if you give me what I want
明るいダイニングのテーブルには、和葉の用意した美味しい朝食と、真ん中には銀の腕輪が並んでいた。
「え?……で? これは必要ないっていう?」
お行儀悪く史隆が腕輪の方に持っていたフォークの先を向ける。
「……私にはね」
コントロールはできるからと、事もなげに笑う。
昏睡の状態は二日間続いた。
その割には特に異常は見られないと和葉に診断され、消化に良さそうな食事を摂っている。
本人もどこにも異常が無い、むしろ状態はとても良いと認めている。
史隆から見ても、今までの事を思えばとても良さそうに見えた。
人格が変わってしまった以外は。
長い髪はひとつに結わえられ、邪魔にならない様にくるりとまとめられている。バスルームから出てきた後、用意されていたいつも着ている様なワンピースは嫌だと、裸ではない格好で、皆の居るダイニングまで文句を言いに来た。今は和葉が用意した、どこにでもありそうな体にぴたりと合ったシンプルなシャツにパンツを着ている。
「……で、夜じゃなくて……誰?」
「意地が悪いと思わない?知ってるくせに、知らないフリとか」
夜によく似たその顔は、リュカに向いてにこりと笑った。
急に夜から距離を置いて、むしろ知らない人に対してよりも愛想の悪いリュカは、史隆の隣で黙々と食事をしている。
「ルカは知ってんの?」
話をリュカに振っても、向かい側でにこにこしている顔を見ようともしない。
史隆には犬が威嚇している時に喉を鳴らす、その幻聴が聞こえている。こっちをつついても何も出そうにない、むしろ下手に触ると噛み付かれそうな感じがする。
心の中でため息を吐いて、前に向き直った。
「ルカは知ってんの?」
同じ質問を、今度は向かい側にいる相手にした。
「何度も部屋に入ってるんだもん、知ってるでしょ」
「部屋……ねぇ」
史隆だけではなく、特科の全員、夜が人の心の中の事を『部屋』と呼んでいる事は知っていた。夜は目には見えない人の心を、部屋の形に可視化して、且つそれに触れる事が出来る。当然、始終引っ付きまわっていたリュカなら、夜とは文字通り心を通わせて『部屋』を行き来していただろうくらいは史隆にも想像できた。
『部屋』にはその人を構成する全部が詰め込まれている。
生まれてから今まで全部を。
人によって規模や間取りはそれぞれ違い、部屋の用途も色々だと夜は言っていた。
知識を得るための書斎があったり人と会うための取り繕い飾り立てた部屋、倉庫のようにごちゃごちゃと何かが詰め込まれた部屋や、趣味の部屋なんかがあるのだろうと、史隆は想像していた。
夜の中にも全く別の種類の部屋があって、今はそこが主になっているんだろうか。
だとしたら今までの場所はどうなっているんだろうか、有り得るかそうでないかで言えば、有ってもおかしくないのかとぐるぐる考えていた。
「寝て起きたら人が変わるって、そんな事ある?」
ちょうど新しい料理の乗った皿をテーブルに運んできた和葉に、史隆は視線を向けた。
「……どうでしょう、私は元々の夜さんを知らないので……別の人格を形成する、というのは肉体的にも精神的にもショックを受けた場合ありますから、無い話ではないと思いますけど」
「別人格を形成ね……」
和葉の所見にくすくすと笑いながら新しい皿の料理に手を伸ばし、口に入れてなお、おかしそうに笑った。
「わあぁぁ……ホントもう、知らない人に見えてきた」
「ねえ。夜と私と、どっちがヒトに見える?」
「……え?」
「違うか……んー。どっちが、人に近く見える?」
音を立てて持っていたものをテーブルに置き、リュカは向かい側を睨みつけている。これまで敵意を剥き出しにした目を向けた事は一度として無い相手に。
その視線を受け止めて、小さく笑い声を漏らすと構わず食事を再開した。食器とフォークのぶつかる小さな音が続いている。
「私は皆さんの能力について詳しい事は知りませんが」
和葉も、もちろん蓮見も一ノ宮の人間らしく、この場にいる人物達がどうして学園に居るのか知らされていた。
初めて見た印象の通り、優しそうで温かみのある表情と声は続ける。
「皆さんの体の構造も、心の有り様も、どこをどう見ても人間ですよ」
「……まあ、見た目はね」
「……えーと……ねぇ、この話まだしないとダメ? 隣の人、超怖いんですけど!」
史隆が何も見たくないとぎゅっと目を閉じ、両手で顔を覆っている。静かに椅子を少し引いて、なんなら腰が浮きかけている。
