、おいしー」

 いままで見たことないほどのパルテアの笑顔に、ササンは即座に心像機(カメラ)を取り出して撮影した。パルテアがにらんできたが、追及はしてこず、見逃してくれた。写真を許容するほどアイナクサンドの力はすごいらしい。

 ササンも、サンドの写真を一枚撮ってから、かぶりつく。

 固いパンが油でほどよく柔らかくなっていて、食感がよい。外側は固く、内側は柔らかく。かなりしょっぱくて、朝から腹に重いような気もしたが、かえって目が覚めていいかもしれない。

 ササンの場合は、店まで歩いてきたことによるほのかな疲労が食欲を増してくれており、おかげでやたらとおいしく感じられた。おそらくは肉汁のせいだろう、形容しがたい旨味があった。

「んむぅ、これは食べがいがありますねモグモグ」

「でしょ? おい食べながら撮るなムグムグ」

「さっきは見逃してくれたじゃないですかモグムグ」

 ササンは左手で食べながら右手では心像機(カメラ)を操作し、パルテアが食べ始めたところから食べ終わるところまでをきっかり撮った。いや、うまく撮れているかはわからないが、ともかくシャッターは押した。

 この連続写真により、使いどころのない活動写真作成も可能であろう。使いどころを考える愚かさよりも刹那を生きる愚かさを選べ、と学校で習った。

 最後の一口を飲み込む。心地よい満足感に包まれた。

「おいしかったー」

 パルテアは背もたれに寄りかかって満足げな表情だ。

「ほんとですねー。…………って、まったりしてないで、取材するんじゃなかったんですか」

「まだ知った顔は来てないから大丈夫よ」

 ちゃんと客の顔をチェックしていたことにササンは吃驚した。すっかり食事に集中しているものと思っていた。これがプロなのか。

「あっ来た。おーいカイチー」

 パルテアはササンの後ろに向かって手を振った。

「うおっ。パルテアのお嬢ちゃんじゃねえか」

 野太い声とともに現れたのは、無精ひげの中年の男だった。背が高く、鷲鼻をしている。その鼻に小振りのメガネが乗っかっていた。

 レンズを通した顔の輪郭線がズレていないことから、視力矯正用でない、装飾用メガネであるとわかる。

「どこ行ってたんだおめー。親御さんが心配してっぞ」

 カイチと呼ばれた男は、他の席の椅子を引き寄せてきて、パルテアたちのテーブルに着いた。

「この子は?」カイチが尋ねる。

「あっ、えーと、ササンといいます。パルテアさんの同僚です」ササンは恐縮しながら名乗った。

「同僚?」

「いまはこっちで仕事してんのよ。ササン君はサヴァーの外から来てて、いま一緒に働いてるの。写真師見習いよ」

「おめえよ、こっち戻ってたんならちょこっと実家に顔見せに行ったらいいだろよ」

「親はいいのよ放っとけば。そんなことより、今日は訊きたいことがあんのよ」面倒そうに言って、パルテアはメモ帳を取り出した。

 心なしか、パルテアさんの言葉遣いが荒っぽくなったな、と静かに思うササン。地が出てきたのだろうか。

「長老がとうとう棺桶に頭を突っ込んだって?」

 パルテアは、ササンにはわからない訛りを混ぜながらカイチに質問した。

「人聞きの悪いこと言うな。うちの工房の創業者を見たって話だろ? これが大マジなんだよ。頭ははっきりしてんだ爺さん」

「なんだ。じゃあやっぱり他人の空似なんだ」

「だろうと思うけどよ。でも、爺さんが若手の時に見たままの姿だってしつけーんだ。そんな昔の記憶ならなおさら当てにならねえだろって言っても聞きゃしねえ」

「あっはっは。しょーがない爺さんね」

「そこまで頑固な人じゃなかったと思うんだがな。年のせいかなあ」

 カイチは頭を掻きながらぼやいた。

「本物だったらおもしろいのにねえ」

「工房の連中でその創業者の現役時代を知ってる奴はもういねえから、そもそも確かめようがねーんだよな。確かめようとも思ってねえけど」

「爺さんにも一応話を聞いてみようかしら。あ、それから、若いのが一人いなくなったんだって? どうせサボりなんでしょうけど」

「いやー……それがなあ」

 でかい声でしゃべっていたカイチが、言葉を濁した。

「? ……なんかあったの?」

 ただならぬ様子に、パルテアはなんとなく声を細める。

「俺も最初はサボりだと思ってたんだよ。よくあることだしよ。特別厳しくしてたつもりはねえけどな」

「またまたご冗談を」パルテアは軽口を叩いた。

「ホントだって。そんでよ、あいつの家に行ってみたんだよ。でも、いつ行ってもいないんだ」

「一人住まい? 親は?」

「親とは離れて暮らしてる。近所の人の話だと、物音は時々してるらしいから、どうやらまったく帰ってきてないってわけでもないようなんだが……、姿を見かけた奴が全然いないんだよな」

