第11話 重なる二人
1時間のランニングを終えた俺は一度家に帰って、銭湯に行く準備をしてからまたすぐに家を出た。
俺が普段行く銭湯は自宅から徒歩4,5分の場所にある。
最近、うちの家の駅近くに天然温泉が湧く銭湯ができたらしいが、駅から近いだけあって人が多かった。
それに比べると俺がよく行く銭湯は人が少なく、利用者も近所で年配の方が大半を占めているため、ゆっくりと落ち着いてサウナを使うことができた。
銭湯に着いた俺は、木製の番号札付きの靴箱に履いてきたサンダルを入れ、『23』と書かれた木版を抜き取った。
『23』という数字は特にこだわりがあるわけではないが、俺がフットサル部にいたときの背番号で、なんとなく毎回その数字を選んでいた。
白文字で大きく『男』と書かれた紺色の暖簾をくぐり、左側にある番台にいるおばさんに500円玉を渡した。
「あら大ちゃん、いらっしゃい」
ここのおばさんとは、俺がここに通い始めてからの付き合いだから、もう1年近くになる。
相変わらず元気な人だ。
「こんばんは」
「大ちゃんは駅の近くにできた銭湯は行かないの?」
「確かに天然温泉には魅力は感じますけど、僕は静かなのが一番なので」
「考え方がおじさんだねえ」
確かに自覚はある。
「そうかもですね」
「そういや、今日は珍しく若い女の子が来てるよ。大ちゃんよりは少し若いくらいの」
「確かに珍しいですね」
「ここらじゃ見かけない顔だったから、最近引っ越してきたのかもしれないねえ」
最近か……。
1人思い当たるがまあそんなわけないか。
「大ちゃんより少し前に入っていったよ。気になるなら声かけてみたらどう?」
「止める立場にある人がなんてこと言ってるんですか」
「冗談よ冗談。はい、150円のお釣り」
「ありがとうございます」
「ゆっくり浸かっていきな」
軽く頭を下げて俺は靴箱と同じく『23番』の脱衣ロッカーに着替えを入れ、服を全て脱いでロッカーにまとめて、鍵を閉めてからその鍵を足首に巻いた。
そして右手にタオル、左手にシャンプーやリンス等が入ったカゴを持って浴場へと向かった。
ここの銭湯は関東圏にあるにも関わらず、関西式のレイアウトを採用していて、浴場のど真ん中に湯船があって、その湯船を取り囲むように周囲の壁に洗い場がある。
そして右奥の突き当たりの右側に薬湯、左側にサウナがあった。
俺はいつものサウナに1番近い洗い場へと向かい、風呂椅子へと腰掛けて、シャワーで軽く全身を流してから、カゴは置いてタオル片手にサウナへと向かった。
木造りのサウナに入ると中には誰もおらず、久々の完全貸切状態だった。
そもそもここのサウナはそんなに広い作りではなく、人が二人いるだけでも充分に圧迫感があるため、今日に限っていえば、むしろ好都合だった。
これで気の済むまで心を整えることができる。
持ってきたタオルを腰に巻いて座り、その週の出来事を頭の中で客観的に振り返りながら、消化できなかったことを汗とともに流した。
ふと設置された時計を見ると既に20分近く経過していたため、腰に巻いたタオルを手に取ってサウナから出た。
すぐそばの水風呂へ行き、かけ水をしてから肩まで浸かった。
これを3セット繰り返してから、頭と身体を洗い、最後にガラス張りの個室になっている薬湯へと向かった。
広さはそこまでだが、大人が3人くらいはいれるだけの大きさだ。
石造りでできた薬湯にゆっくりと腰を下ろすと、じんわり温かさが伝わり、薬湯特有の独特な匂いがした。
「ふぅ……」
1人なのも相まって思わず声が漏れた。
上を見ると星が見えた。
この薬湯のスペースは天井がテントで手動の開閉式になっていて、開けると星を眺めながら湯船に浸かることができる。
俺は星を見ながら今日のランニング中の出来事を思い出していた。
あの珠季の表情を思い出すたびに胸が締め付けられる。
思い出したくないのに思い出してしまう。
そりゃそうだ。好きだったんだから。
でも中学の頃の話だし、まさか再会できるとも思っていなかった。
正直、珠季のことはこの1年で忘れかけていた。
それなのに再会したことをきっかけに当時の気持ちが蘇ったような気がした。
正直言って再会できて嬉しかった。