「数字の上では小数点以下の違いなんて、違いとも言えないんでしょうけど?遺伝子レベルのその違いはものすごぉ……く大きい、そう思わない?」
「それぐらいの違いを、軽く乗り越えられるのが人ではないですか?」
「でもその違いを許容出来ない人もいる。だから、私たちはこうして隔てられてるんでしよ?」
「それは……とても悲しい考え方ですね」
「……そうでもないけど?」
ねえ、と向かい側に同意を求めてもひとりは怖い顔をして睨んできているし、ひとりはいまだに両手で顔を覆っているしで返事は無い。
「リュカは大体、夜を何だと思ってるの?」
テーブルの向かい側にいるふたりが僅かに反応する。質問の意図は汲めないが、とても重要なことを聞かれているとリュカは息を飲んで、史隆は両手を外してそれを見ている。
「素直に言う事を聞くところが可愛い? 頭が足りないみたいな喋り方が保護欲をそそる?」
「……え、ちょ……そんな言い方なくね?」
史隆が泣きそうな顔で、テーブルに両方の手のひらを乗せる。
「無垢で純粋そうな感じが、守ってあげたくなるんでしょ?」
「違うって!……それは横で見てる俺たちにはそう見えるけど! それは横で見てる人の意見で!……違うだろ?! ルカと夜の間には、もっとなんかあるだろ?! うまく! 言えないけど!!」
「髪型も、服だって……そんなものどうだっていいと思ってるって考えた事ない?」
大事なこと以外は後回し、効率優先、最初から夜は他人にどう見られるか、どう思われるかを気にかけてもいない。それはみんな知っている。
「んー……でもでもでも! よく似合ってるからいいじゃん、別に!」
「そりゃ、容姿は良いからね……でも逆に言えば、何でも似合うってことでしょ?」
そうかもしれないけどと、日の経ち過ぎたレタスみたいに史隆がみるみる萎れていく。
「そうして欲しいと知っているから、髪を切らない……喜ぶと分かっているから、リュカの好みの服を着て……ねえ、それって人形みたいだと思わない?」
「……だから! 何でそんな! そんな事全然思わないね!……だって、それだって……ああああ! なんて言ったら良いんだ! お前、あれだ! それ以上言うと、俺、泣くからな!!」
「……何で史隆が泣くの?」
「どうしてわかんねーんだよ! 今までルカの何を見てきたんだって!」
興奮して立ち上がり、その勢いで椅子が後ろに倒れる。
和葉は椅子を立て直すと、史隆の背中を撫でて椅子に座るように促した。
口を挟ませていただきますがと、前置きしてゆっくりとした口調で史隆の代弁を始めた。
「好きな人の好みに合わせる事を、人形みたいだとは言いませんよね?」
「……!! そう、それ!! そのこと!!」
「それは、恋をする女の子の普通の行動です。なぜ夜さんの気持ちを無視して、客観的に、しかも否定的な話をされるんでしょうか?」
史隆はテーブルに頭をぶつけそうな勢いで大きく頷いている。
人の悪そうな笑みを顔に貼り付け、我慢できない様子でついに笑い声は音になって口から漏れ出した。
「……だって! 嫌いだもの! ずっと嫌いだった!夜が消えて清々した! やっと……私の番が来た!」
腕を伸ばすとテーブルの真ん中にあった腕輪を払いのける。勢いよく滑って落ちると、床の上でそれぞれが音を立て音楽のように聞こえた。
何も言わずに黙っているリュカに向かって、返事をする。
「……そうなの! 残念でした、もう消えちゃった! まあ、居たとしてもどこかの隅っこでみゃーみゃー泣いてるんじゃない? どっちにしても、もうあの子には何も出来ないんだから一緒……どうとでも思えば?!……あの子に必要だったものは、もう私には要らないから!リュカもみんなも……榊先生もね」
ダイニングの入り口には榊と蓮見が立っていた。
「え?! せんせー?! 来てたの?」
「仕事が片付いて、今朝ね……心配して来てみたけど……さっきから聞いてれば、不細工ったらないわね。何がしたいの、ホント」
ひどいとケラケラ笑いながら自分の隣の席を榊にすすめる。
榊はテーブルに歩み寄ると、片手をついてもう片方は自分の腰に当てた。
「……あんたが誰か知らないけど」
「知ってるでしょ?」
「いいえ、知りませんが?」
「ねえ、話聞いてたでしょ? 榊先生は、夜を何だと思ってるの?」
「そんな話はしてな……」
「どうして私を夜だと思ったの?」
「なに……」
「夜だといいなと思ったからでしょ?」
部屋は広いはずなのに、その声は嫌に反響して聞こえる。
「……どっちが残ったのか、誰が、どうやって証明できると思う?」
あなたがわたしのほしいものをくれるなら。




