メガネと謎
「ほっふーん。ほへー。ふふ~ん」
パーランダ社内。自席に座ったパルテアは、奇声を発しながらササンによるインタビューメモを読んでいた。
ササンは、なぜこの人は黙って読むことができないのだろう、と未知の生物を見るような気持ちで、パルテアの傍らに立っていた。未知の生物でも美しいので別に問題はないが。
「エリズはうまいことやってくれたようね」
メモから視線を外さないまま、パルテアはササンに声をかけた。
「ありがたいことです。まさか長老がああいった人であるとは想像がつかず、ぼくがインタビューしていたらと思うと……」
「意気投合するんじゃないの?」
「パルテアさんはぼくを何だと思っているのですか」
「ほっへーん」
ササンの疑問には答えず、メモを見ながらふたたび奇声をあげるパルテア。
「ニャッフッフーン」
パルテアに影響されたか、そばの席で事務仕事をしているクーシュも奇声をあげる。
「流行ってるんですかね……」
クーシュのほうを見やり、ササンは呆れて肩をすくめた。
ササンは、インタビューをやってくれたのがエリズであることはパルテアに伝えたが、インタビューに臨む前に、エリズの中でいろいろと思うところがあったことは言わないでいた。自分が言っていいものか、迷っていた。
「ギルが自分のメガネを作って様子がおかしくなり失踪、その後祭りに現れたモテ男、そして連続盗難事件。そこからざっと四十年後、また同様の男が祭りに現れる。その折に、長老がギルらしき人物を見かける、しかしその妙な断言ぶり、と」
パルテアはインタビュー内容を概観し、要点を挙げた。椅子がギッと音を立てた。
「そいで、こっちがどっか行っちゃったっていう若手職人……ディラボーだっけ、の写真と。ディラボーってなんか外人みたいな名前ね」
パルテアの手にあるのは、ササンが工房を訪ねた際、カイチが気前よく貸してくれた写真である。工房の一部取り壊しをする前に撮ったものだが、その作業後、ディラボーは出勤してこなくなっていた。
「はい。集合写真なので、あまり顔がはっきりわかりませんが」
写真の隅に立っている人物をササンは指差した。
「ふ~ん、こいつか」
うっすらとだけ笑顔を浮かべたように見えるディラボーは、回りの職人たちと比べると痩せていて、影の薄そうな人物だった。
特段、何か背景がありそうにも思えなかった。
「さて、どこまで書こうかしらね」
パルテアはメモと写真を机の上に置いた。
「といいますと」
「いろいろ不思議なことが起きているのは確かだけど、よくわからないことも多いからね。概要を書く程度とするか、憶測でも何でも、誌上で推理ごっこしちゃうか」
「そういうのもアリなわけですか」
「リトル・マガジンだもーん。ゴシップ上等で好き勝手書いちゃうもーん」
「パルテアさん……」
「冗談よ。誌面には概要を伝える程度にしか書かないわ。もう少しはっきりわかってきたら考えるけどね。わたしが書くのはサヴァー文化論なんだから。ま、それはそれとして、不思議よね。四十年の時を経て好色なる男がふたたび出現するなんて」
「はい。それだけじゃなく、ギルもディラボーも失踪してるところも似てますね」
「さらに盗難事件も」
と、パルテアが付け加える。
「あれ? 最近盗難事件起きてるんですか?」
「思い出して。『仮面の君』は単にモテるだけじゃなくて、金品も奪ってるって話だったじゃない」
「奪ってるんじゃなくて女性のほうが差し出しているんでしょう?」
「そうなんだけど、ギルの時代のほうの盗難事件も、この、祭りでモテてたっていう謎の男がやったものじゃないかってわたしは疑ってるのよ」
「そりゃまたなぜ」
「要するにとんでもない魅力の持ち主なわけでしょ、どっちも。そんで、『仮面の君』のほうは、その力を使って、女性以外のものも手にしている。過去のほうだって、同じようなことをしててもおかしくないと思うのよ。盗んだか差し出されたかの違いはあるにしても、つまりは誰かをだまくらかしたってことでしょう」
「いやいやもしかしたら『仮面の君』は本当になんだかもうこの世のものとは思えないほどすんばらしい男で、どうしようもないほど合意の上かもしれないじゃないですか」
ササンは冗談めかして反論してみる。
「何か怪しげな魔術の使い手というほうが説得力あるわね」
「魔術か……そうですねえ。確かにちょっと信じられないことですよね」
魔術、魔法なんてものが実在するのか、ササンにもパルテアにも、実のところよくわからない。見たことはない。