中学の時なんてろくに話もできなかったのに、一緒に学校に行くようになって、一緒に帰るようになって、家に来て一緒にご飯食べて、一緒にテスト勉強して、一緒に学校も休んだ。
でも今日はそんな珠季を傷付けてしまった。
あんな表情はもう2度と見たくない。
だからせめて、今日のことは謝ろう。
次会ったときに謝って、それできっぱり終わりにするんだ。
「……よし」
俺は洗い場で身体を洗ってから脱衣所へと向かった。
ーーー
浴場を出る前に水を含ませてから強く絞ったタオルで身体の水分を軽く拭き取ってから、足首に巻いた鍵を取って23番の脱衣ロッカーを開ける。
中からバスタオルを取り出して身体の水分を完全に拭き取ってから、持ってきた半袖半パンに着替えた。
ついでにバスタオルで、カゴに入ったシャンプーやリンスの容器に付いた水分も拭き取る。
その後、ドライヤーで髪を乾かしてから、荷物をまとめて番台へと向かった。
「おやすみなさい」
「はーいおやすみー。ありがとうねえ」
おばさんに挨拶して暖簾をくぐり、23番の木版を差し込んでロッカーを開け、サンダルを履いて外に出た。
外は既に薄暗くなっており、街灯がちらほらと点き始めていた。
「……帰るか」
そう思って右を見ると、そこには珠季がいた。
「大翔せんぱーー」
「さっきは悪かった!」
咄嗟に口に出てしまった。
「……」
珠季は少しの間、黙って俺を見ていた。
珠季の目に俺はどう映っていたのだろうか。
「大丈夫です」
そう言って珠季は笑ってみせた。
「本当に悪かった。だからもうーー」
「大翔先輩……、今から近くの河川敷に行きませんか?」
「……河川敷?」
「そうです。せっかくなんで涼みに行きましょう」
「……わかった」
ーーー
河川敷に着くと辺りには誰もおらず、俺と珠季の二人だけだった。
河川敷沿いを気ままに流れる心地よい夜風が、風呂上がりで火照った肌を優しく撫でた。
斜面に生い茂る雑草の横にあった石段を少し降りてから、俺は腰を下ろした。
珠季が一向に座る気配がないので、振り返ると珠季は空を見上げていた。
「月、明るいですね」
「……そうだな」
月明かりに照らされた珠季の横顔は綺麗だった。
つい見惚れていると珠季がこちらに顔を向けたが、なぜか恥ずかしくなって視線を前に戻した。
その瞬間ーー、
俺の首元に手が回され、背中がじんわりと暖かくなっていくのがわかった。
何をされたのか一瞬わからなかったが、反射的に回された手を握ってしまった。
か細いが優しい手だった。
珠季の両手が震えているのが伝わってくる。
先ほどよりも珠季の体温と心臓の鼓動が伝わってくる。
「大翔先輩……」
「……」
俺は返事をすることができなかった。
なんとなくわかってしまったからだ。
「大翔先輩……、私」
俺はもう諦めていた。
「大翔先輩が……、大好きです」
「……ごめん。その気持ちには応えられない」
言ってしまった。
もう後戻りできない。
分かっていたはずなのに、それでもなお、戻りたいと、やり直したいと思っている自分がいる。
背負ってきた罪をなかったことにしようとしている自分がいる。
そんな自分が心の底から許せない。
「……理由を聞かせてくれますか?」
先ほどよりも少し小さい声で珠季は聞いてきた。
「俺にはお前と一緒にいる価値も資格もない」
「……価値も資格も、周りの人が評価するものです。ないなら私に……、大翔先輩の価値を、資格を、見極めさせてください」
「……なんで俺なんだ」
「私が先輩に憧れているからです」
「憧れ?」
そう聞くと、珠季は俺の首元に手を回したまま、喋り始めた。
「……中学の頃、私にはたくさん友達がいました。でもその友達はいつからか、私の前から徐々に姿を消していきました。理由はなんとなく想像がついたんですけど」
「そんなときにある噂を聞いたんです。一つ上の先輩に気持ち悪いほど仲の良い二人組がいるって。私は気になってどんな人たちなのか見に行こうと思いました」
「それでフットサル部の練習に来てたのか」
「そうです。そして噂の通り、本当に気持ち悪いくらいに仲の良い二人組がそこにいました」
珠季は少し笑いを含んだ喋り方で言った。
「失礼だな」
咄嗟に反応してしまう。
「ごめんなさい。でも私は気持ち悪いとは全く思わなかったんです。ただ、ほかの人たちは羨ましいからそんなことを言っているんだって思ってました」
