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第5話 聖女先生の料理は人を救わない

勇者を育てる名門「王立勇者学院」。


そこで最低評価を受ける落ちこぼれの少年には、誰にも言えない秘密があった。




彼にだけ、死んだ英雄たちの姿が見える。




剣聖、賢者、大魔導師、聖女、軍師。歴代最強と呼ばれた百人の英雄から教えを受け、最弱だった少年は仲間との友情や恋、冒険を通して成長していく。




しかし、百人の中には一人だけ「英雄ではない者」が紛れていた。




その正体は、かつて世界を滅亡寸前まで追い込んだ初代魔王。




なぜ英雄たちは少年を選んだのか。


そして、魔王の本当の目的とは。




これは落ちこぼれの少年が、百一人目の英雄を目指す物語。

サブタイトル

人を救った伝説の聖女にも、どうしても救えないものがあった。どうやら、それは昼食らしい。


神谷悠真は、人生で初めて勝った翌朝。


人生で初めて、


勝たなければよかったかもしれない。


と、少しだけ思った。


「神谷!」


「昨日の試合、すごかったな!」


「どうやってディランの剣を落としたんだ?」


「最後の動き、もう一回見せてくれよ!」


教室へ入った瞬間。


昨日まで自分を《無職》と呼んで笑っていた生徒たちが、一斉に集まってきたからだ。


「ちょ、待って。一人ずつ!」


悠真は両手を上げた。


昨日までなら。


誰も自分に話しかけてこなかった。


いや。


正確には、話しかけてくる人間はいた。


「よう、無職」


とか。


「今日も魔法出なかったのか?」


とか。


だいたい友好的ではないやつだ。


ところが今日は違う。


「なあ、神谷」


一人の男子生徒が目を輝かせる。


「昨日の最後の技、名前あるのか?」


「名前?」


「必殺技だよ!」


悠真は考えた。


昨日、自分がやったこと。


逃げた。


転がった。


殴られた。


泥だらけになった。


そして相手が疲れたところで木剣を落とした。


必殺技。


「……必死」


「え?」


「必死だった」


「技名が?」


「違う。俺が」


男子生徒が残念そうな顔をした。


その背後。


誰にも見えない場所で、剣聖ガルディオが腹を抱えて笑っている。


『いいじゃねえか。《奥義・必死》』


「採用しないからな」


「え?」


「人生に言った」


「お前の人生、最近よく喋るな」


便利だったはずの言い訳が。


そろそろ怪しくなってきた。


その時。


教室の入口から声がした。


「ずいぶん人気者になったのね」


人だかりが割れる。


金色の髪。


青い瞳。


姿勢の良い立ち姿。


セレスティア・アルヴェイン。


学院首席。


職業《聖剣姫》。


悠真とは、たぶん世界で一番遠い場所にいる少女。


なのに。


昨日。


自分へ誰より早く拍手をしてくれた。


そして夜。


「格好よかった」


と。


言った。


思い出した瞬間。


悠真の顔が熱くなる。


「お、おはよう」


「どうして目を逸らすの?」


「朝日が眩しい」


「廊下側だけれど?」


「心の朝日」


「何それ」


セレスが小さく笑った。


その笑顔を見て。


背後のガルディオがニヤリとする。


『青春』


「黙れ」


「誰に?」


「人生」


「あなたの人生、口数が多すぎない?」


そろそろ本気で設定を変えたほうがいいかもしれない。


その時だった。


