第14話 石鏡美玖
優斗と駅で別れた後、俺は五十鈴ヶ丘高校に来ていた。
なんでここに来たのかは分からないが、気付けば俺は石鏡先生のいる体育館にやってきていた。
体育館には数人のフットサル部員と2人のマネージャーがいて、ちょうど石鏡先生が指示を出しているときだった。
自分とは違う場所に視線を送る部員に気付いた石鏡先生が、その視線が集まる先の俺を見てから部員たちに「一旦休憩!」と声をかけた。
「神森君じゃない。優斗と一緒に中学時代のお友達の葬儀に行ってるんじゃなかったの?」
「終わって今帰ってきました」
「……そう。辛かったでしょう」
「……石鏡先生はどうして、フットサル部に入る気のない俺をしつこく勧誘するんですか」
「急にどうしたの」
「答えてください!」
不躾な質問だってことは理解していた。
「前にも言ったけど、私は自分の私利私欲のために動いているわ」
「俺がフットサル部に入って、それがどう先生のためになるんですか」
「神森君、君はもうとっくに気付いているんじゃないの? だからこうして私を頼ってる。違う?」
「……」
「もしそうじゃないとしても現に君はここに立っている」
「私も本音で話す。だからあなたも本音で話しなさい」
「……俺の両親が死んだのは知ってますよね」
「確か交通事故で亡くなったって」
「そうです。でも、あの交通事故は起こらないはずだったんです」
「どういうこと?」
俺はあの日の出来事について全てを話した。
ーーー
俺が話している間、石鏡先生は黙って聞いていた。
「これが真実です。この真実を実生は知りません」
石鏡先生は今までにないくらい真剣な眼差しで俺を見ている。
俺はどんな言葉も受け入れる覚悟だった。
「辛かったでしょ、神森君」
「ーーえ?」
予想だにしていない発言に一瞬反応が遅れてしまう。
「どうしてこの流れで俺を慰めに入るんですか」
てっきり罵倒されるものだと思っていた。
俺を貶める言葉なんていくらでも見つかる。
「私は過去の君に興味はないわ。私が見ているのは今の君。たとえ君が昔最低な奴だったとしても今は違うでしょ? 現に君は優し過ぎるくらいに優しい」
「優しい、ですか?」
「そうよ。神森君は自分ではわかっていないと思うけど、君は本当に優しい心の持ち主なのよ。クラスで優斗以外ほとんど誰とも会話をしないのも、他人を傷付けるかもしれないと思ってのことでしょう? もちろん妹さんを第一に考えてのことだろうけど。神原さんを遠ざけようとしたのも、あの子を傷付けたくないからそうするしかなかっただけよ」
「違います。俺はーー」
「違わない」
「それにね、神森君。自分にとって辛い過去や出来事と向き合い続けるのは相当な勇気がいるの。それを君はもう1年以上続けている。だから君は本当にすごい」
「そんなことないです……」
「神森君のご両親が死んでから、妹さんのために今まで尽くしてきたことを妹さんはどう思っているかしら? もしこの真実を知らないにしても妹さんは神森君のことをとても心配していたはずよ」
「そんなことはないと思います」
「じゃあ聞くけど、今の君にゴールはあるの?」
「ゴール?」
「フットサルと一緒でね。人生にもゴールがあるの。ゴールに行きつくまでの選択肢がどんなものであっても、結果的にゴールに結びつくならそれは良い選択をしたと言えるわ。あくまで結果論だけどね。でも今の神森君の選択肢にゴールはある?」
「神森君みたいに過去に縛られている人はたくさんいる。私だってそうだった。でもそれはとても辛いことなの。わかるでしょう?」
「過去は振り返ることはできても変えることはできないの。ものすごく当たり前のことだけど、それを理解できない人が世の中にはたくさんいる。でも私はその人たちをダメな人だとは思わない。むしろ優しい人なんだなって思う」
優しくなんてない。
「改めて聞くけど、自分自身を犠牲にすることが神森君の妹さんに対する贖罪なの?」
「そうです」
「それ以外に方法はないの?」
それ以外の選択肢なんてあるわけがない。
「もし仮にそれ以外の方法があったとしても俺にそれを選ぶ権利も資格もないですよ」
「本当にそう思っているの?」
「もうそれしかないんですよ」
そう単純な話じゃないんだ。
「……まったく」
石鏡先生は大きな溜息をついた。
