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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達/岳兎佐助
帝都初恋剣戟譚 二匹の秋津(トンボ)編
282/284

真夏の来訪者《下》


 望月(もちづき)(ほたる)は、敷地と道路を区切る大きな木門の片方をゆっくりと手前に開いた。


 かくして、その来訪者——(ちょう)凌霄(りょうしょう)と名乗る男の姿を目の当たりにする。


 まず目についたのは、目元を真っ黒に覆い隠す丸型サングラスだった。

 次に、肩まで無造作に伸びた黒髪。

 蘇芳(すおう)色の、詰襟半袖の中華装。右肩に背負った刀袋には、布地の膨らみ方からして、刀と木刀が一本ずつ入っている様子。


 いかにも中華圏の人物といった出立ちを視認してから、本人の身体的特徴へと注意がいく。

 サングラスで目元を隠していても、その目鼻立ちは端正であることが容易にうかがえる。年齢は二十代半ばくらいか。

 中華装を身につけた体つきは、長身痩躯と形容できる。しかし、何故か長身痩躯という言葉で済ませたくなかった。四肢と胴体から、まるで大容量の筋肉を無理やり細く絞り込んだような、太い存在感を感じて仕方がないからだ。


 一目で「できる」と分かってしまった。


(それに、この人、なんだか……)


「——アナタが、望月螢さんデスか?」


 その人物、趙凌霄がそう訊いてくる。イントネーションの所々に違和感のある、甲高い響きの片言(かたこと)


「はい。あなたがあの趙凌霄さんで?」


 螢は肯定し、そしてこちらも本人確認をしかけた。


 趙凌霄はころり、と微笑混じりに首肯した。


「この東京の剣士、あんまり強くないネ。ワタシ、(つよ)い有名な剣士みんな尋ねたけど、みんな勝ったデスよ。このままだとワタシ、東京で最強なっちゃいマス。日本の(みかど)のお膝元で、ワタシ達の中国の武術が最強なル。アナタは、どう思うデスか?」


 ……挑発している。螢は思った。


 なるほど、こうやって煽れば、誰もが剣を取らずにはいられない。それが帝都の剣客というものだ。


 勝負を受けなかったら、外国の剣客に恐れをなしたと見なされ、結局は負けたのと同じ不名誉を自分の名が帯びることとなる。そしてそれは、自分の不名誉だけでなく、帝都の剣客全体の不名誉にも繋がりかねない。