教官が教室へ入ってきた。


「席につけ!」


生徒たちが散る。


悠真も自分の席へ戻った。


教官は教壇の上に一枚の紙を置く。


「今日の午後から、学院祭の準備に入る」


教室が沸いた。


「学院祭?」


悠真だけが首を傾げる。


異世界にも文化祭みたいなものがあるらしい。


「王立アストリア勇者学院では、年に一度、一般市民へ学院を開放する。模擬戦、魔法演武、展示、食堂。各クラスで出し物を担当してもらう」


なるほど。


完全に文化祭だった。


異世界に来てから、


魔法。


勇者。


死者百人。


剣聖。


初代なんとか。


妙に物騒なものばかりだったので。


こういう普通の学生らしい行事は少し嬉しい。


「今年、このクラスは軽食屋台を担当する」


歓声。


悠真も。


少しだけ安心した。


戦わなくていい。


剣を振らなくていい。


魔法も必要ない。


料理。


それくらいなら。


なんとかなる。


教官が名簿を見る。


「調理責任者はアルヴェイン」


「はい」


セレスが立つ。


まあ。


分かる。


首席だし。


何でもできそうだ。


「補佐は……神谷」


「はい?」


悠真は、自分でも驚くほど大きな声を出した。


教室。


静かになる。


「何か問題か?」


「あります」


「言え」


「なぜ俺?」


「昨日の勝利で注目されている。学院祭で客寄せになる」


「客寄せ!?」


勇者候補から。


一日で。


パンダになった。


教室から笑い声。


セレスが口元を押さえている。


「笑うなよ」


「ごめんなさい。でも……客寄せ」


「繰り返すな」


教官は淡々と続ける。


「決まりだ。アルヴェイン、神谷。午後から厨房を確認しておけ」


「はい」


「……はい」


悠真は。


この時まだ知らなかった。


昨日のディランとの模擬戦よりも。


今日のほうが。


命の危険が大きいことを。


1 悠真、料理経験を盛る

午後。


学院の調理実習室。


石造りの大きな部屋。


長い作業台。


煉瓦造りの竈。


鍋。


包丁。


見たことのない香草。


見たことのある野菜。


そして。


なぜか檻に入った。


青い鶏。


「……あれ何?」


悠真が指差す。


「ブルーチキン」


セレスが答える。


「そのままだな」


「何が?」


「いや」


青いから。


ブルーチキン。


この世界の命名者とは、たぶん気が合う。


セレスが腰にエプロンを巻く。


普段の学院制服とは違う姿。


金髪を後ろでまとめ。


袖を軽くまくる。


それだけなのに。


悠真は。


少し見てしまった。


「何?」


「いや」


「何かついてる?」


「ついてない」


「なら、どうして見ていたの?」


「エプロンっていいなと思って」


「……え?」


「違う!」


悠真は慌てる。


「機能的って意味!」


「私は何も言っていないけれど」


セレス。


少し。


頬が赤い。


まずい。


墓廟から英雄たちがついてきていなくて良かった。


もし百人いたら。


今頃、


『攻めろ!』


『褒めろ!』


『手を握れ!』


『結婚しろ!』


とか言い出している。


「それより!」


悠真は話題を変える。


「何を作る?」


セレスが材料を確認する。


「学院祭なら、片手で食べられるものがいいわね。肉と野菜をパンで挟むのはどう?」


「サンドイッチみたいなものか」


「サンド……?」


