メガネと昔話
職人の朝は早いが長老の朝はそうでもない。
というパルテアの話に従い、ササンがエリズとパーランダ社前で待ち合わせたのは昼前だった。すでに太陽はかなり高い位置にある。カイチたち職人はとうに朝食を終え、働いている時間だろう。
これぐらいの時間が長老をつかまえやすいというのだ。あとはエリズがきっといいようにしてくれるから、とはパルテアの言。意外と甲斐甲斐しいのよ、と。
「おはようございますエリズさん。今日はよろしくお願いします」
「おはよう。じゃあ行きましょうか」
手短に挨拶を終えて、すぐにエリズは歩き出した。どう案内するかも説明しないので、ササンはパルテアの言葉を早速信じられなくなった。
エリズは、おめかしするサービス精神も服もないと自分で言うとおり、まったく地味な恰好をしていた。暗い色の長衣には、襟にも袖にもさしたる飾りはついていない。
大きく違っていたのは、髪を下ろして、よく梳かしてあったことと、メガネが替わっていたことだ。
図書館で会った時は、大きなレンズの無骨なメガネをかけていたが、今日は小さいレンズのメガネで、目元がシャープな印象だ。テンプルには、はっきりとはわからないが、彫刻のような意匠が施されているようだった。
「レンズが大きいほうが視界が広くて仕事には便利だから」
まったく実用主義的なエリズの説明であったが、そんな実用主義者のエリズでも、ちょっと洒落たメガネを持っていて普段はそちらを使うということに、ササンはサヴァー人らしさを感じていた。
服装にはこだわらずとも、メガネには一家言あり、ということなのかな。
「そのメガネ、とっても似合ってます」
ササンが正直に褒めると、
「そう? ありがとう」
例によってなんらの心の揺れも感じさせないエリズの返答と表情に、ササンは心の中で苦笑した。
エリズさんという被写体は、生半可な言葉では「いい姿」で写真になってくれそうにない。もちろん、普段の冷然とした振る舞いも、魅力的ではあるのだけれども。
「エリズさんは神話を調べているという話でしたね」
「ええ」
ササンは、エリズが神話や昔話を記した文献を探していることを思い出し、ジル・スペクタクルの長老に会うまでの道すがら、どんなものがあるのか聞いてみることにした。
単純に興味があったというのもあるが、エリズから話しかけてくるのを待っていると、ずっと押し黙ることになりそうだったから。
サヴァーには宗教施設らしい宗教施設がない。挙げるとすれば博物館で、その一角にある、メガネ開発技術の黎明に関する展示スペースが、「祈りの場」となる。いまは博物館だが、かつては社があったという。
そこには、サヴァー草創期において用いられた道具のほか、当時最もよく使われた鉱石のうち、純度の高いものが何点か展示されている。鉱石にこそサヴァー人は神性を見出してきたからだ。
何に超人性、超常性を感じ取り、それを神と呼ぶかは土地による。サヴァー人にとっては、有り難き鉱石こそが神であり、あるいは、それをもたらしてくれる存在が神である。
――そのようなことを前段としてエリズは話した。そして、「とはいえ、もうそれは随分昔の感性なのだけどね」とも。「祈りの場」というのは、実のところ廃れつつある美称にしか過ぎないのだそうだ。
「さて。じゃあわかりやすいところで、サヴァーの来歴、町ができた謂れについての神話をいくつか簡単に……」
得意分野の話ができることが嬉しかったのか、エリズの口調には普段にない軽快さが感じられた。
エリズが言うには、大きく分けて三つの神話があるという。それらを、概略して話してくれた。
一つめ。大昔、メガネに使われる鉱石は希少で、職人たちはみな苦労していた。鉱脈を発見するべく、多くの鉱石掘りが各地に旅に出た。
ある旅人が、疲労困憊になりながら、どうにかこうにか現在のサヴァーの地に辿りついた。もうこれ以上歩けないとその場に倒れこみ、そのまま眠ってしまった。
夢の中で、旅人は神に出会った。神は空から降りてきて言った、「お前がいま眠っているその場所を掘るがよい」――。
「そこから鉱石がたくさん見つかって、町ができたというわけですね」
「そう。これは複数の文献で見つかるから、おそらく最も一般的なものでしょうね」
確かにいかにもありそうな話だ。非常にわかりやすい。
都合よくサヴァーに辿り着いて、都合よく神様が現れる。
「神話は、しばしば本当に起こったことを含んでいるといわれるの。これが史実に近かったとして、その実態は、旅の果てに見つけた山がちな土地で試しに掘ってみたら見つかった、というところでしょう。誰しも、思いがけない成功があると、それを吹聴したくなるもの。より話を大きくするため、計算ずくであると言ったり、神様の思し召しであると言ったりして、必然性を強調するわけね」
エリズはそのように分析してみせた。
