25話「初代魔王は、本当に人類の敵だったのか」
第3部消された勇者編
学院対抗戦は終わった。
《無職》の落ちこぼれだった悠真は、百人の先生たちの答えに頼るのではなく、自分で考え、自分で選び、勝つことを覚えた。
そしてセレスとの距離も、ほんの少しだけ変わった。
けれど。
取り戻した《英雄遺物》には、誰かが意図的に消した痕跡が残されていた。
歴史が語るのは、世界を救った**《百英雄》**。
英雄は百人。
そのはずだった。
なのに。
古い記録に残されていたのは、
百一人分の痕跡。
先生たちは何を知っているのか。
なぜ、一人だけ歴史から消されたのか。
そして悠真はまだ知らない。
自分が毎日のように話している百人の先生たちが、決して語ろうとしない過去があることを。
第3部で悠真が学ぶのは、戦い方ではない。
「歴史に答えが書いてあっても、それが正解とは限らない」
ということ。
答えを教わってきた少年が。
今度は、答えそのものを疑い始める。
そしてもちろん。
「今、俺の目の前にいる人だ!」
などと大観衆の前で叫んでしまった以上、セレスとの関係も無事では済まない。
恋と笑い。
百英雄の隠された過去。
そして、歴史から消された一人。
第3部「消された勇者編」
ここから。
百人だったはずの英雄たちの、百一人目の物語が動き始める。
百年前の戦場へ
百年前の戦場は、思っていたより静かだった。
焼けた大地も、折れた剣も、白骨もない。馬車の窓から見えるのは、風に揺れる草原だけだ。
「意外そうね」
向かいに座るセレスが言った。
「もう少し、戦場っぽいと思ってた」
「百年前よ。大地だって、いつまでも傷ついたままじゃないわ」
「人より立ち直るのが早いんだな」
「あなたよりは早そうね」
「俺だって立ち直るよ」
「対抗戦の翌日、公開告白扱いされて机に突っ伏していた人が?」
「それは別件です」
セレスは窓の外へ顔を向けた。耳が少しだけ赤い。
――たぶん、誰でも同じじゃなかった。
第21話で彼女の問いにそう答えてから、俺たちの距離が近づいたのか離れたのか、正直よく分からない。
話す時間は増えた。なのに目が合うと、互いに逸らすことも増えた。
先生たちは「青春だ」と喜んでいる。
百年前に死んだ英雄たちに恋愛を観察される生活。歴史書には絶対に載らない種類の呪いだと思う。
『そろそろ着くぞ』
馬車の外を漂っていたガルディオが、低い声で告げた。
「見えるの?」
『何度も来た場所だからな』
言った直後、ガルディオは口を閉ざした。
何度も。それは戦争の最中に、という意味だろう。
クロウもエレノアも、今日に限ってほとんど話さない。そしてゼルは、不自然なくらいいつも通りに笑っていた。
馬車が止まる。
扉を開けた瞬間、冷たい風が吹き込んできた。
学院長が地図を片手に立っている。今回の調査実習に参加しているのは、俺とセレス、学院長、護衛役の教官二名だ。
目的は《空白の一年》に関する痕跡を探すこと。
王国史から、ほとんどの記録が消えている一年。その終わりには、初代魔王の討伐と百英雄の死がある。
「ここがアルネ平原だ」
学院長が草原の先を指した。
崩れた石壁が、緑の中から骨のように突き出している。
「あれは?」
「旧王国軍の前線拠点とされている遺跡だ」
「されている?」
セレスが聞き返す。
「資料にはそう記されている。だが、確定できる証拠は少ない」
まただ。
歴史書では断定されているのに、現地では確かめられない。
俺たちは草を踏み分け、百年前の戦場へ足を踏み入れた。
その瞬間、百人の先生たちが一斉に黙った。
勝者の旗がない
崩れた拠点には、壁の一部と石造りの塔だけが残っていた。
石材に焦げた跡があり、ところどころ深く抉られている。
「剣じゃないわね」
セレスが壁の傷へ触れる。
「魔術?」
「おそらくな。ただし、現在の魔術体系には該当しない」
学院長の答えを聞きながら、俺は傷を見つめた。