「ああ、こっちにはないのか」


「あなたの世界の料理?」


「たぶん」


セレスの目が輝く。


「なら、それにしましょう」


「即決!?」


「異世界の料理でしょう? 面白そう」


「期待されるほど大したものじゃないぞ」


「作ったことは?」


「ある」


悠真は胸を張った。


「目玉焼きを」


セレス。


沈黙。


「……それだけ?」


「日本で目玉焼きを作ったことがある」


「パンは?」


「買った」


「肉は?」


「焼肉屋」


「野菜は?」


「母さんが切ってた」


セレスが。


ゆっくり。


悠真を見る。


「あなた」


「はい」


「料理できないでしょう?」


「目玉焼きはできる」


「それは料理経験に含めていいの?」


「卵を割って焼くという、高度な二段階工程だぞ」


「火を使える五歳児ならできそうね」


「異世界の天才、基準が厳しい!」


その時。


背後から。


優しい声がした。


『安心してください』


悠真の背中が凍る。


振り返る。


白い法衣。


柔らかな微笑。


慈愛に満ちた表情。


聖女リリア。


百英雄の一人。


生前。


疫病に苦しむ都市を救い。


戦場で何千人もの命を癒やし。


聖堂では今も聖人として祀られている。


伝説の聖女。


そのリリアが。


両手を胸の前で合わせて。


微笑んでいる。


『料理なら、私に任せてください!』


悠真は。


なぜだろう。


とてつもなく嫌な予感がした。


2 聖女先生の料理は人を救わない

『まず、お鍋を用意してください』


「うん」


悠真は鍋を置く。


セレスが首を傾げる。


「何してるの?」


「料理の手順を確認してる」


「誰と?」


「人生」


「人生、料理も教えてくれるの?」


「今日は家庭的なんだ」


苦しい。


かなり苦しい。


リリアが材料を指示する。


『ミルク』


入れる。


『卵』


入れる。


『小麦粉』


入れる。


ここまでは。


普通だった。


『月光草』


「待て」


悠真の手が止まる。


『どうしました?』


「月光草って何?」


セレスが振り向く。


「薬草よ」


「食べられる?」


「毒ではないけれど……普通は傷薬に使うわ」


悠真。


リリアを見る。


「料理だよね?」


『もちろんです』


笑顔。


『次に、火竜粉を』


「名前から嫌だ」


「悠真?」


「独り言」


『三杯』


「一杯にしない?」


『三杯です』


「一杯」


『三杯』


「二杯」


『妥協しましたね』


「交渉成立」


二杯入れる。


次。


『癒やし茸』


「食える?」


セレスが答える。


「下痢止めに使うわね」


「入れない」


『では不死鳥の涙を』


「もっと駄目そうなの来た!」


セレスが振り返る。


「さっきから何を作ってるの?」


「俺も知りたい」


悠真は鍋を見る。


白かったはずの液体が。


なぜか。


紫色になっている。


そして。


ぽこ。


ぽこ。


泡が。


上ではなく。


下へ沈んでいく。


「……セレス」


「何?」


「液体の泡って下に沈む?」


「普通は上がるわ」


「だよな」


ぽこ。


紫色の光。


「光ってる」


「光ってるわね」


「料理って光る?」


「普通は光らないわ」


『順調ですね』


「どこが!?」


悠真が叫んだ瞬間。


鍋から。


ぼわっ!


