【弱体化】
悲鳴。
怒号。
いっせいに流れる人波。
祭りの空気は消し飛び、狂乱は徐々に広がっていく。
無理もない。
ここはレガスの人類が住まう地の中心。魔王の影響から最も遠い場所で、
その街中に、しかも地下から魔物が現れるなど、住民も考えもしなかっただろう。
目の当たりにした僕でさえ、にわかに信じられない状況。
『グルル……ッ』
巨大な魔物の唸りが響く。
金属のような鈍い光沢を放つ、刺々しい甲羅。
刺の甲殻は頭や足にも見受けられ、いかにも暴力的。
一言で表すなら亀の怪獣、だろうか。
甲羅の高さだけで僕の身長を軽く超える巨体は、さながら装甲車。
「――!」
人波に流されそうになりながら、しかしどうにか踏み止まる。
曲がりなりにも僕は勇者だ。守るべき人たちと一緒に逃げるわけにはいかない。
けど、どうする?
立ち向かえるのか? 【弱体化】しかない僕に。
『――グォオオオッ!』
魔獣の吠え声。見れば巨体を唸らせこちらへ迫り始めている。
考えてる場合じゃない。逃げる人の邪魔にならないよう身をかわしながら、まずはとにかくこちらへ注意を引くよう――
「おーおー、すげーパニクってんじゃん」
不意に、路地からの声。
「うわなにあれカメ? またいかにも中ボスって感じだなー」
「てか街中に攻め込まれてるってヤバくない?」
「勘弁しろよ……今日完全にオフの気分だったってのに」
姿を現したのは王都に詰めるクラスメイト――勇者たち八人。
……そう、だよな。あれだけ強そうな魔物が突然街中に現れたら、彼らのなかの術士がそれを察知できないはずがなく。ただちに駆けつけるのもまた容易で。
それこそ、僕が覚悟を決めるまでもない、か……
「あれ、皆元君も来てたんだ?」
「いやたまたま居合わせたんだろ。でなきゃオレらより先に駆けつけられるワケねーし」
「そっか、なら間に合ってよかった。下がっててね皆元君っ。ウチらですぐやっつけちゃうから」
「ケッ。つか衛兵はなにやって……あれパンピーと一緒に逃げてんじゃん。まーいいけど。いても邪魔んなるだけだし」
僕の前に出てそれぞれ構えるみんな。
見れば巨獣も、一旦足を止めている。立ちはだかった彼らを脅威と見なしたのだろう。
ひとつ、兵士の人たちの名誉のためにつけ加えるけど、彼らは逃げる住民の殿についているだけで、逃げたのとはちょっと違う。見ればさっき路地で飲酒してた人たちも、ややふらつきながらも同様にしていた。
とにかく事ここに至れば、邪魔にならないよう僕は下がるしかない。
けど、この距離なら――
『……?』
「ん? 使ったのか皆元、【弱体化】」
「……ああ。僕にできるのはここまでだけど」
「へー。……ほんとに効いてんの?」
「……」
「コラいちいちそういうこと言うなっつの。ありがとねー、皆元君!」
右手を掲げて巨獣へ【弱体化】を発動。言われたとおり目に見える効果があるかはわからないが、ないよりはましなはず。発動中は手を向け続けていなければならず、またこれ以上距離を空けることもできないけれど、都度立ち位置を考えれば、みんなの邪魔になることもないだろう。
「んじゃとっとと倒して飲みなおすとしますか――」
両手剣を軽々振り回しながら、クラスメイトの一人が一歩前に。
剣を構えなおし、低い姿勢で踏み込み、
駆けだす。
「――オラァッ!!」
一瞬で巨獣へ迫り、刺突。
首の付け根。甲殻のない箇所を狙った攻撃――
が、
ずむん、と、
剣先は突き刺さらず、ただ沈みこんだだけで。
「あれ、」
首を傾げる彼。
一瞬のち、巨獣の首が素早く伸び、
ごぎり。
金属の装備ごと、人体を噛み砕いた巨獣は、
二、三首を振り回すと、咥えたものを通りの脇に吐き捨てる。
ぼろくずのようになり、ぴくりとも動かないクラスメイトの、体。
「へ?」
「嘘……」
「ちょ、――魔法撃て魔法! あーいう硬そうなのには効くはずッ」
「う、うん!」
皆が動揺しかけるが、
一人の男子の呟きで術士の女子が気を取りなおし、杖を構えて魔術を発動させる。
他の術士もそれにならい、
やがて巨獣に次々と撃ち込まれていく、火、雷、氷や光の嵐――
けれども……
『――ググルルッ』
晴れた土煙の向こう、巨獣はわずかに身じろぎするのみ。
頑丈そうな甲殻には傷ひとつなく、なんの痛痒も感じていない様子で……
「――無理、無理無理ッ」
「シャレんなんないしこんな――っ」
「いきなり出ていい強さじゃねーだろ! やってられっか!!」
たちまち半狂乱になった勇者たちは、巨獣に背を向け駆けだす。
後ろについていた僕は、力任せに押しのけられて。
「ま、待って! みんなが逃げたら魔物は誰が、」
「うるせー! じゃテメーがやれ!」
「ぐ……っ」
慌てて引き留めようとするが、今の僕と彼らでは膂力が違いすぎる。
逆に突き飛ばされ、巨獣の前に出る形に。
「ホラ邪魔だからッ!」
「顔だけ野郎でも囮にくらいなるっしょ!」
表面上は親切にしてくれた女子たちの罵声。
切り捨てられた。その事実をまざまざと実感させて……
『グルルッ』
低い唸り。
威圧感。
彼我の距離は、先程の半分。
間近にした魔物の巨大さに、全身の血の気が引く。
巨獣の前肢が、石畳をかく。
僕を轢き潰すつもりだろう。
死ぬ。
――わけには、いかない。
恋人に、親友にまた会えるまでは。
優愛を抱きしめ、朋矢と笑いあえる日まで、
僕はなんとしてでも生きのびなければならない――!