見覚えがある。対抗戦でクロウから教わった、魔力を一点に収束させる古い術式だ。
俺の視線に気づいたクロウが、小さく首を振った。言うな、という意味だ。
セレスも気づいたらしい。
「何か分かるの?」
「少しだけ」
「また百年前の知識?」
胸が詰まる。
どうして百年前の戦い方を知っているのか。答えられない。
「似た傷を、本で見た気がして」
「どの本?」
「……名前までは」
「そう」
セレスは追及しなかった。だが、納得もしていない。
誤魔化すたびに、彼女との間へ薄い壁を積んでいる気がした。
「悠真、こちらへ来てみろ」
学院長の声に救われるように、俺は奥へ向かった。
かつて広間だった場所らしい。床には割れた石板が散らばり、中央に太い柱が倒れている。
「軍の拠点なら、所属を示すものが残っていてもいい」
「王国の紋章とか?」
「ああ。旗や木製品は残りにくい。だが通常、石壁や門には紋章を刻む」
俺たちは手分けして探した。
王国軍の紋章は、翼を広げた白鷲だ。しかし、どこにも見つからない。
代わりに壁の中央で見つけたのは、何かを削り取った跡だった。
セレスが指先で輪郭をなぞる。
「壊れたんじゃない」
「人が削ったんだ」
周囲の石は風雨で丸くなっている。だが、紋章のあった場所には、道具で何度も叩いた跡が残っていた。
「敵に占領された際、王国の紋章を消された可能性はある」
学院長が言う。
「逆は?」
俺は聞いた。
「ここが、もともと魔王軍の拠点だった可能性」
学院長はすぐには否定しなかった。
「ある」
「でも、歴史書には王国軍の拠点だって」
「歴史書が正しいならな」
風が、壊れた広間を抜けていった。
少し前までの俺なら、先生たちに正解を求めていた。けれど、先生たちが知っていることと、俺が確かめられることは別だ。
俺はしゃがみ込み、床に落ちた石片を拾った。
片面に細い線が刻まれている。
「セレス、これ」
別の石片と合わせる。曲線がつながった。
さらに三つ、四つと並べていく。
現れたのは白鷲ではなく、大きな円と、その内側に刻まれた二本の角。
学院の教本で何度も見た、魔王軍の紋章だった。
やはり、ここは魔王軍側の拠点だったのか。
そう考えかけて、違和感に気づいた。
角のある円を、左右から二つの翼が囲んでいる。
魔王軍の角と、王国軍の白鷲。敵同士の紋章が、一つになっていた。
「こんな紋章、習ってない」
俺が言うと、セレスも首を横に振った。
学院長は長い間、石片を見つめた。
「私も初めて見る」
俺は背後を振り返る。
先生たちは誰も驚いていなかった。
『戦争終結』
拠点を出て、さらに北へ進んだ。
地図によれば、この先に戦没者を弔う石碑がある。
草原の中央に、灰色の石が立っていた。上部は欠け、表面には苔が広がっている。
百英雄が初代魔王を倒した場所なら、もっと立派な記念碑があってもよさそうだった。
「ずいぶん放置されてるな」
「街道から外れているからね」
学院長が苔を払い落とした。
古い文字が現れる。
「――多くの命が失われ、長き戦いはここに終わる」
セレスが読み上げた。
学院長と教官が慎重に土や苔を落としていく。
やがて、最も大きな文字が見えた。
《戦争終結》
四文字だけ。
勝利ではない。
魔王討伐でもない。
百英雄の偉業を讃える言葉もない。
「おかしくないですか」
俺は学院長を見る。
「初代魔王を倒した場所なんですよね?」
「王国史では、この平原で最後の決戦が行われたとされている」
「だったら、どうして《魔王討伐》って書いてないんですか」
誰も答えなかった。
「人類を滅ぼそうとした絶対悪を倒したなら、勝利でしょう?」
碑文は喜んでいない。誇ってもいない。
まるで勝者も敗者もなく、ただ終わったことだけを残そうとしている。
セレスが石碑の側面へ回った。
「こっちにも文字がある」
ほとんど消えかけた、小さな刻印。
《王国歴九八七年 両軍生存者一同》
両軍。
王国軍だけではない。魔王軍も、この石碑を建てたのか。
