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第36話 警官襲撃事件の犯人


 町田巡査が〈ジャスミン〉と接触した次の日。県警本部科学捜査研究所から、内海巡査部長襲撃事件に関する重大な報告が挙がった。内海の爪先に残留していた皮膚片のDNA結果が、前科者リストの人物と一致したのだ。公安一課はすぐさま対象者の身元を確認し、同日の夜には任意による事情聴取のため本部の取り調べ室に呼び出した。聴取を担当するのは、県警の公安捜査員としては最長の勤務年数を誇るベテラン、曽我警部補。補助官に指名されたのは、内海・町田と共に佐野渉を行確していた早川巡査部長だ。

「——さて。去る七月二十九日から三十日にかけての夜、君は西港区藤田町の平池山久鳴寺墓地にて女性警官一名を襲撃した。この事実に間違いはないね?」

 曽我は対面に座る男を真っ直ぐ見据えた。長岡稔ながおかみのると名乗った彼は、屈強な体躯に合わぬしおらしい声で「はい、間違いありません」と容疑を認める。

「素直でよろしい。それじゃ、どういった経緯であの場所にいて何故警官を襲ったのか、それも正直に話してくれるかな」

 角刈り頭をゆっくりと持ち上げ、長岡は「はい」と頷く。補助官の早川はノートパソコンに文字を打ち込みながら、仲間の仇でもある襲撃者に一瞬だけ鋭い視線を送った。

「自分は、佐野渉が所属する動物愛護団体のメンバーです」

「APAR——正式には〈Association for the Protection of Animal's Rights〉——だね」

 辿々しい発音に、長岡はにこりともせず真顔で首を縦に振る。

「APARといえば、先月の十六日に戸羽警察署の前で警官と乱闘したね。君もその中にいたの」

「いえ、自分はそのときのメンバーではありません」

 相手に聞こえないほどの小声で、早川巡査部長は「だろうな」と呟く。拘束された四人の中に長岡稔が含まれていなかった事実は、戸羽署に連絡して確認済みだった。

「あの抗議活動は、佐野が会長や幹部の許可なしに独断で実行したものです。それが幹部連中にバレて、佐野は手ひどく油を絞られました。その後、佐野には仲間の監視がつくようになりました」

「ほう。そりゃ厳しいな」

「組織のルールは絶対です。幼稚園のお遊戯会じゃない。そんな生ぬるい覚悟しかない奴らは組織を去ります。去る者は追わず、それが組織のモットーです」

「上層部の命令に逆らうと、何か罰があるのかい」

「規則に反した奴は仲間に一定期間、監視されます。反省して二度と破約しないと認められたら監視は解かれますが、その期間は幹部以上のメンバーが判断します」

「監視より厳しい罰則もある?」

「色々細かく決められているみたいですが、自分はそこまで知りません。自分は規則に背いたことはない」

「そうかい。過去には随分とやんちゃしていたみたいだけどね」

 曽我警部補は胸ポケットに収めた眼鏡を取り出しながら、タブレットの電源を入れる。長岡稔の前歴データは画面一ページには到底収まらないほどだった。ペットショップへの爆破予告、捕鯨船の損壊、食肉加工工場職員への暴行など、枚挙に遑がない。食肉工場職員の事件は暴行罪で懲役一年の実刑判決が下されている。

「たしかに、過去の活動では暴力行為も何度かありました。ですが、今は改心して真っ当に生きています。APARでの活動も、他人に手を出した失敗は一度もない」

「その記録更新も、今回の件で破れたな。君に襲われた警官はつい最近まで入院していたんだ。立派な傷害罪、今度は一年ぽっきりじゃ出てこられないよ」

「やりすぎたと自覚しています。弁明の余地もありません」

 がっくりと首を垂れる長岡。曽我は毒気を抜かれたような顔になりながらも、

「君にかかっている嫌疑はそれだけじゃない。監視していた佐野渉が死亡したことは、もちろん知っているよね」

「ええ。ニュースで見ました」

「ニュースで見たって……その場にいたんだろう」

「自分は、殺しの瞬間は見ていません。刑事さん、さっき嫌疑がどうのって言っていましたけど自分は佐野殺しでも疑われているんですか」

 長岡が驚いた顔で曽我警部補を見た。警部補もまた、懐疑的な視線を対面の男に注ぐ。

「君にはしっかりと思い出してもらう必要がある。佐野渉が殺された日の、君の行動を。そして君が見た事実すべてを」

 活動家の男は、心なしか表情を強張らせながらも冷静な口調で証言を始めた。

「あの日は……自分が、佐野の見張りにつく番でした。APARのメンバーのほとんどは、仕事しながら時間を見つけて活動に励んでいます。自分も、普段は市内の商業施設で警備スタッフをやってます」

