メガネと夜
次の日の夜、ササンが自室の机で自分が撮った写真を眺めていると、
「ササン君、入っていい?」
ドアの向こうからパルテアの声が届いた。
「はい。どうぞー」
入ってきたパルテアは、寝る前だったのか、上着はなく、下の服のボタンもふたつ外して楽な恰好をしていた。
楽な恰好はまったく結構なことであるが、胸元がササンには目の毒だった。なので、
「おっ。夜這いですか! 大歓迎!」
精一杯おどけてみたのだった。
「あっはっは。ばかね」
笑いながらパルテアはササンのベッドに座る。
「何してたの?」
「写真見てました。雑誌には使わないやつ」
ササンは机上にあるうちの一枚を取って、パルテアに見せた。
それは図書館で撮った、パルテアとエリズが二人で写っている写真だった。
「へぇ。見せて」
パルテアはササンから写真を受け取った。
談笑している自分とエリズ。
自分のほうには、体に動きがついて、顔が笑っているのが明にわかる。自分のことだ、まあこんなものだろうと思う。
エリズのほうは、まっすぐとして崩れたところがない立ち姿で、よく見ると、ほんのわずかに表情をほころばせている。
よくこの瞬間を撮ったものだと感心せざるを得なかった。
なかなか表情が動かないエリズであるから、この一瞬を捉えられている写真は貴重だ。
エリズとは長い付き合いだから、もちろんこういう顔は何度も見たことがあるけれど、こうして形になって残っている、何度もまじまじと見れてしまうということは、なんとも稀有なことに思える。
そしてその表情をしていながら、姿勢はまっすぐのまま。エリズの性格をぴたりと表しているかのようだ。
情感をも伝えるという心像機の効用もあろうが、一見相反するような二人の、しかしほのかに薫ってくる親密さが感じられて、なんだか胸の奥からあたたかいものが湧き上がってきた。
「……いい写真ね。これ、もらっていい?」
「光栄ですね。いいですよ」
ササンは平静を装ってそう返したが、パルテアの感情を込めた口ぶりに、嬉しさと驚きがないまぜになっていた。
自分の写真にパルテアを感動させるだけの力があるだなんて、とてもそこまで自信たっぷりにはなれないのだが。
「ササン君はいずれ学校に戻るんだっけ」
「ええ、研修ですからね」
「そっかー……」
「おっ。ぼくと別れるのがそんなに寂しいとおっしゃる!」
「ここでうんって言ったらどうしてくれるの?」
口を滑らすササンに負けず、パルテアは口角を意地悪そうに吊り上げて返した。
「えっ。いやー……えーっと」
ササンは口ごもった。うまい返しが思いつかなかった。まだそこをぽんとジョークで流せる人生経験が足りないのである。
「まぁでも、サヴァーっていうおもしろい町を経験したんで、そのままの勢いで他の町も見て歩きたいなあって気持ちもありますよ」
「そうなんだ」
「きっと、もっと不思議なものが世の中にはあるんだろうなと思いますから。写真を撮るっていうのももちろん大事なんですけど。想像を超えるものに触れたときの新鮮な驚きは、なんていうんでしょうね、うーん。……健康に良い?」
「あはは何それ。年寄りみたい。…………まあ、わかるよ」
パルテアは写真を眺めながら少し沈黙して、
「……人間の、あるいはこの世の可能性っていうのかな。なんでもなさそうに思えたところにこんなことが起こりうるんだっていう、その、意外性と驚異。そしてその意味。そういうのは、楽しいよね」
自分に言い聞かせるように言葉を継ぐパルテア。ササンは、昨夜の夕食の席のパルテアを想起せざるを得なかった。
「……うん。やっぱり、考えよう。エリズとも話してみよう」
パルテアは突然立ち上がった。
「じゃ、おやすみササン君。写真ありがとね」
「えっ? あっ。は、はい」
パルテアは足早にドアに向かった。
と思ったら、ドアの前で突如ササンのほうを振り返った。
ササンが呆気にとられていると、パルテアは勢いよく両腕を広げて、椅子に座っているササンの頭を抱きしめた。
「ありがと。ササン君がいてくれてよかった」
それだけつぶやいてパルテアはさっさと出て行った。
後には、顔が胸にうずもれてしまった感触で意識が飛びかかったササンが残された。
「なんだったんだ。何しに来たんだいったい?」
動転している自分をどうにかしようと、おどけた調子でそう声に出してみたが、心臓の鼓動は速くなるばかりで、どうにもならなかった。