紫色の煙が噴き出した。


「きゃっ!」


セレスが一歩下がる。


悠真も。


全力で下がる。


『あら』


リリア。


頬に手。


『少し火が強かったでしょうか』


「火の問題じゃない!」


「悠真!」


「はい!」


「誰と会話しているの!?」


「人生!」


「今のは絶対人生じゃないでしょう!」


鋭い。


その時。


厨房の扉をすり抜けて。


ガルディオが現れた。


『お、始めてるな』


鍋を見る。


止まる。


『……何だあれ』


「聖女料理」


ガルディオの顔。


引きつる。


『捨てろ』


『失礼ですね!』


リリアが頬を膨らませる。


ガルディオ。


真顔。


『昔、リリアの料理で三日寝込んだ』


「聖女だよね!?」


『治療もリリアだった』


「自作自演じゃねえか!」


『違います!』


リリアが抗議する。


『最終的には回復しました!』


「食べる前は健康だったんだよ!」


さらに。


壁から。


クロウが現れた。


『毒の匂いがする』


「暗殺王が反応した!」


クロウ。


鍋へ近づく。


匂いを嗅ぐ。


一歩。


下がる。


『……強い』


「評価するな!」


エレノアまで現れる。


鍋を見る。


目を輝かせる。


『魔力反応があるわ』


「料理なのに?」


『興味深い。食べてみて』


「嫌だ!」


『研究者としてお願い』


「被験者側として断る!」


セレスは。


誰もいない空間に次々話しかける悠真を。


本気で心配そうに見ていた。


「悠真」


「何?」


「昨日、頭を打った?」


「打ったけど!」


「やっぱり」


「関係ない!」


「医務室へ行きましょうか?」


「俺より鍋を連れていって!」


その時。


ぼこっ。


鍋が。


大きく。


脈打った。


全員。


止まる。


ぼこっ。


もう一度。


まるで。


心臓。


「……なあ」


悠真。


一歩下がる。


「今、動いた?」


セレス。


青ざめる。


「動いたわね」


ガルディオ。


剣に手をかける。


クロウ。


短剣。


エレノア。


魔法を構える。


リリアだけが。


微笑んでいた。


『完成です!』


「料理完成時に英雄三人が戦闘態勢になるのおかしいだろ!」


3 天才少女の弱点を探した結果

結局。


リリア料理は。


廃棄された。


正確には。


廃棄しようとした。


ところが。


鍋の中身を流そうとした瞬間。


排水口から煙が出た。


そのため。


学院の危険物保管庫へ移された。


料理が。


危険物になった。


「……私」


セレスは呆然としていた。


「料理で危険物保管庫を使った人、初めて見たわ」


「俺も初めてだよ」


『昔は井戸へ捨てました』


リリア。


「最悪だ!」


『その村では一年間、病人が出なかったんですよ?』


「みんな逃げたんじゃないの!?」


ガルディオが笑う。


『あの村、翌月なくなったぞ』


「やっぱり!」


『移住ですよ!』


「理由は!?」


リリア。


目を逸らす。


確信犯だった。


「もういい」


セレスがエプロンの紐を締め直した。


「私が作る」


悠真が見る。


「できるの?」


「失礼ね」


セレスは。


包丁を握った。


とん。


とん。


とん。


玉ねぎ。


薄く。


均一。


次。


肉。


筋を切り。


塩。


香草。


火。


手際がいい。


「……すご」


悠真は素直に声を漏らした。


「普通よ」


「いや。俺の知ってる十五歳は、こんなにできない」


「そう?」


「少なくとも俺はできない」


「あなたを基準にしたら大抵の人が料理上手になるでしょうね」


「ひどくない?」


言いながら。


セレス。


少し笑っている。


悠真は。


その横顔を見る。


学院首席。


公爵令嬢。


《聖剣姫》。


いつも完璧に見える。


剣も。


魔法も。


勉強も。


そして料理まで。


「セレスって」


「何?」


「苦手なものないの?」


包丁。


止まる。


ほんの一瞬。


「あるわよ」


「何?」


「言わない」


「なんで?」


「あなたが調子に乗るから」


「乗らない」


「昨日一回勝っただけで、今朝ちょっと胸を張って歩いていたでしょう?」


「見てたの!?」


「見えたもの」


「忘れてくれ」


「嫌」


即答。


セレスが。


楽しそうに笑う。


悠真は。


少しだけ。