 であれば、義を見てせざるは勇無きなり。剣を抜くだろう。


 そして——その(ことごと)くを、彼は倒してきた。


 螢とて、帝都の剣士だ。その自覚は持っている。

 手前味噌だが、自分はこの国で広く知られた剣士だ。なおのこと勝負を受けないわけにはいかない。

 ゆえに、ここで勝負を挑まれれば、それを受けるつもりだった。


 だけど……その前に一つ、螢はこの異人の剣客に、訊きたいことがあった。


「あの、失礼ですが…………以前(・・)どこかでお会い(・・・・・・・)しましたか(・・・・・)?」


 そう。さっきから螢が感じてやまない感覚。


 強烈な、既視感。


 初対面のはずなのに、以前どこかで会ったことがあるような。


 螢の知っている誰かに、似ているような。


 誰に、似ているのだろう……そう悩む螢をよそに、趙凌霄は小首をかしげてそれを否定した。


「ワタシ、アナタ知らないヨ。望月螢いう名前は()てるケド、アナタの顔見るは初めてヨ。アナタみたいすごい美人、一回みたら一生忘れるナイよ」


「……ですが」


 やはり、既視感は螢の頭から離れてくれない。


 どうにももどかしくて、螢が自分の記憶にさらなる探りを入れようとした、その時だった。




「——なんでお前が(・・・・・・)ここにいるっ(・・・・・・)!?」




 真後ろから激しく投じられたその怒声は、光一郎(こういちろう)のものだった。


 かと思えば、光一郎は螢を背後に庇うように立ち、趙凌霄と対峙する。


 背中しか見えないが、光一郎が今、趙凌霄に睨みをきかせているのが雰囲気で容易に分かった。


「コウ君、いったいどうし——」


「螢さん、騙されたら駄目です!! コイツは嘘つきだ(・・・・・・・・)!!」


 光一郎の強い断言に、趙凌霄はへらへら苦笑しながら、相変わらずの片言で言った。


「アナタ誰デスか。いきなり嘘つき呼ばわり失礼ネ」


「やかましいっ、なんだそのふざけた喋り方は!? ちゃんとした日本語で話せ!!」


「そんな、無理デスよ。ワタシ北京語(ベイジンホァ)以外下手ネ」


「ふざけるな、出来るはずだろう!! だって、お前は日本人(・・・・・・)なんだから(・・・・・)!!」


 螢は「えっ」と声を思わず漏らす。


 光一郎は、警戒を厳として、趙凌霄と向き合い続けている。何かあったら、その手元の木刀を振るわんばかりだ。


「たとえ螢さんの目は騙せたとしても、僕の目は騙せないぞっ…………僕の目(・・・)を、お前はよく知ってるはずだ!! 一度、戦ってるんだから!!」


 ぎりり、と木刀を強く握る音。


 そして、光一郎は「答え」を出した。






「いったい、この望月派(・・・)に何の用だ!? 嘉戸(かど)輝秀(てるひで)!!」






 螢の中で、何かが氷解する感じがした。


「——やっぱり(・・・・)君らは騙せないか(・・・・・・・・)


 目の前の中国人はサングラスを少し外しながら、先ほどまでの片言とは打って変わった綺麗な日本語でそう口にした。 


 いや、中国人ではない。


 光一郎の言うとおり、日本人だ。


 それも、螢がよく知ってる。


 装いや髪色がまるっきり変わっていても——彼は紛れもなく、嘉戸派(・・・)至剣流宗家家元の三男坊、嘉戸輝秀だった。


 しかし、その事実を飲み込むや、またも新たな疑問が生じた。


 何のためにこの家へ? という当然の疑問よりも先んじて、ある疑問が。


 ——雰囲気が、全く違う。


 「嘉戸輝秀」と言われ、さらにサングラスを少し外して顕になったその切れ長の眼差しを目にした瞬間、その顔の造作に強い既視感が確かに生じた。


 しかし、顔の造作は同じでも、かつてのような浮ついた気配がなくなっている。


 ……まるで野梅(やばい)の樹のような、静かに据わった存在感。


 こんな変装をして、髪型と口調を変えただけで、輝秀本人であると分からなかったくらいに。


(——強く(・・)なってる(・・・・))


 そう確信する螢をよそに、光一郎はなおも強い警戒と憤りを露わにしたまま続ける。


一昨年(おととし)に交わした起請文(きしょうもん)に則って、お前達嘉戸派(・・・)は望月派への不干渉を誓ったはずだぞ!! それなのに、これは何のつもりだ!? 一昨年の約束を破るつもりか!? 答えろっ!! 返答次第ではこちらもそれなりの対応をさせてもらう!!」


 ……多くの人間は知らないが、至剣流には二種類存在する。

 『至剣』の希少性を高める狙いで、二十四(・・・)あった型を五十(・・)に倍化させて『至剣』を開眼しにくくされた、嘉戸派至剣流。

 二十四(・・・)の型を増やしも減らしもせず、昔と同じ形でひっそりと教えている、望月派至剣流。

 至剣流が学校教育における必修科目化された大正時代を境に分かたれたこの二派は、ずっと互いの行動を警戒し合ってきたが、一昨年の十月にとうとう本格的に衝突した。

 双方三人ずつ剣士を選んでの「三本勝負」。日本一の大流派の宗家として君臨する嘉戸派に、吹けば飛ぶような少数勢力である望月派は立ち向かい、そして奇跡に近い形で勝利した。

 事前に交わした起請文の約束に則り、嘉戸宗家は以降、望月家やその派に対し、いかなる干渉もしないということを誓った。


 ——そんな嘉戸宗家の人間、それも現家元の三男である輝秀がここに現れたことは、これからの行動次第では約束事を破ることにつながる。


 起請文は、神々の名の下に約束を交わす文書だ。

 それを破ったところで法律的に罰せられはしないが、それでも庶民の中においては強い約束事だ。

 それを破ったと知れればすぐにそれは広まり、その話はやがて悪評へと変わるだろう。……剣士の世界においては特にそうだ。これは至剣流という最大流派の領袖(りょうしゅう)である嘉戸宗家の人間であろうと例外ではない。