「サヴァー内で放浪生活をしてるとでも」

「知らねえよ。でもそれだったら誰かしら見かけるだろ」

「そうよねえ」

 パルテアはペンの尻で自分の頭をつつきながら思案した。

「ん~。そもそも最初いなくなった時、何かなかったの? 様子がおかしかったとかさ」

「何か、ねえ」

 カイチはひげをじょりじょりと触りながら目を伏せ、「う~ん」とうなった。

「あー。原因かどうかわからねえが、来なくなるちょっと前だったかな、倉庫の整理を頼んだんだ」

「なるほど非生産的な仕事を頼むことによってやる気を減退させるという高度な」

「だから違うって! 最近工房を増築したんだよ。で、その前に倉庫を整理しようってことになったんだ。まー確かに、倉庫の中でも誰も足を踏み入れないような、古い物ばっかり詰まった倉庫を担当させたけどよ」

「ほらやっぱり」

「いちいちうるせえ。たいしたこっちゃねえだろ。その後から、様子がおかしかったといえばおかしかったかもしれん。よく憶えてねえけど」

 パルテアはカイチの言葉をメモ帳に書き留めながら、

「はー……。なんかよくわかんないわね」

「俺もよくわかんねえ」

「そいつの名前は? 写真ある?」

「名前はディラボー。写真は……あったかな。ああそうだ。増築前に一部取り壊しをするってんで、その前に記念ってことで集合写真を撮ったんだ。それに写ってる。工房に飾ってあるから見に来いよ」

「あ、ああ、工房、工房ね。うん、そのうち行くわ」

「?」

 パルテアは突然ぎくしゃくした物腰になった。メモ帳に顔をうずめ、カイチから目線を外している。

「あの、そのメガネ、変わってますね。テンプルがない」

 会話が一段落したとみてササンは口を挟んだ。

「これかい? よくぞ聞いてくれた。これはな、鼻当てにバネが仕込まれてて、それで鼻を挟み込んでるからテンプルがなくても位置が安定するようになってんだ。俺は鷲鼻だからな、それを活かしたファッションをしてるわけよ。ちっとばかし鼻が痛えんだけどな」

 カイチは自分のメガネを外して、ササンに鼻当て部分を見せた。

「へえぇ。これはサヴァーならではですね」

 ササンは鼻当ての機構をいろんな角度から眺めてみた。その精巧な造りには感心せざるを得ない。

「これはな、鳥亜人にウケがいいんだ」

「鳥族に……鳥目だからですかね」

「それはレンズの役割だな。そうじゃなくて、ほれ、鳥はくちばしあるだろ」

「ああ! くちばしに乗っけて使えるわけだ!」

「そうなんだよ。鼻に乗っけるタイプのメガネはメガネとしちゃ昔の型だが、鳥どもには人気だからいまでも作ってんだ」

 カイチは胸を張った。

 自分でも着用するほどにこだわりの一品というわけだ。カイチは鷲鼻であるために、この種のメガネの乗せ具合もよさそうで、自分にフィットするという意味でも製作に力が入るのだろう。

「そっかーなるほどなあ。鳥亜人のメガネ需要がそういうものだったとは、想像つかなかったなぁ」

「そういや、サヴァー出身じゃないからそういうこと知らないのよねササン君は」

「そうですよ。あ、カイチさん、ぜひ写真を一枚」

「おっ。色男に撮ってくれよ」

「ひげ剃ってから言いなさいよ」

 カイチが変なポーズで写真に撮られているのを尻目に、パルテアはメモを書き終え、

「よし。ありがと。また連絡するわ。朝食の邪魔しちゃ悪いからわたしたちはこれで」

 パルテアは席を立った。

「なんだせっかちな奴だな。……っと、確かにさっさと食っちまわないと親方に怒られる。おい、ちゃんと家に連絡しとけよ! あと今度何の仕事してんのかちゃんと教えろ!」

「わかったわかった!」

 素っ気なく手を振って、パルテアは歩き出した。

 さっさと行ってしまったパルテアを追いかけるべく、

「あ、写真ありがとうございました。それじゃ」

 ササンは手短に礼を言い、カイチに小さく頭を下げた。カイチは笑顔を返してくれた。

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