『グアアッ!!』
突進。
ダンプカーが急発進したかのようなそれを、
「――ッ!」
すんでで、躱す。
石畳に転げながらも、素早く起き上がる。足を止めたら間違いなくまずい。
『ガグア!!』
切り返し、再び突進してくる巨獣。
これも躱す……躱せる!
動きは直線的。攻撃はおそらく体当たりと咬みつきのみ。
超人的な身体能力がない僕でも、避けるだけならなんとかなる。
が、それだけだ。
僕にはあいつを倒せる攻撃の手段がない。一応国軍兵の標準装備であるロングソードを提げてはいるが、勇者の突きが通じなかった相手に通用などしないだろう。
加えて避けるだけでも、いつまで続くか。サッカーの試合フルで動ける体力はあるつもりだが、はたしてそれが今役に立つか。動きが全然違うしなにより、命が懸かっている。
この緊張感じゃ、十分持つかどうか。
向こうが先に息切れしてくれればいいけど……
『グァアッ!』
生憎疲れの欠片も見受けられない。
このままではじり貧。そう思われたが――
どうやら命運というのは、存外早く尽きるものらしく。
「ぐっ……!?」
肩口をぶつける。
巨獣の突進は石畳を踏み荒らし、通りの建物を倒壊させ、
気づけば周囲に散乱した瓦礫は、僕の逃げ場を奪っていて。
『グゴルルルルル……ッ』
僕を正面に捉え、前肢をかく仕草の巨獣。
今からお前を轢き潰す――そう語るかのような、獰猛に笑うような、目。
『ゴガアッ!!!』
「――っ」
間近に迫る巨体。
どうあがいても死ぬ。そう確信できた。
……だというのに、僕は、
自分でもわからないままに、我知らず動いていて――
ずしん、と止まる巨体。
息を呑む音が聞こえる。離れて警戒していた兵士たちのものか。
そうおぼろげに考えながら、
巨獣と瓦礫に圧し潰されそうになった隙間から、どうにか抜け出る。
「――ハッ、ハッ、ハ……ッ」
あえぐような音は……ああ、僕の呼吸か。
死に瀕した緊張は、まだ抜けそうにない。
横でぐらりと傾ぐ、巨体。
「やった、のか……?」
兵士の呆然とした声が届く。
ほどなく、ずずん、と巨獣は四肢を折る。
気づいてしまえば、なんのことはない。
僕の【弱体化】の性質。
他の“術士”と比べて短すぎる射程。
その弱すぎる効果は――“対象との距離に応じて反比例する”らしい。
射程ギリギリではごく僅かしか効かないが、
対象と密着したとき効果は最大となり、
その者の力を“僕と同程度にまで下げる”――
これが僕の【弱体化】の、おそらく本来の使いかた。
その力で、巨獣の突進を僕自身のタックルと同程度の威力に下げ、止めて、
人体と変わらない強度となった巨体の顎下に、ロングソードを思い切り突き刺したのだった。
「こんな簡単なことに、気づかなかったなんて……」
思わず自分に呆れる。気を抜いたら笑いだしそうなくらいに。
“戦士”は前衛。“術士”は後衛。
たしかにそう習いはしたけど、それを鵜呑みにしてしまったのは間抜けとしか言いようがない。
与えられた“加護”が一見頼りなさすぎるものだったことで、僕は自分でも知らないうちに拗ねて、腐ってしまっていたのかもしれない。
諦めず自身の力に向き合い、模索し続けていれば、
ひょっとしたら今頃、優愛と、朋矢たちと、共に歩めていたかもしれないというのに……
「――そうだ、この力なら」
ふと気づく。
今からでも遅くない。
もしこの【弱体化】が魔王にさえ届きうるならば、間違いなくみんなの大きな助けになる。
そうだ、向かおう。今からでもみんなのところへ。
魔王を倒して、みんなと元の世界に帰る。
実現できるなら早いに越したことはない。さっそく王女様に許可をもらいに――
いや、まずは街中に侵入した魔物が他にいないか、調べるのが先か。
「……本当に倒したのか? あの魔物を」
「あいつ一人で。でもあいつって確か……」
兵士たちのざわめき。
とりあえず彼らに声をかけて、協力して――
不意に、
「んだよ、倒せるならさっさとやれってんだ」
兵士の一人の呟き。
風のいたずらか、その声はやけにあたりに響いて。