その滔々とした語りは、このような話題への関心の深さを示していた。ササンは少しばかりエリズのことが理解できた気がして、うれしかった。
二つめ。あるところに町があった。そこでは、人だけでなく、神々も一緒に住んでいた。
神々は大昔に天からやってきて、人々とともに暮らし始めたのだという。神々は偉大にして不可思議な力を持っていて、その力に助けられて人々は豊かに暮らしていた。人々は神々を尊敬していた。
あるとき、神々は、自分たちはもう天へ帰らなければいけないと言った。
しかし神がいなくなると、みなの生活は貧しいものとなってしまう。
そこである神が言った。
非常に貴重な鉱石が多く取れる場所があるから、そこへ移住し、鉱石を使って品物を造り、交易をして暮らすがよい、と。
そしてその場所を人々に教え、神々はみな天へ帰っていった。
「へええ。今度は町ごと移住ですか。壮大だな」
「これは、本当にあったことを神話仕立てにしたのだすると、無理がある展開ね」
「いきなり町ごとってのはちょっと荒唐無稽ですかね。あるとして、戦乱やなんかを避けて辿り着いた、ぐらいでしょうか」
「そうね。だけど、そういう理由があるなら、少しぐらい背景として何か関係する逸話が残っていてもよさそうに思う。それはいまのところ見つかってないし、そもそも最初から神様と平和に暮らしていたっていうところからして、何かから逃れてこの地にやってきたというのはなさそうね」
「ふむむ。確かに」
苦労話は語りたいものだ。戦火に見舞われたのならば、その苦難の歴史はさすがにサヴァーといえど残っているだろう。
「それにこれ、メガネはまったく出てこないのよ。鉱石、と言ってるだけ」
「そうなんですか」
「だから、ほかの土地の似たような話が変形されて伝わっただけじゃないかと思ってる。サヴァーだからね。古い時代に、サヴァー建国神話を集成しようと思った物好きがいたとして、私と同じように、残っている民話やなんかが少なくて困っていたことでしょう。そうすると、どこかで聞きかじった話を持ってきて、部分部分をサヴァーに関係するように書き換えて……となってもおかしくない」
「ううむ。そういうこともあるんですね……」
なんともいいかげんなものだ。なんとなくだが、神話というのは、厳然として、固定された状態で存在しているものだと思っていた。
「そういう翻案自体はサヴァー以外の土地でも珍しいことではないはずよ。神話は人と旅をするもの。何百年も何千年も時代をさかのぼれば、必ずある時ある場所に、人がどこかから移り住んできているのだから」
三つめは、二つめの話に少し似ていた。
人々と、天からやってきた神々とが仲良く暮らしていたのは同じ。その場所が、現在のサヴァーの地だったのか、二つめの話のように別の町だったのかについては、明記されていない。
二つめの話と異なるのは、神の力によって豊かに暮らしていたわけではないというところだ。神々は確かに不思議な力を持ってはいたが、人とほとんど変わらない生活をしていた。神々はいわば長期滞在の旅行者で、客人のような存在だった。
しかしやはり、天へ帰らなければならない時が来た。
神々は、ひとりまたひとりと天へ飛び去っていったが、最後に残った神は、いくつかの石を人々に与えた。「これらの石はお守りだ。これがあればお前たちはますます繁栄するだろう」と言って、去っていった。
「で、その石というのが、どうやら緑柱石によく似ていたらしいのね」
エリズの説明を聞いて、ササンは一瞬納得しかけたが、
「……えーっと、そうなると、お守りをレンズにしちゃったんですか」
「というおかしな話になってしまうから、これもやはり別の土地の話でしょうね。改変が稚拙だわ」
「何個か石があったところで、レンズに使ってたらすぐなくなっちゃいますしね」
「好意的に解釈すれば、最後に残った神が鉱脈を教えてくれたのをこう改変した、と言えるけれど、やっぱりサヴァーの話じゃないと思う」
「このお話は、神様がなにやら力を持っているのにそれを使ってないところがおもしろいですね。何なんでしょうかこの神様は」
「あえて解釈するなら、おそらくこの神が指しているのは、逗留していた旅の商人のことなのでしょう。そして町に愛着が湧いてきたか何かで、普段にない貴重な商品を卸してくれた。そのおかげで栄えた町があって――、その異曲ではないかしら」
「ははぁ。なるほど」
エリズの見事な現実への置き換えにササンは感嘆した。
もちろん事実とは違っている可能性はあるが、想像力でもって神話を現実的に読み取るおもしろさがあった。そういうところをエリズは好んでいるのかもしれない。
さて、そうなると、最初の一つだけがサヴァーに直接関係する神話で、ほかは似たような話を持ってきた、あるいは持ってきて改変した、ということか。ふむ。
ん…………?
最後の話は、似た昔話を聞いたことがあるような……?
