第1話 見守る者
百を超える心拍数にチェックをつけながら、真壁知久は顎に手をやりモニターを見つめた。直近一ヶ月の心拍数、呼吸数のデータをざっと見返し、二ヶ月前のデータと見比べる。
もうそろそろ危ないかもしれないな。口の中でそうつぶやきながら、要注意人物、とカテゴリーに振り分けた。
切りの良いところで大きく伸びをし、立って上半身をひねると背中が小気味いい音を立てる。見守りセンサーが取得した高齢者の生体データの分析をAIが手伝ってくれるようになったとはいえ、精度はまだまだだ。結局は人間の目で最終確認をしなければならない。データ分析の依頼が集中する月初めは、パソコンに貼り付け状態になるため肩や首が岩のように固くなる。
休憩がてらオフィスに設置されているコーヒーマシーンで、妻が買ってきた桃色と鶯色のマグカップに並々とコーヒーを注ぎ、大量に砂糖を投入した。
「真壁さーん」
営業部の朝倉大地が犬のように小走りでやってきた。新卒として入社した朝倉は今年で四年目を迎えるにも関わらず、いつでもフレッシュ感満載だ。四十歳になると二十代がとんでもなく若々しく見えてしまう。
「真壁さん、群馬県へ行きませんか?けっこうでかい施設で導入が決まったんです」
「おめでとう。でも行かない」
「えー!?どうしてですか?」
断られるとは全く予想していなかったのだろう。目をまん丸に見開いている。真壁はひょろ長い体躯を丸めるように、入れたばかりのコーヒーを両手で抱えながら一口飲むと言った。
「データ分析は社内や自宅でできるから」
「いや、そのデータ分析の報告もやって欲しいんですけど、職員向けにデータの見方の勉強会をやってほしいんです。現地で」
「ウェブじゃダメなのか?いつもウェブで対応しているんだけど」
「ダメじゃないんですけど、やっぱり現場で話した方がいいと思うんですよね。ウェブじゃ伝わらない雰囲気みたいな?そういうの、あるじゃないですか」
ダメですか?と小首をかしげて朝倉が上目遣いで見つめてくる。きゅるるん、と漫画なら背景に効果音が添えられているだろう。男性にしては小柄で、クリクリと動く大きな瞳や仕草が柴犬みたいだ、と営業部のメンバーたちは朝倉のことを朝シバ、と呼んで可愛がっているが、本人もまんざらではない様子でいじられているのをよく見かける。
野郎に上目遣いで見つめられても、全く心が動かされない。もしかして、朝倉本人も自覚してやっているのではないのか、ひょっとすると本性はあざといのでは、と最近思う。
真壁は甘くて熱々のコーヒーをさらに一口飲むと大きなため息をついた。
「現地に行った方がいいなら、酒井はどうだ?あいつ、埼玉の深谷に住んでいるから群馬近いだろ」
真壁の提案に「えー」と朝倉は明らかにしょんぼりしながら肩を落とし、両手を胸の前で組みながらぶつぶつと呟きだした。
「だって真壁さんのデータ分析が一番わかりやすくて、正確なんですもん。説明も丁寧ですし、 ご利用者様のデータを分析して報告するだけじゃなくて、どうやってケアに生かしたらいいのかとか、睡眠の質を改善するためにこのような取り組みをしたら結果が出た事例があります、とか、引き出しが豊富ですし、認知機能に関する最新の研究結果を常にチェックしていますし、この前、報告していた誤嚥性肺炎の分析レポートもとんでもなく素晴らしい出来栄えでしたし、とにかく真壁さんが知識の引き出しが一番多いだけじゃなくて、それを相手に伝えるのが一番上手いと思うんです。俺、相手に何かを伝えたい時、いつも真壁さんをお手本にしているんです」
流れるように称賛の言葉を浴びた真壁は、目線をずらしつつ、生まれて一度もいうことを聞いてくれない天然パーマの毛先を無意識にいじった。まぁ、褒められるのは悪い気はしない。
「レモン牛乳奢りますから」
拝むように両手を胸の前で合わせている朝倉の圧に真壁は降参、と言わんばかりに緩く首を横に振った。
「レモン牛乳は群馬じゃなくて栃木だろ。わかったから、大島さんに依頼書出しといて」
「やった!言質とりましたからね!」
ありがとうございます、と言いながら軽やかにデスクに戻っていく朝倉を眺め、小さく息をつくと真壁は自分のデスクに戻った。今日中に分析しなければならない高齢者のデータがまだ二十人程残っている。