胸が温かくなる。


昨日まで。


話しかけるだけで緊張していた。


今日。


一緒に料理をして。


くだらない話をして。


笑っている。


距離って。


こうやって。


少しずつ縮まるのかもしれない。


その時。


セレスがパンを切る。


少し。


曲がった。


「あ」


悠真。


気づく。


「今、失敗した?」


「してない」


「曲がったよね?」


「個性よ」


「天才もパン曲げるんだ」


「うるさい」


もう一枚。


曲がる。


悠真。


にやり。


「もしかして」


「何」


「パン切るの苦手?」


セレス。


止まる。


「違うわ」


「二枚とも斜め」


「このパンが悪いの」


「パンのせいにした!」


「公爵家では、パンは切られた状態で出てくるの!」


「出た! お嬢様!」


「笑わないで!」


初めてだった。


セレスが。


こんなふうに。


むきになるところを見るのは。


学院首席でも。


《聖剣姫》でもなく。


ただの。


十五歳の女の子。


悠真は。


思わず笑った。


「何よ」


「いや」


「何?」


「ちょっと安心した」


セレスが目を細める。


「どういう意味?」


「セレスにもできないことあるんだなって」


少し。


沈黙。


悠真は。


気づく。


まずかったか。


でも。


セレスは怒らなかった。


「……あなた」


「ん?」


「私のこと、そんなふうに見ていたの?」


「どんな?」


「何でもできる人」


「違うの?」


セレスは。


少しだけ。


寂しそうに笑った。


「そう見えるようにしているだけよ」


悠真は。


その言葉の意味を。


聞こうとした。


けれど。


セレスはもう。


肉を焼き始めていた。


じゅう。


香草。


肉。


焼けた脂。


厨房に。


いい匂いが広がる。


『おいしそうですね』


リリアが言う。


全員。


そちらを見る。


『何ですか、その目』


「何も」


『私も一品』


「駄目」


英雄たちと悠真の声が。


完全に重なった。


4 誰かと食べるということ

完成したのは。


薄く切ったパンに。


焼いた肉。


葉野菜。


玉ねぎ。


少量の酸味のあるソース。


それを挟んだもの。


見た目は。


かなりサンドイッチに近い。


「できた」


セレスが言う。


悠真は。


一つ持つ。


「うまそう」


「味見して」


「俺?」


「補佐でしょう?」


「毒見係じゃなく?」


「リリアさんの料理じゃないんだから」


悠真。


止まる。


「……今」


「何?」


「いや」


気のせい。


セレスには。


リリアの名前を言っていない。


似た名前の誰か。


そういうことにしておこう。


一口。


かじる。


肉。


柔らかい。


パン。


香ばしい。


野菜。


しゃきっとしている。


「うまっ」


セレスの顔が。


少し明るくなる。


「本当?」


「すごいうまい」


「大げさじゃない?」


「大げさじゃない。普通に店出せる」


「店?」


「この学院祭で出すんだろ」


「あ」


二人。


笑う。


リリアが。


寂しそうに鍋のあった場所を見ている。


『私の料理も……』


「忘れろ」


『一口くらい』


「命は一つしかない」


悠真は。


もう一口。


食べる。


口元。


ソース。


つく。


セレスが。


それを見る。


「悠真」


「ん?」


「ついてる」


「何が?」


「ソース」


悠真は。


袖で拭こうとする。


その前に。


セレスの指が。


伸びた。


頬に触れる。


そして。


口元についたソースを。


指先で。


そっと。


取った。


時間。


止まる。


悠真。


固まる。


セレス。


固まる。


指。


悠真の唇。


すぐ近く。


「……」


「……」


どちらも。


何も言えない。


そして。


セレスが。


自分のしたことに。


ようやく気づく。


顔。


真っ赤。


「ち、違うの!」


「何が!?」


「反射!」


「何の!?」


「汚れていたから!」


「う、うん!」


「それだけだから!」


「分かってる!」


「本当に?」


「分かってる!」


分かってない。


何も。


分かってない。


悠真の心臓は。


昨日。


炎の木剣が顔へ向かってきた時より。


速かった。


その瞬間。


ばん!