「敵と一緒に?」
俺の声が震えた。
「人類を滅ぼそうとした軍と、王国軍が?」
「終戦後、一時的に共同で戦死者を弔った可能性はある」
学院長は慎重に答える。
「だが、それだけでは説明しきれんな」
二つの紋章を組み合わせた石片。
王国史から消えた一年。
魔王討伐ではなく、戦争終結と刻まれた石碑。
別々だった点が一本の線でつながり始める。だが、その先にある形は、俺の知っている歴史とあまりにも違っていた。
「初代魔王は、本当に人類の敵だったのか?」
言った瞬間、冷たい風が止んだ気がした。
ガルディオは拳を握っている。
クロウは目を伏せている。
エレノアは、泣きそうな顔で石碑を見つめていた。
ゼルだけが、俺を見ていた。
優しく。少し寂しそうに。
ゼルの答えではない答え
「ゼル」
俺は彼の前に立った。
「先生は、初代魔王のことを知ってる?」
『知っているよ』
「どんな人だった?」
ゼルは笑った。いつもの、何を考えているか分からない笑顔。
『歴史書には、何て書いてあるの?』
「人類を滅ぼそうとした、絶対悪」
『なら、そうなんじゃないかな』
「それは先生の答えじゃない」
先生たちの気配が揺れた。
以前の俺なら、それ以上聞けなかった。でも、今は違う。
「俺は、ゼルの答えを聞いてる」
ゼルの笑みが止まった。
ほんの一瞬、何を言うべきか迷っている顔をした。
『悠真。歴史に残った悪人が、本当は善人だった。そんな単純な話なら、きっと楽だったよ』
「どういう意味?」
『そのままの意味』
「分からない」
『今は、分からなくていい』
まただ。先生たちは肝心なところで答えない。
胸の奥に苛立ちが生まれる。それでも、ゼルは目を逸らさなかった。
『ただ、一つだけ覚えておいて』
いつもの軽さが消えていた。
『敵だった人間が、最後まで敵だったとは限らない』
「それって――」
『おーい、悠真!』
ガルディオの大声が割り込んだ。
『石碑の裏を見ろ! まだ何かあるぞ!』
明らかに会話を切った。俺が睨むと、ガルディオは珍しく目を逸らした。
「悠真」
セレスが、そっと俺の袖をつかんだ。
もちろん、彼女には先生たちが見えていない。
「どうしたの?」
「……考え事」
「また?」
「最近、多いんだ」
「知ってる。一人で抱え込まないで」
「うん」
「その返事、信用していいの?」
答えに詰まる。
俺は百人の死んだ英雄と話せる。そんなことを言えば、信じてもらえるだろうか。
いや。セレスなら信じてくれるかもしれない。
だからこそ、怖かった。
「話せるようになったら、話す」
逃げるような答えだった。
それでもセレスは、俺の袖から手を離さなかった。
「じゃあ、待つ」
その一言が痛かった。
信じてもらうことは、疑われるより苦しい。
消された言葉
石碑の裏側には、文字を削った跡が残っていた。
自然に欠けたのではない。誰かが、そこにあった文章だけを消している。
学院長たちが紙を石碑へ当て、炭で表面を写し取る。
何度か試すうちに、薄い文字の輪郭が浮かび上がった。
《我らは――》
その先は読めない。
さらに下。
《百一――》
胸が跳ねた。
百一名の刻印。切り取られた名簿。
同じ数字が、また現れた。
「百一人」
俺がつぶやいた瞬間、ガルディオの顔が歪んだ。
学院長が別の部分を写し取る。
かろうじて、一つの文章が読めた。
《――敵ではなく、同じ明日を望んだ者として――》
「同じ明日……?」
初代魔王は人類の敵だった。
魔王軍と王国軍は、互いを滅ぼすために戦った。
そう教えられてきた。
なら、これは誰のことだ。
王国軍が魔王軍を指して、同じ明日を望んだと書いたのか。
それとも、初代魔王自身を指しているのか。
「学院長。歴史書って、誰が書くんですか」
学院長は少し考えてから答えた。
「多くの場合、生き残った者だ」
「勝った方?」
「そうとは限らん。だが、国の正史を作るのは、戦後に権力を持った者だ」
俺は削られた文章へ触れた。