「佐野は定職に就いていなかったようだね」

「APARのメンバーはみんな知っています。だから監視が大変でした。決まった職場にいればその時間の監視は省けるけど、あいつは風来坊だから日によって行動が変わる。だいたい、週に三日か四日は単発のバイトを入れていて、ほかの日はパチンコや競馬なんかに通うのがあいつの生活スタイルです。

 あの日、佐野はバイトの予定もなく、昼頃に起き出して近所のパチンコ屋へ行きました。アパートから徒歩十分くらいの場所にある寂れた店です。そこで三時間くらい粘って、帰宅したのは夕方近くになってからでした。帰りに最寄りのコンビニで買い物をしていました」

 長岡の話に耳を傾けながら、曽我は手元のタブレットにちらと視線を遣る。内海から挙がっている報告の内容と相違はない。

「素朴な疑問なんだけど、佐野は仲間の監視に気付いていたのか」

「どうでしょう。警戒心あるようでないというか、意外に鈍感なところがありました」

 事件の夜、佐野は内海の尾行にも勘付いている様子はなかった。曽我警部補は首を傾げながら、

「佐野がかつて暴力団の構成員だった話は聞いているか」

「メンバー全員知っていますよ。奴の加入に反対意見を唱えた人もいたけど、最終的に判断するのは会長や幹部です。上がオーケーと言えば、自分らは来る者拒まずの精神で受け入れる」

「反対意見というのは?」

「元がつくとはいえ暴力団なんて野蛮な奴を仲間に入れるのか、って。暴力団の中には、ペットの多頭飼育で儲けている悪徳ブリーダーも存在します。自分らのような人間から見れば蛮行極まりない、まさに悪魔の所業です。もちろん、佐野がそうだと決めつける訳ではありませんが」

 口調は静かながらも、その声には怒気を孕んでいる。警部補の目の奥が光った。

「元暴力団構成員だった佐野を毛嫌いしている仲間がいた、と」

「いない、と言えば嘘になる。実際、彼の悪口で盛り上がっている連中を見ました」

「佐野を嫌っていた仲間が、彼を粛清したって聞いたらどう思う?」

 長岡は唇を歪め、ふっと笑みをこぼす。

「刑事さん。自分らは左翼集団とは違います。粛清や制裁といった行為もまた、自分らにとっては野蛮そのもの。組織のメンバーは皆が同志です。仲間割れは時間の浪費でしかない。さっきも言ったでしょう、組織のルールに反するものは組織を去る。それができないなら上層部が追放する。組織の中で暴力は御法度、すべては議論で解決が信条です」

「まあいい……それで、パチンコから帰った後は?」

「夜になるまで部屋に籠ったままでした。彼が動いたのは、十一時を回った頃です。突然アパートを飛び出して、例の墓地に向かったんです」

「係長。ちょっといいですか」

 曽我の背後から、早川巡査部長が話に割って入った。警部補が目で合図を送ると、早川は補助官用の椅子から立ち上がり長岡にゆっくりと近づく。

「あんたが襲った女性警官。彼女もあの日、佐野渉を終日監視し続けていた。あんたは最初から彼女の存在に気付いていたのか」

「いえ。気付いたのは夜に佐野を尾行し始めてからです。彼女のほうが先に佐野を追って、自分はその跡をつけたんです」

 早川と曽我は、再び視線を交錯させた。警部補はタブレットに目を転じると、

「随分と慣れたものだな。警官にバレずに尾行するとは」

「ポリ公の匂いに敏感なんですよ。奴らの追跡だって、今まで何度も巻いてきた」

 自慢げに顔を綻ばせる。聴取開始から初めて見せた笑みだ。

「んなもん、何の名誉にもならないよ。結局は相手を仕留め損ねたんだからな」

 吐き捨てた曽我に、長岡はふっと笑う。

「自分は、最初から彼女を殺すつもりなんてなかったですよ。ただ、佐野の様子が気になっていただけなんで」

「墓場まで二人を尾行して、その後どうした」

「佐野の監視を続行したかったけど、警官が居座り続けるもんで邪魔だと思ったんです。軽く失神させる程度で済ませようとしたのに、抵抗するものだからつい本気になってしまって。女だからと舐めてかかったのが間違いでした。ほら、これがその証拠です」