 だが、目の前の宗家の人間は、それに臆した様子も無く告げた。サングラスの奥の瞳を光らせて。


「決まっているじゃないか。勝負を申し込むためさ」


 ずれたサングラスを整える。


「俺は君らに負けた後、大陸へ単身渡って、二年近く武術の修行をしてきた。その腕試しのために先月末に帰国してきたんだが……俺は至剣流宗家の人間だ。その素性を明かしたまま腕試しをすると宗家にいらぬ波風を立ててしまいかねなかった。だから俺は「趙凌霄」という中国人として、この帝都の剣術達者と幾人も戦ってきた。……分かるかな。今の俺は「趙凌霄」という、修行の旅をしている中国人だ。嘉戸宗家家元の馬鹿息子じゃない」


 輝秀の言わんとしていることを、螢は理解する。


 ……「嘉戸輝秀以外の別人」として振る舞うことで、己を起請文の適用外(・・・・・・・)にしようとしているのだ。


 「嘉戸輝秀」として望月派の人間に勝負を挑めば、それは起請文で結んだ約束事を違えたと取られる可能性が生まれる。


 だからこそ、「嘉戸輝秀」ではなく「趙凌霄」という別人として振る舞うことによって、起請文によって行動を制限されてしまっている「嘉戸宗家」という枠組みから外れようとしている。その上で、勝負を申し込もうとしている。


 光一郎も即座にソレを理解したようで、噛み付くように反論した。


「ふざけるな! そんな屁理屈がまかり通ってたまるか! これは立派な干渉だ!」


 だが、輝秀はあくまでも冷静だった。


「干渉、じゃあない。「干渉」っていうのは、相手の否応を問わず強引に何かを仕掛けて操ろうとすることだ。だが俺は、君らに任意の勝負(・・・・・)を申し込んでいる。……これから先の展開がどうなるかは、君らの判断(・・・・・)に委ねる(・・・・)


 そして、輝秀は刀袋を前へ掲げた。


「改めて名乗ろう——俺の名は(ちょう)凌霄(りょうしょう)。中国北方の名門武術の一つ『龍行(りゅうぎょう)(しょう)』を学び、恐縮ながら師に才覚を認められて正式な門弟となった者」

 

 真っ黒なサングラス越しでも、輝秀の眼差しが見えた。


「しかしながら、未だ武芸の真髄には至らぬ者。なればこそ、より強き武人との比武(ひぶ)をと欲す。……望月螢。至剣流における、否、現代日本剣術界における屈指の剣豪である貴女(あなた)との比武を、ここに請願する」


 重く、慎み深く、そして誠実な眼光が、黒いレンズの中で北辰(ほくしん)のごとく据わっていた。……かつての彼にはできなかったであろう瞳。


 あれだけ反抗的だった光一郎すら何も言えず、圧倒されたように押し黙っていた。


 一気にその場が沈黙する。セミの鳴き声がさっきよりも大きく聞こえる。その声が体の奥底まで染み入ってきて、心の中まで入ってくるような感じ。


 ……汗一つかいていなかった螢の白い額に、ひとしずく流れる。


 やがて、その心地よくもある沈黙に、銀鈴めいた一言が投じられた。


「——いいでしょう」


 それが自分の声であると、言った後に気づいた。


「あなたとの比剣、お受けいたしましょう。中へ入りなさい——趙凌霄(・・・)


「貴女の寛大さに感謝する」


 輝秀はそう小さく頷いた。


 そうして、望月家の門の奥へ足を踏み入れようとした輝秀を、一人の人影が阻んだ。


「……コウ君」


 光一郎だった。


 輝秀と螢との間に立っている。


 螢を、庇うようにして。


「——だったら、まず僕と戦え(・・・・・・)


 光一郎は、静かに、重く、そう告げた。


「僕にすら勝てないなら、螢さんにはどうせ勝てない。お前が螢さんに挑むに値するのか、僕の剣で見極めてやる」


 そんな彼の背中が、螢の目には……いつもよりも分厚く見えた。


 輝秀はそんな光一郎に機嫌を損ねず、それどころか、どこか嬉しそうに微笑を浮かべた。


「いいだろう。まずは君とだ。——剣を取りたまえ。小さく、勇敢な侍よ」



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