「今の君たちの年代って本当に難しいのよ。ちょっとでも伝え方を間違えればすぐに悪いほうに流される。たとえそれが自分の望んだものじゃなかったとしても、それが正しいんだって決めつける」
「そんな心の弱さが今の君たちの一番の課題よ。そしてそれを正すのが教師である私の務め、のはずなんだけどね。私には向かないみたい。どうしてもスポーツと結び付けて話しちゃうから」
そう言って石鏡先生はいたずらな笑みを浮かべる。
俺が今、実生のためにしていることは間違っていることなのかもしれない。
優斗が言うように、俺は単に自己満足のためだけに自己犠牲をしているだけなんじゃないのか。
実生は本当にそれを望んでいるのだろうか。
「俺はどうすればいいんですか」
考えたけど結局答えはわからなかった。
だから一番身近にいる大人の石鏡先生に聞いてみたかった。
「他人を受け入れなさい」
「他人、ですか」
「そう、他人よ。自分を知らない赤の他人も、家族も友人も恋人も、言うなれば自分以外のすべての人間ということよ」
「ちょっと規模がでかくないですか」
「当たり前でしょ。この世界に何人自分以外の人間がいると思ってるの。その一人ひとりに構ってたらキリがないじゃない」
極論すぎる気もするが言っていることは確かに間違ってはいない。
「他人を受け入れるにはどうすればいいんですか?」
「まずは自分自身を受け入れることよ」
「自分自身……」
「そう。弱い自分も脆い自分も恥ずかしい自分も情けない自分も全て受け入れなさい」
「私ね、5年前くらいに小さな町の少年サッカーチームの指導者をやっていたの。そのチームは誰の目から見てもわかるくらいに弱くて、やる気のないチームだった。でもそういうチームにも必ずいるのよ、上手くなりたくて必死に頑張ってる子が」
「だから私はその子のための練習をしたわ。どれだけ他の子に嫌な顔をされようともね」
「辞める子はいなかったんですか?」
「いたわよ」
「ほとんどの子が辞めて、20人近くいたのに残ったのはたったの5人。当然私は非難されたわ。言ってしまえば私がチームを潰したようなものだからね。親から他のコーチから言葉でボコボコにされたわ。でも私は間違ったことをしたとは思わなかった」
「それから何年かして、当時残っていた5人のうちの一人の男の子と偶然会ってね。その子は高校生でサッカーの強豪校に進学したらしいんだけど。そこでなんて言われたと思う? 『先生の練習が今までの人生の中で一番楽しかったです』って。私それ聞いた途端に泣いちゃって」
「でもそのときに決めたの。たった一人でも頑張る子がいるなら周りがなんと言おうが、その子に合わせた練習をするって。私は指導者としても教師としてもまだまだ未熟よ。それは私自身が一番良く分かってる。でも少なくともあのときにあの子が言ってくれた言葉が、今までやってきたことは間違いじゃなかったって教えてくれた」
「……俺にはできそうにありません」
「当たり前じゃない。君はまだ子どもなんだから。年を重ねることが大人になるってわけじゃないわ。ただ神森君のように気づこうとする子もいれば、世間では大人って呼ばれる年齢になっても気づかない子もいるわ。今の子供たちは時間の流れと共に大人になると勘違いしがちだけど、私はそうは思わない」
「ただ時間の流れに身を委ねていてもそのままよ。自分自身が変えようと、変わろうと望まない限り変わらない。決断して行動に移すのは自分自身だからね。そしてそれを評価してくれるのは自分じゃない、自分以外の誰かよ」
「あなたにはもういるんじゃないの?」
「……俺はこれからどうすればいいですか」
「決まってるじゃない。今すぐ妹さんのところに行って全てを話しなさい」
「……そんなの、無理に決まってるじゃないですか。この話は先生だから言えたんです。実生に直接話せばどうなるか……」
「どうなるの?」
「それは……、家族ではいられなくなると思います」
「あのね神森君。前を向いて歩けって言う人もいれば、下を向いて道端に転がっている小さな石ころにも目を向けなさいと言う人もいるわ」
「でも神森君の場合は別よ」
「別?」
「そうよ。君は上でも下でもなく、周りを見なさい」
「ーーーー」
「いつまで前だけ向いているつもり? 自分一人で突っ走っても、スローペースでも、一緒についてきてくれる人があなたにはいるでしょう? たった一人の家族のために自分の時間を犠牲にしてまで日々を過ごしてきたんでしょう?」