厨房の扉が。


開いた。


いや。


幽霊なので。


開けずに。


百英雄が突入してきた。


『うおおおおおおお!』


「全員来た!?」


『見たか!』


『触った!』


『口元!』


『指!』


『これは婚約では!?』


「異世界の婚約軽すぎる!」


リリア。


泣いている。


『青春です……!』


ガルディオ。


腕を組み。


満足そうに頷く。


『昨日の勝利より価値がある』


「ない!」


クロウ。


冷静。


『敵の懐へ入る技術としてはセレスティアのほうが上だ』


「分析するな!」


エレノア。


『心拍数、約一・八倍』


「測るな!」


セレスが。


ぽかんと悠真を見る。


「悠真」


「はい」


「本当に……大丈夫?」


「大丈夫じゃないかもしれない」


「医務室」


「違う意味で!」


英雄百人。


大騒ぎ。


セレス。


困惑。


そして。


悠真は思った。


たぶん。


この学院で。


一番秘密を隠すのが難しい相手は。


敵でも教師でもない。


先生百人だ。


5 生きている教師

学院祭の準備が終わった頃。


日が傾いていた。


セレスは食材の在庫を確認する。


悠真は。


空になった作業台を拭いていた。


英雄たちは。


飽きたのか。


ほとんど墓廟へ戻っている。


静か。


やっと。


静か。


「悠真」


セレス。


「何?」


「今日は楽しかった」


「料理?」


「……まあ」


少し間がある。


「料理も」


悠真。


また。


心臓が変になる。


「俺も」


「そう」


セレスは微笑む。


そして。


先に厨房を出ていった。


悠真は。


一人。


残る。


「……料理も、か」


口元が。


勝手に緩む。


その時。


「神谷悠真」


後ろ。


低い声。


悠真の身体が。


止まった。


振り返る。


厨房の入口。


一人の男性教師が立っている。


三十代ほど。


灰色の髪。


細い目。


剣術実技担当。


ローディス教官。


昨日の模擬戦。


審判台の近くにいた男だ。


「少しいいか」


「はい」


ローディスは。


厨房へ入る。


視線。


悠真の手。


足。


肩。


まるで。


何かを測るように。


「昨日の試合を見た」


「……はい」


「いい戦いだった」


「ありがとうございます」


褒められている。


なのに。


嫌な感じ。


「ディランの攻撃を六十七秒間避け続けた」


六十七秒。


数えていたのか。


「偶然です」


「偶然?」


ローディスが。


悠真を見る。


「三撃目以降、お前はディランの肩ではなく腰を見ていた」


悠真。


心臓。


一度。


強く鳴る。


「四十秒を超えたあたりから、踏み込みの前に右足を見るようになった」


何も。


言えない。


「最後の一撃」


ローディス。


一歩近づく。


「炎をまとった剣へ、普通の初心者なら後退する」


悠真は。


昨日を思い出す。


ディラン。


炎。


踏み込み。


肩。


腰。


足。


そして。


前へ。


「だがお前は入った」


ローディスは。


静かに言う。


「剣が最大速度へ達する前の懐へ」


沈黙。


「神谷」


目。


鋭い。


「誰に教わった?」


昨日。


別の教師にも。


似たことを聞かれた。


その時は。


曖昧に逃げた。


けれど。


今回は。


逃げられそうにない。


「独学です」


「嘘だな」


即答。


悠真の背中に。


汗。


「お前が入学してからの訓練記録を確認した」


「……」


「一週間前のお前には、剣を正しく握ることすらできなかった」


ローディスの視線が。


悠真を射抜く。


「人間は一週間で、あの見切りを身につけない」


まずい。


英雄たち。


死者。


墓廟。


絶対。


知られてはいけない。


悠真は。


笑おうとする。


「才能が開花した、とか」


「職業《無職》」


「ですよね」


自分から言って。


自分で傷ついた。


ローディスは。


少しだけ表情を緩めた。


だが。


すぐ戻る。


「隠したいなら、今は隠せ」


悠真。


顔を上げる。


「え?」


「ただし」


ローディスが。


背を向ける。


「強くなる速度が異常なら、必ず誰かが気づく」


扉の前。


止まる。


「学院は、お前が思っているほど安全な場所ではない」


「それ、どういう……」


「明日の実習」


ローディス。


振り返る。


「お前も参加する」


「実習?」


「一年生最初の地下迷宮実習だ」


悠真。


固まる。


「ダンジョン?」


「そうだ」


昨日。


模擬戦。


今日。


料理。


明日。


ダンジョン。


異世界。


予定表が濃すぎる。


「待ってください。俺まだ一回しか勝ってないんですけど」


「安心しろ」


「何がです?」


「迷宮では、一回勝った程度の自信などすぐ消える」


「安心要素どこ!?」


ローディスは。


ほんの少しだけ笑い。


出ていった。


悠真は。


一人。


厨房に残った。


さっきまで。


セレスと笑っていた場所。


でも。


もう。


空気が違う。


『気をつけろ』


声。


横。


クロウ。


いつの間にか。


壁際に立っていた。


「聞いてた?」


『ああ』


「ローディス先生、何か知ってると思う?」


クロウは。