しかし、そういうものが出てくるおとぎばなしはたくさん存在しているし、異国には、まさしくそのようなものでもない限り起き得ないような、不思議な事件があるとも聞く。おとぎばなしのようなことが日常的に起きているとは思えないが、実のところ、世の中はよくわからないことで満ち満ちている。
技術や学問が発展するほどに、世界は一方向に、単純明快な方向へ進んでいるような気がしてしまうけれど。
歴史をひもといてみるとそんなことはなく、極端に発展した時もあれば、停滞している時、むしろ逆戻りしている時もある。
亜人たちと当たり前のように一緒に生活しているが、亜人についてもよくわからないことは多い。そして亜人たちも、人間たちのことはよくわからないと思っているだろう。
遠く東や北の果てには何があるのか、人が住んでいる所があるのか、実はそういったこともわかっていない。
知らないところで何か超常なる力が蠢動した結果として、この世のもろもろが成り立っていたとしても、おかしくはないのだ。「場違い」に思えるものが、ふと世の中にまろび出てくることは十分にありえる。この世界には、そう感じさせるものがあった。
「長老が目撃したギルらしき人物、実は『仮面の君』なんじゃないかしらね」
「それはぼくもちょっと思いました。ギルに似てたのは……他人の空似?」
「『仮面の君』が本当に魔術みたいなのを使うなら、ギルのように見せかけたって可能性もあるけど」
「見せかけて何の得が……?」
「そうなのよね。やっぱりただの偶然かなあ」
「ぼくたちもそのギルに似てる人に会えればいいんですけどね。図書館でギルの顔は確認しましたから、見かければわかると思うんですが」
「そうね……。――さて、推理ごっこはこれぐらいにしときましょ。なんとなく失踪と新旧『仮面の君』とを並べちゃってるけど、互いに関係あるのかどうかもわからないんだし。書くのは概要程度にしても、誤解させないように気をつけなきゃね」
「む。先ほどと違い良識的」
「わたしはいつも良識的」
あごを上げて得意げになるパルテア。
「では良識的な笑顔をひとつ!」
ササンはどこからともなく取り出した心像機を構えてパルテアを煽った。
しかしササンの予想を大きく外れて、パルテアがにっこりとたいへん綺麗に微笑んだので、ササンは不意を突かれてしまい姿勢を崩してシャッターを押す羽目になった。ブレてしまったかもしれない。
そしてパルテアの笑顔タイムは即座に終了した。
「パルテアさん、もう一回お願いします!」
「だめだめ。わたしの良識はとっても高価なんだから」
パルテアは心中ほくそ笑んだ。ササンがことあるごとに写真を撮ろうとするので、いつかタイミングを外してやろうと目論んでいたのだ。
「そんなあ」
エリズのときといい、最近絶好のシャッターチャンスを逃しているササンは、がっくり肩を落とした。
「次の誌面は祭りがメインになる予定だから、写真はそっちでがんばってね」
「はいぃ……」
悲しげに心像機を見つめるササン。
「じゃ、わたしは原稿の続きやるから。ほらほらササン君は写真チェックとクーシュの手伝い!」
パルテアに背中をしたたかに叩かれ、ササンはしぶしぶ自席に戻る。
「残念でしたニャ。食べますかニャ?」
目の前の席に座っているクーシュがササンに差し出してくれた串に刺さった団子は、青と緑の斑色をしていた。ササンの全身からさーっと血の気が引く。
「クーシュ、これは……ええと、な、なにかな?」
慰労の気持ちはありがたいのだが、まったくもって嫌な予感しかしない。
「どこだかの名物のふしぎな気持ちになるお団子だそうですニャ」
まるで詳細が伝わってこないクーシュの物言い。
ササンは、眼前に突き出された、ゲテモノ屋台で買ってきたに違いない団子を見て、暗澹たる気持ちになるのを止めることができないでいた。
しかし、
「あ~んですニャ」
「……!」
かわいらしい猫亜人の女の子に「あ~ん」と言われて引き下がっては男がすたるとササンは決心し、思い切って団子をひとつ口に入れた。
口の中に広がるあまりにも玄妙な、いや幻妙な味わい。
サヴァーの迷宮が頭の中に広がったかのような感覚。
その後、傍目には問題なく仕事をしていたササンだったが、意識がはっきりしたのは、その日の夜になってからだった。
パルテアとササン、クーシュは、「メガネのウミネコ亭」に来ていた。