 長岡は左腕を警部補の前に突き出した。手首の少し上あたりに抉ったような傷跡が残っている。内海が爪を立てたときに生じた引っ掻き傷だ。この傷が長岡稔を特定する決め手となった。

「あんな華奢な体なのに、やっぱり警官ですね。最初に喰らった攻撃、股間に思いっきり後方蹴りですよ。今でも思い出すと疼いてきます。あれなら最初から手加減なくやっときゃよかった」

 下卑た笑みを浮かべる長岡に、早川が一歩詰め寄る。警部補がその動きを制しながら、

「警官を襲撃した後は?」

「想像以上に騒いだものだから、佐野に勘付かれると焦って逃げました。彼女と格闘中は彼の様子なんて確認する暇もなかった。だから、それ以上は何も知りません。次の日の朝、例の墓地で死体になってたって報道を見て血の気が引きました。間違いなく疑われると、毎日が恐怖でしたよ。まあ、思っていたよりも連行されたのは遅かったけれど」

 ノートパソコンの前に座った早川を目の端で捉えながら、曽我は問いを重ねる。

「佐野渉が墓地で接触した相手は、APARの誰かじゃないのか」

「どうしてあんな辺鄙な場所で会わなきゃならないんですか」

「それをこっちが訊いている」

「知りませんよ。佐野がアパートを飛び出したのだって、自分にとっては予想外でした。人と会う予定があいつにあるなんて」

「墓地での出来事以降、君はAPARの連中と話したのか」

「一方的な通達なら受け取りましたよ。『同志が殺されて、警察の嫌疑が自分たちに向けられるかもしれない。当面は各自活動を自粛し、各々勉学や情報収集に励むこと』って」

「その履歴はスマホか何かに残っているのか」

「メンバーとのやり取りは、すべてチャットサイト上で行っています。そこは会話のログデータが残らないので、残念ながら履歴はないですね」

「どうしてそんな面倒臭いサイトを使っている」

「むしろ気楽じゃないですか? その場限りだからこそみんな真剣に議論しますし、どんな議論や会話が交わされたか記憶するものですよ」

 曽我はため息を吐きながらも、長岡が使っていたサイト名を手帳に走り書きする。

「ところで、APARの活動というのはどんな感じなんだ。メンバーは毎日何処かに集まっているのか」

「一応、支部として場所を確保してはいます。誰でも入れるようになっているので、その日活動したいメンバーは各々支部へ集まって議論したり勉強したりしますね」

「随分と緩い活動形態だな」

「時々、会合のようなものが開催されますが、それは事前に上層部から日時を告知されます。会合は原則メンバー全員の出席が義務付けられていて、重要な話し合いがあったり上の決定事項がメンバーに周知されたりします」

「六月から八月にかけて、その会合が開かれた日はわかるか」

 長岡はポケットからスマホを取り出す。片手での素早い操作はお手のものだ。画面を見ながら口頭で伝えられた日時によると、六月に二回、七月に二回それぞれ開催されている。佐野渉の事件以降は、活動そのものが自粛されているために会合は一度も設けられていない。計四回の会合日は、いずれも市議会議員が失踪した日とは重なっていなかった。

「それそれのメンバーの活動は記録が残っているのか」

「まさか。誰かいつどこで何をしていたかなんて、本人にしか判りませんよ」

「君が支部に行った日、そこにいたメンバーの顔ぶれは憶えているか」

 困ったように眉根を寄せる長岡。厳つい顔立ちには似合わない表情だ。

「そこまでは流石に。ですが、この数ヶ月は会合と尾行以外で佐野を見かけていませんでした。正直、あいつがまだAPARに在籍していたことも意外でした」

「佐野渉がAPARに入ったのはいつ頃だ」

「去年加入したばかりの新参者ですよ。活動している様子はほとんどなくて、半分幽霊メンバーでした。それが突然、警察署前での暴動でしょう。まったく何を考えていたんだか」

 呆れたように言う長岡の向かいで、曽我警部補は腕組みして天を仰いでいた。

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