少し。


考える。


『まだ知らない』


「まだ?」


『だが』


細い目。


扉を見る。


『疑っている』


悠真は。


息を吐いた。


秘密。


百人の英雄。


地下墓廟。


そして。


自分の成長。


隠し続ける。


それが。


少しずつ。


難しくなっている。


6 明日のパーティー

翌朝。


教室。


黒板。


大きな文字。


《地下迷宮実習》


悠真は。


それを見る。


「本当に行くのか……」


隣。


セレス。


「楽しみね」


「温度差」


「迷宮に入れる機会なんて貴重でしょう?」


「俺の世界では、迷宮に入らない人生のほうが普通だった」


「変わった世界ね」


「こっちがおかしいんだよ」


教官が入ってくる。


「静かに」


生徒たち。


席につく。


「今日の実習は学院地下迷宮。四人一組で行動する」


紙。


配られる。


悠真は。


自分の名前を探す。


《第三班》


神谷悠真。


セレスティア・アルヴェイン。


ミア・ハーシェル。


バルト・グレン。


「セレスと一緒か」


「嫌?」


「いや!」


即答。


セレス。


少し笑う。


「ならいいわ」


その背後。


ガルディオ。


『即答したな』


「うるさい」


「また人生?」


「今日は黙ってもらいたい」


教官が。


地図を広げる。


「学院地下迷宮は、過去千年以上にわたり訓練用迷宮として使用されている」


その瞬間。


英雄たちの空気が。


変わった。


悠真。


気づく。


ガルディオ。


笑っていない。


エレノア。


地図を見る。


クロウ。


目を細める。


リリア。


口元の笑みが消えている。


「……どうした?」


悠真が。


小さく呟く。


セレス。


「何?」


「いや」


教官。


説明を続ける。


「現在確認されているのは地下十二階層。ただし今回一年生が入るのは第三階層までだ」


悠真は。


英雄たちを見る。


「先生?」


ガルディオ。


低い声。


『あの迷宮なら知っている』


クロウ。


『俺も入った』


エレノア。


『昔は七階層までしかなかったけれどね』


悠真。


眉を寄せる。


「十二?」


エレノア。


『そう』


その顔。


珍しく。


真剣。


『増えている』


教官は。


何も知らず。


地図の一点を指した。


「なお、近年の調査により、第十一階層と第十二階層の間に新たな通路が確認された」


英雄たち。


全員。


止まる。


悠真。


喉。


鳴る。


「……新しい?」


教官。


「一年生には関係ない。近づくことは禁止されている」


そう。


一年生には。


関係ない。


第三階層まで。


安全な。


学院実習。


本来なら。


そのはずだった。


しかし。


悠真の耳に。


声が届く。


百英雄の誰でもない。


低い。


遠い。


声。


『……来い』


悠真。


息。


止まる。


地下。


昨日。


封印の向こうから聞こえた。


あの声。


『神谷悠真』


今度は。


はっきり。


名前を。


呼んだ。


「……え?」


セレスが。


悠真を見る。


「どうしたの?」


「今」


聞こえた。


そう言おうとして。


やめる。


英雄たちを見る。


ガルディオ。


「先生」


『何だ』


「今の声……」


ガルディオ。


顔。


変わる。


『声?』


「聞こえなかった?」


沈黙。


クロウも。


エレノアも。


リリアも。


首を横に振る。


百人の死者が見える悠真にだけ。


さらに。


百人の死者にも聞こえない声が。


聞こえた。


そして。


教壇の地図。


地下十二階層。


そのさらに下。


地図には存在しない場所で。


何かが。


ゆっくり。


目を覚ます。


鎖。


一本。


切れる。


ガシャン。


暗闇。


赤い文字。


浮かぶ。


《第一の封印》


《進行率》


《一/百》


その下。


昨日まではなかった。


新しい文字。


《適合者》


《神谷悠真》


そして。


もう一行。


《回収開始》


暗闇の中で。


何かが。


笑った。


『待っていた』


『千年』


『ずっと』


悠真はまだ知らない。


明日の学院実習が。


ただのダンジョン探索では終わらないことを。


そして。


百人の先生たちが知っているはずの迷宮に。


百人全員が知らない十三階層目が存在することを。


第1部 第5話 完

次回 第6話

初めてのダンジョン

初めての迷宮。


初めてのパーティー。


隣には学院最強の少女、セレス。


背後には百人の英雄。


これだけ揃えば。


初心者向けの地下迷宮など。


怖いはずがない。


悠真も。


そう思っていた。


第三階層までは。


そして。


本来存在しない階段を見つけた瞬間。


百人の英雄が。


一斉に。


黙る。


「先生?」


誰も答えない。


悠真は。


初めて見る。


いつも騒がしい死者百人が。


本気で怯えている顔を。


そして。


ガルディオが言った。


『悠真』


「何?」


『その階段には』


剣聖の声が。


わずかに震える。


『絶対に降りるな』


その直後。


地下から。


セレスの悲鳴が響いた。

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