紙の記録は、一枚切り取れば消せる。本を書き換えればいい。
だが、石に刻まれた言葉は簡単には消えない。
だから削った。二度と読まれないように。
「誰かが、歴史を正しい形に直そうとした」
俺が言うと、セレスが眉を寄せた。
「正しい形?」
「その人たちにとって、都合のいい形」
初代魔王は絶対悪。百英雄は正義。人類は勝利した。
それなら分かりやすい。誰を憎み、誰を称えればいいのか迷わずに済む。
しかし、この石碑は違う。
戦争終結。
両軍生存者一同。
同じ明日を望んだ者。
敵と味方の境目が、歴史書ほどはっきりしていない。
「もしかして」
セレスが静かに言った。
「初代魔王を悪にしなければならない理由が、戦争のあとにできたのかもしれない」
「倒すためじゃなく?」
「倒したあと、その戦争を説明するために」
風が吹いた。
百年前の石碑の前で、俺たちは誰かに教えられた答えを疑っている。
それが正しいかは、まだ分からない。証拠も足りない。俺たちの考えが間違っている可能性だってある。
だが、一度生まれた疑問は、もう教本の一文では消せなかった。
戦場の反対側
日が傾き始めた。
学院長は石碑の写しを慎重にしまった。
「この発見は、すぐには公表しない」
「どうしてですか」
「断片だけでは解釈を誤る。歴史を書き換えるには、疑問だけでなく証拠が必要だ」
納得はできる。けれど、少し怖くもなった。
百年前にも、同じことを言った人がいたのではないか。
混乱を避けるため。証拠が足りないため。国を守るため。
そうして語られないまま、何かが消えたのではないか。
「明日はどこを?」
セレスが地図を広げる。
学院長が北側を指した。
「石碑周辺と丘陵地帯を調べる。地下遺構が残っている可能性がある」
「南側は?」
俺は地図の端にある小さな印へ目を止めた。
旧拠点と石碑を挟んだ、戦場の反対側。いくつもの小さな十字が描かれている。
学院長の表情が険しくなった。
「古い墓地だ。記録上は、魔王軍の支配地域にある」
つまり敵側の墓地。そのはずだった。
だが地図の余白に、古い書き込みが残っている。
《人骨の多くは人間種と推定》
「魔王軍側に、人間の墓?」
「捕虜や奴隷かもしれない」
セレスが言う。
「あるいは」
学院長が墓地の印を見つめた。
「我々の知らない人間たちが、魔王軍側で戦っていたかだ」
先生たちが息を呑んだ。
俺はゼルを見る。
ゼルは、遠くにある丘を見つめていた。
『あそこは行かない方がいい』
今日初めて、ゼルがはっきりと調査を止めた。
「どうして?」
『危険だから』
「魔物がいる?」
『それだけじゃない』
「じゃあ、何があるの?」
ゼルは答えない。
俺は地図を握りしめた。
先生の答えを信じることと、何も考えず従うことは違う。
ゼルから教わったはずだ。自分で選べ、と。
「俺は行く」
ゼルがこちらを向いた。いつもの笑顔はなかった。
「何が危険なのか、自分で確かめる」
長い沈黙のあと、ゼルは小さく息を吐いた。
『そう言うと思ったよ』
その声は、どこか諦めたようで。それ以上に、嬉しそうだった。
翌朝。
俺たちは、戦場の反対側にある無名墓地へ向かう。
そこに眠っているのは、魔王軍に殺された人々なのか。
それとも、歴史から敵とされた側で戦った人間たちなのか。
初代魔王は、本当に人類の敵だったのか。
まだ答えは出ない。
ただ一つ、分かったことがある。
歴史書に書かれた悪は、百年前の石碑から自分の名前を削ることはできない。
削ったのはいつだって――生き残った人間だ。
第25話 完
次回 第26話
「英雄の墓が、戦場の反対側にある」
魔王軍側の領域で見つかった、人間たちの無名墓地。
そこには、王国軍の兵士にはあり得ない埋葬の痕跡が残されていた。
調査を進める悠真たちへ、遺跡を縄張りにする魔物が襲いかかる。
自分で決めようとする悠真。だが、その判断がセレスを危険へ追い込む。
「一人で決めることと、一人で戦うことは違うでしょ!」