「羨ましい?」
「そうです。だって羨ましいじゃないですか。お互いに思い合えて、お互いのことをよく知っていて、お互いに言いたいことを言えるなんて、理想の関係ですよ」
傍からはそう見えていたのか。
俺は優斗との関係を今まで深く考えたことはなかった。
学校でも、フットサルでも、それ以外でも、隣にいるのは優斗だったし、優斗以外にありえなかった。
「本当に羨ましいって思ったんです。そしていつしか、大翔先輩の隣にいる宮後先輩が羨ましくなりました」
「私も……先輩の隣にいたい」
回された手に力が入っていくような気がした。
「たとえ自分にその価値が、資格が、なかったとしても大翔先輩に認めてもらいたいって思ったんです」
「だからここまで追いかけてきました」
珠季がどんな表情をしているかは見えないが、今見たら俺は抱きしめてしまう。
おそらくこれから先、こんなにも自分を想ってくれる子は他にいないだろう。
そして、『珠季ともう少し早く出会っていれば』とも思ってしまう。
でも、もう答えは決まっている。
俺は回された両手を解いて、段差で同じ目線になった珠季に向き直った。
「もうこれで終わりにしよう」
「……嫌です」
珠季の声は震えていた。
「一緒に学校へ行くのも、帰るのも、帰る途中でスーパーへ寄るのも、うちでご飯食べるのも、一緒にテスト勉強するのも、体調崩して看病するのも、珠季の家に行くのも……」
徐々に視界がぼやけていくのがわかった。
「もう……、終わりにしよう」
珠季は首を横に振る。
「……珠季」
今度は顔を逸らした。
「珠季、こっち見てくれ」
珠季は顔を逸らしたまま、首を横に振る。
俺は左手で珠季の右頬に触れて、こちらを向かせようとしたが向いてくれなかった。
頬は涙で湿っていた。
今度は両頬に優しく触れてから、こちらを少し強引に向かせた。
「泣いた顔も可愛いんだな」
涙で溢れた顔を見て思わず言ってしまった。
「……なんでこんなときに言うんですか」
そう言いながら、自分の頬に触れる俺の両手を掴んでゆっくりと下げていき、離さずにそのまま手を繋いだ。
そして繋いだ手をお互いに引き寄せて、俺と珠季はキスをした。
珠季の唇は涙で潤んでいた。
ずっとこうしていたい気持ちをぐっと抑え、重ねた唇をゆっくりと離していく。
繋いでいた手も離そうとしたが、させてくれなかった。
珠季のほうを見ると、俯いたまま首を横に振っている。
珠季自身も分かったんだと思う。
俺がキスをした理由を。
だから今、珠季はこうして手を離さずにいる。
それでも俺はその手を離すしかない。
ゆっくりと力を込めながら離そうとしたが、珠季はそれでも頑なに離してくれなかった。
声をかけようと思い、顔を上げると俯いていたはずの珠季は俺を見ていた。
目が赤くなっているのが暗がりでもよく分かる。
その時、珠季は諦めたかのように握っていた手の力を徐々に緩めていった。
「ごめん」
「……」
「本当にごめん」
「……」
俯きながら謝ったが、返事はなかった。
俺は俯いたまま、顔を上げられずにいた。
これ以上はここにいられないと思った俺は、珠季を置いてその場から走って逃げ出した。
ーーー
もう珠季が見えなくなったであろう距離まで来たくらいで、走っていたスピードを落とした。
無心で走っていたが、気付けば周りは見覚えのある通りになっていた。
あと少しでマンションに着くくらいで、胸の辺りがギュッと締め付けられる感覚とポッカリ穴が空いたような喪失感が同時に押し寄せてきた。
本当に終わった。
これでもう後戻りも何もできなくなった。
マンションに着いて、オートロックの扉を開けようとしたとき、半パンの右ポケットに入れたスマホが振動した。
スマホを取り出して確認すると、優斗からの着信だった。
あまり出る気にもなれなかったが、とりあえずで出た。
「はい」
だが、電話に出ても一向に喋る気配がない。
「……優斗?」
「……が……んだ」
電波が悪いのか、うまく聞き取れなかった。
「おい、聞こえないぞ。何て言ってーー」
「陽久が死んだ」
「……は?」
第11話を読んでいただき、ありがとうございます。
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