「ーーーー」
「君はそろそろ自分のための人生を送ってもバチは当たらないわ。もし当たったらこの言葉を言った私にバチが当たるでしょ」
自分のための人生……。
そんなこと、両親が亡くなってから考えたことなんてなかった。
「俺……今まで隠してきた秘密も全部打ち明けて、実生とちゃんと向き合って話がしたいです」
「優斗と一緒にフットサルがしたいです」
「それだけ?」
もうこの人に隠し事は通用しないのかもしれないと思った。
「俺は……神原珠季のことが好きです」
「中学のときの最後の大会で応援に来てくれてて、ハーフタイムで声を掛けてくれました」
「そのときからずっと好きでした」
「だからこそ、俺のいないフットサル部のマネージャーになってほしくなかった」
「誰にどう思われたっていい。あの子のそばにずっといたいです」
恥ずかしいなんてまったく思わなかった。
「これが俺の本音です」
『今ならわかる気がする』というのは都合のいい言葉かもしれない。
両親が死んでからずっと、事故の真相を実生に話せずにいた。
もし仮に話していたとしたら、今の関係は築けていないかもしれない。
そんな不安に押しつぶされそうになりながら生きてきた。
ーーーそして珠季と再会した。
あの瞬間に心の奥底に封じ込めていた感情が露わになった。
珠季はあの頃と少しも変っていなくて、純粋で誰かのために泣いてくれる心の優しい子だった。
だからこそ俺は好きになってしまったのだろう。
でも珠季への想いが俺の決意を鈍らせた。
だから距離を取った。
それでも珠季と一緒にいるとどうしても幸せだと感じてしまう自分がいた。
だけど自分にそんな資格はないと珠季を拒絶した。
そして陽久が亡くなって、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
だから石鏡先生に答えを求めた。
どうすればいいのかを。
石鏡先生なら答えてくれる気がしたからだ。
石鏡先生に諭された今でも思う。
やっぱり俺にそんな資格はない。
でももし……、もし実生の幸せと珠季との未来の両方を望んでもいいのなら。
自分の身勝手な行動で両親を死なせてしまった俺にそんな資格はないかもしれない。
でも価値も資格も周りの人間が評価してくれるのだと珠季が教えてくれた。
人間は自分の私利私欲のために動いている。
その行動が結果的にお互いの望むものだとしたら問題はないと石鏡先生は言った。
それなら……、望んでもいいのかもしれない。
俺自身の未来を。
自分自身が動かない限り自分の未来は変わらない。
優斗と陽久が教えてくれた。
陽久はきっと、自分の未来を変えたいと必死で頑張っていたんだ。
だからこそ陽久に憧れた。
心の底からかっこいいと思ったんだ。
俺はただただ目を背けてきた。
変えられない過去とこれからの未来に囚われ続けた。
でもいつかは向き合う時が来る。
それが今なんだと思う。
俺の価値や資格はこれから見出していけばいい。
たった一人の家族である実生や親友の優斗と陽久、担任の石鏡先生、そして珠季と一緒に。
「やっと心が決まったみたいね」
今この瞬間だからこそわかる。
この人がどれだけ俺のことを気にかけてくれていたかを。
そろそろちゃんと応えないといけない。
「石鏡先生」
「なに?」
「俺……入部します。フットサル部に」
俺の石鏡先生に対する精一杯の誠意を示したつもりだった。
何も返事がない。
恐る恐る先生の顔を覗き込むと驚いた表情で俺の顔を見ていた。
「ありがとう」
「優斗にはまだ言わないでください。自分の口で伝えます」
俺がフットサルをまた始めると知ったら大喜びするに違いない。
でもこれは他人の口から伝えるべきじゃない。
親友だからこそ自分の口で伝えたい。
「きっと喜ぶわよ」
「あいつには散々迷惑かけてきましたから」
「じゃあ、改めて。これからよろしくね。大翔」
初めて名前で呼ばれた。
背を向けて左手を挙げる石鏡先生の薬指にシルバーリングが見えた。
「あれで結婚してるんだからな。完璧すぎるよ、ほんと」
俺は石鏡先生を見送った後、急いで実生の待つマンションへと向かった。
第14話を読んでいただき、ありがとうございます。
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