ササンは小さいころの記憶をほじくり返そうと奮闘したが、はっきり思い出せない。
「どうしたの?」
考え込んでいる様子のササンを見てエリズが尋ねた。
「似たような話を小さい時に聞いた気がするんですよ。なんだったかな……確かその話の中でも、神様が空からやってきて、最終的に帰ってしまうんですけど……。ああ、そうだ。神様が何かをくれたんだけど、それをめぐって人々が争うことになってしまった……って話だったかな。いや、う~ん……、どういう話だったか忘れちゃいました」
ササンは苦笑いして肩をすくめた。
「へえ。そうなると、まるで逆の展開になりそうね」
「そうなんです。だからお話を聞いていて、何とはなしに違和感がありました」
「類似する神話はあちこちにあるものよ。そういうところを、パルテアには調べてほしかったんだけどね」
「パルテアさんに?」
「サヴァーを出るというから、じゃあほかの町の神話やなんかを記した本を送ってくれって頼んでおいたの。そういうものと比較対照して、研究しようと思ってね。最初のうちはぽつぽつと連絡があったけれど、次第に思想とか文化とか、そういう方向に興味が移ってしまったみたいで」
「ああ……いままさにそういう内容の執筆をしているところですよ」
嬉々としてあの小難しい原稿を量産しているパルテアの姿が目に浮かんだ。
ほかのニュース記事や写真などもあるとはいえ、ああいう調子でいったいどれほど書き続けられるものだろうか。
いや、たぶん先のことはあまり考えていないのだろうけれど。
「やっぱり作ってるのはそういう雑誌なのね。いえ、残念というわけではないの。それはそれで興味深いと思うから」
そうエリズはいつもの落ち着いた口調で言うのだが、どことなく、寂しそうにササンには見えた。サヴァーでは稀な同好の士であったのに、長じてはすれ違うことになってしまったのだから。
話しながら、特段変わった様子もなく、どこか遠くを見つめたような目をして歩いているエリズ。
このままエリズは書庫の中にうずもれていくのかなと想像すると、ササンはもったいない気がしてならなかった。
彼女の姿がこのサヴァー以外の町を背景にしている画を想像してみる。
好奇心に突き動かされ、彼女がさまざまな町を力強く闊歩する。
彼女の聡明な瞳は、それぞれの町にひそむ些細な謎へと向けられているだろう。そして行動するのだ。その容貌が示すとおりに冷静に。しかし胸のうちには情熱が。きっとそれはとても似合う。あの倉庫のようなところに埋もれているよりも。
――とはいえ、そこからすくい上げたい、なんてたいそうなことまで考えたわけではなく、何の気なしに、ササンは提案した。
「それなら、エリズさんも旅に出てみてはいかがですか?」
「私が?」
エリズはきょとんとした。
「どうしてもサヴァーにこだわりたいというのでなければ、いいと思いますよ。きっと世界には想像を超えるようなおもしろいお話がたくさんありますよ。ぼくも聞いたことあります。角が生えた人の話とか、時間が止まった町の話とか」
「……………………」
エリズは足を止め、神妙な面持ちになった。
視線を自分の爪先に向け、息を止めて考えをめぐらしていた。
「……。そうか、そうね。自分で行っても、いいのよね」
エリズは、自分で自分の言葉を噛み締めているようだった。
「いままでパルテアが外にいたから、パルテアに任せることばかり考えていて、自分が行くという選択肢を勘定に入れていなかったわ。自分で行く、か…………」
「エリズさんが行きたいって言えば、きっとパルテアさんだって喜んであちこち連れ回してくれますよ」
ササンは努めて明るく言った。
どちらかといえば、エリズの率直な反応に少し戸惑っていたが、ひた隠しにした。
彼女という被写体がいまより美しい場所へ飛躍しようとしているように思えたからだ。
「――そうね」
エリズは目線を空に移し、しばし沈思黙考して、
「……うん。実を言えば、文献を調べただけで理解した気になってることに、違和感を覚えていたの。どこか血肉になっていない、偏狭なものの見方をしてるんじゃないかって。さっきから得意げに喋ってはいるけれどね」
「…………」
「この茫漠とした感覚を消そうと思って、もっともっと調べなくてはとばかり考えていたけれど……そうね。自分の体で、目で、耳で、感じに行くべきだわ」
それは決意に満ちた声だった。
自分を説得する最高の言葉を見つけたようだった。
ずっと近くにあったのに、見過ごしてきた分かれ道に気づいたエリズは、いましみじみとその意味を感じていた。
エリズの全身には新たな血が通い、その面持ちには確かな意志があった。目尻も心なし吊り上がったように見える。
「ありがとう。教えてくれて」
「いえ……教えるだなんてそんな、大したことをしたわけでは」
「大したことでなくてもいいの。きっかけが必要だったのよ」
「そうですか。それなら、まあ、なんというか、よかったです」
ササンははにかんで、頬を掻いた。
「ふふ。ササン君も、あちこち連れ回してくれる?」
エリズが冗談めかしてそう言ったときの、これまで見せたことのない極上の微笑みに見惚れてしまって、写真に撮ることが頭から抜けてしまったのは、かえすがえす悔やまれる。




