ベアトリス王妃陛下のお茶会
ベアトリス王妃陛下の唇は、菊の花びらのような細い形をしていらっしゃる。社交界ではそれが、この上なく品が良いとの評判だ。今しがた、それが、ニコリと弧を描いた。
「なんておっしゃるスキルでしたっけ? 道案内? フフッ」
王妃陛下は、そのままティーカップを口元へ運びながら、楽しそうに笑われた。
今日は、春の芽吹きを楽しむ趣向で、庭園に面したテラスでのお茶会だ。
風通しが良いせいか、女官たちのクスクス笑いもよく耳に運んできてくれる。
私は膝の上でそっと指を組み直す。
「はい。《星導》でございます。星の導きと書いて、せいどう、と」
王妃陛下は、ゆっくりと紅茶を飲み込み、静かにティーカップをソーサーへ戻した。さすが宮廷内で磨かれた優雅な所作だと毎回感心する。自分がこの先、この高みまで登れるのだろうかと、お会いするたびに憂鬱になってしまう。
「ああ、そうそう。《星導》ね。それで、できることが道案内だったのよね?」
そして、自分が笑い者にされているなんて勘違いだと、錯覚してしまうほど、王妃陛下は美しく微笑まれる方だった。
「はい。」
私は顔を伏せて返事をした。
「許してちょうだいね。どうも印象が薄くって。」
「はい。お気になさらず。」
少なくとも、私が数え始めただけで。
これで五度目だ。
王妃陛下の中では、道案内ネタは、きっと女官のウケが良い冗談なのだろう。
私のスキル、《星導》――迷わず、望みの場所へ。
十五歳の時に、神殿で鑑定を受けた結果、そう告げられた。
神官様が仰るには、きっと目的地までの正しい道筋を理解できるというものだろう、ということだった。王都のような入り組んだ街では、多少便利に働くスキルなのだろうか。
旅人ならもっと重宝するスキルなのだろうか。
けれど、公爵令嬢、それも将来王太子妃となる者のスキルとしては、いかにも地味だった。
「あなたが生まれた頃は、こんなふうにのんびりお茶を飲める日が来るなんて思わなかったものよ」
王妃陛下が話題を変えた。
私は顔を上げる。
「はい。戦争でございますね」
「ええ」
隣国との戦争。
私が生まれる以前から続いていたそれは、一時は王都でも敗戦を覚悟するほど苛烈なものだったという。
「本当に、あの状況から、よく盛り返せたわよね。」
王妃陛下は懐かしそうに目を細めた。
「騎士団長は戦況を何度も覆したし、宰相は補給路を立て直した。あなたのお父上も前線と王都を何度も行き来して、よく働いてくれたわ。外交官たちも見事だった。あの国を相手に、よくあそこまで条件を引き出せたものよ」
王妃陛下の仰る戦争が終わったのは、私が五歳の時だった。
完全な勝利ではなかった。
それでも、元々は敗戦寸前だった我が国が、あの和平条件を結びつけたことは奇跡に近かったという。
「そして戦後の復興も早かった。本当に、我が国は人材に恵まれています」
「はい。私もそう思います」
心からそう思っている。
お父様も、お母様も。
お父様のご友人達で、公爵家でお会いしたことのある宰相閣下も、騎士団長も、行政官たちも。
皆、驚くほど優秀だ。
「わがルーク王太子殿下も、ここ数年でますます頼もしくなられましたものね」
王妃陛下の声が弾む。
「はい。仰る通りでございます。」
私も嬉しくなって頷いた。
ルーク王太子殿下と私は十三歳の時からの婚約者だ。
昔から優秀ではあったけれど、この数年の成長は目覚ましい。
剣術、学問、外交、政治。
どれを取っても隙がなく、最近では若き名君とまで呼ばれるようになった。
「あなたも幸せね。あれほど優秀な方の妃になるのですもの」
「はい。もったいないほどでございます」
「本当にね」と仰ると同時に、バサリと扇子をお広げになって、口元を隠しながら、王妃陛下は、悪気が無いかのように笑っていらっしゃる。
私はいつもどおり、微笑みを崩すことなく、相槌をうつ。
「それにしても、あなたの妹君も随分と評判だそうね」
「はい。リリアでございますか?」
「神殿よ。戦傷者の治療を続けていらっしゃるのでしょう?」
その話なら私も知っている。
妹のリリアは幼いころから傷を癒すことができた。
それも、ただの癒しではない。
深い傷を塞ぎ、砕けた骨を元へ戻し、時には失った指や腕すら再生させる。
かつてこの国には、《神癒》という奇跡のスキルを持ち、“女神”と呼ばれた神官がいた。
リリアはその再来ではないかと、ずっと期待されている。
そしてリリアは間もなく十五歳の誕生日を迎え、神殿でスキル鑑定を受けることになっていた。
「兵たちの間では、もう女神様と呼ばれているとか」
「はい。リリアは、人を助けることが好きな子ですから」
誇らしかった。
本当に。
「姉妹でも、ずいぶん違ってらっしゃるのね。」
王妃陛下はそこでもまた、口元を隠しながら、小さく笑われた。
「まあ、あなたもルーク王太子殿下の婚約者なのですから。妹君にばかり国民の人気を取られないよう、せいぜいお励みなさいな」
「はい。ご期待に添えるよう努めます」
私は王妃陛下の所作を見習って、ゆっくりと頭を下げた。
この話も、次のお茶会からルーチン入りするんだろうなと、思いながら。
◇
王宮からの帰り道は、蹄の音も軽やかに、整備された石畳を馬車がどんどん進んでいく。
馬車の窓から見える空は、少しだけかげり始めていたが、続く王都の街並みは、戦争があったとは思えないほど活気に溢れていた。
私は小さく息を吐いた。
王妃陛下が私の《星導》を道案内と呼ぶのは、これで五度目。
そのたびに訂正して、そのたびに同じように笑われる。
きっとベアトリス王妃陛下にとっては、私とのお茶会に欠かせない小さな冗談なのだろう。
……まあ、仕方がない。
実際、大したスキルではないのだから。
お父様は戦後復興の功労者。
お母様も領地経営の立て直しや社交界で多大な功績を上げている。
妹は女神の再来。
ルーク王太子殿下は目覚ましい成長を続けている。
私の周りには、本当に優秀な方ばかりいた。
もちろん、私だって何もしてこなかったわけではない。
婚約が決まった13歳から17歳の今日まで、国内外の歴史や外国語と外交儀礼、財政から宮廷作法。王太子妃として必要だと言われたことは、すべて学んできた。
教師から落第点をつけられたことはない。
大きな失敗をした覚えもない。
でも。
それは、王太子妃ならできて当然のことなのだ。
新しい政策を考えたわけではない。
戦争で勝利をもたらしたわけでもない。
奇跡のような癒しを使えるわけでもない。
言われたことを覚えて。
求められたように振る舞って。
誰かの邪魔にならないようにする。
私にできるのは、そのくらい。
ルーク王太子殿下も、もう私がお支えすることなど、ほとんどない。
殿下は優秀だ。
お父様も、お母様も、妹も。
私がいなくても、きっと誰も困らない。
ふと、胸の奥が冷たくなる。
「私は、誰に必要とされているのだろう。」
馬車の窓に映った自分の顔は、思ったよりも疲れて見えた。
もし、どこかに。
私でなければ困る場所があるのなら。
私を必要としてくれる場所があるのなら。
そんな場所へ行けたらいいのに。
ーー迷わず
そう思った。
ほんの一瞬だけ。