ササンが謎の団子により意識を彼方に飛ばしてしばらく、「夜ご飯行こっかー」というパルテアの声でササンは覚醒した。「ササン君も行くでしょ?」と言われ、「え? あ? は、はい」ととりあえず返事をする。状況がつかめないままパルテアにくっついて歩き、「メガネのウミネコ亭」に到着していた。
外の席で食べましょ、と言うパルテアに従って、湖を臨むテラス席に座って、一息つく。そこでようやく、ササンはあの団子によって時間を飛び越えたことを自覚した。
「どうしたの? 浮かない顔して」
「あ、いえ……何でも」
パルテアの問いかけに反応しつつ、クーシュのほうをちらと見るササン。
ふしぎな気持ちになる団子をそうと知ってササンに食べさせたクーシュは、何ら悪びれるところなく、目の前のアイナクの塩焼きに食らいついていた。野獣のごとくありながら愛嬌のあるその姿に対しては、責める言葉は出てこない。
やれやれと思いつつ、ササンも食事を始めた。
パルテアのほうは手早く食べ終え、右手にある湖を眺めながら、何杯目かの酒杯を傾けていた。
「ねー、ササン君はどうして写真師になったの?」
パルテアは湖のほうを向いたまま、対面の席に座るササンに尋ねた。
「なったというか、まだ半人前ですけどね。そうですねー…………心像機ってのは不思議な機械で、写真から情感が伝わってくるんですよね、本当に。いろんな風景とか人とか、見慣れない物が写った写真を見ていると、自分が旅をしたような、いろんなところを見て回ったような気分になります。そういう写真を見て、自分もやってみたくなったんです」
「なんだか、かっこいいわね」
「えへへ、そうですか? でも、できあがった雑誌を見ると、立派な仕事しちゃったなーと思う反面、腕が上がってるのか上がってないのか、わからなくなったりします。被写体に振り回されてるだけじゃないかって」
「雑誌が世の中に振り回されなかったことなんて、人類史上一度もないんじゃない?」
パルテアはおどけて言った。
「お、うまいこと言いますね」
「うまいこと言う仕事だから」
パルテアとササンは笑い合った。
その時、湖のほうから風が吹いて、パルテアの髪を揺らした。
一瞬視界が遮られ、パルテアから談笑気分が吹き飛んだ。
「……わたしは、なんでいまやってるような仕事をしたかったのか、忘れちゃったわ」
パルテアはぽつりと言った。
「そうなんですか」
「よくよく考えてみると、サヴァーへの反抗心から何となくやり始めただけのような気もするし。そのくせ戻ってきちゃってるし。最初は何か強い気持ちがあったのかもしれないけど、同じ仕事を毎日やってれば飽きもくるから、いまこうしてるのはなんでだったっけ? なんて気持ちにもなるし」
パルテアはぐっと杯を飲み干した。
そのまま、酒で赤くなった顔に物憂げな表情を浮かべて、夜の色に染まった湖を見つめる。
揺れる水音がした。
店の中で響く客の話し声が、ふいに小さくなったように感じられた。
しばしの沈黙が場を支配する。
ほんの数秒の、やけに長い時間が流れた。
「……ぼくは、パルテアさんといられて毎日楽しいですよ」
ササンは少しだけ低い声で言った。
「んふふ、ありがと。わたしもよ」
パルテアはとろんとした目つきをササンに向けた。途端にササンの鼓動が速くなる。
「クーシュもね」
パルテアは出し抜けにクーシュに抱きついて、あっちこっちの毛を触りまくった。クーシュはフニャアと鳴いた。
「あの、ぼくから言うのも何なんですが」
ササンはおずおずと切り出した。
「なあに?」
クーシュに抱きついたままパルテアは応ずる。
「えと、エリズさんと、話をしてみてください。あのー、エリズさんもいろいろと思うところがあるというか、今後何をしていきたいかとか、まあそのー、考えていることがあるらしくてですね」
こういうことは本人の口から言ったほうがいいんじゃないかと思っていたのだが、先ほどのパルテアの物憂げな顔が妙に頭の中に残って、ササンはどうしても言いたくなってしまったのだ。
「……なんだかわからないけど、わかったわ。エリズとね」
パルテアは最初きょとんとしていたが、ササンの意図を汲み取ったか、深く言及してこなかった。
「わかっていただけて何よりで。いやはや」
どうにもうまく言えず、ササンは変に恥ずかしくなって皿に視線を落とした。
「ふふ。それにしても、ずいぶんエリズと仲良くなったみたいね」
「いやいや、強敵だなあと思ってますよ」
「あはは。そうでしょうね」
パルテアは笑ってから、ふいに手を伸ばし、ササンの髪の毛をくしゃくしゃとした。
「な、なんです?」
「何でもないわ」
パルテアは悪戯っぽく笑った。




